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『かなめも』第9話:はじめての、ダイエット?

みんなすごいなあ。よく毎回毎回おなじアニメの感想かけるよ。私なぞ一つしか感想書いてないのに、もうクタクタ......

それはそうと、『かなめも』第9話の感想。

食欲の秋。食の進むかなは、ついつい食べ過ぎて太ってしまう。そこでみなの提案を受け入れてダイエットを開始。はじめは犬の着ぐるみを着て新聞配達に出るが、ひょんなことから友人宅の犬と遭遇。一日だけその世話を頼まれる。なぜか美華もこの騒動にまきこまれる。かなと美華は配達所のメンバーの助けをかり、世話を兼ねて犬と遊ぶ。犬は美華になついてしまい、そこから怒濤の美華の過去へと話しが続く。

ま、犬をダシに美華の過去を語ろうというシナリオなのだろう。でもアニメの犬なんだから、もうすこしかわいい犬かどう猛な犬の方がインパクトがあったと思うが、なぜか一般家庭に飼われていそうな程度にかわいい犬だった。その他、販売所の職員はそれなりに活躍するが、さる事情で、はるかの出番は少なかった。美華の過去はおおかたの想像どおり、超金持ち→貧乏という展開らしい。

以上、全体的に明るく、終盤は美華にまつわる湿っぽい展開になったが、やはり締めは「ちょっといい話」だった。

毎度のことながら、一応原作と比べておくと、原作にもダイエットの話しはあるが、それは代理だけのことで、展開も黒い(第2巻中頃)。かなはダイエットをしない。犬の話しもない。美華の過去は、原作ではまだ語られていないし、本当に貧乏かどうかも実は不明。

次回予告を見る限り、次はゆめの実家が語られるらしい。いよいよ最終回に向けての処理に入ったようだ。でも、普通は登場人物の過去が明らかになってから、ようやく本当の意味で物語が始まるものだと思うんだけどね。


そういえば最後のはるかのシーン、時系列的にどこに入るのかな?警察署直前のシーン(モンブランのシーン)では、ひなたの横(代理側)に青い髪の毛が見えるので、はるかは販売所にもどっているのだろう。だとすれば警察署のシーンは時間的におかしくないか?それにもしはるかが警察署にいるなら、販売所のみんなは心配するだろうし。私の見間違いかな。


TB先:
http://reilove.blog51.fc2.com/blog-entry-3478.html
http://hyumablog.blog70.fc2.com/blog-entry-1070.html
http://soraxcan.blog59.fc2.com/blog-entry-1076.html
http://ameblo.jp/norarin-house/entry-10332306772.html
http://seraraku2.blog59.fc2.com/blog-entry-3774.html
http://blog.goo.ne.jp/cuzmachupichu/e/b8e5ef8892b12e4ad6c9823a2aae9f62
http://blog.livedoor.jp/koubow20053/archives/51297181.html
http://coffeemonster.at.webry.info/200908/article_58.html


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テーマ : アニメ
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こんなものが出版されるとは

たまたまネットで書籍を調べていたら、次の本が見つかった。こんな本が出版されていたとは。しかもつい最近のことじゃないか。

保建大記打聞編注保建大記打聞編注
(2009/06/17)
杉崎 仁

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『保建大記打聞』は栗山潜鋒の『保建大記』の打ち聞きの謂いで、谷秦山の著。『保建大記』の保は保元、建は建久を指す。保元の乱から後白河法皇崩御までを春秋の筆法を用いて記述することで、尊王の立場を闡明したもの。水戸史学の一産物。

世の学界から孤立していると思っていた秦山は、本書を読んで同好の士の存在に感動し、その解釈(講義)を施したと言われている。その国粋思想が称賛されたのか、戦前に『日本国粋全書』に収録された。もっとも本書は栗山氏若かりしころの著書で、対する秦山はずいぶんいいオヤジになっていたはずなのだが......

『保建大記打聞編注』は「原文通りの忠実を期し精確に翻刻したうえで、懇切な注釈を付す」(bk1の内容説明)ものらしい。どんな本か気になるが、値段が値段なので購入は諦めた(bk1では購入可能)。

秦山の序文が有名なので、そこだけあげておく。

師曰く、吾も人も、日本の人にて、道に志しあるからは、日本の神道を主にすべし。其上に器量気根もあらば、西土(もろこし)の聖賢の書を読みて、羽翼にするぞ。ならば上もない、よき学なるべし。是れ舎人親王の御本意、恐れながら吾等内内の志也。然るに今の神道者は、西土の書にうとくて、文盲なり。儒者は人の国をひいきし、吾が国の道を異端のやうに心得てそしり、各異をたてて湊合根著せず、学風が薄く猥りにして、見るに足らぬぞ。吾これを憂ひ、内内同志と講習して、天下の学風の助にもなる様にしたいと思へども、山崎先生は過ぎ去り玉ひて久しく、浅見安正は晩年神道に志は出来たれども、やうやう一両年の内卒去めされて、うしろだてにすべい先輩なく、其外名ある学者たち、多くは斉の国魯の国のせんさくを第一にして、吾が国に懇切なる志なく、又は神道を尊敬はせらるれども未伝授なり。其外は詩文の浮華にめで、どれもこれも取るに足らぬぞ。平生是をきのどくに思ひをりたに、このごろ不慮に此の書が出たぞ。是ほど珍重なことはない。古今めずらしい書ぞ。是こそ神道を大根にして、孔孟の書を羽翼にしたと云ふものぞ。さるによつて吾れ事の外信仰する。過ぎ去つた人なれども、甚だ味方に思ふて、此の講席を開くぞ。別して本望千万ぞ。栗山氏の師授淵源はしらねども、両巻とも論に間然することはないと見へた。先賢にも愧ぢぬ見識、後学のよき矜式なり。日本の学者は唯この様に学問をしなすべいものぞ。千万祈祝の至り也。



