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経話上篇

ねる前に少しずつ『廖平全集』の経話を読んでいるが、経学雑記的なところがあって、まあまあおもしろい話もある。もちろん中には廖平の経学説(第二期以降の)を証明しようとして、すこぶる退屈なのもあるけど、備忘録的に書いていたり、学問教授上の教訓を書いていたりするのは、実地に即していて(即しているように書いているだけかもしれないけど)、興味深い。ひとつふたつ紹介したいところだが、いまは別の本の訳注に時間をとられているので、また今度にしよう。

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廖平から諸々へ

廖平で思い出した。むかし廖平にはまっていたころ、『今古学考』が重用だというので、必死に読んだ記憶はあったのだが、どうも巻下(巻上は図表)をすべて書き下し文にしていたらしい。とはいえ、そもそも当時は、廖平が今古文をどう捉えているのか、概説的な内容を知っていただけだったので、当然のこととして読み間違いが甚だしく、さきほどチラッと見ただけでも、結構な数の誤読があった。知識面での不足のほかに、廖平の用字がよくわからず、色々悩んだとおぼしきところもあり、我がことながら笑ってしまった。

もちろん読み間違いは間違いであって、当時も今も学力がねーなというにつきるのだが、それとは別のこととして、よくまあ当時はあれをすべて書き下しにしてみるだけの精力があったものだと、こちらも我がことながら感心してしまった。廖平について知りたいという思いがそうさせたのだろうが、そういう気力のおよそ残っていない現在から振り返ると、少しく驚かされるものがある。もう7~8年前のことになるようだから、まだ若かったし、それだけ世の中に対する憎悪の気持ちが強かったのだろう。

とはいえ、今年は仕事面とは別に、なにかしたい気もないではない。

すぐに頭をよぎるものとしては、廖平の『経話』がある。『廖平全集』を購入して以来、寝る前にこの『経話』を読んでいると、なかなか味わい深いことが書いてあり、おもしろくもあり、また紹介したい気持ちにもさせられるのだが、これはそこそこの分量があるし、また紹介するにしては、意味のない部分も少なからずありで、何かをするための目標とはしづらい。

劉敞の『春秋権衡』は長い間止まっていたが、昨年半年くらいつかって巻三と巻四を終わらせたので、できれば続けたいのが、同時に、これは巻17まであるし、そもそも『春秋意林』『春秋伝』が後に控えているので、焦ってどうこうできないと思っている。というか焦って進めれば、多分わたしの性格から考えて、『権衡』の巻六、うまくいっても左伝のおわる巻七で力つきてしまうだろうことは明らかだから、むしろ細々とできるところまで続けた方がまだマシだろう。

今年はもう一つ、まだ公にできないことをする予定なので、あるいは専らそちらに力を費やしてみるのもありかもしれない。ただ、あれはあれで長丁場になりそうなのが苦しいところではある。むかしから短期決戦でなければ力を出せないという、凡人にありがちな能力をもっているおかげで、なかなか大きいことができない。たしかに困ったことだ。

そういえば、サイトの廖平の部分は書き加えておかないと。『廖平全集』と『廖平著述考』が出たおかげで、資料の利便性がぐっとあがったのだった。というか、むしろ廖平研究はかつてないほどしやすくなったのだった。

今古学考巻下02-03

02.許君、今古に于いて互に取捨有りと雖も、漢制の為に縁飾するに過ぎず。各経の家法に至りては、其の別行を聴し、之を牽合するを欲せざるなり。明堂の説の如き、許案じて云ふ、「今礼・古礼、各々其の義を以て説くも、明文以て之を知る無し」と。又、公羊・左氏、朝聘を説くこと同じからざれば、許案じて云ふ、「公羊の説は虞夏の制、左氏の説は周の礼。伝に曰く、『三代物を同じくせず』と。明らけし古今説を異にすること」 *と。是れ許今古同じからざるを以て、混通を欲せざるなり。又、諸侯夫人の喪、公羊・左氏説を異にす。許案じて云ふ、「公羊の説、同盟の諸侯薨ずれば、君は葬に会し、其の婦人薨ずれば、又葬に会す。是れ国政に遑あらずして、常に路に在り。公羊・左氏の説、倶に同姓・異姓を別たず。公羊の当に会すべしと言ふは、以て同姓と為すなり。『左氏』の当に会すべからずと云ふは、異姓に拠るなり」** と。是れ許今古各据る所有るを以て、強いて同じきを欲せざるなり。其の余条に至りては、或は左氏に従ふと云ひ、或は『周礼』に従ふと云ひ、亦た自ら一尊を定め、含混を欲せず。鄭氏の書を著すに至りては、乃ち全く此の意に反せり。

