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四コマ感想

久しぶりの四コマ感想。気になる単行本は多かったが、実際に読む単行本は少なくなりそうだ。

ひなちゃんが王子! (バンブーコミックス)ひなちゃんが王子! (バンブーコミックス)
(2010/03/27)
山口 舞子

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小学生のひなちゃんが、高校生の姉を守るべく王子となって活躍する四コマ。守ると言っても、そこは小学生のことだから、どちらかというと「見守る」といった方が近い。だから王子らしいのは、服装だけということにならないでもないが、心意気が王子ということで。

物語の途中でひなちゃんの王子様(お姫さまでもありうる)らしき男の子が登場して、徐々にひなちゃんのなかで王子とお姫さまの天秤にぐらつきが生まれるが、そこは最終回、綺麗にまとめていた。ということで(?)、一言で言って、かわいい子供の四コマだな。

本作のひなちゃんは、たしかにかわいい仕草をよく見せる。姉を守るべく成長したいひなちゃんに、大きくなるためと称して嫌いなピーマンを食べさせると、ひなちゃんはなんと「かっこいいですね」とかいって、「お世辞でピーマンに取り入ろうとする」。これには笑ってしまった。これが本作のひなちゃんのかわいさなのだが、実際のところ、本当の子供はこういう仕草をしないだろう。

だから本作のひなちゃんのかわいさは、大人の願望を子供に仮託したものと言える。もちろんそれを承知の上で、かわいいといって楽しむものだから、なんの不足も不都合もないが、少し前に下の四コマを読んだので、なんとなく、子供らしさに注目してしまったのだ。

男装の麗人ならぬ「かわいい王子さま」ということで、やや最近の四コマに近いものの、どちらかというとのほほ~んとしたキャラクタを愛でる四コマだろうか。表紙買いしても外れることはないが、最近流行のものを過剰に期待すると、少し肩すかしを食らうおそれがある。


ヒツジの執事 (まんがタイムコミックス)ヒツジの執事 (まんがタイムコミックス)
(2010/03/06)
ナントカ

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まさか単行本になると思わなかった。『新釈ファンタジー絵巻』のスピンオフ(?)作品。なぜか単行本にともないタイトルが『ヒツジの執事』になったが、本来は『子うさぎ月暦』だった。私は原題の方を気に入っている。本作と同時に四コマならぬ『ミニっきえにっき』が『まんがタイムラブリー』で掲載されていたので、当然こちらの単行本も期待されたにも関わらず、いまだに単行本化の噂は聞かない。

そもそも『新釈ファンタジー絵巻』も第1巻を出してぬか喜びさせたあげく、クライマックスでの盛り上がりを余所に、結局、第2巻は発売されなかった。あの当時、私は『ジャンボ』を講読していたので、切り抜きでもと思っていたが、まあ第1巻も出たし、『影ムチャ姫』の第1巻もあるし、大丈夫だろう、とか思って捨ててしまった。悔やまれる話しだ。と言いつつ、『子うさぎ月暦』の切り抜きも持っていないので、なんとも薄情な話しではあるのだが、『ジャンボ』は購買しなくなったからなぁ。それにしても『新釈ファンタジー絵巻』の第2巻は残念だ。

さて本作『ヒツジの執事』は、両親を事故でなくしたミニ様が、執事のサフォークともども屋敷の住人に育てられる話し。とはいえ、ミニ様はまだ赤ん坊なので、話しのほとんどはサフォークがらみのもの。出て来るのは、羊とか犬とか馬とかの擬人化したものばかりだし(サフォークじしんが羊だしね)、そもそも技術の進んだお月様での話なのだが、妙に現実味がある。なんというか、人間の心をうまく描いており、唸らされるところが多い。(というか、本書だけを読めば、なんとも人間味溢れる、ほほえましい四コマに見えるだろう。が、実際のところ、連載中には、グロというか、やりすぎというか、単にほほえましいだけの四コマではなかった。『影ムチャ姫』とか『新釈ファンタジー絵巻』ほどではなかったと思うが、そういう作品だったように思う。念のため)

