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どーでもいいこと

なぜ急にブログを更新しようと思ったのか、我ながら不思議だったが、考えてみれば、少し前に1週間ほど休み、今度は3連休ということで、たぶん心に余裕が生まれたのだろう。ということは、仕事がはじまればまた、更新はとまるということなのだろう。

ということで、もう何ヶ月か前の話になるが、SDをフルチョイスしたので、その話でも書いておこう。というか、自分の記念に書いておこう。

ちなみに私がフルチョイスを依頼したのが3月で、届いたのが5月だから、旧フルチョイス制度下でフルチョイスしたことになる(変な日本語になった......)。現在のフルチョイスは、オーダーメイクの多さでコースがいくつかに分かれていて、グラスアイの追加などもセットになっており、かつ全体的に値段が高くなっている。私がフルチョイスしたころは、オーダーメイクの多寡で値段の差はなかった(全面的にメイクを頼んでも、もととなるSDから少し変えるだけでも、同じ値段だった)。

と、まぁそんなことはどーでもいいので、簡単に言うと、ドールのサイズを選び、アイとか、足とか手とかの長さを選び、してほしいメイクを指定し、それで1ヶ月半ほどまてば、ドールと対面できるという感じになる。わたしはカタログに載っていたドールがよかったので、ほとんど変更せずにメイクをお願いしたが、中には随分凝ったものをお願いする人もいるらしい。

あと、店員さんの対応は、ネット情報とほとんど(というか完全に)一致していた。たとえば、はじめて「おくるみ」みたいなのをとり、メイク済みヘッドがお目見えすると、「まぁかわいい」というようなことをいうとか、メイクがかわいいと褒めてみるとか。おそらくそういう対応をするようになっているのだろう(もしかしたらパターンはあるのかもしれないけど)。

特にはじめてのフルチョイスSDだと、本当にこれでよいのか不安だったりするので、そういわれて悪い気はしない。もっとも私は会社帰りに受け取りにいったので、「メイクをしてくれた職員さんがうまかったのでしょうね」という、余計に相手を立てる発言をしてしまい、店員さんが一瞬戸惑ったりしたが、総じて気持ちのよい対応だった。

......というくらいかな。あとは結構きつめのドールになるかと思っていたが、届いてみると意外なことに、かなりかわいい感じになっていたとか(髪型によって微妙に表情は変わるけど)、予想より結構ずっしりしていたとか、アイは思ったより追視(めんたまが追っかけてくること)しないなとか、そういうことはあった。が、総じて思い切ってお迎えしてよかった。予算とドールの数と精神的問題あたりから、次にお迎えすることはないような気もするが、1人はお迎えしてみるものだと思った。

しかし、どうせなら新システムになってからフルチョイスすればよかった。と、思わないでもない。心残りはそれくらいかな。

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どーでもいいこと

先週、長期休暇を得られたので、少し遠出をしようと思っていたが、結局30度越えの暑さだったので、断念して、近くをうろついただけで終わった。多磨霊園と、その近辺の小野神社あたりに行こうかとも思ったが、それも雨と重なって、結局あきらめた。今回は縁がなかったと言うことにしておこう。見たからといって、何があるわけでもないのは分かっているのだし、そもそもお金が減らなくてよかったということにすれば、なおのことよいだろう。

ここ数年の間、断続的にTwitterをやっていたが、余計なツイートを見ているとかえって疲れるので、ぼちぼち終いにした方がよいような気もしてきた。まぁ私のツイートも大概だから、お前が言うなよという感じなんだろう。というよりも、そういうのを自分が求めるから、そういうのを目にする機会が増え、そういうのを見ることでかえって疲れるという、愚かしいことをしているだけだと思う。