(*追記)2010/01/16:実物を見た。

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谷秦山「窒慾箴」

谷秦山「慾を窒ぐ箴」(五箴の一)

人の本心、虚霊知覚。之を昏(くら)まし之を乱る、惟だ欲 是れ椓(*1)かす。七情の蕩(うご)く、欲 之が主と為る。何をか欲と謂う。曰く目、曰く口。古人又挙げて曰く、財・色・酒と。一も向かう所有れば、蠹蝕浸淫し、細微に暗長し、幽闇に潜滋す。天を誣い人を欺くは、毫末の汙瀆。倫を斁(やぶ)り化を害うは、一念の穢濁。大易に訓有り、「惟だ窒ぎ惟だ塞ぐ」(*2)と。仲虺に誥有り、「邇(ちか)づけず殖(ふや)さず」と。寡よりして無に至るは、養心の則。力を用いて已まざれば、己 克ち礼 復る。嗟、予小子、気質昏憸。七情の熾、奔水 歛(おさ)め難く、五欲の犯す、渓壑 詎ぞ厭わん。黙して既往を念えば、肝膽 焚くが如し。噫、人にして禽、甚だしき不仁。之を思い之を思い、而して又之を思い、務めて三惑を窒ぎて、式て四知に質せ。

『秦山集』45(五箴)


(*1)原文:椓の木遍→手偏。「そそのかす」の意。
(*2)典拠不詳。

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弟子

前から気になっているのだが、『崎門学脈系譜』(リンクは「黙斎を語る会」内)は、なぜ谷垣守を三宅尚斎につなげているのだろう?どう考えても秦山から垣守につながるはずなんだが。恐らく尚斎側に尚斎と垣守の関係を示す資料があったのだろうが、ちょっと強引じゃないだろうか。垣守以来の谷氏に、尚斎の学統を引いたという意識は全くないだろうに。もう一つ、系譜では真潮の下に景井が来ている。系譜そのものが指摘するように、景井は好井の息子だから、ここのつなぎ方もおかしいと思う。

ちなみに垣守の下の下に見える宮地静軒は、もともと秦山の弟子で、秦山の没後に京都で尚斎の世話になったらしく、京都では尚斎の弟子と見なされていた。その息子の春樹は京都留学時代に西依成斎に習ったためか、系譜では成斎の下に配されている。これは他の本でもそうなっているので妥当なんだろう。春樹の息子の水溪(仲枝)は、家学と見なされたのか春樹の下にあるが、仲江は真潮の弟子なので、真潮の下につないでもおかしくない。仲江の下の安並惟斎(雅景)は真潮の娘の子供だったはずで、ほとんど真潮の弟子のような人間。

一本の線で繋げられた系譜は見ていて分かりやすいが、それで実情が正しく分かるはずはない。そもそも、なんでもかんでも一本の線でつなごうというのが間違いのもとで、個人も集団も、人間そう簡単に関係づけられたものではない。分かりやすいものは、大概なにか重要なものを切り捨てている。

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近況など

ようやく『まんがタイムスペシャル』の今月号を手に入れた。巡回先のブログで知って衝撃を受けたのだが、今月号は「たまこさん」が表紙巻頭カラーなのね。もう雑誌買わなくていいのかな?と思ったが、来月からちるみさんにもどるらしい。いや、「たまのこしかけ」は好きだけど、雑誌の購入とは別ものだというだけですよ。

それはそうと、今月号から「恋愛ラボ」が移籍し、来月から「あつむトイタウン」が移ってくるらしいのだが............ちょっと雑誌カラー変わりすぎでは?「恋する乙女応援マンガ誌」がキャッチフレーズのはずじゃなかったか?と思った矢先、ふと雑誌の上辺を見ると、いつのまにかキャッチフレーズが「笑顔をチャージ!エンタメスペシャル!!」に変わっていた。

知らなかった。ちるみさんが移籍してから、「恋する乙女」というよりは、少しずつエンタメ系の四コマに移行していると思ってはいたが、キャッチフレーズまで変えたのね。調べて見たところ、今年の7月号から「笑顔をチャージ!!わくわくスペシャル!」に代わり、8月号から今のキャッチフレーズが定着したらしい。まあ、なんというか、私はちるみさんさへ載っていれば講読するけどね。そうそう、今月号のちるみさんのカット絵もかわいかった。


話変わって、最近は前に書いた(と思ふ)論文の構想やら執筆やらをしているため、どうも春秋関係の記事を書きにくい。むかしから私は似た傾向のものを同時に複数処理すると頭が混乱する。私の駄目なところなのだが、こればかりは鍛え方が分からないから、なんともしようがない。だから春秋学関係の論文を構想しているときに、同じ春秋学の別記事を書くと、驚くほど頭が混乱してしまう。というわけで、最近はなかなかそちらの記事が書けないでいる。

