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無機的月数

今年も残すところあと一日と少し。

私個人としては,新年はまったくHappyでもなんでもないのだが,世間的にはそういうことを言ってはいけないことになっている。まあ,あと一日とすこしでHappyになれる人は,それはそれで結構なことだ。むしろ,私のように日々文句しか言ってない人間よりは,よほどいい。

しかし,どうでもいいことだが,一月とか二月とか三月とかいう無機的な呼び方は何とかならないものか。睦月,如月でも何でもいいが,もう少し気の利いた呼び方がはやらないものか。面倒だから,はやらないのも当然か……

ちなみに,この記事は十二月三十日に書いていない。だから,あと一日少しで,本当に,世間に普通の正月がおとずれるかどうか知らない。取り敢えず,これを書いた時点では,何も特別なことが起こりそうな気配はありませんです。

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テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

恵公仲子

どーでもいい話ですが,隠公元年に「秋七月天王使宰咺來歸惠公仲子之賵」という経文があります。この経文,解釈上いろいろ問題があります。その中の一つに「恵公仲子」の読み方というのがあります。

第一に,左氏伝と公羊伝の訓で,「恵公と仲子」とするもので,この場合は二人のことになります。もう一つは,穀梁伝の解釈で,「恵公の仲子」と訓み,仲子一人を指すとします。

(1)左氏伝:惠公と仲子
傳:秋七月,天王使宰咺來歸惠公仲子之賵。緩,且子氏未薨,故名。
(2)公羊伝:惠公と仲子
其言惠公仲子何。兼之,兼之非禮也。何以不言及仲子。仲子微也。
(3)穀梁伝:惠公の仲子
母以子氏,仲子者何。惠公之母、孝公之妾也。禮,賵人之母則可,賵人之妾則不可。君子以其可辭受之。其志,不及事也。

左氏伝は「緩,且つ子氏は未だ薨ぜず」で,公羊伝は「之を兼ぬ」で,恵公と仲子の二人に賵が贈られたことが分ります。

穀梁伝は少し微妙ですが,二伝と異なり,仲子を恵公の母,孝公(恵公の父)の妾として,「人の母に賵するは則ち可,人の妾に賵するは則ち可ならず。君子は其の可の辞を以て之を受く」と解しますから,恵公の仲子に賵を贈ったことになり,随って賵を贈られたのは仲子一人ということになります。

もっとも穀梁伝の「君子以其可辭受之」を上のように読むのは,鍾文蒸の学説に従った場合で,他にも「君子は其の可を以て之を受くるを辞す」,「君子,其の辞すべきを以て之を受く」というのもあります。後者はやや厳しいように思いますが,前者はどうでしょうね。

それだけなんですけどね。

テーマ : 読書メモ
ジャンル : 本・雑誌

四庫本・孫覚『春秋経解』

  春秋学上の孫覚は,穀梁伝を中心とした解釈を行い,師である胡瑗の学説を重んじた人物として知られる。では実際に穀梁伝を中心にして,胡瑗の学説を重んじたのかと言われると,実は困った問題があって,彼の著作『経解』からはっきりと確かめられないのである。
  まず穀梁伝のことであるが,確かに孫覚は『経解』で穀梁伝を引いている。しかし普通に読むと,穀梁伝のみならず,左氏伝や公羊伝も重視されているのである。ただ孫覚自身が穀梁伝を基調にしたと言っているので,多分,全般的には穀梁伝を基本としたのであろうと言われている。
  胡瑗のことについては,一層分かり難い。確かにこれも孫覚自身が胡瑗の学説を重んじたと言っているのだが,『経解』には胡瑗の学説が見えない。三伝と諸家の学説以外が胡瑗の学説だという意見もあるが,それだと孫覚の学説が無くなってしまう。実際,『経解』の中,どれが胡瑗の学説でどれが孫覚の学説だか,不明なのである。もっとも,それが孫覚の狙いなら,孫覚もなかなかの曲者ではある。

