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どーでもいいこと

そういえば、自分の文章を読み直すと、懐かしさは全くないが、変に共感するときがある。自分が書いているのだから当たり前と言えば当たり前なのだが、自分が「感心」するようなことを書いているから、人が読まないのだ。あまりに自明。

もひとつ、そういえば、かつて角川文庫から出版されていた田辺氏の『パンセ』を入手し(もちろん古本だよ)、ぱらぱら読んでみた。実は岩波文庫の『パンセ』があまりに読みにくいので、かつて読んで感激したものは、ここまで読みにくくなかった気がするが......と思って入手に踏み切ったのだった。

岩波文庫のはいろいろ批判されているし、それは正しいのかも知れないし、正しくないのかもしれないが(そもそもフランス語なんて読めないから、正しい正しくないとかいう以前の問題なのだ。パンセのためにフランス語の勉強?そこまでして読みたくない)、そんなことはどうでもいい問題として、私にとって、かなり読みにくかった。強いて利点を挙げれば、注が細かいというところだが、これは本文の読みやすさとは無関係。

角川のパンセを読んでも(というか適当に気に入ったところをぱらぱら見ただけだが)、懐かしさを感じるほど読み込んだわけではもちろんなく、「へー、こんなのだったかなー」くらいだった。が、それはそれとして、岩波文庫よりは読みやすかった。読みやすいというと語弊があるようなら、訳者が訳して伝えようとしている内容が、まだしもわかったような気にさせてくれるものだった。いや、岩文の方がわかりやすいという人も当然いるだろうし、それはそれで全くよいことだと思う。私以外の人には何の関係もない、私の読みやすさの話。

読みやすさというと、文選が同じ岩文から出ていた。発売日に買ったものの、結局ほとんど読まずに放置している。このまま読むこともなく、売り飛ばすことになるだろう。買わなければいいのに、つい買ってしまうのは悪い癖だ。

ちなみにこの文選、コラムみたいなのが載っているのだが、なぜそんなものを載せたのか、今一つ理解に苦しむ。自分の文章は文選に匹敵すると言いたいのだろうか?あと注は詳しくもなかった。私のように中国の古典について全くの無知であり、かつ詩についても全くリカイできない人間は仕方ないとしても、詩には興味があるものの、中国の歴史はこれからです、という人は分かりにくいような気もするが、どうなんだろうな。もちろん玄人向けというのなら、コラムは不用だし、訳文もいらないと思うので、一般人に売ろうとしているということは、やはりそういう配慮が求められるような気もする。

いや、どーでもいいことだった。だからなんだというはなしだった。それでも、一つ気になることは、訳者は自分の訳文をどう思っているのだろうか。文選に並ぶ名文と思っているのだろうか?しかし「文」の「選」で詩のみの訳注。すばらしい。

家にSDCの娘が一人いるのだが、この娘は遠目の方がかわいく見える。遠目で見ているとチラチラ気にしているような顔つきながら、近づいてみると、なんじゃお前!というような、お化けでも見るような顔になる。......まあ好かれてはいないのだろう。

......本当にどーでもいいことしか書いていないと、さすがに苦しいな。書くのなら、何か意味のあるものにしたいが......雑談録とかは所蔵権(?)の問題でここにあげられないし......

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どーでもいいこと

そういえば最近になってフルチョイスしたので、そのことでも書いておこうと思ったが、次回のメモにと書き起こしたらA4で3頁にもなったので、また時間のあるとき、こちらに書くことにしよう......今回はモデルがいたので、メイクにほとんど時間がかからなかったこともあり、1時間程度で終わった。DDは男性客が多いように思うが、SDはやはりというか女性客が多い気がする。

やさしくて思いやりのある文章ではなく、切れ味がよく皮肉に満ちていて多くの人を不快にさせる文章はないものか。そういうものこそ望んでいるのだが。

どーでもいいこと

さすがにもう誰も見ていないだろう......というのも、何度か書いた気がするな。

仕事柄、中国の古典から完全に離れることができないのは鬱陶しいが、これも人生なのでしかたあるまい。というか、もはや付録のような人生だから、それについてあれこれ要求するのは、けしからんことなのだろう。その意味からいっても、やむなしとしか言い様がない。ともかく、中国の古典からはできる限り遠ざからなければなるまい。

