スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

春秋学の説明方法

春秋学の入門と題してなにかを説明する場合、二つの立場がある。第一は、春秋経文、左氏伝、公羊伝、穀梁伝の特徴を列挙したもの。これの拡大版として、春秋三伝(左氏伝・公羊伝・穀梁伝)のみならず、歴代春秋学説をも列挙する場合もある。要するに、有名な春秋学説を時代順に列挙することで、春秋学の学説の歴史を概観し、春秋学を理解しようというものだ。そして第二は、春秋学の原理や理論をといたもの。これはあまり評判がよくないのか、専門書以外にはお目にかからない。

この両者、それぞれに目的があり、意味もある。また捉えようによって、両者は接近しもする。しかし私は傾向的なものとして、第一の立場に懐疑的だ。春秋(学)だけではないが、なにかを説明する場合、歴史を書いただけでは理解したことにならないのではないか、と思うのだ。ただし予め言っておくと、当の私も、むかしは第二の立場を好んでいた。ただ研究を進めたり、歳を取るにしたがって、徐々に第一の立場に接近していっただけである。

第一の立場で書かれた書物が便利であることは否定できない。重要な学者や書物、はたまたその学説が説明されているので、著者の腕さえ確かなら、春秋学(の重要学説)の考え方が容易に理解できるのだから。そして春秋学という学問を実地に行う場合でも、結局はこれら先行する学説に依拠するのだから、先行学説を網羅的に説明した書物はありがたい。なにごとによらず、自力で全部の学説を組み立てるのは至難だし、第一、優れた先学に対して失礼な話しだ。自分が思うほど、自分の独創性はないものだ(劉敞のような天才はしらないが)。

しかしふと冷静になって見ると、この歴史というのはくせ者で、春秋学の膨大な学説を理解して、春秋学が分かったような気になったのに、その実、何一つ分かっていないことに気づかされる。曰く、だれそれはこんな学説だった、あちらはこんな特徴があった。なるほど、たしかにそうかも知れない。では、肝心の春秋学は何ですか?――と尋ねられるとハタと困り、春秋三伝があって、何休がいて、杜預がいて云々、というよく分からない説明をするはめになる。

過去の学者(学説)の宗旨を極め、それを列挙する。より高度なものとしては、その学説を関係するものどうしくっつけ分類する。これは「学案」とよばれる中国の学問分類方法で、それ自体は価値あり、また有効なものだ。この学案は、理学や心学のように、各人によって思想が異なり、しかも個人の思想が研究対象となる分野では威力を発揮する。しかし春秋学のように、研究対象が個人の研究ではなく、それらを越えた春秋という書物にある場合、有効にその力を発揮しない。個々の学説を結びつける何かを据えないと、なにも説明できたことにならないのだ。

ありのままの過去というのが存在し、むかしの学説を列挙すれば、それで全て分かる――と思うのは、近代の歴史学にありがちな一種の思想にすぎない。その思想の中にいる人には通用するが、そこからはみ出てしまった人間には、この方法では過去を説明したことにならない。はみ出た人間は、結局、近代の歴史学の生まれる前の、ごくありふれた歴史の学問にもどる。

自分の研究目的、あるいは自分の思想をさらけ出し、多くの苦難を乗り越えて、自分がつかみ取った春秋学の「真理」――偏った思想を中心に置く。その春秋学の「真理」を自分の口で説明するか、自分が頼りとした学説を列べて、自分の言葉に代えるかは、人によって異なるだろう。しかしその中心に自分のつかんだ「真理」を置くのは、どれも同じだ。

こうしてはじめて、その人は春秋を語り得たことになるのではないか。そしてこれは、近代の歴史学者でなければ、だれでも普通に行ってきた。そもそも歴史というのは、何かを理解するための手段としての意味しか与えられていなかったのではないか。好事家を除き、歴史じしんの解明が目的ではなく、人は何かを解明するために、歴史を用いていたのではないのか。

と、仰々しく騒いでみたが、当たり前と言われればその通りだ。歴史に妙なこだわりを持つから、妙な勘違いをするんだと言いわれたなら、仰る通りとしか言いようがない。おそらくこんなことにこだわるのは、私が長いあいだ公平無私の歴史学や、客観的な歴史学というものに憧れていたからだろう。だれもが賛成できる過去がある、そういうものがあると信じていたから、こんな葛藤が生まれたのだろう。

所詮その程度のものだが、他ならぬ私じしんが春秋を語りたいと思えば、おのずとこういう「問題」も問題の俎上にあがってしまう。この「問題」がどれほど深刻で、それほど今の人々の心を捉えられるかが、一流と二流以下を分けるのだろうが、残念ながら私にこの判断をする資格はない。

スポンサーサイト

テーマ : 読書メモ
ジャンル : 本・雑誌

春秋学と春秋時代

高校世界史の賜か、中国に春秋という時代があることを知る人は多い。もちろん春秋時代は春秋から来ているのだが、そういう由来はどこ吹く風、春秋学というと春秋時代を連想してか、春秋学=春秋の時代を研究する学問と思っている人がいる。

この手の発言は中国の歴史に興味を持ちだしたばかりの人に多く、それでもって公言して恥をかくことになるのだが、実のところ、両者はそれほど明確に区別できるものではない。確かに感覚的には両者は異なるが、春秋学の研究方法や「春秋時代の歴史」を研究する目的の置き所によって、両者は微妙に接近する。

まず確認しなければならないのは、春秋学は春秋学の歴史そのものを研究する分野ではない。春秋学が研究対象とするのは、道理であり真理であり、人倫であり天理であり、天人であり人事である。これを解明するために、孔子の筆した春秋経を用いるし、その春秋経には春秋時代の歴史が書かれてあるが、春秋学はその歴史を用いて、この世の真理を探究する。

では春秋学にとって春秋時代の歴史の解明は手段に過ぎないかというと、ここが難しいところで、春秋時代の歴史(経文)=真理の発現とみるならば、春秋時代の歴史(経文)はそのまま真理となり、春秋時代の歴史を解明することが春秋学の目的になる。この種の春秋学観は、春秋学の解説としてよく見かける晩清経学と対立する。しかし学説史的には、むしろ晩清経学が特殊なのであって、春秋時代の歴史(経文)=真理の発現という見方は、それほど珍しいものではない。

