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天下後世詎可欺乎

ふと『春秋大全』の四庫提要を思い出した。

明の永樂中,胡廣ら奉敕撰。

考うるに,宋の胡安國の『春秋傳』,高宗の時,奏進を經ると雖も,當時の命題取士,實にただ三傳を用うるのみ。『禮部韻略』の後に附す所の條例もて考うべし。『元史』選舉志に「延祐,科舉の新制,始めて春秋を以て胡安國が『傳』を用い,定めて功令と為す」と載す。汪克が『春秋纂疏』を作り,一に安國を以て主と為すは,蓋し當代の法に遵うのみ。

廣等の是の編を作るは,即ち克の書に因り,稍々點竄を為す。朱彝尊の『經義考』(巻200)に呉任臣の言を引きて曰く,「永樂中,敕して『春秋大全』を修めしとき,纂修官四十二人。其の發凡に云うならく,『紀年は汪氏『纂疏』に依り,地名は李氏『會通』に依り,經文は胡氏を以て據と為し,例は林氏に依る』と。實に則ち全く『纂疏』を襲いて書を成せり。奉敕纂修すと雖も,實に未だ纂修せざるなり。朝廷は罔(あざむ)くべく,月給は糜(ついや)すべく,賜予は邀(もと)むべくも,天下後世,詎んぞ欺くべけんや」云云。廣等の敗闕に於いて,其の覆を發すと為すべし。

其の書の採る所の諸説,ただ胡氏に憑りて去取を定めて,復たは是非を考論せず。有明二百餘年,經文を以て命題すと雖も,實に傳文を以て義を立つ。元代合題の制に至りては,なお經文の異同を考えり。明代は則ち傳中の一字一句を割きて牽連比附するのみにて,また之を合題と謂えり。春秋の大義をして日に榛蕪ならしめたるは,みな廣らその波を導びけり。[……]


後半の省略部分は,清朝の『傳説彙纂』はすんばらしーというはなし。

この「朝廷可罔,月給可糜,賜予可邀,天下後世詎可欺乎(朝廷は罔くべく,月給は糜すべく,賜予は邀むべくも,天下後世,詎んぞ欺くべけんや)」というセリフが好きでしてね。何かに憤慨するたびに,この言葉を思い出します。

典拠としては『四庫提要』(というか『経義考』所収の呉任臣の言葉)よりも,下の『日知録』の言葉が有名だろうと思う。ただ私が初めてこの言葉を知ったのが『四庫提要』のココだったので,それ以後,この手の話しを思い出すと,自動的に『四庫提要』を思い出してしまう。

四書五經大全(『日知録』巻18)

[……]至『春秋大全』,則全襲元人汪克寛『胡傳纂疏』,但改其中「愚按」二字為「汪氏曰」,及添廬陵李氏等一二條而已。『詩經大全』,則全襲元人劉瑾『詩傳通釋』,而改其中「愚按」二字為「安成劉氏曰」。其三經後人,皆不見舊書,亦未必不因前人也。當日儒臣奉旨修『四書五經大全』,頒餐錢給筆札,書成之日,賜金遷秩,所費於國家者,不知凡幾。將謂:「此書既成,可以章一代教學之功,啓百世儒林之緒」,而僅取已成之書,抄謄一過。上欺朝廷,下誑士子,唐宋之時有是事乎,豈非骨鯁之臣,已空於建文之代。而制義初行,一時人士,盡棄宋元以來所傳之實學,上下相蒙,以饕禄利,而莫之問也。嗚呼,經學之廢,實自此始。後之君子,欲掃而更之,亦難乎其為力矣。



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テーマ : 読書メモ
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ジャーナリスト笛吹けども民衆は踊らず

「ジャーナリスト笛吹けども民衆は踊らず」

小泉さんの時代を思い出したので,むかしある人間が「社会主義者笛吹けども民衆は踊らず」と言ったことにちなんで。

もちろん,もとは聖書の一節。


テーマ : 読書メモ
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猫田リコ『ココロは錦』

ココロは錦 (バンブー・コミックス) (バンブー・コミックス)ココロは錦 (バンブー・コミックス) (バンブー・コミックス)
(2008/01/26)
猫田 リコ

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まだ発売されていない本を取り上げるのもどうかと思ったが,本書の内容についてではないので,ご寛恕願いたい。

