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本年最後の投稿

これが本年最後の執筆。以後,来年の頭まで更新しませんので,また来年お会いしましょう。(この投稿以後,コメントを頂いても今年はお答えできません。特に拍手にコメントを書かれた場合,時間の関係で削除されると思いますので,お気をつけください。)

なんだかんだで今年も生き残れたようです。来年も生き残れるか非常に疑問ですが,その場合は今年の年末年始が我人生最後ということになりますね。少し寂しい気もしますが,でもそれはそれでいいのかも知れないような気もしております。

それでは今年1年ありがとうございました。みなさまは来年もよい年をお迎えください!!

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テーマ : 日記
ジャンル : 日記

今年も終わりか......

先ほど高畠さんサイトの更新を終えました。今年の高畠サイトの更新はこれで終わりです。今年後半以来驚くべき低更新になりましたが,やはり私の能力では本ブログと宋代史のサイトのかけもちは厳しいようです。

その宋代史のサイト,ここ数ヶ月全く更新してませんが,来年2月ごろに再開する予定です。手持ちの訳文を整理して,それを公開して,このブログで書き殴った春秋の提要を公開して......まあほかに何かあればそれを付け足す予定です。宋史紀事本末の訳文整理のときは,今までと逆に,こちらのブログの更新が止まると思います。もしここを常用されている人がいるならば,そのときは大目に見てやってください。

それにしても宋史紀事本末は,予定では8月,おそくとも9月に完了するつもりだったのに,おどろくべきズレですね。9月に「翻訳飽きた!」というのが一番大きい原因ですが,なんというか,これが仕事とそうでないものとの決定的な差ですね。

9月期限の仕事なら絶対に終わらせていたでしょうが,そうでもないと,「まあいいか~」という軽いのりでつぎつぎ更新が遅れていき,気づくと更新そのものを忘れていたりしますね。いや~実に人間らしいはなしです。

もちろん誰かに期待されていると無意味にがんばったりする人間もいますし,私も結構その手の人間ですが,残念なことに(?),誰にも期待されていない,しかも期待されようとも思っていない,目立って欲しいとも思わない......ということで,こういう結果になってます。

しかし来年はなんとか宋史紀事本末の翻訳を八割方完成させて(下書きが八割で止まっているので),どこかのサイトにリンクを張らせてもらいたいですね。八割方完成しておれば,「リンクはったよ~」連絡を入れてもまだ様になるかな?とかいう,いい加減な気持ちがあったりなかったり。

ちなみに本ブログは今日を今年最後にする予定でしたが,明日の昼頃にもう一度投稿をしようと思っています。でも忙しくて忘れていたら,これが最後になります。それはそれでありかな?とか思ってるので,そのときはそのときでそう思っておいてください。それではそういうことで!

テーマ : 読書メモ
ジャンル : 本・雑誌

漢魏晉唐+宋元明初=清人の怒り

なんとなく感じるものがあったので記録がてらに書いておこう。

唐人 考古の功,孔頴達・賈公彦の如き,最も精密。陸徳明も亦た然り。但だ音切 未だ善からず。宋氏の諸儒,經學 極深。但だ考古の功 却て踈し。若し宋儒の精を以て漢魏晉の諸儒 考古の功を用うれば,則ち全美たり。古を去ること既に遠し。先ず漢魏諸儒の勤に傚わず,却て便ち義理を説かんと欲すれば,祗だ愈々踈きのみ。大抵 後世に生まれ,既に親から聖賢を見るを獲ず,又た兩漢魏晉の間に在るを獲ざれば,則ち古を去ること日々遠く,考古の功,自然に及ばず。名物度數の如き,漢儒 猶 目撃する者有り。今 却て皆な是れ之を紙上に索む。豈に踈からざらんや。夏時周月の説,魏晉の諸儒 焉んぞ此の論有るを得ん。唐より以來,春秋を説く者,多く三傳に滿たず。然れども説く者の春秋に於ける,其の詳密 未だ必ずしも左氏・杜預に及ぶ能わざるなり。春秋を説く者をして先ず丘明・元凱の詳密の功有らしめ,而る後に加うるに河洛の大儒の論を以てすれば,則ち事情 既に得,書法 差わず,義理 自然に順序あり,以て歸一すべし。今,諸説 皆な先儒 已に成すの功,稽古の實を捨て,見る所も又た未だ完備せず,而るに遽に之と異を立つ。春秋の道,久しくして明らかならざる所以の者,此を以ての故なり。

『春秋師説』巻下



趙汸の師である黄沢の発言。いかにも宋元の人らしい表現ではある。清朝の学者も人によっては程朱を重んじるが,これとは少し違う。

それはそうと明日ついに『森田さんは無口』第1巻が発売される。残念ながら私は今年中に読めそうにないが,是非とも読者諸氏は購入して欲しい!別に作者の知り合いでもなんでもないが,勝手連よろしくつよく勧めておきたい!!(ようやく竹書房のサイトに表紙が載ったので,そちらも参照されたい。メイン→コミックの一番上に表示されている。2008/12/26現在)

テーマ : 読書メモ
ジャンル : 本・雑誌

宋名臣言行録

一般に『宋名臣言行録』というと、朱熹の編した『五朝名臣言行録』と『三朝名臣言行録』の二つを指す。このなか五朝は北宋の太祖・太宗・真宗・仁宗・英宗を、三朝はつづく神宗・哲宗・徽宗を指す。したがって『宋名臣言行録』は、「北宋の名臣の言行を記録した書物」ということになる。本書はかつてはよく読まれ、それだけに世上にファンも多かったのだが、時代の移りかわりとともに読者数も減ってしまった。そのためか本書は漢籍の中では比較的著名であるにも関わらず、現代語による全訳はいまだ存在しない。

前回更新日:2009/10/04
最終更新日:2010/03/21

A.『宋名臣言行録』の種類

『宋名臣言行録』は、上に述べたように、『五朝名臣言行録』と『三朝名臣言行録』の総称とされる。しかし実体はもう少し複雑で、これ以外にも「宋名臣言行録」は存在する。朱熹という人は、朱子学の名で知られるように、後世に大変な影響を与えた。そのため朱熹が『五朝名臣言行録』を編纂するや、この「名臣の言行録」というスタイルが好評を博し、類似の書物がたくさん出版されたからである。

そのような類似本(今風にいえば便乗本)のなかでも、朱熹の『宋名臣言行録』の続編的位置づけにあり、かつ内容的にも立派なものが南宋末に登場した。李幼武という人の著した『宋名臣言行録』がそれである。後、朱熹の『宋名臣言行録』と李幼武の『宋名臣言行録』はセットで売り出され、『宋名臣言行録』はここに複数のヴァリエーションをもつことになった。

とはいえ同名の書物がたくさんあるとややこしいので、通常は以下のように区分する。
  • 朱熹『五朝名臣言行録』→前集
  • 朱熹『三朝名臣言行録』→後集
  • 李幼武『宋名臣言行録』→続集、別集、外集
これ以後も「名臣言行録」はいくつも編纂され、その際に対象とする時代も、南宋、明と変わっていった。しかし複数の「言行録」が存在するとはいえ、幸か不幸か、我が日本ではふつう「名臣言行録」と言えば『宋名臣言行録』を指し、『宋名臣言行録』といえば朱熹の前集と後集を指すことになっている。したがって特に断りのない限り、『宋名臣言行録』なる書物が出て来れば、朱熹の前集と後集だと思って差し支えないだろう。


B.『宋名臣言行録』の体裁・内容

『宋名臣言行録』は朱熹と李幼武の各種ヴァリエーションが存在する。しかし李幼武は原則的に朱熹の『宋名臣言行録』をまねて作ったものであり、体裁(内容)的に同じものであり、朱熹の『五朝名臣言行録』と『三朝名臣言行録』は同じ体裁である。そこで以下では朱熹の『五朝名臣言行録』を利用して、体裁と内容の特徴を簡単に説明しておく。