  余談はその程度にしておいて,先日の続きで,『四庫全書』所収の孫覚『春秋経解』について。

  『四庫提要』は孫覚『経解』の総評を行った後,書誌を記して次のように云う。

  『宋史』藝文志載覺『春秋經解』十五卷,又『春秋學纂』十二卷,『春秋經社要義』六卷。朱彝尊『經義考』據以著録,於『經解』注曰「存」,於『學纂』『要義』皆注曰「佚」。然今本實十三卷,自隱公元年至獲麟,首尾完具,無所殘闕,與宋志所載不符。
  考陳振孫『書録解題』載『春秋經解』十五卷,『春秋經社要義』六卷,而無『春秋學纂』。王應麟『玉海』載『春秋經社要義』六卷,『春秋學纂』十二卷,而無『春秋經解』。其『學纂』條下,注曰「其説以穀梁爲本,及采左氏公羊,歴代諸儒所長,間以其師胡瑗之説斷之,分莊公爲上下」云云,與今本一一相合。然則『春秋學纂』,即『春秋經解』之別名。
  宋志誤分爲二書,並訛其卷數,『書録解題』亦訛十三卷爲十五卷。惟『玉海』所記爲得其眞矣。


  いかにも尤もであるが,全く間違っている。
  『四庫全書』所収の『春秋経解』が何故に十三巻で,通行本が何故に十五巻になっているのか。差分の二巻は何か。これは四庫本『経解』を繙けばすぐに分る。四庫本の隠公と桓公の二篇が,『経解』原本ではなく,孫復『尊王発微』にすり替わっているからである。

  簡単に言うと,
    十五巻本『経解』一~二巻=隠公上下
    十五巻本『経解』三~四巻=桓公上下
    十五巻本『経解』五~六巻=莊公上下
    十五巻本『経解』七~十五巻=閔~哀の各一巻ずつ

  しかし四庫本『経解』は,
    四庫本『経解』一巻(隠公)=孫復『尊王発微』巻一(隠公)
    四庫本『経解』二巻(桓公)=孫復『尊王発微』巻二(桓公)
    四庫本『経解』三~四巻(莊公)=十五巻本『経解』五~六巻(莊公)
    四庫本『経解』五~十三巻=十五巻本『経解』七~十五巻

  と,なっているのである。巻数まで入れ替わっており,しかも四庫本には序跋が完備しているが,十五巻本には序跋がない。中味からいうと十五巻本が正しいのであるが,十三巻本もなかなか来歴のある間違い本なのであろう。

  面白いのは,四庫本『経解』のテキストが,四庫全書編纂の総裁紀の家蔵本である点である。「今本実に十三卷,隱公元年より獲麟に至るまで,首尾完具,殘闕する所なし」と自慢する自家の家蔵本であるが,まがい物であったのである。
  しかしもっと面白いのは,殿版である。これは四庫本と因縁浅からぬものであるが,こちらは十五巻本が使われている。しかも提要は殆ど同じ内容で,十三と十五の巻数だけが逆になっている。四庫提要の間違いをコッソリなおしたのであろう。

  ただし四庫本『経解』には珍しい特典がある。本書に序文(孫覚の自序を含む)と跋文が附されているが,これはどうも本物らしいのである。この序跋にはなかなか重要なことが書かれてあるので,奇妙なはなしだが,四庫本『経解』は,確かに「首尾完具」してるのである。

  普通の人にはどうでもいい話だが,昨今,『四庫全書』の検索というものがある。これでもし孫覚『経解』の重要語句を調べた場合,間違いなく間違った結果が出て来る。春秋は冒頭が一番重要なのである。その一番重要な部分が検索されない……傑作なこと請け合いである。そもそも,検索で楽に済ませようというのが間違っているのだから,間違った結果を間違って理解しても,誰も責められない。