一方、いまだ単行本化の兆しのない『ミニっきえにっき』は、これより後、ミニ様が少し大きくなってからの話しのでようで、ミニ様の絵日記という形をとって話しが進められる。上の『ひなちゃんが王子』は、どちらかというと大人の思いを子供に託したところがあるのだが、『ミニっきえにっき』は本当に子供のすることを描いている。子供はこういうことをするな、という展開が多い。ミニ様がサフォークのために取ってきたイモを、いろいろあって、怒ってたたきつけるシーンは感心してしまった。たしかに子供はああなんだ。思わず子供の時分を思い出してしまう。

ちなみに本作は連載を全て収録したものではなく、15話ほど抜けている。2冊にはならない分量だし、かといって1冊にはまとまらないのだろうが、なんとも悔やまれる単行本化だ。とはいえ、本作はいい作品だと思うけど、最近の流行からはずれているので、どうしても売れにくいのだろう。単行本が出ただけでもマシなのかもしれない。残念ではあるが。

そうそう、本書はまだ「在庫あり」状態なのだが、早くも完全版の「復刊」を望む声がでているらしい。私も同じく望んでいるので、復刊ドットコムのリンクをはっておこう。ついでに『新釈ファンタジー絵巻』と『影ムチャ姫』も。少しずつ得票に差があるのがおもしろい。

影ムチャ姫【完全版】
新釈ファンタジー絵巻【完全版】
ミニっきえにっき
子うさぎ月暦


ただいま勉強中 3 (まんがタイムコミックス)ただいま勉強中 3 (まんがタイムコミックス)
(2010/03/06)
辻 灯子

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発売から時間が経ってしまったが、辻先生の新刊。わりとあっさり終わってしまって、ちょっと拍子抜けしたものの、改めて読み直してみると、それはそれでこんなものかなと思わないでもない。なんとなくこの前の『ラブリー』のセレクションで辻先生のむかしの絵柄を見たせいか、本巻は全体的に美人さんが多く感じるのみならず、ところどころの仕草はべっぴんのようにも思えた。

本巻にも未収録作品があるらしく、「まんがタイムWAVE」に単行本特典が公開されている。単行本の帯についているパスワード必須。まだこれでも1話ほど足りないのがあるらしいが、そこまでは知らない。

しかし奇縁というのはあるもので、本作のおかげで四コマについて話しをする人ができた。私は引きこもりがちなので、こういう話し相手ができるのは嬉しいことだ。無論、相手も私も互いのことは知らないし、また知る必要もないのだが、いろいろ頑張っている人なので、心ひそかにエールを送っている。ちょっと話しが逸れてしまったが、要するに、『ただいま勉強中』には、四コマだけでなく、そういう想い出もつまっている。


最後に、『佐野妙スペシャル』が4月19日に発売される。中心は当然ながら『森田さんは無口』だろう。というか、たぶん第2巻が発売されたら、かなり重複していると思う。しかし、もう2巻目を出せるだけの原稿料はじゅうぶん貯まっているだろうに、それを出さないのは、やはり忙しいのだろうね。まあ余り無理はして欲しくないので、特別号で我慢しよう。それに今回は蔵出し作品もあるらしいから、あんがい普通に単行本2巻が出てしまうより、お得なのかもしれない。師走先生の『奥さまはアイドル』とともに、来月の購入分として決まっている。


......気付けば無駄に長く感想を書いてしまった。

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テーマ : 読書メモ
ジャンル : 本・雑誌

なんとも題を決めかねる内容だな

ある場所で知ったが、邪馬台国の問題に日食を持ち出して研究している人がいるらしい............つまらないことに精を出す人間がいるな。私は優しくないから、まったく感心できないばかりか、時間の無駄遣いにしか見えなかった。そういうのがやりたければ趣味でやったらしい。気持ちは分からんでもないが、あまり偉ぶって言うものでもなかろうに。

日食などの自然現象は人間の意志でねじ曲げられないから、資料に出て来れば正しいように思う人もいるだろう。しかし必ずしもそうではない。たとい日食があったにせよ、それが資料に記述されるとき、あるいはその資料が歴史書としてまとめられたとき、途方もない間違いが加わることもある。事柄とて、必ずしも信頼できるものではない。