『五朝名臣言行録』は全10巻から成っており、各巻に3人~9人の言行録を収めている(5人~6人が多い)。そして各人の言行録は、(1)名臣の官歴(某知事から翰林学士、そこから三司使等)が簡略に記される、(2)若い頃から歿年に至るまでの主要エピソードが列挙される、(3)名臣の生涯を通しての発言や態度が篇末に列挙される、の3種の構成になっている。ただし各巻にはふつう主要な名臣1人が置かれており、巻の大部分はその1人の言行録に費やされている。

さて、上の3種の構成のなか、(1)は単なる肩書きの列挙であるから問題ないとして、(2)と(3)はどのようなエピソードを集めているだろうか。例えば巻4の巻頭に配された畢士安は、全8条のなか、6条までを神道碑が占め、残りの1条は『蓬山志』、他の1条は出処を無記名の史料を利用している。

まず神道碑とは何であろうか。神道碑とは、碑銘文とよばれる伝記資料の一種で、通常は本人の死後、子孫や弟子が執筆した「行状」とよばれる比較的長文の伝記をもとに、名文家が製作したものである。これと類似にものに墓碑銘が存在する。この行状と墓誌銘、神道碑は各々役割があり、墓碑銘は墓の中に、神道碑は墓の通路(これを神道という)に置かれ、行状は朝廷に提出され、各々場所を変えて死者の顕彰に充てられることになっていた。したがって、この神道碑や行状、墓誌銘に、死者にとっての不都合な事跡が記載されることはまずない。それどころか時に事実を曲げるがごとき記載も少なくない。

では残る2条の『蓬山志』と出処無記名の史料的性格はどうであろうか。宋代には同時代人のことを記した多くの聞見録が残っている。また皇帝が変わるごとに歴史書(実録)が編纂され、またそれを重ねて国史が編纂されと、公式の歴史書も多く存在した。公式の歴史書は、『太宗実録』のごく一部を除き、全て散佚したが、北宋に限っては『続資治通鑑長編』などに引用されるものも少なくない。『宋名臣言行録』が採用した行状、墓誌銘、神道碑以外の史料は、概ねこの公式の歴史書(あるいはそれに準ずるもの)と同時代人の聞見録である。

行状、墓誌銘、神道碑が故人の顕彰を目的に記されたのに対して、公式の歴史書や同時代人の聞見録は、必ずしも顕彰のために記されたものではなく、時には故人の隠された悪事を暴露するものもある。したがってこのような史料をもちよって『名臣言行録』には、当然ながら名臣の知られざる素顔を除かせる逸話も紹介されていることだろう。しかし、ここで忘れてはならないのは、『名臣言行録』の目的である。本書はいわゆる歴史書ではなく、ましてや種本では全くない。『名臣言行録』はその名のごとく名臣の名臣たる事跡を記録したものであり、これをみて後人が自己を奮励させるものである。したがって、本書に引用される歴史書や聞見録も、ごく一部を除き、基本的には名臣の事跡を顕彰するためのものが多く、名臣の瑕疵については記されない。

さて、上の畢士安の場合は、大半が神道碑というやや極端な構成ではあるが、他の名臣の言行録も少なからず基本となるのは行状・墓誌銘・神道碑であり、そこに補足的に別の史料が附加されているに過ぎない。したがって、本書には名臣たちの「都合の良い言行」が収められた嫌いがないではなく、歴史資料や名臣の伝記集としては、少しく偏ったところがある。しかし名臣は一時代の著名人であり、また名臣どうしのつきあいも盛んである。そのため畢士安の言行録に見えない畢士安の欠点が、別の名臣の言行録に見えるということは多々ある。したがって各人の言行録にはややえこひいきの嫌いがないではないが、『五朝名臣言行録』全体を通して読むのであれば、名臣たちの事跡も、それなりに、公平に知ることができるよう配慮はされている。

なお「宋名臣言行録」には、「言」という文字が入っているので、もしかすると「言行録」ではなく「名言集」と思う人がいるかもしれない。後述する一部の抄訳には、事実上の「名言集」と化しているものもある。しかしそれは本書の体裁とはかけ離れたもので、本書は決して名言集ではない。上にあげた神道碑、行状、墓誌銘や各種資料には、確かに「名言」も含まれている。しかし本書はそのような名言を列挙したもの、あるいは名言を中心として行事を記したものではない。むしろその逆で、ある出来事があり、たまたま名言らしいものがその中に見られるというにとどまる。したがって名言集を求めて『宋名臣言行録』を探すと失望させられるので注意を要する。


C.『宋名臣言行録』の原本・訳本

『宋名臣言行録』は名前こそ有名であるが、原本・訳本ともに入手はかなり難しい。しかし原本で本書を購入したい人は、おそらくこのブログで調べることはなかろうから、以下、参考までに少しだけ触れておきたい。もちろん稀覯本の類は説明しないでおく。

(1)原文
一口に原文といっても、実は朱熹の『宋名臣言行録』には少し問題がある。朱熹の原本と、明代に流伝した本(張采本)の2種類が存在するからだ。しかも両者は単なる文字の異同のみならず、収録条数にかなりの異同がある。詳しい経緯は不明なところもあるが、まず朱熹の『五朝名臣言行録』が成立し、その後、名臣の言行録として不都合なものを削除した張采本が登場し、それが一世を風靡したらしい。この張采本は中国の明代で広く流通したのみでなく、遠く我が日本にまで伝来し、明治時代あたりまでは、朱熹の『宋名臣言行録』というとこの張采本を指すことになっていた。

張采本は、朱熹原本のダイジェストとまではいかないにせよ、朱熹原本から名臣の言行録としてふさわしい逸話やおもしろい条文を抜萃し、また原文の若干読みにくい部分や宋代にのみ通用する箇所を削除したものである。そのため通読に便利であるばかりか、名臣の悪事を記さぬ張采本の方が、むしろ『名臣言行録』の名にふさわしいところもある。しかし張采本が朱熹の原本でないことは確かなので、朱熹の原本が容易に見られるようになった現在、張采本を利用する必要はほとんどないだろう。したがって、もし『宋名臣言行録』の原本を入手しようと思うのであれば、張采本ではなく、まず朱熹の原本を入手すべきだろう。

朱熹の原本は『四部叢刊』なる叢書に収録されており、研究室にいる人であれば容易に見ることができる。とはいえ、そういう人はこのブログを見ないであろうし、研究室にいない人には無意味な情報だろう。また現在、『四部叢刊』本体は容易に入手できず、また出来ても相当な高額になる。したがって原本の入手経路も限られる。
  • 宋史資料萃編』……このシリーズの1つに『宋名臣言行録』が収録されている。朱熹と李幼武の両方を収める。影印本で、当然ながら句読などは一切ない。分売可。ただし値はかなり張る(高畑書店で1万3千円くらい)。
  • 朱子全書』……このシリーズの1冊に朱熹の『宋名臣言行録』2種(五朝と三朝)を収め、李幼武のものは未収録。校点本で整理も行き届いている。ただし『朱子全書』全巻セットでしか購入できない。書虫の特価で6万円を越える。
  • 拇指数据庫……原文の画像とテキストデータを両方を収録するUSBメモリ。本文の検索もその原文も両方確認できるすぐれもの。東方書店の記事を参照。なお本書の利用にはユーザー登録が必要だが、個人情報の扱いがどうなっているか私は知らない。
  • 凱希メディアサービス……これは原文の画像はなく、テキストデータのみであるが、検索ができて便利だろうから一応載せておく。北九州中国書店の検索で「言行録」とすれば幾つか出て来る。朱熹と李幼武の両方が購入可能で、各々3000円。
なお『四部叢刊』所収の『宋名臣言行録』は、確かに最善の本ではあるが、一部に欠落がある。そのため『朱子全書』では可能な限り原史料にあたり、関係文献を脚注に加えている。上の画像データは四部叢刊本を底本にデータ化したらしいが、欠落部分をどのように処理したのかは、筆者未見につき、分からない。もし購入を考えている人がいるなら、前もって書店に聞いておいた方がいいだろう。