しかしまぁ何も考えて生活していないからだろう、何も書くことがない。驚くほど発見も驚きもない状態が数年つづいている。歳をとればそんなものといえば、そんなものなのだろうが、いや、ここらで何かしないとそのままダメになってしまう!ということかもしれない。とはいえ、では、その所謂「ダメ」とは何かと言われると、特にダメである理由も出てこない。忙しいとか、日々感動しているとか、そういうことが偉いようには、遺憾ながら全くもって思われないのだから、しかたあるまい。

あ!アップロード前にブログを見返したら、フルチョイスしたドールのことを記事にし忘れていた。結局のところ、フルチョイスしたドールをお迎えした直後に、フルチョイスのシステムが変更されたので、あのドールは旧フルチョイスでの最後の方のものになってしまったのだった......システムがそこそこ変わったので、いまさらフルチョイスの仕方を書いても無意味なので、次回はそういうところは飛ばして、感想だけ書いておこう。

M43のカメラからFFに変えたところ(増設だけど)、やはりノイズはかなり減った気がする。値段差と重さを考えて、あえてFFが必要かといわれると、それは知らないが、カメラに疎い私でも(いや、疎いからかもしれないが)、ノイズが減ったと確かに感じた。ただ値段がねー、というところかな。FFとか買い出すと、値段の感覚がおかしくなっていけない。私程度の生活水準の人間は、1万を越える嗜好品は買うべきではない。

三朝北盟会編の古い校点本を入手した。影印本より読みやすいことは、遺憾ながら、たいへんに遺憾ながら、確かだ。

どーでもいいこと

そういえば、自分の文章を読み直すと、懐かしさは全くないが、変に共感するときがある。自分が書いているのだから当たり前と言えば当たり前なのだが、自分が「感心」するようなことを書いているから、人が読まないのだ。あまりに自明。

もひとつ、そういえば、かつて角川文庫から出版されていた田辺氏の『パンセ』を入手し(もちろん古本だよ)、ぱらぱら読んでみた。実は岩波文庫の『パンセ』があまりに読みにくいので、かつて読んで感激したものは、ここまで読みにくくなかった気がするが......と思って入手に踏み切ったのだった。

岩波文庫のはいろいろ批判されているし、それは正しいのかも知れないし、正しくないのかもしれないが(そもそもフランス語なんて読めないから、正しい正しくないとかいう以前の問題なのだ。パンセのためにフランス語の勉強?そこまでして読みたくない)、そんなことはどうでもいい問題として、私にとって、かなり読みにくかった。強いて利点を挙げれば、注が細かいというところだが、これは本文の読みやすさとは無関係。

角川のパンセを読んでも(というか適当に気に入ったところをぱらぱら見ただけだが)、懐かしさを感じるほど読み込んだわけではもちろんなく、「へー、こんなのだったかなー」くらいだった。が、それはそれとして、岩波文庫よりは読みやすかった。読みやすいというと語弊があるようなら、訳者が訳して伝えようとしている内容が、まだしもわかったような気にさせてくれるものだった。いや、岩文の方がわかりやすいという人も当然いるだろうし、それはそれで全くよいことだと思う。私以外の人には何の関係もない、私の読みやすさの話。

読みやすさというと、文選が同じ岩文から出ていた。発売日に買ったものの、結局ほとんど読まずに放置している。このまま読むこともなく、売り飛ばすことになるだろう。買わなければいいのに、つい買ってしまうのは悪い癖だ。

ちなみにこの文選、コラムみたいなのが載っているのだが、なぜそんなものを載せたのか、今一つ理解に苦しむ。自分の文章は文選に匹敵すると言いたいのだろうか?あと注は詳しくもなかった。私のように中国の古典について全くの無知であり、かつ詩についても全くリカイできない人間は仕方ないとしても、詩には興味があるものの、中国の歴史はこれからです、という人は分かりにくいような気もするが、どうなんだろうな。もちろん玄人向けというのなら、コラムは不用だし、訳文もいらないと思うので、一般人に売ろうとしているということは、やはりそういう配慮が求められるような気もする。