ただし先ほどから奇妙な書き方をするように、春秋学において、春秋時代の歴史(経文)=真理の発現と見ることはできても、春秋時代の歴史=真理の発現と見ることはできない。そして春秋時代の歴史(経文)=真理の発現が成り立つためには、春秋時代の正しい歴史は経文に現れているという、前提がなければならない。

随って、歴史学者が、人間の道理を解明すべく、春秋経文を基礎に、春秋時代の歴史を解明したならば、結果として、その研究は春秋学と接近する。ところが歴史学者が、人間の道理を解明しようとせず、随ってただ器物や系譜を解明するために、春秋経文以外の資料に根拠を置き、春秋時代の歴史を解明したならば、それは春秋学と全く無関係のものになる。

歴史学の一つとして扱われる春秋時代の歴史は、研究目的も、研究上の史料的根拠も、通常は春秋学と異なる。随って、普通の意味において、春秋学と春秋時代の歴史研究は別の分野ということになるが、研究の目的や方法によって、両者は微妙に接近しもするのである。

春秋学は二千年以上の歴史をもつ分野だが、いわゆる歴史学はごく最近の学問である。だから歴史学に質的変動でも起これば、あながち両者は無関係の関係にならないかもしれない。もちろんその時には、近代歴史学の勃興と正反対のこと、即ち思想を担当する春秋学が、事象を担当する春秋時代の歴史学の上位に置かれるはずだと、私は信じている。

テーマ : 読書メモ
ジャンル : 本・雑誌

ことはじめ

三ヶ月くらい漫然と記事を書いてきたが、ようやく懸案の『宋史紀事本末』が一段落した(強制終了した?)ので、ぼちぼち春秋学に視点を移すことにした。そこで伊呂波・春秋学と題して、私の思う春秋学についてあれこれ書いてみたい。というか、これをもとに『春秋学入門』のための解題と予備知識に当てようという心づもりだったりする。

しかしながら、我ながら金にもならんことをよくやるな~と思いつつ、改めて私が春秋学にこだわるのかを考えてみたところ、二つほど理由が思いついた。一つは全くもって個人的な理由で、春秋学が好きだというありふれたもの。もう一つは、そうは言っても何か知らん価値があるはずだという、妙な価値観(?)のようなものだった。

好きだというのに深い理由はない。気質的に春秋学(の一部)に共感するものがあったのだろう。ただ共感できる人が日本(いや恐らく世界)にほとんどいないだけだ。でも不思議なもので、好きだとそこに価値を見い出そうとするし、なにか少しでも価値を感じたら、人にも教えたくなる。

私もいい年の人間だから、自分の価値を人に強要するつもりは毛頭ないが、できれば知って欲しいと思う気持ちは、子供と変わらない。どう贔屓目に見ても、普通の人にとって春秋学は未知の領域だから、なにか知らん、これを分かりやすく説明して、一人でも多くの人間を春秋学の世界に誘いたい(引きずり込みたい?)、とまあ、そういう大それたことを考えている。

文字にすると厚かましい願いのようだが、大なり小なり、人間はそんな感情を持っているのではないかと思う。特に日本ではブログが個人の趣味に費やされたおかげか、他人様の趣味を垣間見ることの増えた今日、なおのことその感を深くする。一切人との関係を断つなら、なにも自分の趣味を語らなくてもいいのだから。

以上、改めて標準的な想いを抱きつつ、新しい連載を始めることにした。当面のところ、春秋学の学説史と、一般的な理論、および参考文献の掲載を中心に、『春秋五論』(『春秋学入門』のことね)の知見などを、ばらばらに書いていく予定です。あ、でも、私の学力の問題もありますが、タイトルからして「伊呂波」なんだから、難しいことは書きませんよ。普通に参考書を読めば書いてあるようなことしか書きません。ただそれを私が書くだけです。すごく偏って。


そうそう昨日の晩から『春秋学入門』の改訂を始めたが............私のレベルだと、やはり翻訳でも文章でも、他人に見てもらうか、時間をおいてチェックしないとだめですね。改訂があるていど終われば、サイトの方に移行していくつもりです。ちなみに誤訳が早速見つかった。

テーマ : 読書メモ
ジャンル : 本・雑誌

『かなめも』第4話:はじめての、プール

今回は水着でプールの話し......だと思っていたが、原作に忠実だとは思わなかった。

みんなでプールに行きたいという前半の流れからして、後半は新聞の定休日を利用してみんなでプール!ってな感じで、原作の続きでもするのかと思いきや、ミュージカル仕立てで新聞配達とはね。

バカなことやってんな~と思いつつも、得も言われぬ笑いがこみ上げてきた。原作もそうだが、アニメも序盤が終わって、ようやく『かなめも』の面白さが倍加してきたように思う。


来週はてるてる坊主と風呂屋。

てるてる坊主......原作ではかなのとんでもない落ちがあるんだけど、アニメではどう処理するんだろう。あの夢を出せば、一発でかなのイメージが変わるが、冒険するのかな?それともさりげなく差し替えるのかな?