(2)訳本
長くなったので、訳本の一覧はこちらの記事にまとめなおした。


D.朱熹編『宋名臣言行録』の構成

朱熹の『宋名臣言行録』は『五朝名臣言行録』と『三朝名臣言行録』の2つがある。いずれも対象範囲は北宋にとどまり、しかもその崩壊期の欽宗一代は含まない。模式的に収録範囲を挙げると以下の通り。
  • 五朝‐太祖、太宗、真宗、仁宗、英宗
  • 三朝‐神宗、哲宗、徽宗
ただし各皇帝の時期に活躍した名臣がその皇帝の朝に入っているとは限らない。例えば、韓は仁宗後半から活躍を始め、英宗の擁立に功績があり、絶大な権力を握った名臣だが、死んだのが神宗の時期とあって、その言行録は『三朝名臣言行録』に収められている。このような事例は多々見られるところで、実質的には下のような区分になる。
  • 五朝‐太祖~仁宗中盤までに活躍した名臣
  • 三朝‐仁宗末期~徽宗最初期に活躍した名臣
収録人物は下に掲げたので、それを参照していただきたいが、本書に名臣として取られた人物は、現在でいうところの政治家・学者・軍人に限られ、商売人はいない。もちろん悪名を馳せて有名な人間、例えば丁謂や王欽若、夏竦、章惇、曾布、蔡京などの言行録は一切存在しない。

しかし現実の政治は、そのような「姦臣」との戦いの中で進むのだから、彼らの事跡を知らずに本書を読んでも、おもしろ味は半減する。いや、そもそも政治事件を全く知らずに本書を読んでも、その意味するところは分からないだろう。宋代の歴史に興味がなく、単に本書にのみ興味を持った人は、簡単なものでいいので、あわせて北宋の歴史も読まれることをお勧めする。ただしその場合は、やや古めの概説書を読んだ方がいい。最近の中国史の概説書(中国の歴史や世界の歴史の一部)は、最近の学者の好みが入っており、古典的世界を楽しむための書物としては不適切なばかりか、有害なときすらある。学者のいう真実を盲信するのは危険である。

なお朱熹の『宋名臣言行録』に対しては、宮崎市定氏の「宋代の士風」(『宮崎市定全集』第11巻)が参考になる。


E.李幼武編著『宋名臣言行録』の特徴

李幼武の『宋名臣言行録』は朱熹の続編であるが、収録範囲は北宋末期(徽宗末期)~南宋最初期に限られる。
  • 続集(8巻)……北宋末~南宋初期に活躍した人々。政治家が多い。
  • 別集上(13巻)……北宋末から南宋前半に活躍した人々
  • 別集下(13巻)……南宋政権確立に活躍した文武官
  • 外集(17巻)……道学者の伝記

別集下には李綱・趙鼎という現代の日本では無名であるが、古典的世界では極めて有名な人々のほか、岳飛・韓世忠など日本でも「抗金の名将」として知られる武将の伝記逸話が記されている。また外集の冒頭には「道統伝授之図」が配され、それ以下、周敦頤などの道統継承者の伝記が掲載されている。外集の半分くらいは朱熹の『伊洛淵源録』と同じで、そこに朱熹・呂祖謙など南宋の道学者の伝記を加えたものに過ぎない。ひろい意味で外集は朱子学者の伝記一覧であり、「名臣言行録」の名に恥じる部分である。普通の人は読まなくてよい。


F.『宋名臣言行録』収録人名一覧

以下,本書収録の人名だけあげておく。現代の日本ではまったく無名な人間が多いが、当時は有名だった。

○五朝名臣言行録
巻1:趙普/曹彬/王質/竇儀/李/呂蒙正/張齊賢
巻2:呂端/錢若水/李/王旦
巻3:向敏中/陳恕/張詠/馬知節/曹瑋
巻4:畢士安/寇準/高瓊/楊億/王曙
巻5:王曾/李迪/魯宗道/薛奎/蔡齊
巻6:呂夷簡/陳堯佐/晏殊/宋庠/韓億/程琳
巻7:杜衍/范仲淹/种世衡
巻8:龎籍/狄青/呉育/王堯臣/包拯/王徳用
巻9:田錫/王禹偁/孫奭/李及/孔道輔/尹洙/余靖/王質/孫甫
巻10:陳摶など/胡瑗/孫復/石介/蘇洵

○三朝名臣言行録
巻1:韓
巻2:富弼/欧陽脩
巻3:文彦博/趙概/呉奎/張方平
巻4:胡宿/蔡襄/王素/劉敞
巻5:唐介/趙抃/呂誨/彭思永/范鎭
巻6:曾公亮/王安石
巻7:司馬光/司馬康
巻8:呂公著/呂希哲
巻9:曾鞏/曾肇/蘇軾/蘇轍
巻10:韓絳/韓維/傅堯兪/彭汝礪
巻11:范純仁/王存/蘇頌
巻12:劉摯/王巖叟/劉安世
巻13:范祖禹/鄒浩/陳瓘
巻14:邵雍/陳襄/劉恕/徐積/陳師道

◎『宋名臣言行録続集』
巻1:黄庭堅/任伯雨/江公望/豐稷/陳過庭/陳師錫
巻2:呉敏/曹輔/孫傅/許份/錢即/种師道
巻3:傅察/劉韐/程振/李若水
巻4:歐陽/宇文虚中
巻5:洪皓/張邵/朱弁
巻6:張叔夜/張克戩/鄭驤/向子韶
巻7:孫昭遠/郭永/楊邦乂
巻8:呂祉

◎『宋名臣言行録別集』上
巻1:李邴/權邦彦/張守
巻2:陳康伯/范宗尹/朱倬
巻3:張/鄭㲄/滕康/王庶/沈與求/汪/周麟之
巻4:葉夢得/程瑀/王大寶
巻5:廖剛/胡舜陟/衛膚敏/陳公輔/陳戩
巻6:張闡/王縉/杜莘老/黄龜年/辛次膺
巻7:汪藻/綦崇禮/呂本中
巻8:王居正/胡寅/潘良貴
巻9:呉玠/呉璘
巻10:周葵/王庭珪/范如圭/翁蒙之
巻11:向子諲/向子/陳規
巻12:趙密/王/張子蓋/李寶
巻13:李彦仙/趙立/魏勝

◎『宋名臣言行録別集』下
巻1:李綱
巻2:呂頤浩/朱勝非
巻3:張浚
巻4:趙鼎
巻5:宗澤
巻6:楊沂中/韓世忠
巻7:劉光世/張俊
巻8:岳飛
巻9:張九成/晏敦復
巻10:劉
巻11:李顯忠
巻12:劉子羽
巻13:胡銓

◎『宋名臣言行録外集』
(道統伝授之図)
巻1:周敦頤
巻2:程
巻3:程頤
巻4:張載
巻5:邵雍
巻6:呂希哲/朱光庭/劉絢/李籲/呂大鈞/呂大臨/蘇
巻7:謝良佐/游酢
巻8:楊時/劉安節
巻9:尹焞/張繹/馬伸/孟厚/侯仲良/周行已/王蘋/李郁
巻10:胡安國
巻11:胡宏/胡憲/劉子翬/劉勉之/李侗/朱松
巻12:朱熹
巻13:呂祖謙/張栻
巻14:魏挺之/劉清之
巻15:陸九齡/陸九淵
巻16:陳亮
巻17:蔡元定/蔡沈