私が雑誌でこの作品を読み始めたのは,たぶん後半すこし過ぎくらいからだろうと思う。それがMOMOの08年1月号でついに最終回を迎え,もうじき発売される予定である。著者猫間氏が今までどんなものを描いていたのかは知らない。しかし,本作品は面白く読ませてもらったので,購入しておこうと思っていたわけである。

で,数日前にアマゾンで予約注文しておいたのだが,さきほど発売日を確認するためアマゾンを調べると,在庫無しで予約不可になっていた……

四コマの予約はままするけれど,予約不可になっていたのははじめての経験だったので,少々驚いてしまった。いや,単に私が無知なだけのことで,珍しくないことなのかも知れないけれど。

しかし,この本はそんなに人気なのだろうか?私もこの作品を評価するに吝かではないのだが,予約不可とはねぇ……

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ジャンル : 日記

「戦前期『週刊朝日』総目次」の「解説」

昨日の記事で思い出したが,あの本の解説には辟易させられた。

解説者が戦前の『週刊朝日』の雑誌目録を調べる理由,それは戦争への抵抗があるか,プロレタリア文学の作家がいるかとか,そういう方面の利便性らしい。あまりに化石化したような文面で,私の目が点になったのは言うまでもない。

負ける戦争に抵抗するのは結構だが,プロレタリア文学の作家が掲載されていないのを批判がましく書くというのはどういう了見かその判断に苦しむ。プロレタリア文学なぞ,単に売れないから載らなかっただけだろうに。とまあ,そんなことはどうでもいいが,プロレタリア文学というのが戦前期どの程度の普及を見たのか,少々考えさせられた。

もともとプロレタリア文学を軽蔑している人間はたくさんいて,戦前にも多くそういう発言を見るし,実際には売れていなかったという話しも聞く。ただ実際どの程度彼等が世間から浮き上がった存在であったのかを調べるのは,なかなか難しい。統計を取るにしても,都合のいい統計があるとも思えないからだ。

それでこのたび『週刊朝日』という卑近な(つまり大衆うけのしていた)一般紙にプロレタリア文学系の作家がほとんどいなかったというのを知って,そんな連中が世間で相手にされていなかったという説に,それなりの根拠のあったことを感じたのである。

もちろん掲載されていない理由が単に売上の問題だけであったのか,これはよくよく考えておく必要のあることだから,この程度のものは根拠でもなんでもない。しかしプロレタリア文学系の作家がダメだったというのが,全く謂われのないことでもないということは,なんとなく肌身に感じたのであった。

テーマ : 読書メモ
ジャンル : 本・雑誌

戦前期『週刊朝日』総目次

2006年にこういう本が出ていたらしい。私もお世話になった「書誌書目シリーズ」の一つである。

実は『サンデー毎日』(戦前の)を調べたついでに,去年2007年に「戦前期『サンデー毎日』総目次」が出版されていたのを知ったのだ。もっとも『サンデー毎日』の総目次は近くの図書館になかったので見られなかったが,『週刊朝日』の方はなぜか所蔵していたので,実見できたわけである。

編纂者の山川恭子氏は1977年生まれのようで(書誌による),本書のような金のかかる仕事を独力でやっているとも思えず,恐らくは編纂指揮をとった人間もあるのだろうから,別段山川氏本人に文句を言うつもりもないしが,あまり感心しない目録ではあった。

理由は簡単で,本書は『サンデー毎日』の目次を写したものらしく,全頁を繰って目次を作り直したものではないらしいからである。もちろん戦時中で目次がなくなって以後は,中味を見て作ったらしい。が,逆に言うと,目次があったところは目次から本書を作製したのであろう。

雑誌の目次は,いい加減……というか,大体の目安を書いたもので,すべての記事や発言について項目があるわけではない。だから雑誌の目次を作る場合は,極力雑誌本文から目次を再構成すべきものである。もちろんその結果雑誌の目次とまったく同じだというなら,それはそれで何も問題ない。

本書を作った目的は,『週刊朝日』所収の文章全部の目次を明らかにすることではなく,同雑誌に収められた目次から,世相の変化や同雑誌の戦争への態度を明らかにすることが目的であるらしい(解説による)。そう言う意味では,本書のような目次の作り方でも問題はない。

しかし本書のような性質のものは,利用者が製作者の目的と同じ利用法をするとは限らない。『週刊朝日』に収録されている文章や著者を捜して本書を利用する場合もあるのである。その場合,本書のように雑誌の目次を写しただけのものでは,ある程度の信用を得られるに過ぎない。不二出版からも戦前の雑誌の影印(?)が出版されているが,こちらに附属する「附録」には解題と目次が附く。これは雑誌本文から目次を作っているので利便性が高い(まれにミスもあるが)。