しかしどうでもいいことばかり書いているのもつまらないので(私がね)、なにかないかと思いつつ、秦山先生の『秦山集』でも読むかねと思ったり、尚斎さんの『黙識録』の方がいいだろうかと思ったり、はたまた宋代の歴史のことでも書こうかと思ったり、いろいろ思案している。『秦山集』は感動的な本だが、そう思うのは世界で数人だろうし、『黙識録』は冒頭が死ぬほど面白くないからなあ。ちょうど『近思録』の道体篇のような部分で、私にとって苦痛以外のなにものでもない。

かといって宋代関係の記事も、あまりいい案が浮かばない。なにせ私が好きなものは世間様が嫌がるし、世間様が受け入れてくれるものは私が嫌いだ、という苦しい対立状態だから。私など北宋の歴史で一番面白いのは、章惇が粛清しまくった時代だと思っているが、寡聞ながら、私と同じ気持ちの人間にであったことがない。宋代というと、最初期か、さもなくば水滸伝か、変わったところでは王安石とか司馬光が人気らしい。それも符彦卿は知事に任命されたとたん略奪しまくったとか、そういう面白いはなしではなく、戦争か仁政かそんなあたりらしい。

ということで、世間様と我欲を両立させるべく『宋名臣言行録』の簡単なところを取り上げてクサして見ようかなと思ったりもしたが、いざ読んでみると意外や意外、なかなかいいことが書いてあって、クサすほどのものが見あたらない............世の中思い通りにはいかないですね。でも、あれこれ悩んでいる中、一つだけ確実に言えることは、『宋史紀事本末』の続きだけはやらないということだ。あの本はもう二度と見たくない。


ふたたび話し変わって、『浪漫ちっくストライク』買った。『大正野球娘。』のOP。というか、CDを買うこと自体、数年ぶりのような気がする。

『大正野球娘。』は『かなめも』と違って原作を知らない分、アニメだけ見て喜んでいるわけなんですが、登場人物がかわいくていい。............と書くと変態のようだが、変にすねた人間もいないし、脇役の男性諸君も正直なので、見ていて気持ちいいというところだ。晶子さんがだんだん間抜けになってきたのもいい感じ。もっとも、私は静をメインに見ていたので、最近出番が少なくて残念に思っているところはあるんだがね。

『かなめも』はなぁ、どんな話しでもできる人物設定なんだから、面白くする要素はいくらでもあったと思うのだが。ま、アニメはともかく、単行本の第3巻は予約した。


浪漫ちっくストライク浪漫ちっくストライク
(2009/07/22)
小笠原晶子(中原麻衣),川島乃枝(植田佳奈),宗谷雪(能登麻美子) 鈴川小梅(伊藤かな恵)鈴川小梅(伊藤かな恵)

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変人

日本や中国の儒学者の本を読んでいると、「偉い先生に質問してまわったが、まともに私の質問に答えられる人はいなかった」という表現に出会すことがある。この種の人間はたいてい変人に属する人々だが、私はむかしからこの種の言葉が気になっている。

これに対して、むかしは「偉い人は違うね~」と思っていた。しばらくして、「けっ、偉そうに、お前の頭が悪いからだろ」とひねくれた考え方になった。さらに時間が経つと、「価値のない発言だから無視しよう」と思うようになった。そしてもっと時を経ると、「根本的な意見が違えば、だれしも満足いく答えは得られないだろう」と思うようになった。

このように考える時期によっていつも所感が変わっていくのだが、最近では、質問の内容に問題があったのではないかと思うようになった。人間だれしもそうだが、専門家の場合、質問とその応答にはいくつかのパターンがある。そのパターンの中で、どれほど正確で深い言葉を発せられるかが、その人間の優劣を分ける。

しかし変人が質問する場合、このパターンを無視するときがある。悪く言えば、非常識な質問ということになるし、よく言えば、既成の価値観にとらわれない、斬新な発想を提示したということになる。したがって変人が質問すると、頭の良い人間ほど返答に困る。

例えば、歴史の研究をする人間は、正面の論理では、現在から未来を見据えつつ、その必要とする事項の解明を、歴史的に説明することを目的とする。この目的をより正確に実施し、そこに価値を感じ、相即できる人間のみ、歴史の研究を継続できるし、その目的下に生まれた成果にのみ評価が与えられる。

ところが変人はこれに対して、同様の行程を実施し、専門的技術を持つにも関わらず、その行為の価値を否定する。正面の論理以外の目的のために歴史の研究はあるはずだから、別の目的を提示しろと迫るのである。優秀な学者とは、目的を正確に実施する能力を持つ人間を指す。したがって、目的外の目的を迫る質問者には、答えを窮するのが普通だ。

平たく言えば、歴史的研究をする技術を持つにも関わらず、「私は歴史に価値を感じている。しかし現在の歴史学には価値を感じない。だから私は別の研究価値を提示したい」と変な質問と提案をすることになる。したがって変人の質問は、停滞した価値観や思考回路を破壊するとき、極めて有効に働く。

しかし変人の有効性は既成の価値観を破壊するときだけで、建設的なところにはあまり役に立たない。変人は少数者で、少数者の常識を持った人間たちだ。だから少数者の中だけで通用する常識を振りかざせば、常識人の盲点を衝くことはできる。しかしそれと同時に、ひとたび常識が突き崩され、新たな常識が再構成されるときには、もう変人は用済みなのだ。少数者の常識は、多数者にとって苦痛なだけだから。

妙ちきりんな質問をする変人の名が残るのは、たしかに時代の激変期に多い。あるいは変人は、世の中の非常事態のため、いつも一定数ストックされている、迷惑ながら必要な存在なのかもしれない。と、思いつつも、結局多数者に相即できない少数者は、外れ者の運命なのだなぁと、わびしくも思ったりもする。