以上。面倒なのでとりあえず書いてみた。そうそう「智の館」というところで本書の解説をしていた。結構おもしろかったので紹介しておく。

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四庫提要春秋類終わり。多分。

王當と章沖が終わったので,いちおう中唐宋元明初の春秋類は終わった,と思う。リンクもはりおわったし。ちなみに,ほんとうは存目が残っているのだが,これはまた暇があればそのときにでも。

もう今年も終わってしまう。あと一回くらいは高畠サイトを更新しないとまずいだろうなあ。それでちょっと面倒くさいけど,林癸未夫氏の「西洋思想の日本化」でもタイプしようかと思っていたりもする。林氏といえば『国家社会主義原理』なのだが,これは驚くほどつまらん本なので,ちょっとタイプする気になれない。これに比べると「西洋思想の日本化」は短い論文だし,先ほど紹介もしたし,なんとなく手が出しやすい。もちろん林氏の著作権は切れている。

そうそう著作権で思い出した。まだ書物の保護期間は50年のはずなので,今月の31日で山田孝雄と山川均の両氏の著作権が切れる。山川さんはどうでもいいが,山田孝雄氏は50年前に亡くなっていたんだねぇ。国学の伝統を引く学者だから,敗戦後はいやな叩かれ方をしたが,国文法に全く興味もない私ですら小学生のときに名前を知っていたくらいだから,相当有名人であることは間違いあるまい。

どんな立場でもいいが(もちろん好き嫌いは強く持っているが),自分の立場に徹底しない人間はつまらない。ころころ立場を変える人間というのは,議論におもしろみもないし,感銘も受けない。もちろん表面的に面白い文章というのはあるだろうが,表面はあくまでも表面で,何度か目を通すとなんの感銘もうけなくなる。やはり高畠さんではないが,徹底してくれないと重みもでないのだろう。その点,山川さんはともかく,山田孝雄氏の研究には(事の当否は私に判断できないが)頗る興味を覚えるものがある。

なににせよ素人談義であることには変わりないが。

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四庫提要(春秋関係02)

追記(2009/03/15):以下の翻訳はこちらのページ(別館:公孫樹内)に訳し直しました。

章沖『春秋左氏伝事類始末』5巻

○江蘇巡撫採進本

宋の章沖の撰。沖,字は茂深。章惇の孫である。淳煕年間に台州知事となった。妻は葉夢得の娘である。その夢得は春秋に造形があった。そのため沖も左氏伝の研究に心を砕き,〔春秋時代の〕諸国の記事を集め,年月ごとに配列し,さらに事件ごとにまとめた。そしてそれらの事件を体系的に組み立て,一体感のある書物に仕上げたのである。本文の前には沖の自序と謝諤の序文がある。

さて,沖と袁枢はともに孝宗時代に生きた人間である。その枢は『資治通鑑』に手を加えて紀事本末体を創建したが,それは各事件の筋道を付け,閲覧を簡便ならしめたものだった。〔枢の書物は〕淳煕丙申の歳に刊行された。沖の本書も枢と同じ体裁で〔いわゆる紀事本末体で〕ある。自序によると,淳煕乙巳の歳――枢の書物に後れること九年――に刊行された。ならば本書は枢のやり方をまねて作ったものであろうか。〔本書は〕大部の書物ではなく,枢の書物に比べると狭隘とも言えるが,学者に便益をもたらすことについては,両者ともにかわりはない。

ただ『通鑑』はもともと史書であるから,枢はその筋道を付けるだけでよかった。しかし春秋は経書である。属辞と比事によって聖人の教えが相互に誘発されるものである。また左氏伝は経文に先んじて事件を述べることもあれば,経文の後れて〔事件を述べることで〕その主旨を結ぶ場合もある。また一つ経文によって道理を明らかにすることもあれば,複数の経文を交えて〔経文と左氏伝との〕異同をまとめる場合もある。両者は互いに密接に絡み合いながらも,奥深いところでつながり合っているのである。しかし沖はただ〔左氏伝に載る〕類似の事件をまとめただけで,経書たる春秋を単なる史書と見なし,〔聖人の〕筆削についても全く触れていない。ならば古くは経部に名を連ねた書物ではあるが,〔その処置は〕正しくあるまい。この度は枢の書物とともに史部に分類した。その方が本書にふさわしいであろう。

『四庫全書総目提要』巻49(史部紀事本末類)



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意味もなく

四コマの記事を整理していたら,画像が消えていたのがあったので直してみた。そのついでに四庫提要春秋類のリンクを整理していたら,王當と章沖を忘れていたことに気がついた。終わったつもりだったので,既に脳が軟化しているが,やむを得ないので2人分だけ訳すことにした。とりあえず王當は終わったので,あとは章沖ひとり。

あと一回分で四庫提要春秋類中唐宋元明初編は終わる予定。ちなみに王當はまだリンクをはってない。章沖が終わったら一緒にはる予定。予定ばかりだけどそういう予定のつもり。

テーマ : 読書メモ
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四庫提要(春秋関係01)

追記(2009/03/15):以下の翻訳はこちらのページ(別館:公孫樹内)に訳し直しました。

王当『春秋列国諸臣伝』30巻

○両江総督採進本

宋の王当の撰。当,字は子思,眉山の人。元祐年間,蘇軾が賢良方正科に推薦した。当の対策は四等で合格し,龍游県尉を授けられた。蔡京が成都府知事になると〔当を〕学官に推挙したが,これを断った。京が宰相になると,ついに仕途を絶ってしまった。生涯は『宋史』本伝にある。

史書(*1)によると,当はむかし科挙に落ちたことがあったらしく,そのとき田舎に引き込み,嘆いてこういった――「士としてこの世に生まれたならば,仕官し得ぬときは,必ずや言葉を残さねばならぬ。」かくして『列国名臣伝』五十巻を著した,と。ならば本書は朝廷に仕える前に書かれたものである。

本書に立伝されたものは全一百九十一人。各伝の後に論評を附している。陳振孫の『書録解題』には「論述は純正で,文章は簡古。聖人の教えに対しても発明するところが多い」と言っている。しかし本書を調査したところ,例えば「魯の哀公がもし陳恆を討伐したならば,すぐにでも諸侯を従え得たであろう」と言うところなど,非理の議論としか言いようがなく,全く聖人の主旨ではない。史書(*2)によると,当は古人を広く見渡し,ただ王佐の才ある人だけを好んでいたとある。当の学問は実用を重んじたものだったのだろう。だから本書にも上のような意見を出したのではあるまいか。しかしながら,本書は時代の移り変わりをまとめるべく,前後に『国語』や『史記』などを引証しては左氏伝の闕略を補い,該博にして余すところがない。経伝に対して有益であることには違いない。

ところで『宋史』の芸文志は本書を五十一巻とし,本伝は五十巻としており,両者ともにこの本〔の三十巻〕と異同がある。三と五とは字形が類似しているので,鈔写したものが書き損ねたのだろう。

『玉海』にはまた別に,当と同時代の人である長楽の鄭昂(字は尚明)の記述があり,そこには「昴も『春秋臣伝』三十巻を作り,人物別に事件をまとめたが,それは全二百十五人の伝記で,三十九人の附伝のあるものだった」とある。これは『宋史』芸文志にも記録がある。本書と同名で,ただ「列国」の字がないだけである。後世の人々は〔この当の〕本書を『春秋臣伝』と省略する場合があるが,これだと昴の書物と混乱してしまう。そこでこの度は書名に旧来の名称を用いることで,両著書を区別させるた。

『四庫全書総目提要』巻57(史部伝記類一)