本書は明らかに個人が趣味で買う本ではなく,1冊2万6千円,合計7万もするものなのだから,本文から目次を作るくらいの労はおってほしかった。

……と,文句ばかり言って申し訳ないが,『サンデー毎日』といい,『週刊朝日』といい,重要な雑誌であることは誰でも知っていた。しかしそれらを充分に利用するには東京在住の人間でなければならない,という意味で,あまり利用されていなかったに過ぎない。それが多少不備はあったにせよ,戦前全巻の目次が明らかにしたのだから,私としては山川氏には敬意を表したい気持ちでいっぱいである。

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五十凡例

発凡五十

  1. 凡諸侯同盟,於是稱名,故薨則赴以名,告終,嗣也。以繼好息民,謂之禮經。(隠公七年)
  2. 凡雨,自三日以往爲霖,平地尺爲大雪。(隠公九年)
  3. 凡諸侯有命,告則書,不然則否。師出臧否,亦如之。雖及滅國,滅不告敗,勝不告克,不書于策。(隠公十一年)
  4. 凡平原出水爲大水。(桓公元年)
  5. 凡公行,告于宗廟,反行,飲至,舍爵策勳焉,禮也。特相會,往來稱地,讓事也。自參以上,則往稱地,來稱會,成事也。(桓公二年)
  6. 凡公女嫁于敵國,姊妹則上卿送之,以禮於先君。公子則下卿送之。於大國,雖公子,亦上卿送之。於天子,則諸卿皆行,公不自送。於小國,則上大夫送之。(桓公三年)
  7. 凡祀,啓蟄而郊,龍見而雩,始殺而嘗,閉蟄而烝。過則書。(桓公五年)
  8. 凡諸侯之女行,唯王后書。(桓公九年)
  9. 凡師,一宿爲舍,再宿爲信,過信爲次。(荘公三年)
  10. 凡師,敵未陳曰敗某師,皆陳曰戰,大崩曰敗績,得雋曰克,覆而敗之曰取某師,京師敗曰王師敗績于某。(荘公十一年)
  11. 凡天災,有幣,無牲。非日月之眚,不鼓。(荘公二十五年)
  12. 凡諸侯之女,歸寧曰來,出曰來歸,夫人歸寧曰如某,出曰歸于某。(荘公二十七年)
  13. 凡邑,有宗廟先君之主曰都,無曰邑。邑曰築,都曰城。(荘公二十八年)
  14. 凡馬,日中而出,日中而入。(荘公二十九年)
  15. 凡師,有鐘鼓曰伐,無曰侵,輕曰襲。(荘公二十九年)
  16. 凡物,不爲災,不書。(荘公二十九年)
  17. 凡土功,龍見而畢務,戒事也。火見而致用,水昏正而栽,日至而畢。(荘公二十九年)
  18. 凡諸侯有四夷之功,則獻于王,王以警于夷,中國則否。諸侯不相遺俘。(荘公三十一年)
  19. 凡侯伯,救患,分災,討罪,禮也。(僖公元年)
  20. 凡諸侯薨于朝會,加一等。死王事,加二等。於是有以袞斂。(僖公四年)
  21. 凡分、至、啓、閉,必書雲物,爲備故也。(僖公五年)
  22. 凡夫人不薨于寢,不殯于廟,不赴于同,不祔于姑,則弗致也。(僖公八年)
  23. 凡在喪,王曰小童,公侯曰子。(僖公九年)
  24. 凡啓塞從時。(僖公二十年)
  25. 凡諸侯同盟,死則赴以名,禮也。赴以名,則亦書之。不然則否。辟不敏也。(僖公二十三年)
  26. 凡師,能左右之曰以。(僖公二十六年)
  27. 凡君薨,卒哭而祔,祔而作主,特祀於主,烝嘗禘於廟。(僖公三十三年)
  28. 凡君即位,卿出並聘,踐脩舊好,要結外援,好事鄰國,以衞社稷,忠信卑讓之道也。忠,之正也。信,之固也。卑讓,之基也。(文公元年)
  29. 凡君即位,好舅甥,脩婚姻,娶元妃以奉粢盛,孝也。孝,禮之始也。(文公二年)
  30. 凡民逃其上曰潰,在上曰逃。(文公三年)
  31. 凡會諸侯,不書所會,後也。後至不書其國,辟不敏也。(文公七年)
  32. 凡崩薨,不赴則不書,禍福不告亦不書,不懲敬也。(文公十四年)
  33. 凡勝國,曰滅之。獲大城焉,曰入之。(文公十五年)
  34. 凡諸侯會,公不與不書,諱君惡也。與而不書,後也。(文公十五年)
  35. 凡弑君稱君,君無道也。稱臣,臣之罪也。(宣公四年)
  36. 凡師出,與謀曰及,不與謀曰會。(宣公七年)
  37. 凡諸侯之大夫違,告於諸侯曰「某氏之守臣某,失守宗廟,敢告。」所有玉帛之使者則告。不然則否。(宣公十年)
  38. 凡火,人火曰火,天火曰災。(宣公十六年)
  39. 凡大子之母,弟公在曰公子,不在曰弟。(宣公十七年)
  40. 凡稱弟,皆母弟也。(宣公十七年)
  41. 凡自内虐其君曰弑,自外曰戕。(宣公十八年)
  42. 凡諸侯嫁女,同姓媵之,異姓則否。(成公八年)
  43. 凡自周無出。(成公十二年)
  44. 凡君不道於其民,諸侯討而執之,則曰「某人執某侯。」不然則否。(成公十五年)
  45. 凡去其國,國逆而立之曰入,復其位曰復歸,諸侯納之曰歸,以惡曰復入。(成公十八年)
  46. 凡諸侯即位,小國朝之,大國聘焉,以繼好結信,謀事補闕,禮之大者也。(襄公元年)
  47. 凡諸侯之喪,異姓臨於外,同姓於宗廟,同宗於祖廟,同族於禰廟。是故魯爲諸姫,臨於周廟。爲邢,凡,蔣,茅,胙,祭,臨於周公之廟。(襄公十二年)
  48. 凡書取,言易也。用大師焉曰滅,弗地曰入。(襄公十三年)
  49. 凡克邑,不用師徒曰取。(昭公四年)
  50. 凡獲器用曰得,得用焉曰獲。(定公九年)