  因みに,孫覚『経解』を利用する場合,比較的善本とされている王端履所校清抄本(『孔子文化大全』所収)を利用するか,殿版,もしくは『通志堂経解』所収書になる。ただし『通志堂経解』所収書は,康煕本にのみ存在し(未見),普及している同治本には存在しない。

  さらに余談。
  四庫提要も指摘する『経解』『学纂』『経社要義』の関係は現在も分っていない。この中,『経解』が残存している外,『玉海』の言う通りであるとすれば,『学纂』は『経解』ということになるが,はたして根拠のあるものか否かは不明である。
  『経社要義』は『読書志』記載のことから察すれば,胡瑗の学説を集めたもののようである。これは現存しないが,杜諤の『春秋会義』という書物に幾条か引用されている。輯佚してもさほど価値もないが,珍しいと言う意味では価値がある。

テーマ : 読書メモ
ジャンル : 本・雑誌

「knol」のこと

有記名のウィキペディアのようなものをgoogleは計画しているという話しがあった。

Google版Wikipedia?(knol)
knol

実際,価値のある情報は簡単には手に入らない。執筆する方も,受け取る方も,情報の価値の程度にしたがって難易度が上がっていく。艱難辛苦の末に得た情報を,果してただで人に公表しようとするかどうか。あるいは自分の(たまには他人の)人生を狂わせる可能性のある情報を,易々と人に見せるかどうか。

もちろん有記名の投稿で記者が信頼できる場合,確かに記事の信憑性はあがる。たとえ信頼が実体と乖離したものであっても。だから利用者からすれば信憑性のある記事はありがたい。ではどうすれば信憑性のある(と思われる)記事を書ける人間に記事を書いて貰えるのか。おそらく有記名というのは,それを釣り上げる餌なんだろうと思う。

人間は自分の成果を独占したいものだ。その成果が困難なものであればあるほど,あるいは価値あるものであればあるほど,独占したくなる。少なくとも自分の成果として人に知ってもらいたい。これは善悪の問題ではなく,実際問題である。

確かにこの計画のために執筆することで,直接の実益はないかもしれない。しかし数多の人間が利用するgoogleという道具によって,しかも他者(google)から信頼の保証書を添付されて自己の成果が他人の公表されることは,ある意味で実益である。本来ならば実益にならない自分だけが知っている情報で,自己顕示欲を充たしてくれるのである。この試みが成功するかどうかは筆者のあずかり知るところではないが,面白い餌を考えたものである。もっとも,このような餌は,実生活では当り前のことであるから,ようやく当り前の餌を必要とするほどに,ネットが広まったと言うことなのかも知れない。

とはいえ,従来のwikiのようなものがすぐなくなるとも思えない。あれは専門能力をもつ人間が執筆するのではなく,専門家が書いた研究書や概説書を利用して記述される傾向の強いものである。それは推奨されているか否かではなく,実際に自分の専門分野を調べれば,そのような傾向にあることは明らかである。

特に責任を負わされるでもなく,気軽に自分の知識をひけらかすことが出来るという意味では,これは便利である。逆に言えば,自分の名前を伏せてもいい程度の知識ならば(要はググったらどこかのページに書いてあるような情報),執筆者としては都合がいいのである。名前を出して書きたくない,名前を出すほどの取得労力を払っていない,でも何かをしたという達成感だけは欲しい,というような。

いちど与えられたものは,あつて当り前と思うのが人間だから,このような気軽なものがいちど与えられた以上,恐らく簡単には消えないだろう。ただ有記名で,執筆者には名誉が,利用者にはヨリ大きな便益が与えられるものが生れた場合,従来のヨリ便益の少ない情報源は,漸次利用者のためのサイトになるのかもしれない。

他にも,どうでもいいけど面白い記事(昨日の羊羹とか)や,一般人が書くために分りやすい記述になるとか,専門性の低い記事であるが故に起こりうる利便性もあるが,これは書く場所が無くなったので書かないでおく。