そういえば前にも変人について妄想を書いた気がする。

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『かなめも』第8話:はじめての、思い出話

今回は代理の過去を扱ったはなし。ほとんど回想シーンなので、かなの出番はあまりなく、美華は登場しない。「ちょっといい話」で終わるのも、いつもの通り。ただし代理とかなの会話中に、「いずれみんな販売所を出て行く」などの言葉が出てきて、最終回に向けての伏線らしきものがはられているもよう。ために少し暗い(切ない)。

もう感想らしきものもないのだが......やっぱりこっちの路線を維持するのね。いい話をするなとは言わないが、いい話というのは、体感的な時間が必要な場合が多い。全13回の全てを使って、最後にいい話を持ってくるというのは気持ちのいい終わり方だし、全13回の中、たった1回だけいい話があれば、光るものを感じもする。しかし毎回毎回いい話を押しつけられると、大概飽きてしまう。

限られた登場人物で、限られた展開で、いい話を作るとなると、パターンが限られるのは当然で、見ている方は展開を見る前から、いい話の結論が見えてしまう。これではせっかくのいい話も功を奏さない。なんとか頑張って欲しいので、文句は言いたくないが、やはりもうすこし頑張って欲しい。

そういえば『かなめも』のDVDをどうしようかと思ってAmazonを見たところ、熾烈な争いが続いているようですね。少数ながら。アニメは娯楽だから、面白いと思えばそれだけで価値がある。だから面白いと思えた人は、それで十分のはずだし、そう言う人は高評価を付けるだろう。でも、特別に面白みを感じなかった人は、他の面白かった(というか、人気のあった)アニメと比較して、本作の優劣を決めるだろうから、高評価の人も低評価の人も、おのおの言いたいことはそれなりに分かる。

私は『かなめも』の原作(四コマ)が好きだが、正直なところアニメ化されるとは思っていなかった。石見さんの四コマは面白いと思うが、どちらかというと安定的に面白いという面白さで、あまり爆発性がないように感じるからだ。

特に『かなめも』は、ロリ、ボクっこ、百合、ツンデレ等々、人気のある全てのキャラクタを集めることで、どんな状態になっても対応できるよう設定したのだと思う。だから常に一定程度の面白さは維持しているが、その代わり、独創性が薄くなってしまったように見える。

それでも原作は黒いかなが登場したり、きつい突っ込みがあったりと、それなりのメリハリがきいているが、アニメ化でそれを根こそぎ斬り捨ててしまっては、全体的にどこかで見たような話しばかりになるのも無理はない。とはいえ、いい話をやめて、もっとおちゃらけた話しをすれば面白くなったかと言えば、それはそれで疑問があり、もしかすると全く面白くない話しになった可能性もある。

アニメ化するなら、『かなめも』よりも、前作の『スズナリ!』の方が成功したと思うが、『スズナリ』は随分むかしに終わってしまったし、これも運りなんだろうね。関係ないことを長々書いてしまったが、要するに、今回もいつもと同じ、ちょっといい話だった。

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秦山先生の墓

秦山先生のお墓。夏に行ったせいか、道には草木が生い茂り、そばにはでかい蜂が通ったりと、ハラハラしました。幸い蛇はでませんでしたが。なにはともあれ、これで念願の秦山先生のお墓に詣でることができました。

谷秦山(1663~1718)、名は重遠。土佐南学(海南朱子学)の泰斗として日本思想史上にその名を止める。秦山は、日本人でありながら、日本の学問や歴史をなおざりにし、西土(中国のこと)の学問に心を奪われた当時の知識人を批判し、日本人は日本人の学、日本の学を修めなければならず、あらゆる学問はその羽翼として処置すべきであると主張した人物で、一種の国体観念の持ち主として知られる。このため戦前はこの方面で随分評判が良かった。

しかし秦山の偉大さそれに止まらず、日本の学が何であるかをみずから解明しようとした点、次世代を担う多くの(土佐の)人材を育成した点、深刻な自己批判による人間の本質を直視した多くの発言を残した点など、多々存在する。特にその晩年12年を無名の罪によって閉門蟄居を命ぜられ、不遇のうちに命を落としたにも関わらず、秦山は甘んじてそれを受け入れ、人として正しい道を追求して止まなかった。秦山の誠実な生き方は、現在なお学ぶべき点が多い。

というわけで、私は秦山の御墓に一度は詣でたいと思っていたのだが、この度その念願を果たすことが出来た。日頃から写真を撮ることがないので、下手くそなものになってしまったが、記念に写真でも貼り付けておきたい。以下、私のたどったルート。

(1)高知駅から在来線に乗って土佐山田駅に向かう。本数はあまりないが、のんびりした田園を楽しみながら、だいたい20分強で到着する。

(2)土佐山田駅には小さいながらキヨスクとパン屋がある。パン屋には休憩場所(パン購入者限定)があるので、ちょっとした食事ができる。

土佐山田駅から車か徒歩になるが、歩いても20~30分で到着する。私は歩いて行った。


大きな地図で見る

土佐山田駅からは目印が少ないので分かり難いが、まず土佐山田小学校前の踏切を越え、そのまままっすぐ大きい通りまで進む。大きい通りに出ると、「さくら動物病院」を目指して右に進む。病院前には看板が立ってあるし、周囲に建物もあまりないので、見落とすことはないだろう。