(*1)『宋史』本伝(儒林伝2)のこと。
(*2)『宋史』本伝の言葉だが,そこには「幼好學,博覽古今,所取惟王佐大略。嘗謂三公論道經邦,燮理陰陽,填撫四方,親附百姓,皆出於一道,其言之雖大,其行之甚易。嘗舉進士不中,退居田野,歎曰:「士之居世,苟不見其用,必見其言。」遂著春秋列國名臣傳五十卷,人競傳之」とあり,「王佐大略云々」が『列國臣傳』に直接繋るわけではない。随って四庫官が「蓋其學頗講作用,故其説云然」とするように,「蓋」の域を超えない。

(*)四庫全書では史部に編入される本書ではあるが,歴代経部の著述とされているので,とりあえずついでに訳しておく。章沖の『左傳事類始末』も同じ。

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存目を隔てるもの

四庫提要の関係で,杜澤遜氏の『四庫存目標注』を読む機会を得た。これは四庫全書で存目に落とされた著作を調査した報告書のようなものだが,杜氏は『四庫全書存目叢書』の編纂にも加わった学者だけに,本書は出るべくして出たものと言えそうである。(まあ本人を知らないから,その人の学力も噂も分からないが)

一応本書の構成を書いておくと,『標注』本体部分は,四庫全書存目の提要の是非,および存目の著作が現存する場合にはその総評・書誌などを記し,散佚している場合には総目の表記を引用するというものであった。ネット上の検索精度の向上しつつある現在では,存目現存の有無やその所蔵場所などはかなり精確に判断できるようにはなったが,現物を見た人間が書いたものだけに,現物(『存目叢書』を含む)を見れない私のような人間には,書物の輪郭を探る手助けにはなる。

それはともかく,本書を手にとって私が一番興味を覚えたのは,冒頭の杜氏の手になる序論(解説のようなもの),特に上篇の「存目の由来」についてだった。

杜氏の指摘は至極常識的なものではあるが,日本の研究にありがちな所感でものを言ったり,ごく一部の資料だけで発言する類のものではなく,全存目の提要を調べ,現存の存目を実見し,さらに四庫全書の成立を研究した上での指摘だけに,その発言は重みのあるものだった。

四庫全書には本文を収録したもの(正目とでもよんでおく)と存目の区別があるわけだが,一般的には,杜氏も指摘するように,内容的に価値のない書物と道義上・正当性に問題ある著作であり,且つ無視するわけにいかないものを存目に落とし,価値ある著作だけを四庫全書に収録したことになっている。ところがこの基準は極めて曖昧で,提要を読んでいても相互に矛盾する場合が多い。

あっちでは「平凡だが四庫全書に収録する」と言いながら,こっちでは「平凡だから四庫全書には収録しない」と言ったり,そちらでは「問題は多々あるが,まあ四庫全書に入れておこう」といいながら,あちらでは「問題が多々あるので,四庫全書には収録しない」と言ってみたり。このようなことが多々ある。

これに対して,一般的には,元以前はかなりの問題作以外は原則上四庫全書に収録し,明以降は相当の著作でない限り四庫全書に収録しない,という方針のあったような感じではある。むかし研究室にいたころ,他の人に話を聞いても大体似たり寄ったりの感想を得られたので,たぶん多くの人が思っている所だろうと思う。

そこで杜氏の見解だが,やはり同じだった。杜氏によると,四庫全書の正目と存目との区分は,正当性とか内容的価値以前の大前提に,以下の2つの基準があったという。

1.規模の制約
2.貴遠卑近

規模の制約というのは,四庫全書の規模には制約があるということ。そもそもどんな編纂物であっても,世の中に残っている全ての著作を収録することは不可能である。だから四庫全書編纂の当時,財力的・時間的・その他諸々的に編纂可能であった分量を超える著作は,価値の有無にかかわらず,どうしても四庫全書の収録からはずさなければならなくなる。この規模の制約が,あらゆる問題の大前提として存在する。

そしてこの大問題を解決する最も有効な方法が,次の貴遠卑近であるという。つまり元以前の遠い時代の著作は貴んで出来るだけ収録するが,明から清中期という近い時代の著作は,相当価値ある著作以外は収録しない,という方針である。

当然と言えば当然だが,この2点を改めて確認できたことだけでも,『標注』を調べたかいがあった。

ちなみに,「四庫全書は明代だけを仲間はずれにしている」と思っている人がいる。思想的弾圧らしい。しかしそれは間違いである。清代の著作も,明代の著作以上に省略されている(存目に落とされている)。

もちろん明代の著作を意図的に外した春秋類や,陽明学徒のゴミのような著作の例もあるが,この場合,両方とも価値がないから,まあ四庫官の判断は妥当としかいいようがない。しかしそれを割り引いても,清代の著作は相当程度,四庫全書未収録である点は知っておかなければならない。まあ早い話が,明代の著作のみが省かれた,と思っているのは,明代の自意識過剰としか言いようがないわけである。

そうそう,杜氏の解説にも少し触れられているが,四庫全書には正目と存目の外に,禁書があり,さらにこの3者のどれにも入らなかったもの(無目とでもよんでおく)がある。

四庫全書編纂のため,地方からあまねく書物を探り出し,それをふるいにかけ,重要な著作を四庫全書に収め,収録に満たないものを存目に落とし,且つ怪しからん著作を禁書にした,というだけではなく,全く顧みるの必要すら感じられないものは無目となっている。

例えば劉敞の文集である『公是集』は総目提要に3種類登場する。第1は四庫全書に収録された『公是集』で,『永楽大典』輯佚書である。第2は別本の『公是集』で,まあそこそこ輯佚していた文集だったらしく,存目に入れられている。そしてもう1つが『新喩三劉文集』中の『公是集』で,これは無目であり,且つ正目と存目の『公是集』提要で徹底的にこき下ろされている。

確かに『三劉文集』はこき下ろされても仕方のない出来なわけだが,それとは別に,四庫全書編纂のときには,正目・存目・禁書以外に,多くの書物が確認されていたことがこれだけからでも分かるわけである(あたりまえだが)。清中期にどれほどの文章が残存していたのか,これは四庫全書の編纂や元朝以前の著作に興味ある人間には血湧き肉躍る題材ではあるが,その全貌は杳としてうかがい知れないままである。

少し話がそれてしまったが,要するに四庫全書の正目存目の基準は,単なる書物の価値とか正当性とかいうだけのものではなく,該当著作の製作時代がかなり重要だった,という当たり前のことが確認できたわけである。杜氏は,だから存目には価値があるというのだが,まあそれはどうだろうか。これはまた日を改めて少し別の角度から書いてみたい(......気もするし,しない気もする)。

最後に蛇足。

「正目と存目との差は,著作の価値や正当性によるものでない」と断定するのは必ずしも正しくない。正確には,「元以前の著作と明以後の著作は扱われ方が違う」というべきであり,明以後の著作に対しては,正当性とか価値とかが問題になってくる。

しかしここでも,例えば,同じ王守仁の弟子でも,王畿の文集は存目なのに,羅洪先の文集は正目で,しかも羅洪光と同傾向の欧陽徳は存目だとか,不思議な傾向がある。また王守仁と少し傾向を異にする湛若水の著作は,聖学格物通は正目なのに,文集は存目に落とされている。これはなぜか?