テーマ : 気になったニュース
ジャンル : ニュース

羊羹の報償

羊羹(ようかん)が食べたいと思って,ちょっとぐぐってみた。そしたら変なのが表示されるので,検索ワードを調べると,「羊羹 ソフト」を間違って,「羊羹 ソフトウェア」になっていた。

検索結果の一つ,ウィキの「ドネーションウェア」(2007/12/14)に,こんな説明があった。

作者の趣向で、現金の代わりに酒代を求めるビアウェア(パイントウェア)や図書券を求める図書券ウェアなどというものもあるが、これらもドネーションウェアの一種である。 なかには、羊羹を求めるものもある。


知ってる人からすれば有名な話しなんだろうけど,どんなソフトと引き換えに羊羹を要求してるんだろう?

些細なことながら,ちょいと興味を引いた。

テーマ : ひとりごとのようなもの
ジャンル : 日記

陽明後学文献叢書

今年の夏前だったと思うが,『陽明後学文献叢書』という叢書が出版された。内容は叢書名のとおり,陽明学者(王門)の著作を校点出版したものである。各冊,対象人物の略歴と思想概要,テキスト選定の理由などが,校点者によって冒頭に記されてある。念のため書いておくと,縦書き繁体字である。

収録内容は以下の通り:
○徐愛、銭徳洪、董澐合集
○鄒守益集(上下)
○欧陽徳集
○王畿集
○聶豹集
○羅洪先集(上下)
○羅汝芳集(上下)

ソースを忘れたので断言できないが,当初の計画では王艮と周海門が含まれていたらしいが,なぜか消えてしまった。もしかすると第二輯でも出すつもりかもしれない。

内容から言うと,いきなり開いたページに句読のミスがあったのでぎょっとしてしたが,全体的には昨今の校点本と変わりはない。とはいえ,ややチェックが甘いような気のするところもあった。

例えば,『欧陽徳集』の参考文献に『四庫提要』が挙がっているが,『提要』の「欧陽南野集三十巻」の最後に,間違って「南野文選四巻」の文章が混ざっており,その直後に再び表題を加えて「南野文選四巻」の『提要』が来るという次第である。(859ページ)

その他,校点者によって,やや句読に癖のあるような気はするが,これは個人の感覚によるものだろう。

王門は『明儒学案』のおかげで有名なのだが,遺憾なことに彼等の著作を読もうと思ってもなかなか難しい。理由は二つあって,一つは当時の口語的表現を用いている場合があって,ニュアンスが掴みにくいこと。ただこれは一流の学者なら読めるので,読めないと言うのは,単なる勉強不足によるものらしい。でも二つ目の理由は深刻で,王門の著作は簡単に見られないのである。

見られないというのは,本が出回っていないからである。明代の書物は日本にもそれなりに残っていて,王門の著作もそれなりに多い。では日本にあるわけだから,日本人なら簡単に見られるのかというと,そういうわけにはいかない。東京近辺か京都在住ならいざ知らず,それ以外の田舎者は,わざわざ必要かどうかも分らない本を見に,何万をつかって都まで出て行く必要がある。稀覯本指定されている場合は,紹介状が必要だったりして,もっと大変になる。時間的にも先立つもの的にも余裕があれば別だが,そうでもない限りわざわざ見に行こうとは思わない。

とはいえ日本在住の本はともかく,中国のものとなるともっと見るのは難しい。最近は『四庫全書存目叢書』とか,『続修四庫全書』とか,大規模な叢書が編纂され,王門の著作もかなり収録されたが,それでも中国に存在する(らしい)王門の著作はまだまだあるのである。

本叢書に収められたのは,いずれも王守仁の高弟の著作であるから,それらの著作が比較的安価に手に入るならば,それはそれで喜びたいところである。もちろん研究するには,版本の問題等々のことも考える必要はあるが,本叢書のテキストが間違いだらけというならともかく,それほどでもないのだから,意固地になって批判する必要もない。