その「さくら動物病院」から太めの道を北上するのだが、途中に一度だけ左手に折れる道があるので、そこには入らず、そのまま直進する。ほどなく左手に秦山公園とレジャー施設が、右手に墓地が見え、そこをさらに進むと、いよいよ秦山墓所の入り口に到着する。

(3)いよいよ秦山墓所へ

zinzan06


秦山墓所前の通り。

秦山墓所前の通りは、普通の墓地に繋がる舗装された道路と、草の生えた道があるが、秦山墓所は左手の未整備の道を進む。

秦山の墓05

↑お墓への道(1)

なんだかすごそうな道ですが、距離はたいしてありません。普通に歩いて1~2分程度です。

秦山の墓04

↑お墓への道(2)

もう少し進むと、秦山のお墓が見えてくる。草の生えた通路とはいえ、それなりに整備された跡がありましたので、定期的に掃除されているのでしょう。

秦山の墓03

↑秦山のお墓周辺。

秦山の墓01

↑秦山先生のお墓。

秦山の墓02

↑墓石を拡大した写真。

墓前の告文によると、秦山先生の御墓祭は毎年二月の第三日曜日、午前十一時から斎行されるそうです。ということで、全くの時季外れにお参りにいった私でした。

秦山の遺言で、墓は不必要に大きくせず、質素に作られていました。偉大な足跡を残した人物のお墓とは思えないほどこじんまりとしていましたが、そこがまた質素を重んじた秦山先生らしいとも言えます。

ここでしばし秦山先生のお墓に黙祷をささげ、元来た道を引き返したのでした。


追記:
「土佐の歴史散歩」というサイトにも秦山先生の御墓の写真が掲載されています。そちらは春の写真らしく、写真の写りも綺麗です。

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後半戦

そう言えばこのFC2ブログ、「ランキングを確認する」が標準で設置されたらしい。増やされて困るものではないが、そもそもこれ、何が基準なんだろう?利用者に分からない基準を設けられても、ランキングの意味が分からない。

それはともかく、日本では議員の選挙活動にネットを使うのはいけないらしいのだが、もし一般人が勝手に無関係の候補者に肩入れして、大々的にネットで応援したらどうなるのだろうか?

もちろんその候補者が応援人に助成を依頼していれば違法だろうが、全く無関係の人間(例えば選挙区外の人間とか)が応援し、それに他の人間が呼応し、大きい選挙運動にでもなった場合、これも違法なんだろうか?

もし適法であれば、いちいち公職選挙法の改正なんて待つ必要もなく、ネットの選挙運動は解禁されるだろう。だれかが無関係の人間達から応援され、徹底的に有利になれば、不公平は嫌なものだ、おのずと選挙法も改正されるだろう。

まあ適法か違法かは調べればすぐ分かるだろうが、根本的な一つの問題から調べる気になれなかった。即ち、そこまでして応援したい候補者は一人もいない。応援したい人間がいないのに、違法か適法かなんて興味が湧かないものだ。

基準というのはかなり無理が利く。だから最近の技術を使ったいろいろな選挙方法が違法だというのも、それなりの論拠はある。というよりも、論拠は作るものだから、違法だと言おうと思えば違法とすべき論拠は作れるだろう。

しかし基準は世情をもとに作られ、世情は変化するものだ。ならば世情の変化とともに、基準も変えなければならないだろう。ここらが難しいところで、昔風にいうと、風俗の頽廃を是認すると、風俗そもものが頽廃するとも言い得る一方で、それは頽廃ではなく進展なのだから、進展した風俗に基準を適応すべきだとも言い得る。

平たい話し、常識と乖離しすぎた基準は、基準の基準たる根拠を失うというだけのはなしだったりする。よしんば基準を守るにしても、それが何をもとにした基準なのか、あるていど納得できるように説得できないといけない。駄目なものだ駄目だ――では、人智の進んだ我が日本では納得されまい。

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左氏伝の流行

竹内照夫氏の『春秋』は春秋学の解説書として立派な本だと思っていたが、読み直してみると、あちらこちらに誤植があって、ちょっと問題だということが分かった。専門家を相手にというなら、誤植は自分で発見しろ!と強気に出られるが、普通の人を対象に入門書を出して誤植が多いとあっては、あまりいただけない話しだ。それも固有名詞を間違えるのはよくない。

その誤植の件はともかく、読んでいて少し気になるところがあった。48ページ以下に、春秋三伝の中、我が国には左氏伝が流行し、公羊傳と穀梁伝は流行しなかったという説明がある。まあ事実としてはそうなんだが、竹内氏はそれは単に江戸時代だけでなく、古代からそうなのだと、理由を次の3点に求めていた。

1.公羊と穀梁は漢族の社会正義と国家理想を本意とする学説。したがって、他国民は共感しない。
2.公羊は革命を是認しており、我が国体と一致しない。
3.公羊と穀梁は表現が理屈っぽく粗雑で、美文主義の傾向が強い我が国古代人に受け入れられなかった。

だから養老令に公羊と穀梁が取られなかったというのだが、これは本当だろうか?