それはそうと、ここ最近(なのかどうか知らないが)、ドール(ボークスのDDとかSDね)に興味をもってお迎えとかした関係上、全く興味もなかったクセに(本筋では今も全く興味はないが)、多くの人と同じようにカメラとかを調べだし、無駄な散財をしている自分がいる。理性的に考えると、無駄な出費以外の何物でもないので、即、止めた方がよいと思うのだが......しかしドールは仲間を呼ぶというのは本当だなぁ。

カメラ高い。

廖平の全集はまだしぶとく読んでいる。が、全然進まない。何言ってるのか意味不明!というのもあるのだが、それ以前のこととして、仕事から帰ってきて、ほとんど頭が動いていない寝る前にイヤイヤ読むから、余計に頭に入らないのだろう。アタマがよいわけでもあるまいに、こういうやり方では駄目だな、と思いつつ、そういうやり方でもないと時間はとれないね。まあ廖平あたりだから、かろうじて我慢もできるが、これがどーでもいい読み物だったりすると、三日坊主どころか、三分坊主あたりになるだろう。

そうそういつだったか忘れたが、万廷言集(万思黙のことね)が理学叢書から出た。かなり前から万思黙には興味があり、ぜひ読みたいと思っていたので、これ幸いとすぐに入手したのだが、結局今に至るまで読めていない。一つには私の学問の仕方が偏っていた(間違っていたと同義)ために、易についてあれこれ言われても、全く頭に入ってこないことによる。彼は易の人らしく、わたしのようなアタマの持ち主にはとてもリカイできないんだなあ......かなり期待していただけに、自分の能力に対して残念としか言い様がない。

本質的なところはともかく、万思黙に比べると、廖平は春秋の人だから入りやすい。同じイカサマ学問でも、あれにはあれの、それにはそれの、方向というものがあるのだろう。

まとまった記事はもう書けそうにないな。なぜなら、まとまったことは何もしておらず、刹那的な興味にまかせて、下手をすれば数分ごとに興味の対象が変わったりするのだから。

もろもろ

「古代ローマの庶民たち」とかいう本を読んでいると、その中に奴隷の章があった。奴隷って庶民ではないと思うんだがな。

唐宋史料筆記叢刊の『曾公遺録』を入手したので、気に入ったところだけぱらぱら読んでみる。当事者の一方的な発言なのでなかなかおもしろい。しかし言葉で残る以上は行為といえども主観を離れないわけだから、この紀事がそっくり偽物だと、なかなか笑える話ではある。

ついでに唐宋史料筆記叢刊の銭塘遺事校箋考原。どうも特定の人が編集すると、異様に注が多い。それを目的に編集したからそういう書名になっているのだろうけど、注がメインなのか本文がメインなのかよくわからない。注は本文の通読に邪魔なんだがな。もっともこのシリーズは研究目的で使うことが多く、一般人が趣味でよむものではあるまいから、それでいいのかもしれない。

全宋筆記は三輯まで買ってやめたが、唐宋史料筆記叢刊はたまにしか発売されないので、新刊を見るとついつい購入してしまう。研究しているわけでもないのに、無意味なことだ。

どーでもいいこと

高校生の頃、韓非子か何かの解説で、地中海世界の方が変化(言語とか気候とか)が大きいとか書いてあって、当時は中国の古典が好きだったので、妙に反感を持ったものだが、たしかに最近はそう思わないでもない。もちろん中国も広いから気候は異なるし、実際に話している言葉の発音もかなり違うのではあるが、差異の大きさという点では地中海世界の方が大きく感じはする。もっとも、それは私が漢籍は読んでもラテン語もギリシア語も全く読めないからそう思うのか、それともやはりそうなのかはよくわからないけど。

それはそうと、諸般の都合で嫌々ながら北宋末の女真の進撃ルートを調べているのだが、手頃な地図がむつかしい。地図をかく技能があれば、作成したりするのだろうけど、ないものは仕方ない。いや、手書きという意味ではないけどね。もちろん手書きでもかけないけど。InDesignCS6を購入したとき、セットでIllustratorもついてたけど、使い方もよくわからないレベルなので、どうにもならないな。

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HN:江藤清通
かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

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