今週のミュージカルも面白かったが、来週も待ち遠しい。

テーマ : アニメ
ジャンル : アニメ・コミック

谷真潮の著作

(追記:2010/02/06)
南学・秦山・崎門関係の記事はサイトの方に改訂整理しました。以下は拍手をいただいた記念に残しておきますが、間違いは訂正していません。
(以上、追記終わり)

前に真潮の一文を書き下してみたが、真潮や垣守の研究はなかなか難しい。なにせ彼らの思想を知ろうにも、著作一覧がないので、なにをどう読めばよいのか、見当がつかないからだ。

真潮の場合、『日本教育史資料』に「『神道本論』『論聖』『論仏』『旧事記偽撰考』『御国の学び』『孫子秘解』『北渓雑集』『北渓文集』『案内独見書辨』『流沢遺事』」と著作が列挙されている他、『南学史』などにも見える。しかしこれ以外の著作も目録に見えるようなので、少し調べてみた。

利用した目録は『山内文庫目録』と『古典籍総合目録』だが、後者に関してはネット上の「日本古典籍総合目録」の方が完備しているらしいので、そちらを利用した。*印は『国学者伝記集成』『大日本歌書綜覧』に見えるもので、現存の確認できないもの。本来は所蔵場所や板本を記すべきだが、前者はいろいろ権利関係がややこしいのと、後者は未見のものが多いので、それらは省略した。排列はばらばら。また吉崎久『谷秦山・垣守・真潮関係書目録』は真潮の跋文を多くおさめており便利である。

1.現存著作(歌集を除く)
  • 『秦山書目』3巻・・・・・・吉崎久『秦山書目』に復刻。
  • 『磯辺のもくつ』
  • 『河社』2巻
  • 『考説姓氏辨』『附説』1冊 『姓氏』 『姓氏考』・・・・・・不詳。
  • 『ざるべし』・・・・・・『日本随筆大成』第2期所収。
  • 『東鑑抜書』1巻
  • 『言上秘記』1巻
  • 『流沢遺事』1巻・・・・・・『土佐国群書類従』など。
  • 『西浦廻見日記』1巻・・・・・・浦奉行時の日記。
  • 『三記』1巻・・・・・・墓誌銘など三種。
  • 『木津屋風聞記』1巻
  • 『辨家内独見書後書』1巻
  • 『講学日黄簿』1巻
  • 北渓集』3巻・・・・・・『土佐国群書類従』詩筆部など。板本により異同あり。「神道本論」を収める。
  • 『北渓随筆』1巻・・・・・・『土佐国群書類従』雑など。
  • 『御国学(御国乃学)』1巻
  • 『論仏・論聖』1巻・・・・・・『論仏』は『北渓集』(『土佐国群書類従』)所収。ただし板本により異同あり。

2.歌集
  • 『賀歌集(草稿)』(真潮等)
  • 『袖貝の歌』1巻
  • 『北渓雑稿』1巻
  • 『北渓撰集』・・・・・・『土佐国群書類従』歌文部所収。
  • 『北渓先生歌集』1冊
  • 『北渓先生龢歌』・・・・・・『土佐国群書類従』歌文部所収。
  • 『天王祭詩歌集』1巻(真潮等)
  • 『詩歌集』1巻(真潮等)
  • 『挙準先生歌集』1巻
  • 『北渓先生雑集』1巻

3.現存の有無不明
*『東路日記』1巻 (大日本歌書綜覧)
*『帰郷日記』1巻(大日本歌書綜覧)
*『旧事記偽撰抄』(国学者伝記集成)
*『孫子秘解』(国学者伝記集成)
*『東武旅日記』(大日本歌書綜覧)
*『半山の草分』(大日本歌書綜覧)
*『北溟雑纂』(国学者伝記集成)
*『北渓遺稿』(大日本歌書綜覧)
*『北渓詠草三十首』(大日本歌書綜覧)

『北渓集』に収められた著作も多く、重要な著作はかなり残っている。しかし『旧事記偽撰考』『孫子秘解』が散佚したらしいのは残念なことで、もし両著が残っておれば、真潮の解釈手法や論断の根拠などを簡単に明らかにできただろう。

しかし真潮も垣守も、祖父の秦山と異なり刊本がない。活字で出版されたものは、『ざるべし』や『土佐国群書類従』『南路志』など、近代になってからである。真潮は当時かなり有名な(土佐国で)学者だったはずなのだが、刊本がないのは土佐国の特徴なのか、それとも江戸時代の儒臣の性格なのか、よく分からない。

もっとも、刊本がなく、写本だけで著作が伝えられたとすると少し厄介である。秦山の思想を考える場合、とりあえず刊本(およびそれに準ずる『秦山集』)を軸にすればよい。なにせ本の出版は値が張るから、ちょっとした内容の著作など出版できないからだ。だから刊本で秦山の骨格を明らかにし、その後で箚記や雑記を利用して肉付けすることも可能だ。

ところが著作が全て写本となると、それがどういう性質のものなのか、一々確認する必要が生まれる。もしかすると、聞き分けのない弟子のために、ざわざわ執筆したものかも知れないからだ。一流の学者の著作だから、写本とはいえ、なおざりに書いたものではなかろうが、おのずと刊本と異なる扱いを要求される。

垣守は真潮の伝記に、真潮はその「行状」に学問の骨格が示されている。それらが本当に正しいかどうかは別だが、他に寄る辺もないので、とりあえずそこらを手がかりに、真潮の思想を調べざるを得ないだろう。ということで、『北渓集』と『北渓随筆』が終わったので、次は別の主要著書を読む予定です。

*あとで発見があれば追加します。

テーマ : 読書メモ
ジャンル : 本・雑誌

とろう

今日は休みというので県立図書館に行ってきた。どこもそうだろうが、県立図書館は各県の中央図書館ということもあり、その県の郷土資料が集められている。現物はなくとも、大抵は郷土資料目録なり古文書目録なりがある。

私は自分の居住区(やや広い意味で)の偉人に興味を持てず、調べようと思ったこともなかったし、それは今でも同じなのだが、ひょんなことから江戸時代の儒学者を調べる必要(?)が生まれたので、そのついでに郷里の偉い人(江戸時代~明治初期)を少し調べることにしたのだ。

郷土資料室(だったかな?)に足を運び、県下の古文書目録や郷土資料目録、市町村の資料目録などをパラパラ捲ってみたところ、お目当ての人々の資料がいくつか見つかった。ただ無秩序に調べたからか、見つかったのはほとんど書簡の類で、学問的なものは見あたらなかった。

とはいえ資料の整理仕方に方式があるのだろう、目録をめくった感じ、郷土資料の目録は、郷土の一般的な資料の目録に近く、古文書の類はあまり収録していないようだった。それを証拠に、県下にあるはずの藩資料の記述が一切なかった。