答えは『標注』に書かれていなかった。あるいは答える必要の無いほどの微々たる問題だったのかもしれない。王守仁に注目するのはそれが好きな人間だけであって,私を含む一般の古典研究者にとって,そんな連中が正目だろうが存目だろうが,全く問題にする必要もないほどどうでもいい問題だから。それより著名な文芸家や物書きの著作が入ってない方がもっと重要だろう。乾隆帝に憎まれていた徐乾学とか。

四庫全書にまつわる逸話はいろいろあって興味は尽きない。とはいえ,私はこの四庫全書の研究がそれほど実り多いものとは思っていない。批判好きの人間(私も大いにその仲間だが)のよく口にする「研究の価値」とやらを尺度にするなら,おそらく四庫学はほとんど価値のない研究分野だろう。

しかし人間は複雑なものや不可解なものに興味を引かれるので,それを解明したいというのが,おそらくこの手の研究に足を踏み入れる最大の原因だろう。やくには立たないが......というより,やくに立たないから。そして古代からつい最近にいたるまで,面白くて為になったような気になる書物というのは,大抵この手の著作だったりする。

もちろん「研究の価値」を声高に叫ぶ古典研究者は,現実的に,自分の研究がなんらかの成果をあげていることを証明できるのだろう。それが過去の著作であれば,当然現在でも高く評価されて然るべきはずだ。ところが残念なことに,その手のものはなぜか大東亜共栄圏を空々しく叫んだ,仰々しい文言だけが踊った作文だったりする。

価値ある研究とは,空理空論を振りかざすことだったのか?古典の世界に逃避行することではなく,現実に直面して,最も現実的に価値ある結論を導くものではなかったのか?狐に摘まれるとはまさにこのことだ。

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とりあえず『大全』まで終了

ようやく昨日で春秋大全まで終わったので,四庫提要の訳は一時休止。実のところ,清朝の提要から読み進める予定だったのを,それだけでは意味も分かるまいと思い,既に研究の進んでいる三傳を除いて,唐の陸淳たちから始めて見た。ところがページを開いて量的に難しそうだったので,とりあえず大全まで終わらせようと目標を変えて莅んだのである。

*以下,余りに漢字の変換ミスが多いので,漢字変換は原則一回で止めてみた。(固有名詞を除く)

陸淳から大全までは,提要はもちろん,書物についても目を通した事があったので,こちらの予想では簡単に追われるのではないかと思っていたが,思いの外,時間がかかった。いや予想以上に体力を消耗させてしまい,おかげさまで本来メインだったはずの清朝の春秋類提要(4~5)に到着するまでにくたびれ果ててしまった。やはり目標変更は正解だった。

元来私は飽きっぽい性格なので,一つのことが長く続かないのだが,今回にしてもまた同断。結局,元朝に入ったころから精神的に疲れて......というか,訳文作りに飽きてしまった。しかしいったん決めた目標は,事の当否,ものの善悪に関わらず貫徹すべきだというのが私の精神なので,11月俟つくらいからピッチを上げ(つまり嫌なものをはやく終わらせるべく我慢して),ようやく昨日終わったのだ。

翻訳というのは,訳者の腕が相当あったとしても読みにくい。流暢な日本語で書いてあっても,論旨の展開に理解しがたい典が出て来る。夫れは当然で,原本の書き手は日本人じゃないわけだから,日本人のルールにのっとって文章を作りはしない。だから日本人からすれば,ルール違反をたびたびおかした文章を読まされることになり,それだけ骨がおれるのである。ましてそれが古典であれば,そもそも価値観が違うのだから,ルール違反どころの騒ぎではない。

例えば,古典世界に於いては,人間の世の中に(私は社会と言う言葉が嫌いだから使わないようにしている)差別があるのは当たり前,というよりも,差別こそが人間の美点であると思っている。だからそれを前提にものを書かれると,現在の読みてには理解できない。いや,表面上の理屈は分かっても,実感的に分からないのである。ところがもしこれを現代の日本人にすんなり理解できるような訳文にしたりすると,それは原典の翻訳でもなんでもなく,原典をかりただけの単なる訳者の主張になってしまう。それなら訳者が著者となって,「自分の文章を書け」と言わることにもなるだろう。

話が変な方綱に飛んでしまったが,要するに誰も読みもしない下手な訳文を数ヶ月にわたってやってきた私としては,改めて無駄だったと思う次第だ,というだけのことである。しかしこれも私が当初計画したことなので,杜注であきらかに失敗だと思っても,最後まで(少なくとも中目標までは)貫徹することにした次第である。

難の感慨もないが,とりあえずこれで大全までの提要は終わりと言うことで,紀年として記録に残しておこう。

......私の文章の書き方がまずいからだろうが,ATOKでも妙な変換が多いな。


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『人さまざま』

人さまざま (岩波文庫 青 609-1)人さまざま (岩波文庫 青 609-1)
(2003/04/16)
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むかし大学の学部生だったころ,本書を薦められて読もうと思いながら,在庫切れや興味の濃淡が重なり,結局読まずじまいだったのだが,最近ひょんなことからこれを読む機会を得た。

本書は別名「性格論」と名付けられるように,30に及ぶ人間の性格を定義づけたもののようである。型にはまったように「○○の性格は□□と定義づけられる」から始まり,「その具体例は△△である」と言って,具体的な例が列挙されている。

1981年の初版のわりに古めの文体ではあったが,軽妙な筆致で訳されており,それなりに面白く読めた。内容的にもやや皮肉めいた人間観察が多く,ちょっと笑えるところもあった。しかし総じて単調な話の繰り返しで,読んでいて少しく退屈になった。本書全体の分量は少なく,各性格の具体例も決して多くはなのだが。

とはいえ,私の場合は読むのが遅すぎたようだ。若い頃に読めばもっとおもしろかったのかも知れない。しかし人間生きておれば,大なり小なり,この本に出て来る人間性質に気づかされる。純真無垢な人間ならいざしらず,いい加減歳をとった人間が,あらためて人間の性格について論じられても,「まぁ,そうだろうな」で終わってしまう。

第一,そんな人間の性格が分かっても,結局それだけのはなしだと言ってしまえばそれまでなのだ。欠点ある性格の人間がいるからといって,それを矯正することなどできやしない。それは自分に対しても同じことで,自分の欠点は分かっていてもなおせない。直してもまた別の欠点がでてくるだけで,永遠にそれの繰り返しなのだ。

もちろん本書の書かれた「歴史的背景」なるものはあるだろうし,ある種の人間にはそれがすごく大切なことなのだろう。しかしまことに残念なことに,私は哲学史専攻の学生ではないので,そんな歴史的背景に興味はない。どんな歴史的背景があろうと,今の私に役立たなければ,それまでのはなしだ。

本は若い頃に読めと言われるが,確かにその通りだろう。もし私が若い頃にこの本を読み,妙な感銘を受けておれば,また少しく感想も変わっていただろう。さして感動しないものになり果てていても,往年の感動はなかなか消しがたい。その消しがたい感動は,年を取った人間にまた別個の感慨を与えてくれる。

まあそんなことは今から言っても仕方のないことだし,仕方のないことは考えても無益だ。

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四庫提要(春秋類3)068~085

四庫提要(春秋類3)068~085

068童品『春秋経伝辨疑』1巻(内府蔵本)
069湛若水『春秋正伝』37巻(礼部尚書曹秀先家蔵本)
070陸粲『左伝附註』5巻(浙江巡撫採進本)
071陸粲『春秋胡氏伝辨疑』2巻(江蘇巡撫採進本)
072熊過『春秋明志録』12巻(浙江呉玉墀家蔵本)
073高拱『春秋正旨』1巻(安徽巡撫採進本)
074王樵『春秋輯伝』13巻『春秋凡例』2巻(直隷総督採進本)
075徐学謨『春秋億』6巻(江蘇巡撫採進本)
076姜宝『春秋事義全考』16巻(浙江巡撫採進本)
077傅遜『左伝属事』20巻(浙江巡撫採進本)
078袁仁『春秋胡伝考誤』1巻(通行本)
079馮時可『左氏釈』2巻(江蘇巡撫採進本)
080楊于庭『春秋質疑』12巻(安徽巡撫採進本)
081高攀龍『春秋孔義』12巻(浙江汪啓淑家蔵本)
082卓爾康『春秋辨義』39巻(浙江巡撫採進本)
083朱朝瑛『読春秋略記』10巻(両江総督採進本)
084王介之『春秋四伝質』2巻(湖南巡撫採進本)
085王道焜・趙如源同編『左伝杜林合注』50巻(左都御史崔王階進本)