我が国に於いて、公羊と穀梁よりも左氏が流行したというのは事実だと思う。しかし養老令が発布されたころは、中国は唐で、その時代はほぼ左氏伝独尊の時代だった。もし日本が純粋に中国で流行している学説を輸入しただけとするなら、公羊と穀梁がなおざりにされても不思議ではない。

もう一つ、なるほど確かに我が国には江戸時代にも左氏伝が流行し、公羊と穀梁はほとんど無視されていた。それを証拠に、左氏伝は優れた注釈が多く作られたのに、公羊と穀梁はわずか林羅山の訓点があるに過ぎない。無知蒙昧の古代はともかく、我が国の知識人が取捨選択した結果、やはり左氏伝が選ばれたのだ、とは言い得るかもしれない。

しかし忘れてならないのは、江戸時代に流行した春秋学は左氏伝のみでないという点だ。江戸時代には胡安国の『春秋伝』が輸入され、それなりの猛威を振るったのである。特に道学者の間では。だからかつて『五経索引』が作られ、その本文が別冊として掲示されたとき、春秋経文は胡安国の『春秋伝』から採用されたのである。

さらに付け加えるならば、我が国で左氏伝が読まれたのは確かだろうが、その読まれたところの左氏伝は、春秋学の解釈書として読まれたのか、それとも単なる春秋時代の歴史書として読まれたのか、いずれか?おそらくその両者を含んで読まれたのだろう。ならば我が国で流行した左氏伝をもって、春秋学という学問に関わる本の中、左氏伝が最も好まれたと言うのは、やや言い過ぎの感を免れない。

と、たいしたことではないが、読みながら気になったので、備忘録がてらに書いておくことにした。そうそう、言うまでもないが、私は春秋三伝の中、穀梁伝が一番好きだ。


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奇縁・偶然・衝撃

少し前に終わった深夜アニメの「けいおん」。まだはやってるのかな?実は2,3日前、1日に3度も「けいおん」にお目に(?)かかったのだ。

1回目の遭遇。

所用でとあるショッピングセンターを歩いていたときのこと。エスカレータで楽器屋の前を通ると、何気なく聞き覚えのある音楽が............言うまでもなく「けいおん」OP。しかし専門の楽器店がアニメの曲かけてていいのかね?と思いつつ、気づくと必死に音を追っている自分がいて苦笑した。

2回目の遭遇。

その日の昼間。人通り少ない住宅街を歩いていたときのこと。家の補修に精を出す体格のいい兄ちゃんたちがいた。この暑いときにすごい体力だなと感心し、足早に横を通り過ぎようとすると、なにやら聞き覚えのある曲が............言うまでもなく「けいおん」のある曲。こんな兄ちゃんが聞く曲なんだと感心しつつ、ふと気づくとずいぶんゆったり歩く自分がいて、またもや苦笑してしまった。

3回目の遭遇。

その日の夕方。地下鉄にのって家路についたときのこと。運よく始発の電車に乗れたのだが、横の座席に私より少し若めの女性が腰を下ろした。失礼しますとばかり黙礼されたので、こちらも心なし頭を下げたのだが、そのとき目に入ったのが............「けいおん」の四コマだった。まあいいけどね。でもそんなに必死に読まなくていいんじゃないかと、内心思ったのは秘密だ。

それにしても「けいおん」人気だなあ。私なんかアニメが終わったら早速忘れてしまったのに。まあ、あずにゃんはかわいかったが。


ちなみにその日の夜、帰路の途中で書店によったのだが、横の方で2人の男女が私に聞こえるくらい大きい声でヒソヒソ会話していた。男性が女性に本を薦めたらしいのだが、女性氏曰く、「え~、活字はいや~、ケイタイ小説なら(ごにょごにょ)」。

............よもや「けいおん」か!と思ったが、その女性は『けいおん』の横の『かなめも』を手に取った。『かなめも』を推している私が、内心ガッツポーズをしたのは言うまでもない。

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古めかしい最近の本

図書館で見つけたのだが、横田達雄氏の『武市半平太と土佐勤王党』という本が出版されていたらしい。奥付から察するに、平成19年の私家版で、土佐史談会(高知県にある学会......だったと思う)がバックアップしたらしい。東京龍馬会のサイトに紹介ページに以下のような一文が掲載されている。

併せて、大正末期以後今日までの"八十年間"、我が国の"維新史研究者"なるものの、"マルクスかぶれ"、"言葉遊び""ごっこ遊び"、又、"文章読解力"の"低劣"は"世界"に恥づべき"醜態"なるを"快摘"す。


文中の""は本文のママ。というか、この短い文章と全く同じように、本文も""が溢れている。本書は最近の本なので、紙質はいいし、活字も綺麗なのだが、なんというか遠い時代を思わせる書き方にちょっとびっくりしてしまった。確かに戦前にはこの種の本はたくさんあった。

著者氏の言うところによると、アカデミックな世界で活躍している学者は、まともに資料を読んでいないので、自身が資料を精読して、武市半平太の歴史的価値を明らかにしようとしたらしい。たぶん著者氏は学者の妄説の原因をマルクス主義に見たのだろう。

正直なところ、私はマルクス主義が原因というには、既にマルクス主義は死に絶えていると思う。恐らく著者氏が苛立ちを覚えたアカデミックな学者の妄説の原因は、マルクス主義というよりは、日本の歴史学のもっと奥深いところにある何か、――いままで幾多の人間がそれに挑戦して、結局解明できなかったところの、日本と西洋を分ける或るモノだと思う。

それは日本人に深く根を降ろしたものだけに、他者の存在を前提としない日本人には自明であり、他者の存在を認識した日本人にしてようやく発見し得るものであり、しかもその差異を認識した日本人は、他者の存在を前提としない日本人にとって異質であるが故に、如何なる説明も虚偽に見えるという厄介な、そういう或るモノではないだろうか。