したがって、偉人の資料を本格的に調べるには、県立図書館の他の資料目録を精査する他、直接その地の市立図書館に足を運んで、郷土資料として保存されていないか調べる必要があるらしい。さらに本格的に調べるなら、偉大な学者たちの子孫を訪ね、連絡を取らせていただくということにもなるだろう。

もちろん調べても偉人の資料が残っているとは限らない。しかし明治時代に編纂された伝記資料によれば、当時まだ郷里に遺著が残っていたらしいく、もしそれらが戦災天災にあっていなければ、現在もなお書物として残っているかもしれない。ならばそれらの存否を調べざるを得ず、なければそれでよし、あればぜひ拝見したい、ということになる。

と、こうして少しずつ調査を進めていくべきところなのだが、ここまできて急に興味がなくなった。調べても仕方のないような気がしてきたのだ。もちろん調べてみて、すごく立派な学説に出会うかもしれないが、手がければ10年以上かかるだろう作業に、自分の人生をかける気になれなかったのだ。

世界がどこに向かうのか私には今一つ分からない。しかし近代国家の境域が曖昧になればなるほど、日本史の中にもろもろ歴史的事象を位置づける意味はなくなり、一足飛びに、世界的な価値と個人の価値に二分化されるだろう。自分か世界かの選択肢に、郷里の歴史などという媒介はあまり意味をもたない。価値と自分を直接結びつけないと、自分を維持できない。

もっとも、むき出しの価値などあるのかどうか、私は頗る疑わしく思っている。行き着くところ、自分の価値しかないのではないかと、そう思わないでもない。王朝に歴史はなくとも、流浪の民に歴史はある。

テーマ : 読書メモ
ジャンル : 本・雑誌

『中国歴史研究入門』の宋代部分

いまさらで恐縮だが、『中国史研究入門』上下巻(山川出版,1983年)が出版されて以後、同増補(1991年)が出版され、さらに『中国史学の基本問題』(汲古書院)が出版され、そして本書『中国歴史研究入門』(名古屋大学出版会,2006年)が刊行された。全1冊の分量からして、十分な紙数とは言い難かったが、『中国史研究入門』以来の研究が増補され、それ今後の研究に利便性を与えたことは確かだ。

とはいえ、この種の便利本、自分の専門分野に対しては案外利用しない。自分の研究分野に対しては自分が一番知っているはずで、少なくとも一般的な「研究入門」に記述される以上の知識をもっているはずだからだ。そしてその延長上、自分の専門とする時代の資料や一般的動向なども、常時諸種の情報を集めているのだから、「研究入門」のお世話になることはあまりない。

そういうこともあって、実は本書を購入して以来、五代・宋(第5章)については斜め読みしかしていなかったのだが、この前、宋代の基本資料を列べた際、久しぶりに本書宋代の「宋代史史料」を読むことになった。手際よく重要史料の解説が記述されていたのは言うまでもないが、一つ二つ、気になる説明が目に付いた。『太平治蹟統類』と『南宋館閣録』に対してである。

予め言っておくと、両書の解説に間違があったわけではなく、説明に微妙なズレがあるような気がしただけだ。例えば、『太平治蹟統類』の説明には次のようにある(以下、全文引用にあらず)。

北宋時代の諸政・典章等について,『続資治通鑑長編』等を材料に「仁宗平王則」(巻10)「神宗任王安石」(巻13)等の88項目に分かってまとめた資料集。李心伝『建炎以来朝野雑記』に類似した内容だが,史料価値は及ばない。(149頁)


治蹟統類

本書が『長編』等を材料にして成った資料集なのかどうか、私は知らないので論評できないが、李心伝の『雑記』に類似した内容というのはどうだろうか。李心伝の『雑記』は「雑記」の名に違わず、雑多で短い記事が多い。それに対して、本書はどちらかというと紀事本末体に近く、各項目の記事も長い。従って趙希弁の『読書附志』は次のように指摘する。

『太平治蹟統類』四十巻。『中興治蹟統類』三十三巻。蓋し『通鑑紀事本末』の条例に倣い、統べて之を類し、事は其の綱を撮り、辞は其の要を挙ぐ。上は芸祖(太祖のこと)より、下は孝宗に至るまで、凡そ二百門と云う。眉山の彭百川の編修。(子部類書類)



もちろん本書が李心伝の『雑記』に似ていないわけではないから、解説が間違いというわけではないが、説明文句に微妙なズレを感じた。

もう一つ、『中興館閣録』の説明。『中国歴史研究入門』は蔵書目録の項で次のように解説する。

その他の南宋の官撰蔵書目録には,陳騤等『中興館閣録』『中興館閣続録』(張富祥点校『南宋館閣録 続録』,中華書局,1998年)がある。(151頁)


館閣録

この説明そのものは間違いではない。確かに『館閣録』修纂の項に朝廷が編纂した書物が挙がっている。だからそれはそれでいいのだが、『館閣録』を「蔵書目録」の項目で説明するのはどうだろうか。もしかすると紙数の関係上、ここに挙げざるを得なかったのかも知れず、それなら揚げ足取りもいいところで、ここでグダグダ言うのは申し訳ないことだ。

ただ『館閣録』の本来の目的は、朝廷の蔵書目録を挙げることにあるのではなく、南宋の館閣制度の顛末を説明することにある。従って本書のかなりの部分が、館閣(秘書省など、朝廷の歴史書などを編纂する部署とその制度)に関わった官僚の任免一覧になっている。だから本書を蔵書目録に挙げるのはやむを得ないにしても、本書本来の性格の説明があった方がよかったようにも思う。

以上、なんとなく全体的に揚げ足取りのような記事になってしまったが、『中国歴史研究入門』(宋代部分)そのものは決して悪い本ではない。それどころか、中国の歴史を専門に選ばなかった人には、研究動向や基本資料の解説など、役に立つ記事が多い。本書を理解するには、いわゆる概説書程度の知識は必要だろうが、概説書に飽き足りない人はぜひ本書を読まれるといい。