以上,四庫全書所収の明朝の春秋経解。大全以降,明朝の春秋学に見るべきものはないとされている。確かにそうだろう。もちろん中には面白い発言をする人間もいるが,概して宋元の学者を超えるものではなく,独創性があるでもない。ただ現在からみれば「古い書物」というだけの価値にとどまる。古ければなんでも価値があり,古いものはなんで残すべきだとでも思わない限り,取り立てて価値を感じない書物の集まりである。

むかし曾鞏は『戦国策』を校訂したとき,それが害悪ある書物であっても滅ぼすべきでなく,むしろ本文を後世に残し,その害悪ある所以を読書人に正しく示すことが必要だと言った。しかし南宋の秦檜はじしんに関わる記録を全て廃棄させ,かくして現代に至るまで南宋初期に不明の時間を作らせた。

確かに曾鞏の発言は立派であるが,もし北宋の段階で『戦国策』を握りつぶしてしまえば,永遠にそれは伝わらず,後世のものは知りたくとも知り得ぬものになったであろう。秦檜は後世に悪評を蒙っても,その実際を覆い隠すことには成功したのである。

明の学問を葬り去りたければ,その本文を残し,その害悪ある所以を直書するよりは,善悪の判断の根拠たる事柄そのものを抹殺するに若くはない。もちろん明の経解がちまたに氾濫するというあり得ぬ事態が生じれば,それは曾鞏の如く,害悪ある所以を直書するの必要を感じるのであろうが,氾濫はおろか殆ど知られておらぬ状態であれば,むしろ無視するのが最も有効な杜閉の方法のはずである。

四庫官が明人を貶めるべく,その書目を存目に列したことは,当時の権宜としては快ならしむるものであったかも知れぬが,その名を残したこと,むしろ四庫官のために惜しまざるを得ない。

――沈黙は金なり。ただ己の金にあらざるのみ。

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四庫提要(春秋類3)067

追記(2009/03/15):以下の翻訳はこちらのページ(別館:公孫樹内)に訳し直しました。

胡広等奉勅撰『春秋大全』70巻

○内府蔵本

明の永楽年間に胡広らが勅を奉じて撰定した。そもそも宋の胡安国の『春秋伝』は高宗の時代に経筵で進講されたものの,当時の科挙の出題には三伝が使用されていたにすぎない。これは『礼部韻略』の後ろに附された貢挙条例を見れば明らかである。(*1)『元史』の選挙志によると,延祐の時代に科挙の新制度が発布され,ようやく春秋に胡安国の『春秋伝』を用いるよう条例が定まった。汪克寛が『春秋胡伝附録纂疏』を作ったとき,原則として安国を解釈の主軸に据えたのは,この時代のやり方に従ったのであろう。

かくして広らは〔勅を奉じて〕本書を編纂したのだが,それは克寛の『纂疏』に少しく手を加えただけであった。朱彝尊の『経義考』には次のような呉任臣の発言が引用されている。――「永楽の時代,勅を奉じて『春秋大全』を編纂し,纂修官は四十二人いた。その凡例には,『紀年は汪氏の『纂疏』に依拠し,地名は李氏の『会通』に依拠し,経文は胡氏のものを用い,その他注釈の作法などは林氏に依拠した』とある。しかるに実際には『纂疏』をそのまま剽窃しただけであった。勅を奉じて編纂したとはいいながら,実際には編纂などしていなかったのである。朝廷を欺くこともできよう,給与をかすめ取ることもできよう,賜物を奪うこともできよう。しかし天下後世を欺くことなどできはしないのだ。云云。」これは広らの不徳義を暴いたものと言えるだろう。

本書に採用された諸学説について見ても,ただ胡氏を基準にその取捨を決めており,発言の是非については検討を加えていない。明朝二百余年の間,経文によって科挙の問題を出したとは言いながら,実際には胡氏の『春秋伝』を経文解釈の基準としていたのである。元代の合題の制度(*2)は,なおも経文の異同によって問題を出していた。しかし明代では,胡氏の『春秋伝』中の一字一句を轄裂し,これを引き合わせたものを合題と呼んでいたのである。春秋の大義が荒廃に及んだこと,広らがその波を導いたのである。我が聖祖仁皇帝は『欽定春秋伝説彙纂』を著され,胡氏『春秋伝』中の空論・非道・迂濶・失当の発言に対し,始めて一つ一つ駁正され,これを学宮に頒布された。また我が皇上は科挙に於いて合題を用いることを廃止され,学者らが妄りに偏った解釈を行うことを防がれた。かくして春秋の筆削や微旨はまた燦然と天下に輝くに至ったのである。

この広らの『大全』は本来捨て置くべきものだが,王朝一代の科挙制度に関わることであるから,参考のため残さぬわけにはいかない。また〔人は〕荒れ果てた状態を目にすればこそ,害悪なき状態のありがたさが分かるものであり,迷路に足を踏み入れたればこそ,正しき道を歩むありがたさが分かるのである。本書を残し,学者に相互参照させることこそ,前代の学術のみすぼらしさ,それに対する聖朝の経学の輝かしさを知らしむることになるであろう。

『四庫全書総目提要』巻28



(*1)貢挙条例が胡伝に論及せぬことを指したものと解される。
(*2)実際には南宋後半から行われた。

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四庫提要(春秋類3)066

追記(2009/03/15):以下の翻訳はこちらのページ(別館:公孫樹内)に訳し直しました。

石光霽『春秋鉤元』4巻

○浙江呉玉墀家蔵本

明の石光霽の撰。光霽,字は仲濂,泰州の人。張以寧の弟子。洪武十三年に科挙(*1)に合格して国子監学正となり,春秋博士に抜擢された。『明史』文苑伝(張以寧)に附伝がある。史書には「元朝の官僚で明に投降したものの中,危素と以寧は最も著名であった。素は歴史に長じ,以寧は経学に深かった。素の著した『宋史稿』と『元史稿』はみな散佚したが,以寧の春秋学はついに世に行われた。門人の石光霽が『春秋鉤元』を作った云云」とある。ならば本書は以寧の学を伝えたものと言えるだろう。(*2)

本書の主旨は,張大亨・呉澄の目的と同じく,春秋の書法を五礼に配当したものである。概ね〔春秋は〕礼から外れたものを記し,それによって褒貶を現したものであるとの考えに立っている。また参考として『周礼』の経・注を用いて吉・凶・軍・賓・嘉の五礼の条目を詳述している。また五礼によって総括しきれないもの,例えば年月日時や名称・爵号といった類は,別に雑書法なる項目を作り,本書の冒頭に附している。あらゆる書法に対して,諸学説を集めているが,より緊要なものを大綱にまとめ,その詳細を論じたものを小目にまとめている。主要書目は左伝・公羊・穀梁・胡氏・張氏であるが,不十分なところがあれば啖氏や趙氏などの諸学説を集め,自分の意見によって総括し,適切な解答を導いている。(*3)本書に「張氏」と記されるものは,以寧のことである。以寧の『春秋胡伝辨疑』は散佚してしまった。しかし光霽はよく以寧の学説を伝え,かつ本書に以寧の発言を多く引用している。これによって,いまなお〔失われた〕以寧の学説の梗概を知ることができる。