そういえば李迪の言行録に『邵氏聞見録』を引いて、次のような事柄を載せていた。

真宗が病に倒れ、もういよいよという、ある晩のこと、李迪ら宰相一同は、祈祷のため内殿に宿直していた。この当時、仁宗はまだ幼く、八大王・元儼(先代皇帝の息子)に威名があった。王は真宗の病気見舞いと称して禁中に留まり、何日たっても出ようとしなかった。宰執はこれに頭を悩ませたが、どうにもいい方法が浮かばなかった。たまたま王の世話役が湯水を容れた金の器を運んできた。「王のご所望です」と言う。そこで李迪は墨に濡れた筆で湯水をかき回し、真っ黒にしてから運ばせた。これを見た王は、毒ではないかと驚愕し、すぐさま馬に乗って宮中を後にした。李迪のふるまいは、いつもこのようだった。


李迪は科挙を首席で合格したほどの秀才だから、頭が悪いわけでは決してない。しかし正しいことと悪いことの区別がはっきりしており、それへの対処も直線的なのだ。だから王の振る舞いをみて、これはいかん!と思うや否や、あまり上品と言えない方法ではあるが、非常に有効な方法で、王を宮廷から追い出した。

ということで、これは李迪の剛直な性格を著す格好の逸話というので、朱熹も『言行録』に引いたのだろう。しかし、残念ながらこの話しは非常に怪しい。

真宗の崩御直前、李迪は丁謂に敗れ、左遷されている。したがって真宗が危篤のときに宰相一同とともに祈祷に赴くことなどあり得ない。そしてもう一つ、八大王の元儼がひそかに帝位を狙っていたかの如く中傷しているが、これも胡散臭いらしく、李の指摘によると、『仁宗実録』による限り、真宗崩御の少し前から元儼は体調を崩し、やむを得ず宮中の側に庵を結んでいたらしいのだ(乾興元年二月甲寅条)。

李迪はおろか、元儼まで根拠薄弱とあっては、いかにこの逸話が李迪の性格を語るものであっても、あまりに白々しい。

北宋だと『続資治通鑑長編』のような腕利き学者の資料が残っているから、重大事件の真偽は曲がりなりにも判断できる(場合が多い)。しかしそれが徽宗の時代や、南宋や、あるいは唐以前とあっては、真偽の判断に躊躇する場合が多い。世の中には、さも「正しいらしい」ような資料が残るからだ。そして、そういう資料が積み重なって列伝が出来ているかと思うと、なんとも嫌な感じだ。ましてや資料の極めて少ない古い時代であればなおさらだ。

ちなみに『邵氏聞見録』は、邵伯温なる男の書いたもので、その邵伯温は邵雍(邵康節)の息子。そして邵雍は北宋の五子(朱子学の先駆をなす「五人の君子」の謂)の一人だ。したがって朱子学系列の学者に好んで読まれ、また北宋の「事実」を語るとき、しばしば引用された。近代の学者にしてまだ引用するのだから、その影響は推して測るべきものがあるだろう。本書が虚偽を多く含む書物であることは、歴史の学者なら分かっていたのだが、そういうことは朱子学のような理学者の興味を引かなかったようだ。

しかしあれほど学者として腕のある朱熹先生が、なぜこのような嘘本を引用するのだろう。資料がないからか?資料がなければ嘘を引用してもいいのか?倉卒の間になったというが、それとて言い訳に過ぎない。李のような学者であれば、倉卒の間に成ったものでも、嘘を見抜いただろう。むしろ真偽判然としない場合は、引用を避けたか、引用しても脚注に落としただろう。

とはいえ、朱熹先生を責めるのも悪い気がする。このあたりが専門の違いではないかと思うからだ。朱熹にしても、嘘だと分かっていれば、引用しなかったはずだ。たとい格好の逸話でも、嘘は引用すべきでない。しかし朱熹の探求する先にあるのは義理だろう。それに対して李の探求するのは事柄そのものだ。

この両者はぎりぎりのところで差を生む。卑近な例をあげれば、同じだけの本を買える金を持っていた場合、朱子学者は朱子語類を買うが、史学者なら建炎以来繋年要録を買うだろう。別段、朱子学者が繋年要録を不要だとするのでも、史学者が朱子語類を敵視するのでもなく、要は自分にとって最も重要なものが違うから、優先順に差が出るのだ。しかしこの差は大きい。