蛇足。

『中国史研究入門』上下巻(増補版)は入手困難らしい。また『中国史学の基本問題』は専門家以外が読んでも意味不明なので、普通の人は手を出さない方がいい。『基本問題』シリーズは複数の研究者の論文集で、モチーフ的には各時代の重要問題を最前線の学者が別個論ずるというもののはずだが......とても基本問題と言えないような論題が多く、内容も基本問題でもなんでもないのが多い。

テーマ : 読書メモ
ジャンル : 本・雑誌

谷真潮「武庚三監論」

(追記:2010/02/06)
南学・秦山・崎門関係の記事はサイトの方に改訂整理しました。以下は拍手をいただいた記念に残しておきますが、間違いは訂正していません。
(以上、追記終わり)

諸般の事情でいきなり平日が休日になってしまった。むだに過ごすのももったいないと思いつつ、しかし突然のことでもあり、また手許に有意義に過ごすための材料が全くないとあっては仕方がない、少しつまらない記事でも書いてみようということになった。

以下、谷真潮の「武庚三監論」。真潮の『北渓集』はざっと(あくまでもざっと)書き下しにしてみたが、最近になってなぜかこれで検索する人がいるので、記事にしてみることにした。もし感想などがあればお寄せください。あわせて間違いも。

凡例
・区切りの入るところで、句読点を加えにくい場合は、空白(htmlなので半角は難しく、全角にした)をあけた。
・底本は新版『土佐国群書類従』。ただし底本の訓点には従わなかった。
・最後に短評を付したが、これは言うまでもなく私の文字。
・( )は底本の文字、〔 〕は底本の校訂文字(山内本による)を指す。

殷周の際,紀事 周人に成る(*1)。故を以て属文行辞(*2),勝国の華を略す(*3)。当世の抑揚襃貶(*4),名実 或いは違えり(*5)。

伝に曰く,「武庚 乱を起こし,三監 叛す」と(*6)。豈に其れ然らんや。夫れ武庚なる者は,商王の胤子。而して武王 既に其の父を殺せば,則ち武庚は周に於いて与に天を戴くべからざる者にして,万世と雖も之に讐を復すべきものなり。舜の文明すら(*7),父母の頑囂を知らず(*8)。武庚 豈に其の父の不道にして,之を伐つ者 聖たり仁たるを知らんや。後来の挙兵,実に恢復の大義 称すべき者にして,三監の武庚に於ける,忠の至り,義の尽くる者なり。

五常百行,孰れか倫理ならざらん(*9)。而るも其の最も重き者,止だ忠孝の二のみ(*10)。而して忠義の在る所,時に其の親に違うべきなり(*11)。三監は是に於いて亦た撰ぶ所を知るか。始め(*12)宗族の殷を伐つに当たり,史書 未だ嘗て其の名を列せず。中に武庚の立つに及び,既に以て自ら監と為る。其の縋惓惻怛,始めより一日として殷氏を存せざる無し。而して終に武庚の挙兵あり,慨然として随う。戈を取り前駆すること,固より偶然〔ならざるを知る〕べきなり。若夫れ流言以て周公を間(へだ)つ者に至りては(*13),用兵の機,宜しく已むを得ざるに処すべき者,大義に病む所に非ざるなり。

朱子曰く,「泰伯 伯夷と心 同じくして,事の処し難きこと甚だしき者有り。泰伯の父子に処すの際,形跡に露るべからず,只だ不分不明を得て且つ去る」(*14)と。予も亦た謂えらく,三監と泰伯と心 同じくも,而るも時勢の逼る,去るに足らず,而して以て形跡を隠し,本心を全うし,只だ進みて宗子に違い,王家に勤むるを得るなり。

嗟乎,武王・周公,才の大,八百歳の業を開く(*15)。周人是を以て聖と為し仁と為し,武庚・三監を以て叛と為し乱と為す。私言 固より当然にして,因襲すること久し(*16)。漢より以来,縉紳鉅儒(*17),習いて(寮)〔察〕せず(*18),遂に武王・周公の殷を伐つは権なり道なりと謂う(*19)。武庚・三監,乱を為し謀叛し,周公之を伐ち,(孑遺)〔孑を遺す〕無し。是非 相反し,順逆 処を更(か)う(*20)。又 嘆ずべけんや。


(*1)歴史書が周の人の手で作られたの意。
(*2)文章のこと。
(*3)略:略説の謂か。戦勝国の華美を概説したの意。
(*4)毀誉褒貶。
(*5)名前と実態が乖離している。儒学によくある正名思想の一つ。
(*6)通常は『尚書』大誥の書序を指すが、全くの同じ言葉は見あたらない。なお三監は殷の紂王の子供(武庚)を封じた武王が、じぶんの弟たちに監督させたもの。
(*7)以下、舜の伝説を踏まえる。文明は『尚書』舜典冒頭の言葉(濬哲文明,溫恭允塞,玄升聞)。
(*8)これも舜の伝説。馬鹿な親と愚かな弟を身内にもった舜だったが、その孝悌の心から、事なきを得たという話し。書くと長くなるので、とりあえず『史記』の本紀でも読んでください。『尚書』舜典でもかまわないが。
(*9)五常は五常の徳を指す。百行は孝に関係する徳行。ここでは広く人間の踏み行うべき諸々の徳を指すと思われる。五常百行など、人が守るべき徳目は数多くあるが(最も大事なものは忠と孝である)の意。この議論は秦山が野中継善に与えた書簡に見える。
(*10)江戸の学者によく見えるが、真潮の場合は秦山以来の学統だろうか。
(*11)この辺り、いかにも真潮(というか南学)らしい発言だと思う。
(*12)言うまでもないが、「始め」「中に」「而して終に」という三段で論を組んでいる。
(*13)三監が叛乱を起こしたとき、既に武王は死んでおり、その子の成王が位につき、周公が摂政になっていた。伝説によると、三監は周公が叛乱を起こそうとしているとデマを流したとされる。『史記』周本紀、ならびに『尚書』金縢をお読みください。
(*14)『朱子語類』巻35(論語、泰伯其可謂至徳章)の弟子の質問の中に見える言葉だが、直接的には『論語』泰伯其可謂至徳章(泰伯篇の冒頭)の朱子の注を指している。
(*15)武王・周公がかの華々しい周王朝を開いた、の意。
(*16)あの武王・周公なのだから、二人を褒めちぎり、二人に叛した三監をぼろくそに貶すのも当然、それが後世に広まった、の意。
(*17)世の博学著名な学者達。
(*18)(武王・周公を褒め、三監を叛とする)間違った考えに因襲して、物事の本質を明察できず、の意。
(*19)権は仮(かり)のこと。事の便宜に出て、しかも道の当然に帰するもの。方便で動いて、正しい結果をもたらすような行い。基本概念なので説明が難しい。
(*20)是と順(三監が殷に従ったこと)、非と逆(武王・周公が殷に刃向かったこと)、が顛倒してしまっている、の意。更は変更の更。変えるの意。要するに、真潮は、君臣の忠を守った三監は立派だが、武王・周公(かれらは聖人だが)はけしからんと言っている。