それはそうと、なんでも著者氏は当用漢字はけしからんと云うのだが、氏のいう当用漢字とは何を指してのことだろうか?当用漢字という四文字そのものが、すでに当用漢字であることは、漢の旧字体が通常より一画多いことからも分かる。本書一冊、当用漢字が夥しく存在したように思うのだが、どうなんだろう。それとも当用漢字以外の漢字も使うという意味だったのだろうか?それなら確かにいわゆる外字がふんだんに使われていた。

しかし敢えて当たり前のことを云っておくと、漢字は外来語であって、日本語ではない。日本の伝統がどうのと話しを進めるなら、当然ながら漢字の是非が問題となるだろうし、そうなれば当用漢字どころの騒ぎではない。

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鍾文蒸・廖平

中華書局の清人十三経注疏に穀梁伝の注疏が二つ挙がっている。一つは有名な鍾文蒸の『春秋穀梁経伝補注』で、穀梁伝を読むときはふつうこれを使う。しかしこれとは別にもう一つ廖平の『穀梁春秋経伝古義疏』がある。これは影印本があまり流通していないこともあって、利用する人が少ない。

よく言われるように、鍾文蒸の『補注』は范の注を基礎に、穀梁伝に即し、解釈に役立つ先人の研究(穀梁を褒めたところだけ)を片っ端から引用する。おかげであの薄い穀梁伝が、ぶっとい本になってしまった。便利ではあるんだが、猥雑というので批判されることもある。

これに対して廖平の研究は清末の今文学(廖平は今学という)の影響を受けている。この一派は特殊な研究方法をする。まず漢代の経学は大きく今文と古文があったとみなす。そして今文と古文は全く別個の学問であり、両者の経文解釈は別個のものだと考える。

穀梁伝は今文だから(一部に古文という人もいるが)、穀梁を解釈するには、今文学説による必要がある。ところが范はなにも分かって折らず、今文も古文もごちゃまぜにして解釈している。全然なってない。だから范の注はすべて無視して、改めて今文の注釈書を作る必要がある。

しかし困ったことに范より古い穀梁伝の注は現存しない。ではどうするか?さきほど言ったように、今文と古文は別個の学問である。両者の学問が別個なら、古文の学統を受けた学者は古文の、今文は今文の解釈しかしないはずである。だったら今文の系列に属する学者の著作や発言から、穀梁伝に関係ある部分をを片っ端から集め、それを一まとめにすれば今文で穀梁伝の注を作れることになる。

幸い前漢に劉向という人がおり、この人は穀梁伝を受けていた。ならば劉向の春秋に関する発言は、すべて穀梁伝の学説のはずだ。なら劉向の遺著から春秋に関する発言をあつめて、経文の下に排列すれば、穀梁伝の正しい注の骨格はできあがるはずだ。

と、そこで廖平は『説苑』あたりから春秋に関する学説を片っ端から集め、さらに『漢書』や経書の疏から穀梁学説を引っ張り出し、上の本をつくった。今となっては廖平の学問的立場が間違っていると言わざるを得ないが、注釈の方法が極めて謹厳なのは認められる。ある種の見方からすれば、鍾文蒸の『補注』よりも解釈に一貫性がある。

ただし廖平は穀梁伝に素王説があったという学説を立てている。素王説は公羊独特の思想なのだが、廖平は『漢書』の注(一箇所のみ)に素王の文字がある、現在の穀梁伝にはないが、きっと来歴あるもののはずだ、と断定して、勝手に穀梁伝の学説に素王説を組み入れたりしている。

その他にも穀梁伝と『礼記』王制は完全に一致すると発言し、王制の礼制を直接穀梁伝に当てはめて解釈しようとする。たしかに廖平の指摘によれば穀梁伝と王制は矛盾しないのだが、一致するかどうか、疑問の余地は充分ある。

全般的に廖平の穀梁伝解釈は無理が多い。だから普通に穀梁伝を読もうと思えば、鍾文蒸の『補注』の方が便利だ。しかし范以前の穀梁解釈に迫りたいと思う人には、廖平の解釈も悪くない。むしろ知的な挑戦として楽しめる。


(*)穀梁伝が古文だというのは、崔適の『春秋復始』がその始めで、王樹栄『紹邵軒叢書』に受け継がれた。最も有名なのは張西堂『穀梁真偽考』。戦前までは有名だったが、既に過去のものになったようである。

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法術先生の生兵法

ここ10日の間、時間の隙間を見つけて本田済訳の『韓非子』 (ちくま学芸文庫)を読んでいた。原文で読めと言われそうだが、私の数少ないお気に入りなので、こればかりは不平不満なく楽しく読める。『韓非子』は私の高校時代のバイブルで、当時よく読んでいた。いまでも枕元に置いている。もちろん本田氏の訳本だ。

『韓非子』の何が面白いかといえば、それは決まっている。人の欺し方、人の陥れ方がこれでもかと言わんばかりに載っていることだ。人間って奴はこういうことをする、だからこうやって嘘を見破れ!権力者ってのはこんなことを考えるもんだ、だからああやって本心を見抜け!弱い連中はたいがいやましいことを考えている、だからそらこうすれば裏をかける!

