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秦山集巻二十七丙丁録18~

(18)集義和書、只だ是れ佞書。

(19)莊士豈に集義和書を讀まんや。

(20)新田義助の墓、豫州越智郡國分寺の東に在り。四國靈場記に見えたり。

(21)一傳に曰く、「國吉剃髪して昌盛法師と號す。中村彌介吉高を生む。吉高は昌吉を生む。(氏名父に同じ)昌吉は高吉を生む。信長公に仕ふ。信長公近江の屋形義秀卿に請ひ、秀の字を賜ひ、改めて秀吉と字す。秀吉公の弟、右馬允久吉、孫七郎秀次を生む。後、治兵衞と號す」と。重遠謂へらく、此の傳、近日に出づ。信ずべからざるなり。

(22)異稱日本傳に曰く、「秀吉は尾張國阿育郡の人。父の名は筑阿彌。小民なり。詳らかに道喜居士記に見ゆ」と。重遠謂へらく、古來或説、此の傳有り。此も亦疑ふべし。蓋し秀吉は平素濶達、自ら卑賤を諱まず。如し明らかに其の父を知らば、則ち何を憚りて之を尊崇追贈せざらんや。其の實は秀吉の生まるる、攙搶の天に在るが如し。天地の間、恠異奇特の一氣のみ。必ずしも父祖の姓名を問はざるなり。
※異称日本伝の引用部分不詳。

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秦山集

問ふ。程朱格物の傳を補ひ、而して中庸首に愼獨と云ひ、格物に及ばざるは、何ぞや。此れ陽明門泒の吾が道に寇する最首の一檄なり。今將に之を破らんとす。知らず、何の説以て之を服すべきやを。諸友試みに之を言へ。將に衞正の力を勸んとす。
(『秦山集』十四)

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かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

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