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葉夢得の礼記解

北宋末から南宋初期にかけて活躍した葉夢得(1077~1148)は,当時から既に著名な学者として知られていた。葉夢得は博学の人であるため,これといった専門をもつわけではない。しかし春秋には一家言もった人物であったことは,その著書『春秋傳』『春秋考』『春秋讞』の三書を見れば明らかである。

その葉夢得の春秋学に関連して,南宋末の人衛の『礼記集説』には少し面白い書物が挙がっている。『礼記集説』の頭に置かれた「集説名氏」(『礼記集説』に引用した学者名とその書名)には,葉夢得を記して以下のような記述がある。

石林葉氏(夢得),字少蘊。

解曲禮、檀弓、王制、文王世子、祭義、祭統、哀公問、仲尼燕居、孔子居、坊記、表記、緇衣、儒行、大學、昏義、郷飲酒義、射義、燕義、聘義十九篇。仲子(模)『過庭録』時有論説。


葉夢得には遺憾なことに行状や碑銘といった伝記史料が残っておらず,随って葉夢得の著書がどれほどあったのか不明な点が多い。しかし書目類から葉夢得の著書を調べても,礼記に対して注釈があったことは絶えて記されていない。わずか19篇にのみ解を施したというのであるから,あるいはその文集『石林集』100巻の中に収められていたのかも知れない。

衛の『礼記集説』は,既に失われた多くの解釈を引いており,宋代の礼記研究を調べるための必須の書物である。特に大学と中庸の二篇には自ずから異なる興味も持たれるところである。(私は全く興味はないが)しかし本書が如何に浩瀚な書物とはいえ,引用書物の全てを収めたわけでは当然ない。そのため葉夢得の引用部分を全て集めてみても,それで葉夢得の19篇の解が全て得られるわけではない。また仮に引用部分に何等かの特徴を発見できたとしても,その特徴そのものが,衛の選択による可能性も大いにある。

というわけで,必ずしも『礼記集説』から葉夢得の礼記解の全貌を窺うことは出来ないのだが,引用部分には特徴らしいものもある。それは礼記の中の制度(広い意味で)に関係する部分に多く引用があるということである。そもそも解を施したという,曲禮以下の19篇そのものが,既に制度的側面の強い篇である。例えば文王世子の後半は,嘗て清の廖平が王制の残文を疑った個所であるが,『礼記集解』所引の葉夢得の解にも,文王世子の後半の部分に解が残っている。あるいは大学の注解はあっても,中庸の注解がないのも特徴といえば特徴である。