そしてこれの裏を返して、『韓非子』には、こうやれば人はだませる、ああやれば人は簡単に罠にはまる、あんなことでこんなことができる等々、そういう素敵な話しが満載なのだ。こういうと人間性を疑われるが、私は子供の頃からそういう人の嘘を見破り、人をだます方法がわんさか書かれた『韓非子』が大好きだった。この『韓非子』に唯一欠点があるとすれば、面白すぎてすぐ読み終わってしまうことくらいだった。

しかし『韓非子』も最近の出土資料や研究の積み重ねによって、いろいろ解釈が変わってきている。ややもすれば異質的な扱いをされた「解老」「喩老」(両方とも『老子』の解釈めいたもの)が、実は韓非の法家思想の重要な支柱ではないかとかなんとか。しかし悪いが私はそういうアカデミックな話しに興味はない。韓非さんがどう考えていたか知らないが、あの『韓非子』を読んで感じるのは、権謀術数の楽しさであり、そしてその無謀さだ。

もし『韓非子』を読んで、今の人間社会に役立てられると思う人がいれば――もちろん自分の気に入ったところだけ読むというのではないくてだが――、その人は考え直した方が良い。『韓非子』を実践して得られるものは、失敗だけだ。『韓非子』の権謀術数が生きるのは、全てが現状維持しているときだけだ。

自勢力も他勢力も同じ。技術も国力も根本的に変化しない。こんな条件なら、思い通り操れる部下を持った君主が成功する。全てが同じ(変化しない)ところでは、することも、できることも、みな最初から決まっているからだ。かつて経験したことしか起こらない世界で成功を収める方法は、かつての成功例を完全に実施することだからだ。しかし抜本的に敵味方とも変化する「本当の世の中」で『韓非子』を実践すればどうなるか。相対的に自勢力が老衰して、ついには死滅するだろう。

でも大丈夫。『韓非子』の描く君主には誰もなれないから。かの君主は生ける屍か、さもなくば5000年まっても現れない大聖人だ。いや、そこまで行かなくとも、『韓非子』に出て来る権謀術数の手練れは、知恵あり能力あり勇気あり決断力あるところの、優れた人間なのだ。自分が優れた人間だと自負できない人間に、『韓非子』は御法度なのだ。

真実めいた偽りの書物『韓非子』。私の愛読書。



『韓非子』は日本人が愛読したので現代語訳も多い。本田済氏のほか、金谷治氏、町田三郎氏のものも有名だ。本田氏のは訳文のみ。金谷氏のは原文+書き下し+訳文の三点セット。町田氏のは書き下し+訳文の二点セット。本田氏と町田氏は2冊、金谷氏のは4冊。どれも読みやすいので、お好きなのをどうぞ。ただ本田氏のは名訳として知られる。以下、Amazonに表紙の出ていた金谷氏の訳本。

韓非子 (第1冊) (岩波文庫)韓非子 (第1冊) (岩波文庫)
(1994/04)
韓 非金谷 治

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五経・英訳・日訳は?

すっごい古い情報で申し訳ないが、私はさきほど知ったので、備忘録がてらに書いておくことにした。

中国、国内外研究者による「五経」翻訳に着手

記事内容はタイトルの通り、「五経を各国の言葉に翻訳するが、とりあえず3年半後の完成をめどに、英訳を完成させる」というもの。もちろん国家プロジェクト。2009年7月27日発表されたらしい。私などは漢籍の英訳というとArthur Waleyの『老子』がすぐ頭に浮かぶが、質の高い統一された経書の英訳を、ぜひ完成させてほしい。

ちなみに記事を見る限り「各国」の中に「日本」は入っていない模様だが、これは無視されているのか、それとも日本語の翻訳は不要と思われているのか、どっちなんだろうか。私などは日本の研究者を外して、中国が日本語訳を作ってくれないかな~とか思っいるのだが。もちろん日本語が母国語でない人間だと少し語感が狂うので、学者を除いて、古めの作家あたりと相談しながら日本語訳して欲しい。

それはそうと、「五経」の翻訳って、易・書・詩は問題ないと思うが、礼と春秋はどうするつもりだろうか?穏当なところだと、礼は礼記、春秋は左傳という、経書でもなんでもないものの翻訳になるが、さりとて春秋経だけ訳しても仕方ないしねぇ。儀礼もどうなんだろうかと。

一番望ましいのは、三礼と三伝を全訳することだが、英訳は書き下し文と違って、「とりあえず」的な訳ができないから、儀礼や公羊・穀梁は写し取るのが難しいのではないかと思う。経書は古いものだけに、文字遣いが簡単だから、単純に文字だけ移しても意味が通らないし、かといって解釈を加えるときりがないし。まあ何はともあれ、実に中国らしい国家プロジェクトなので、3年半後、生きておれるかどうか分からない身分ながら、その完成を期待したい。

ところで日本は景気のよかった頃、こういうことはしたのかね?日本文化を世界に広めるべく、世界の言葉に古典を翻訳するとか、国家的に推し進めたりしたんだろうか?そのころ私は大学にいなかったのでよく分からないが、まさか「個人の善意」とかいう吐き気のするようなものに期待でもしてたわけではあるまい。あるいは文化や思想が人を支配することを知らなかったわけではあるまい。

もっとも日本で文化の輸出などしようとすると(アニメみたいに勝手に流れ出たのは除く)、すぐ文句をつけたがる「進歩的知識人」がいる。植民地がどうだとか、文化で支配するとか、くだらない寝言を吐く奴が目にとまる。私はこういう連中だけが損をする世の中になってほしいが、なかなかそう思うとおりにならない。まあ、日本人のくせに日本の文化に興味のない私がいうのも何だがね。

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かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

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