以上。いかにも真潮らしい議論だった。この手の議論が神儒兼学によく見えるものかどうかは、寡聞にしてよう知らないが、少なくとも秦山以来の家学があれば、この種の議論は可能だろう。真潮の日中比較は、公平とは言い難く、あきらかに日本贔屓だが、当時の日本の学界情況の中でこれを見れば、逆に中国贔屓を補正する役割もあったのかもしれない。

まあ公平な人間などいままでかつて存在しなかったし、現在においてもそうなのだから、思い切って真潮が日本贔屓に走ったのは、これはこれで気持ちいい。ただ秦山には世の風潮に反して、あえて日本贔屓をしている風もあるが、はたして真潮はどうなんだろうか。もうすこし真潮の議論を深く調べる必要があるが、それにはいろいろと前作業が必要なので、今は結論を出せない。真潮を研究するになにが足らないか、というのは、また次回にでも書くことにする。

お終い。間違いがあればご連絡ください。助かります。

テーマ : 読書メモ
ジャンル : 本・雑誌

連絡

2~3日の間、コメントその他をお寄せいただいても答えられませんので、宜しくご了承ください。

諸般の事情で2~3日の間、べつにコメントその他をお寄せいただいても答えられる状態になりました。(22:06)


テーマ : 日記
ジャンル : 日記

『かなめも』第3話

第3話目にしてこれか......第1話と第2話はうまく原作をまとめていたが、改変して話しに矛盾を生んでどうするんだ。

*以下、ネタバレあり。

原作は四コマだから、アニメ化にともなってある程度の改変はやむを得ない。複数の話しを一つにまとめたり、四コマならではの矛盾を解消したりと、アニメ化することでより面白くなることは当然ありうる。しかし、四コマに矛盾がないのに、無理に矛盾を作ったり、勝手にオリジナルを加えて話しを壊したり、というのでは本末転倒だろう。

(1)名前なあに?
かなが始めて美華の名前を知る一幕、原作にも少し無理があるのだが、さらに矛盾を深めてどうするんだ。

この話、原作では、教室でかなと美華が接触、かなは美華が転向してきたことを知る。美華は第2話でかなの名前なども知っており、親しげなのだが、かなは美華の名前を知らないので、「名前なあに?」と訪ねて美華の怒りを買う。ついで先生による美華の自己紹介→ツンデレという流れになる。

確かに普通は、先生による自己紹介→転校生の教室定着となるだろうから、アニメでは原作の順序を変えて、先生の自己紹介→美華の登場→かなと美華の会話→「名前なあに?」となっている。

でもねえ、担任から「転校生の久寺院美華さんだ」と紹介された直後、「名前なあに?」とはならんだろう。これではかなが単なる残念な子になってしまう。

ちなみに原作では、美華の自己紹介に少し小ネタが入る。かなを健全のままにしておきたいのか、残念ながらカットされていた。

(2)かなの笑顔
やはりかなの笑顔は登場しなかったが、これは原作でも同じ。しかし絵が登場しないからか、原作では一発ネタ的に使われており、かなは笑顔のかわりに「泣き落とし」の特技をマスターする。

第3話全体をかなの笑顔で引っ張るのはどうかと思うが、まあそれはともかく、かなの笑顔で全部持って行くなら、みなが恐怖するかなの笑顔を出してもらいたい。それに、かなの笑顔で美華の新聞勧誘活動を邪魔するのは、ちょっとひどくないか?かなに対して。

2009/07/22(追記):
さきほど『まんがタイムきららMAX』9月号(2009年7月18日発売)を読んだら、かなの笑顔が描かれていた。気になる人は雑誌で確認されたし。

(3)勧誘活動および火事
新聞勧誘の話しはアニメオリジナルだが、骨格は原作の集金活動をもとにしているようだった。ちなみに原作の集金活動はかなの笑顔と無関係。

アニメでは、代理の策謀で、ライバル店の勧誘活動を阻止するため、かな(+恐怖の笑顔)と美華は二人つれなって新聞の勧誘活動を行う。案の定、かなの笑顔に恐怖した住人のため、勧誘はことごとく失敗する。と、あるアパートを訪ねたさい、居留守を決め込む住人がいた。なぜか業を煮やした美華は「火事だ!」と叫んで住人に扉を開けさせようとする。

おかしいだろう?

なんで勧誘活動でむりやり扉を開けさせねばならんのだ。この話、原作では勧誘活動ではなく、集金活動になっている。代金を滞納している家なので、美華は「火事だ!」と叫んで、むりやりでも滞納者を外に引っ張り出そうとして、かえって大騒ぎ、という落ちなのだ。

集金なら無理に滞納者を引っ張り出す意味が出て来るが、勧誘ではねえ、美華のツンデレだけで話しを強引に進めるのはちょっと無理がないかい?