いや、どーでもいいことだった。だからなんだというはなしだった。それでも、一つ気になることは、訳者は自分の訳文をどう思っているのだろうか。文選に並ぶ名文と思っているのだろうか?しかし「文」の「選」で詩のみの訳注。すばらしい。

家にSDCの娘が一人いるのだが、この娘は遠目の方がかわいく見える。遠目で見ているとチラチラ気にしているような顔つきながら、近づいてみると、なんじゃお前!というような、お化けでも見るような顔になる。......まあ好かれてはいないのだろう。

......本当にどーでもいいことしか書いていないと、さすがに苦しいな。書くのなら、何か意味のあるものにしたいが......雑談録とかは所蔵権(?)の問題でここにあげられないし......

どーでもいいこと

そういえば最近になってフルチョイスしたので、そのことでも書いておこうと思ったが、次回のメモにと書き起こしたらA4で3頁にもなったので、また時間のあるとき、こちらに書くことにしよう......今回はモデルがいたので、メイクにほとんど時間がかからなかったこともあり、1時間程度で終わった。DDは男性客が多いように思うが、SDはやはりというか女性客が多い気がする。

やさしくて思いやりのある文章ではなく、切れ味がよく皮肉に満ちていて多くの人を不快にさせる文章はないものか。そういうものこそ望んでいるのだが。

どーでもいいこと

さすがにもう誰も見ていないだろう......というのも、何度か書いた気がするな。

仕事柄、中国の古典から完全に離れることができないのは鬱陶しいが、これも人生なのでしかたあるまい。というか、もはや付録のような人生だから、それについてあれこれ要求するのは、けしからんことなのだろう。その意味からいっても、やむなしとしか言い様がない。ともかく、中国の古典からはできる限り遠ざからなければなるまい。

それはそうと、ここ最近(なのかどうか知らないが)、ドール(ボークスのDDとかSDね)に興味をもってお迎えとかした関係上、全く興味もなかったクセに(本筋では今も全く興味はないが)、多くの人と同じようにカメラとかを調べだし、無駄な散財をしている自分がいる。理性的に考えると、無駄な出費以外の何物でもないので、即、止めた方がよいと思うのだが......しかしドールは仲間を呼ぶというのは本当だなぁ。

カメラ高い。

廖平の全集はまだしぶとく読んでいる。が、全然進まない。何言ってるのか意味不明!というのもあるのだが、それ以前のこととして、仕事から帰ってきて、ほとんど頭が動いていない寝る前にイヤイヤ読むから、余計に頭に入らないのだろう。アタマがよいわけでもあるまいに、こういうやり方では駄目だな、と思いつつ、そういうやり方でもないと時間はとれないね。まあ廖平あたりだから、かろうじて我慢もできるが、これがどーでもいい読み物だったりすると、三日坊主どころか、三分坊主あたりになるだろう。

そうそういつだったか忘れたが、万廷言集(万思黙のことね)が理学叢書から出た。かなり前から万思黙には興味があり、ぜひ読みたいと思っていたので、これ幸いとすぐに入手したのだが、結局今に至るまで読めていない。一つには私の学問の仕方が偏っていた(間違っていたと同義)ために、易についてあれこれ言われても、全く頭に入ってこないことによる。彼は易の人らしく、わたしのようなアタマの持ち主にはとてもリカイできないんだなあ......かなり期待していただけに、自分の能力に対して残念としか言い様がない。

本質的なところはともかく、万思黙に比べると、廖平は春秋の人だから入りやすい。同じイカサマ学問でも、あれにはあれの、それにはそれの、方向というものがあるのだろう。

まとまった記事はもう書けそうにないな。なぜなら、まとまったことは何もしておらず、刹那的な興味にまかせて、下手をすれば数分ごとに興味の対象が変わったりするのだから。

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Author:awatan
HN:江藤清通
かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

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