*『礼記』王制疏引異義。
**同上。

03.『異義』久しく亡ぶ。今、陳氏 の輯本に就きて之を考ふるに、存する所将に百条に近からんとす。今と今と同じく、古と古と同じく、各朋党を為し、互相に難詰す。其の門戸の原異なるを以て、故に相岐るるを致すなり。中に惟だ三条のみ古と今と異なる〔同じき〕(校)者あり。穀梁の「葬は雨の為に止めず」と説くは、尊卑を統べて言ふ。左氏は「庶人雨の為に止めず」と説き、公羊は「雨ふれば葬むる克はずとは、天子・諸侯を謂ふなり。卿大夫は臣にして賤しければ、雨ふるを以て止む能はず」*と説く 。此れ公羊、古学の言を参用するなり。公羊は「臣子先に死せば、君父之に名づく」と説き、左氏は「既に没すれば、字を称ひて名いはず」と説く。許以為へらく穀梁は左氏に同じと** 。按ずるに此れ皆後師附会の説にして、経伝に于いて明文無く、同異に今古の礼制に関はる者無きなり。又、魯詩を引きて説く、丞相匡衡以為へらく「宗廟宜しく毀つべし」と。『古文尚書』説く、「宗廟毀たず」と。許、公羊の御史大夫貢禹の説に拠るに、『古文尚書』の毀たずと同じと*** 。按ずるに毀つと毀たざるとは、経に其の証無ければ、凡そ此の同じ所、皆な明拠無く、大綱に至りては、或は参差無きなり。

(校)全集は上文「今与今同、古与古同、各為朋党」を根拠に「異」を「同」に改む。本条後半の内容から判断して「同」の方が適切と思われる。
* 『礼記』王制疏引異義。
** 『礼記』曲礼下疏引異義。
*** 『毛詩』商頌・烈祖疏引異義。

なお冒頭の「陳氏」は陳寿祺のこと。

今古学考巻下01

今古学考巻下

旧て今古学三十論目を擬し、条して之を説かんと欲するも、倉卒にして未だ撰述する能はず。謹みて『経話』 の中に就いて其の今古学を論ずる者を取り、以て此の巻を為す。中に未定の説多ければ、続解有るを俟ち、再び補正に従はん。


01.今古二派、各自ら家を為せば、水火・陰陽の如く、相妨げ相済り、原より当に其の別行を聴し、必ずしも強ひて混合を為さざるべし。許君の『異義』は本と『石渠』『白虎』の如く漢制の為に作れり。今古の中に于いて其の漢制と相同じき者を択び、便を以て事に臨み経義を縁飾せんと欲す。故に累ねて漢の事を引きて断を為す。又、叔孫通の礼を制す云々*と言ふは 、皆な行事の計を為すのみ。書の並行して、両つながら相背かざらしむに至るは、則ち之を混同するを欲せざればなり。鄭君の『異義』を駁せる時、猶ほ今古の同じからず、各自ら家を成すを知るも、撰述に至りては、乃ち斯の旨を忘る。古『周礼』に注しては「王制」を用ゐ、『毛伝』に箋しては『韓詩』を用ゐ、古文『尚書』に注しては夏侯・欧陽の説を用う。夫れ経を説くの道は、礼を議すると同じからず。礼を議するは以て古今を斟酌し、善を択びて従うべし。経を説くは則ち当に家法を墨守すべし。疑ふべき有りと雖も、改易し、更に別家に据り説を為す能はず。今、古学に注するに、乃ち兼ねて今学の長有らんと欲し、今を採り古を易ふは、正に相者の一人の耳目の好からざるを嫌ひ、乃ち別人の耳目を割き之を補ふが如し。惟だ功無きのみならず、且つ過ちを見はせり。鄭君をして作注の時猶ほ『異義』を駁せるの見を存せしむれば、則ち今古を分別し、先師の法尽く絶ゆるを致さず。乃ち前後轍を異にし、今古の派をして遂に漢末に至りて絶えるに至らしむるなり。惜しいかな。

*『礼記』哀公問正義所引許慎異義。

手元にしかるべきテキストもないので、とりあえず『廖平全集』第1冊所収本を用いた。
冒頭の但し書きは、原文も字下げで記されている。
素人の所為なので誤読の類は多々あると思う。指摘いただければ改正したい。

五経異義疏証も手元になかったか。改めて当時と環境が変わったことに愕然とさせられる。しかしまぁそれはそれでいいのかもしれない。やはり昔人のごとく書物は暗記するのが一番なのかもしれない。

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かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

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