そうそう、第2話のときもそうだったが、原作のかなの黒いセリフは削除されていた。「火事だ!」直前のかなの黒いセリフは、作品全体を通してかなの性格付けに重要だと思うんだが、そんなにかなを良い子にしたいのかねえ。

総じて今回はオリジナルネタで水増ししたせいか、密度が薄かったように思う。次回は水着の回か。ほぼ完全にアニメオリジナルだな。期待薄......いや、『かなめも』を成功させるべく、次回は頑張って欲しい。

テーマ : アニメ
ジャンル : アニメ・コミック

夷狄の訳語

数日前のことだが、いきなり昼間に時間が空いてしまい、書店をふらふらしていたところ、普段は見向きもしない岩波文庫のコーナーで『アレクサンドロス大王東征記』という本に目がとまった。この本が出版されたとき、私はまだ院生だったのでよく覚えている。

まあ今の私には読んでも役立てられないだろうし、人生のよすがに読み耽るような歳でもないので、本を開いたこともなかったのだが、時間もあることとて、少しページを開いてみた。すると、内容はともかく、一つ面白い発見があった。夷狄という言葉が目に入ったのだ。

夷狄は中国の古文に頻出する言葉で、「中国」の対義語なのだが、なかなか置き換えの難しい言葉だ。一応は野蛮・外国・未開・無知・強暴などなど、あまり宜しからぬ属性を持つ人々が住む外国を意味することになっている。現在の日本にない概念なので、これを日本語に訳し直すのは厄介で、なんという言葉にするか、頭を絞らないといけない。

ひとくちに夷狄といっても、単に外国のときもあれば、外国とは余り関係なく、野蛮というような意味のときもある。では夷狄のままでいいかというと、現代の日本語で夷狄なんて言葉はまず使わないので、やはり言葉を置き換えないといけないだろうなぁなどと、考えさせられる。

ところがこの『アレクサンドロス大王東征記』、ペルシャ(だったと思う)のある部族か国家に対して、平気で「夷狄」の訳語を当てていた。原語が分からないので訳語の適否は分からないが、訳文だけから考えると、確かに「夷狄」の訳語がピッタリくる文脈だった。

漢文と無関係の文章で、夷狄の文字を見るとは、しかもこのご時世に。漢文を訳す場合、あまり無理して言葉を置き換えないでいいのだろうか、とそんなことを考えさせられた。でも夷狄の訳語を見て、意味が分からない人(高校生以下か?)はきっといるだろうなあ......

テーマ : 読書メモ
ジャンル : 本・雑誌

更新記録

久しぶりにサイトを更新した。『宋史紀事本末』の本文、および若干の補足。ここで連載していた「靖康の変」以前の篇と、残りの二帝北狩、張邦昌僭逆まで。まだ完訳とはいかないが、私の気力が潰えたので、『宋史紀事本末』の翻訳は当面止めにする。更新部分は目次のページ内にとどまるが、小目を挙げると以下の通り。

『宋史紀事本末』:はじめに『宋史紀事本末』の読み方

本文:復燕雲方臘之乱(宋江附) 羣奸之竄金人入寇(1)金人入寇(2)二帝北狩張邦昌僭逆

附録: 『金史紀事本末』関係記事附記

これで仁宗の慶暦改革諸篇と当初から省く予定でいた礼制以外は訳了したことになる。本当は7月上旬に慶暦の改革を終わり、李元昊および治水・塩鉄を7月一杯で終わらせ、気持ちよく『宋史紀事本末』とおさらばする予定だっが、残念ながら時間も足らず、それ以上に私の精神力と体力がもたなかった。しかし終わるという予定を変える気はなかったので、慶暦改革などは放っておくことにする。

慶暦の改革は宋代の政治を語るとき欠かすことのできない政治事件で、およそ宋代らしい議論・政治理論・思考は、ほぼこの改革をめぐる議論に出そろう。改革の大きさでは王安石の新法の方が遙かに大きく、党争の規模でいうと元祐更化や紹述の方が凄まじいが、その基本骨格は慶暦改革に見いだせる。

慶暦聖徳頌はともかく、簡単に言っても、改革の骨子、朋党論、台諫官の活躍、政治文書での格闘、政治運動の仕方等々、およそ宋代らしい話しばかりだ。だから宋代の政治・政争を語るならば、この時期は外せない......が、気力の衰えには適わない。気になる人はむかしの概説書をお読みください。

しかし『宋史紀事本末』の翻訳は間違いだった。もっと話題性のあるものを選べばよかった。でも私の関係する範囲で、話題性のある書物と言われても、残念ながらあまり見あたらない。もっと大きいサイトなら、「どんな古典が読みたいか」的なアンケートをしてみるのもいいが、ここでやっても仕方ないしね。

そうそう、言うまでもないが、ゼミとか宿題に出そうな本は、はなっから翻訳する気はないよ(私に訳せても)。私がブログにもサイトにも、原文と書き下し文を載せないのは、宿題さんをお断りするためでもある。その点、そもそも史料の重要性すら判断できない秦山とか真潮とかは、安心していろいろ掲載している。

ということで、『宋史紀事本末』はとりあえずこれで終わることにした。

テーマ : 日記
ジャンル : 日記

伝記資料索引

あいかわらず谷秦山やら真潮さんやらを調べているのだが、どうも研究分野が異なるせいか、調べ方のよく分からないことが多い。ただ便利本があれば何らかの痕跡を見いだせるはずなのに、それがないのを見ると、恐らく私が求めている便利本はまだ作られていないのではないか、とも考えられる。

私は宋代のことをいろいろ研究していたが、『宋人伝記資料索引』というのが存在する。最近ではこれに『全宋文』というのが加わった。この『宋人伝記資料索引』、宋代の人物を調べる場合、必ずお世話になる索引で、非常に便利なので発売された当時から重宝がられていた。

では『宋人伝記資料索引』はどのような本か。その名の通り、宋代の人物の伝記資料をできるだけ網羅的に、一覧表にしたものである。例えば、「江休復」を調べると、江休復の墓誌銘やそれに言及した史料の一覧が記されている(手頃にぼけた写真が撮れたので、著作権のことも鑑みて、そのままあげておく)。

江休復

伝記資料の収録範囲が今一つ確定的でないのが少し残念ではあるが、ちょっとした有名人の王安石で調べると100種類以上、蘇軾に至っては数頁にわたって伝記資料が挙げられていることからも分かるように、かなり網羅的に伝記資料をあげている。