輯佚は隋唐以前の文献に対して行われる場合が多く,その精度も自ずから隋唐以前の文献に対するものに精密さが要求される。宋代の佚書は,隋唐以前よりも遥かに輯佚しやすい。仮に宋代の現存著書を引用した宋代の文献から,その現存著書を輯佚(?)してみると,あんがいいい加減な輯佚本しかできない場合がある。お節介な話しだが,宋代ですら然りとすれば,果して隋唐の輯佚はどれほど正確なのであろうか。

まぁ,専門外だから思うことなのだろうけど。

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『曾公遺録』

宋代では宰相クラスの官僚が習慣的(義務的)に日記を付けていた。常識で考えて,宰相の日記なのだから,中央政界を知るにはさぞ便利なもののはずだが,遺憾なことに余り現存していない。特に北宋のものはほとんど残っていない。本書『曾公遺録』はそのわずかに現存している日記の一つである。

『曾公遺録』というのは,北宋後半に活躍した曾布の日記と言われている。「言われている」ともったいぶるのは,曾布の日記の書名は従来『曾布日録』(長編),『曾相手記』(讀書志)や『紹聖甲戌日録』『元符庚辰日録』(書録解題)などと伝えられており,『曾公遺録』ではないことによる。とはいえ,本書は一見して日記の体裁を取っているので,恐らく曾布の日記だとされるのである。書名の異同は珍しくない。

曾布は王安石の新法法案を練った人物として知られているが,しばらくして王安石と対立して下野し,長らく不遇の政治生活を余儀なくされた。後,北宋の紹聖初期に翰林学士として中央政界に復帰,紹聖以後から建中靖国までの間(哲宗~徽宗初期)は,宰相の章惇に対して,知枢密院事(枢密院の長官)として政界の中心(中心の外れだが)にいた人物である。

この『曾公遺録』は哲宗最末年から徽宗即位直後の期間を扱ったものである。知枢密院事という軍事部局の長官に君臨した人物の日記だけに普通の記事も十分面白いが,特に哲宗崩御後の政界の混乱や,孟氏の復后問題(*)は事件当事者の記録だけに頗る面白い。本書は『長編』と違って,一人の人間の記録であるから,怪しいところもあれば,自己弁護と思われるところもあるにはある。しかし逆に,一人の官僚の政権争奪のさまが現れていて,これはこれで面白い。

*哲宗に廃后された孟氏を,哲宗崩御後に皇太后向氏の意向で復后させたもの。曾布にしてから前代未聞と言わしめた一大珍事で,後々まで尾を引く事件になった。

ただし現行本『曾公遺録』は,少なくとも原本のままではない。現行本『曾公遺録』は,清人の手になる『藕香零拾』に収められているが,これは『永楽大典』から輯佚したものである。現在,『永楽大典』の目録を検すると,原『大典』には本書が一から九まで存在し(巻19728~19736),現行本はその内の七~九に相当することが分かる。しかも現存の『永楽大典』の中で本書が残る部分はわずかに八の一巻分にすぎない。そもそも『永楽大典』の輯佚というのは,テキストとして必ずしも深く信頼できるものではない。ましてや『大典』から『藕香零拾』へと写される中,誤植や改竄などがなかったとは言えないのである。現行本『曾公遺録』には明らかに錯誤と思われる個所が散見されるのである。

というわけで,本書は,内容面の面白さの割に,当時の政界固有の表現が頻出したり,テキスト的に錯誤が多かったりと,少々使いにくい本だったわけである。ところが数年前に『全宋筆記』(第一編)というシリーズが出版され,奇遇にも本書がその第八冊目に収録された。『全宋筆記』は『藕香零拾』と『永楽大典』を底本とし,他書との校勘の上,校点出版したものである。古書を読むのに楽するのは宜しくないが,しかし折角便利にしてくれた本である。『全宋筆記』のおかげで,随分読みやすくなった。もっとも,レイアウトの関係でもう少し頑張ってほしいところもあるし,校点の仕方にも個人的な好悪があったりするが,それは贅沢の言い過ぎだろう。

……と,取り留めもなく書いては見たものの,校点本であろうとなかろうと,一般の人が『曾公遺録』を読めるわけでもなく,専門家なら一々指摘されるまでもない話しなので,全く無意味なことを書いてしまったような気がしてきた。

追記:2008/11/30

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かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

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