できることなら第二輯,第三輯と出版してもらって,陽明後学の著作の閲覧を容易ならしめてもらいたいものである。特に中国にしかなく,しかも版本が複数ある場合は,それらを集めて校勘してあるだけでも,大いに助かるわけである。

もっとも,王門の著作だからといって,それらを全て読む必要があるのかというと,これは別の問題である。何事によらず,本筋をしっかり抑えてから枝葉末節に及ぶもので,王門無名人の著作ばかりを探し回って,本筋をなおざりにすると,本末転倒の謗を受けることになってしまう。ただ珍しいものは一度見てみたいという気持ちも,なかなか消しがたいのではあるが。


追記(2008/11/13):
この前,部屋を整理していたら,ここで書いた『陽明後学文献叢書』の編集者の一人が叢書の構想について書いたサイトのコピーが出てきた。(ややこしい書き方でごめんね)

もとのサイトはページが見あたらないので,流れていったか削除されたのだろう。どっかの専門誌のPDFかなにかだったと思う。著者は分かっているが,迷惑がかかるといけないから,これは敢えて書かないでおきたい。

それによると同叢書既刊分の外,『王艮・王襞・王棟集』,『薛侃集』,『周汝登集』の3つがあがっている。ただ後二者は編者が「待定」なので,当初からメドがたっていなかったのかもしれない。ただ同叢書に『王艮』が抜けたのは,思想家としての価値はともかく,やはり叢書としてのまとまりに欠けるものがあったのは否めないだろうとは,今でも思っている。

テーマ : 読書メモ
ジャンル : 本・雑誌

『太極図説・通書・西銘・正蒙』(岩波文庫)

今を去ること数十年前、戦前に岩波文庫から出版された本書は、もはや稀覯本といっても言い。まれに古本屋で見かけることもあるが、なかなかの高値が付いており、普通の人間の買えるものではない。もし千円前後で入手可能なら、ぜひとも買っておきたい本といえるだろう。

とはいえ、たしかにAmazonに本書のページはないが、岩波文庫のサイトには一通りの解説が存在し、またISBNもついており、単に「在庫切れ・重版未定」という扱いらしい。もしかすると再版される可能性も絶無とは言えないようだ。

さて、説明が前後したが、本書はその書名の通り、周敦頤の『太極図』『図説』および『通書』、張載の『正蒙』(附「西銘」)の全文の訳注だ。いずれも朱子学を習得するための必須の文献で、これに朱熹とその畏友呂祖謙の編纂した『近思録』(本書の大部分をその中に含む)を加えれば、朱子学前史で目にすべき諸命題は、ほぼおさえることができる。

ただし本書の購入を考えている人は、一つだけ気をつけておかなければならない点がある。本書にに上の諸書が収録されているのは確かだが、いずれも現代語訳はなく、単なる書き下しを収めるのみである。各条文に注釈が附されてあるとはいえ、分量は少なく、今日の研究水準から見て、既に訂正を要する部分も少なくない。さらに各書に対する解説もほとんどなく、底本の選定もとうてい最善とは言い難い。本書に代わる便利本のない現状では、本書の利用価値はまだあるが、それはやむを得ぬからであって、必ずしも進められるものではないのだ。その意味から言えば、仮に本書が再版されても、しかるべき学者が大幅な改訂を加えない限り、喜べるものではない。

しかし私は本書に特別の愛着を感じている。それは本書の編纂者について思うところがあるからだ。本書の訳註者は、西晋一郎・小糸夏次郎の両氏ということになっている。西氏は現在でこそ無名になりつつあるが、かつては西田幾多郎と並び、哲学・倫理学の大家として知られた。一方の小糸氏は、今で言う中国哲学ないし中国思想の専門家だった。そして本書は恐らく実質的には小糸氏の手になったと推測される。