私としては江戸時代にも『宋人伝記資料索引』のような気の利いたものがないか調べてみたが、どうもないらしい。人物別に号とか生卒年とか別名とかを記したものや、人物の伝記そのものを記したものはあったが、それなりの史料一覧を提示した索引は見あたらず、結局雲をつかむような気持ちで、自分の経験と勘だけを頼りに、秦山やら真潮やらの伝記を探すはめになってしまった。

それともう一つ、これは中国でも出来たばかりの本だが、『全宋文』というのがある。これは宋代の「文」を網羅的に集めたもので、さすがに最近の本だけあって、かなり文を収拾している。ちなみに文というのは、文集の詩以外のものを中心に、やや広く奏議なども含むものである。

従って、『全宋文』を見れば、宋代の人物の文章をほぼ網羅的に調べられる(というか本文を読める)という訳である。『全宋文』を製作するために、各種の資料を収集し、板本間で交換もしてあるので、利用者としてはかなり重宝する(ままミスもあるが)。だから例えば秦山や真潮の文章を読みたい場合、『全江戸時代文』でもあれば、ほぼ網羅的に、しかもすぐ本文を読むことができるはずなのだが、当然ながらこの手のものは存在しなかった。

研究に楽をするのはよくないし、この手の索引などが出たときには意味不明な批判をする人もいたが、常識的に、研究上の資料集が充実しているのはいいことだ。少なくとも研究しやすいことだけはたしかである。だから案外と日本の方にはこの手の本がないらしいことを知り、改めて『宋人伝記資料索引』に感謝する気持ちになった。人間、便利なものが手に入ると、あって当たり前のような気持ちになっていけない。

もっともこの手の資料集は、国家なり権力機関が半ば問答無用的に史料を収拾し出版した方が速くできる。その点、何に付けても権利が優先され、人権が取りだたされる国は、それ自体は褒められるべきことであるのだが(いや、あるからこそ)、この手の資料集を作るのに、驚くほど時間がかかる。まあ、権利を認めれば認めるほど利便性が逓減するのは、よくあることなので、一々驚くにはあたらないのだが。

テーマ : 読書メモ
ジャンル : 本・雑誌

『かなめも』第2話:はじめての、新聞配達

第2話。少し原作を変えているようだが、別に改悪されているわけではなく、話しは綺麗に進んでいた(と思う)。ただし全体的に百合色が強すぎるように思うのは第1話と同じ。原作程度に止めておいてもいいと思うのだが、最近はこういうのがいいのかねえ。そうそうやはり美華は第2話から登場した。美華とかなの話しは原作通りに進めて欲しかったが、今回のだとちょっと肩すかしを食らった感じか。もしかするとあとでつじつまを合わせるのかも知れないので、もうすこし様子見。

もう一つ、原作のかなはタマに毒を吐いたり、黒い突っ込みをする。これが四コマ全体にメリハリを付けているのだが、アニメのかなは単なる良い子になっている。少なくとも今のところは。それで通すのか、生活に慣れてきたら毒を吐き出すのか、よく分からないが、今のところ、このかなのお陰でアニメ全体が「勤労少女のいい話+異常な百合」になってしまっている。毒を吐くかなが好きな私としては、もう少しかなをグレさせて欲しい。

最後に、針宮さんは............礼儀として触れておくべきなんだろうね。

もう一つ、全く知らないアニメながら『よくわかる現代魔法』というのを見た。そもそも存在すら知らなかったこのアニメだが、タイトルを見て、「現代魔法?『無の書』とか、そんな話しでもするのかね?」と思い、とりあえず見てみた。しかし、どうもこれは現代に生きる魔法使いの話みたいですね。

折角なので最後まで見たのだが、なんというか、突っ込みどころ満載だな。番組開始数秒で原作はラノベかと疑ったが、やはりラノベらしい。まあその手の世界にはその手の楽しみ方があるのだろうから、魔法とかキャラの設定をとやかく言うつもりはない。しかしねえ、平凡な日常生活に戻りたくないからといって、命を犠牲にはしませんぜ。智慧ある小学生なら考えれば分かるだろうし、普通の小学生ならなおさらしないと思う。

第1話だけ見た感想として、危ない趣味を持った人だけを狙ったアニメか?とも思ったが、あとでググってみたところ、そうでもない見たいね。まあ原作を知らないので文句をいうのはこれだけにしておく。もちろん本作が好きな人にケチを付ける気は全くないので。

テーマ : 読書メモ
ジャンル : 本・雑誌

しょーもない記録

再び「,」を「、」に戻すことにした。いままで私は漢文(中国古文)に句読を入れる場合、本場のやり方にならって「,」を使っていたのだが、最近は原文に句読を入れることがほとんどなくなったので、日本語で通用している「、」に戻すことにした。不思議なもので「、」でも「,」でも慣れると同じなのだが、「、」を常用してる人間には「,」が気持ち悪く見えるらしい。確かに私もそうだった(ような気がする)。

最近は漢文を読む機会が減った・・・・・・わけでもないが、原文をタイプし、それに句読を入れ、整理したり注釈を加えたりする機会がほとんどなくなった。もちろんそういう作業が嫌いになったわけではなく、むしろ時間があればやりたいとすら思っているが、残念ながら学問で生計を立てているわけでもない私には、かなり厳しくなってきた。

これも遅かれ速かれ敗れていった人間の歩む道ではある。それは分かっているものの、ついに私も原文に句読を入れなくなったんだなと思うと、なんともなくもの悲しい気持ちになることだけは否定できない。何にせよ世の中うまくいかないですね。いや、それも私の努力が足らないからか............今の世の中、漢文が読めても何の訳にも立たないからね。

テーマ : 日記
ジャンル : 日記

カレンダー
06 | 2009/07 | 08
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -
プロフィール

awatan

Author:awatan
HN:江藤清通
かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

自営サイト
最近の記事
カテゴリー
リンク集
全記事表示

全ての記事を表示する

FC2カウンター
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。