本書冒頭に序文があるが(*4),撰者の名氏は書かれていない。そこには「啖氏と趙氏の『纂例』は経に詳しく伝に粗く,『纂疏』と『会通』は伝に詳しく経に粗い。本書は両者の過不足を適切に処理している」とある。その称賛は確かに正しい。

朱彝尊の『経義考』は〔本書を〕四巻とする。この本は不分巻である。鈔写した者が〔巻数を〕合わせたのであろうか。この度は彝尊に従い,四巻に分けて収録することにした。

『四庫全書総目提要』巻28



(*1)科挙:明経科。
(*2)提要本文は「則此書猶以寧之傳也」とあり,分かり難い文章だが,『明史』には「能傳以寧之學」とある。
(*3)以上,提要に見える本書の内容説明は,本書の凡例を意訳したのみである。随って,提要の翻訳し難い部分は,凡例によって補った。
(*4)原文「前有序文一篇」であるから,提要執筆者の見たテキストには序文があったようである。しかし四庫本および芸文印書館印行の『春秋書法鉤元』には序文がない。(ただし石光霽の自序はある)『経義考』巻199には亡名氏の序文があり,提要所引の序文と同様の文章が引用されている。

(*)本書は『春秋書法鉤玄』『春秋書法鉤元』とも呼ばれる。

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四庫提要(春秋類3)065

追記(2009/03/15):以下の翻訳はこちらのページ(別館:公孫樹内)に訳し直しました。

趙以寧『春王正月考』2巻

○両江総督採進本

明の張以寧の撰。以寧,字は志道,古田の人。元の泰定丁卯の進士で,翰林侍講学士にまでなった。明になっても故官のままだった。(*1)洪武二年,安南王冊封の使者となったが,その帰路に死んだ。生涯は『明史』文苑伝にある。史書(*2)には,「以寧は春秋によって優秀な成績で科挙に合格し,学問の中でも春秋にもっとも精しく,また自得するところも多かった。著書の『胡伝辨疑』は特に優れた批判書だったが,『春王正月考』はまだ完成できないでいた。安南を訪れたとき,半年に及んでようやく完成させた」とある。現在『胡伝辨疑』は散佚してしまい,本書だけが残っている。

そもそも三正は交互に改められ,時と月もそれに従って改められた。経文は「正月」を「王」に繋げているのだから,周正であることは論を待たない(*3)。正月と正歳の二つの名称が『周礼』に載っているが(*4),両正を並用するのも周室のやり方である。左氏が伝にて特に「王周の正月」と指摘しているのだから,正月が建子(*5)であることは疑いないことである。漢朝以来これに対する異議もなかった。

唐の劉知幾は『史通』の中で始めて春秋を夏正だと言ったが(*6),その説を信じるものなどいなかった。程子が〔『論語』に〕「夏の時を行う」とあるのに泥んで〔夏正説を唱えて〕からというもの(*7),程子の盛名の下,多くの人々が〔夏正説を〕弁護するようになった。かくして胡安国はついに「夏時を以て周月に冠す」なる学説を実践し,程端学は『春秋或問』を著して頑なにこの学説を守ろうとし,梅賾の僞書(*8)を根拠として支離滅裂な言辞を弄した。しかしそれらは証明すべく弁解すればするほど,ますます滅茶苦茶になっていった。

そもそも左氏が虚言に陥り,偶然に真を曲げることは確かにないわけではない。しかし現王朝の正朔などは女子供でも知っているのである。左氏が間違うはずがない。もし程子が言うように左氏を秦の人だとしても,〔秦は〕周末からわずか数十年しか経っていないのである。そうも早く前代の正朔を忘れるとは考えられない。しかし異説が横行してしまい,真実が分からなくなってしまったのである。ところが以寧は五経を軸に『史記』や『漢書』を参照して本書を書き,数百年の疑案を氷解させたのだから,優れた見識の持ち主だと言わねばならない。

春秋の時代,かつての帝王の子孫ら(*9)には,先代の正朔を用いることを許していた。だから宋は商正(*10)を用いていたが,これは長葛に対する左伝によって確認することができる(*11)。諸侯の国にも夏正を用いたものがあった。だから左伝が晉について書く場合,いつも二ヶ月のずれが生じているのである。古籍の記述にもまま〔周正との〕ずれが確認できる。後代の学者の批判はここに原因があったのである。

以寧はこのずれの根本的原因を衝き得ておらず,さらには『尚書』の伊訓・泰誓の諸篇は全て古文であり,根拠とするに足らぬものだが,以寧はなおもそれらが偽作であることを明らかにしていない。(*12)また『周礼』に見える正歳・正月の兼用についても,鄭玄の注を数語引用するのみで,まだ明晰な言葉で疑念をぬぐいさることができていない。このように弁証に対していまだ精密とは言い難いが,大綱は既に正しいのであるから,細目に少しく荒いところがあっても,さして非難するに当たるまい。

『四庫全書総目提要』巻28



(*1)『明史』文苑伝には,元朝に於いて翰林侍読学士となり,明朝でまた翰林侍講学士を授けられたとあり,この記述と矛盾する。
(*2)『明史』本伝のこと。
(*3)経文に春王正月と書かれてあることを指す。「王」+「正月」だから,正月は「王の正月」即ち「周王の正月」である。言うまでもなく,周王は周の暦(周正)を用いている。随って,経文じしんが「周王の暦を用いた場合の正月」と書いているのだから,「正月」が周正の正月であるのは当たり前だということ。
(*4)正月正歳:正月は周の正月,正歳は夏の正月。
(*5)建子:周の正月のこと。
(*6)劉知幾:不詳。『史通』巻8(模擬篇)に「春秋諸國皆用夏正,魯以行天子禮樂,故獨用周家正朔。至如書元年春王正月者,年則魯君之年,月則周王之月。(考『竹書紀年』始達此義,而自古説春秋者,皆妄為解釋也)」とあるが,これだと春秋の月は周正になる。『三正考』は劉知幾の学説を採っていない。
(*7)程子云々:程頤の学説として有名。その『春秋伝』隠1春王正月条に「周正月,非春也。假天時,以立義爾」とある。これに対して,呉鼐『三正考』巻2(河南之誤)は「朱子曰:此以春字為夫子所加。但魯史本謂之春秋,則又似元有春字。趙氏汸曰:假天時以立義,此胡氏夏時冠周月之所從出也」の二説を援用し,「鼐按:程子之説,以周為改月不改時,魯史本書冬正月、冬二月、春三月,而夫子改為春正月、春二月、春三月也。如此則周本以寅、卯、辰為春,與夏時同;夫子反以子、丑、寅為春,與夏時異也。一誤於周之不改時,再誤於孔子之改周時,而後儒之紛紜糾葛,從此起矣」とまとめている。
(*8)ここでは『尚書』泰誓篇や伊訓篇を指す。
(*9)具体的には夏の末裔である杞や,商の末裔である宋を指す。
(*10)商正:商の暦のこと。
(*11)恐らく隠6の冬宋人取長葛を指すものと思われる。同経文に対して,左氏傳は「秋宋人取長葛」と記しており,経文の冬と矛盾する。杜預は「秋取,冬乃告也。上有伐鄭圍長葛」と釈明する。『傳説彙纂』巻2は「案:經書冬,左傳作秋。杜氏預謂:秋取冬告,引八年齊侯告成為證。其義甚明。劉氏敞以為左傳雜取諸侯史朔策,有用夏正者,有用周正者,故經所云冬,傳謂之秋也。似亦有理」と釈しており,夏時説の可能性も否定していない。
(*12)この問題は閻若璩の『尚書古文疏證』によって始めて明らかにされる。しかし張以寧と同時代の趙汸はその『左氏補注』に於いて,古文やその孔伝が偽書であることに言及している。随って,張以寧の時代に全く着想し得なかった問題ではない。

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