小糸氏は西氏以上に知られていない。かくいう私も詳しくは知らないのだが、幸いにして山田昌治氏の『興亡の嵐』(かんき出版、昭和55年、216頁)には次のように記されている。すなわち小糸氏は、その晩年に建国大学で教鞭をとり、同大学の学生を守るためソ連軍に連行され、最期はシベリアのタシケント・アルアマタの収容所で病死した。昭和21年3月9日のこととある。山田氏の中に、次のような一節が引かれており、一段と興味を引く。

終戦でオレたち建国大学の学生は、お互いにいろんなことを経験したよなあ。それまでは立派に見えた先生の中には、戦後、すっかり変ってしまった先生もあった。だが、小糸先生は、その中でも少しも変らなかった数少ない先生の中の一人だった[……]」(207頁)


文中の「変らなかった」とは、国粋運動に余念がなかったという意味ではなく、「小糸助教授は、敗戦とソ連軍の侵入掠奪のあの混乱の中で、冷静そのもの、読書三昧の毎日であった」云々(208頁)との意味である。

敗戦の混乱の中、小糸氏は漢学の講義をしていたらしいが、その生徒達が進駐してきたソ連軍の嫌疑を受けたという。それに対して、小糸氏は生徒を助けるべく、進んでみずからソ連に連行され、あのシベリアの地で亡くなったというのだ。小糸氏の妻はその少し前に亡くなり、遺児は建国大学の学生が艱難辛苦を経て日本の故郷に連れ帰ったという。

小糸氏の遺児を連れ帰った建国大学の学生の立派さは言うに及ばず、生徒を守るべくシベリアに散った小糸氏も当然にして偉人と言うにふさわしい。もはや教師の鑑というには収まり切らないものがある。時として戦争は偉人を生むが、小糸氏も地味ながら偉人の一人に数えられるだろう。

なお小糸氏については、山田前掲書のほかにも『歓喜嶺 遥か』下(建国大学同窓会、平成3年)に「小糸先生のことなど」がある。後者の方が当事者の文章である。

本書は朱子学の必須文献が手軽に持ち運べるという点は重宝できる。しかし内容は既に古く、また専門家以外にはあまり勧められず、さりとて専門家がこれを使う必要はあるまい。しかし小糸氏の学問の賜かと思うと、私としては、何とはなく本書を重宝したい気にもなるのだ。

最後に本書の訳註方針を挙げておくと以下の通り(本書の訳註者の著作権は既に切れている。なお原文は旧仮名・旧漢字)。

一、太極図説・通書は張伯行の正誼堂全書康煕刊本を底本とし、徐必達の周子全書本、黄宗羲の宋元学案本などによって校合した。
一、西銘・正蒙は朱軾の張子全書康煕刊本を底本とし、徐必達の張子全書本、宋元学案本、正誼堂全書本、李光地の注解正蒙、王夫之の張子正蒙注などによって校合した。
一、太極図説と西銘は、極めて短編のため読者の便を思って朱子の解を掲示した。而して太極図説解は正誼堂全書本、西銘解は朱軾本に拠って訳出した。但、朱子の解釈に就て異説のあるところは、伊藤東涯などの説に参酌して簡単な註を附しておいた。
一、註は大体出典及び校合の跡を示す程度に止め、訓詁的注釈を避けることに努めたが、已むを得ぬところは訳文の中に()で括って捜入した。
一、註に徐本とあるは徐必達本、正本とあるは正誼堂本、学本とあるは宋元学案本、朱本とあるは朱軾本、王本とあるは王夫之本を指す。
一、正蒙には張子の自註が散見し、王植の正蒙初義によれば、参両・神化・至当・三十・楽器の諸篇に見ゆるもの各一、王禘篇に五、乾称篇に四、と言へるも、諸本或は後人の註釈を以て誤って自註とせるものあり、何れを自註とみるかが一定せず、且つ思想の上からはそれほど重要と思はれるものも見当らぬので、煩を避けてすべて省略した。



西晋一郎・小糸夏次郎『太極図説・通書・西銘・正蒙』(岩波書店、昭和13年。岩波文庫207-209)

改訂:2010/02/10

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かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

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