人間は有限のなかを生きている。すべてのことに手を出せるわけではない。なにかを犠牲にしなければならない。やむを得ず犠牲にするのは、当然ながら自分の選ばなかった方になる。喜ばしいことではないが、仕方のないことだ。ということで、朱熹とすればその他諸々の自分に必要なものを勘案した結果、事柄の真偽が犠牲になったというのであろう。

ということで、上の話は単なる「怪しい」だけのことではあるが、やはり餅は餅屋なのだと改めて思った次第。ちょうどあれだな、呂祖謙の春秋学は、歴史としてはおもしろいが、経学としては全く駄目で、逆に張洽の春秋学は、経学(あるいは理学)としては見識あるが、歴史の考証がなってない、というのと同じだ。

話しがすごく脱線したが、最近『言行録』を読んでいて、あまりの考証ミスの多さにイラっときていたところ、新聞記事を読んだところ、なんとなく頭の中で一体化した。それだけです。


書き終わって振り返ると、やはり一体化していなかった。人間、思い込むと夢のようなことが起こるからね。いるのにいないとか、夢でよくあるね。

テーマ : 読書メモ
ジャンル : 本・雑誌

賞味期限

ここ一ヶ月ほど暇さえあれば名臣言行録と付き合っていたので、たいがい嫌になってきた。畢士安のところで、これはもう今の時代には無理だなと分かったのに、ついつい伸ばしてしまった。でも巻五も王曾で最後だから(今回は逆から進めた)、これだけは終わらせようか。って、誰に言っているのやら。

言行録もそれなりにおもしろい本ではあるが、如何せん、読むためには前提となる知識が必要になる。でもふつうの人は、知識を得るために本を読むのに、その本を読むための知識を別に要求されたんでは堪ったものではない。ということは、そういう七面倒くさい本は当然ながら読まれず、したがって無価値な存在になっていく。

実際の所、言行録を読む人に要求されているのは、歴代皇帝とか、五代以前の有名な(知識人にとっての有名な)歴史的事実とか、科挙とか、そういう知識とともに、実は言行録に書いてある内容そのものなのだ。言行録に書かれてある内容を、読む前からあるていど知っている。それを前提に言行録を読む。やっぱり偉いね~となる。

本を読むのは新しい知識を得るためだが、その知識を手に入れるには、核心部分以外の大半のことはあらかじめ分かっていないと行けない。Aときた場合はB、Cと来るならDというふうに、読む前からパターンだの知識だのを持っていて、はじめて、それにも関わらず著者はWという方法を用いてZという結論を出した。はいはいご苦労さん、となるか、すんばらしーとなるかは知らないが、まあそういう驚きと呆れがあるのだろう。

宋代そのものが無名の日本で、宋代の膨大な知識を前提とする言行録が読まれないのも、無理はない。単純に昔は漢文教育の時間が多かったから、知っている人が多かったに過ぎない。その時間がなくなった今、いや、その時間を取るべきでなくなった今、言行録など読まれようはずがない。どれほど腕のいい人間が、すばらしく精度の高い注を加えても、大多数の人の目にはとまらないだろう。

とはいえ、PHP的な本なら売れるかというと、たぶんこれも無理だと思う。むかしPHPでも出版されたし、似たような本は他にもあったが、結局は読まれず消えていったのだから。さしもの言行録の価値も、賞味期限がずいぶん前に切れてしまったのだ。そこで理想とされる像そのものが、もはや現在の日本で否定される存在なのだ。よいか悪いかは別として。


余計なお世話を一つ書いておくと、宋代ころの理想というのは、改革や変化がないことだ。積極的な人事や、奇抜なビジネスももってのほか。そういうものを否定し、押さえつけ、根絶やしにして、相も変わらぬ平凡な生活がつづくこと、それが理想なのだ。もちろんそういう状況で不幸になる人は、永久に不幸になるのだが、それは知らない顔をしておく。そうしてこそ名臣たり得る。そして言うまでもなく、そういう理想はいままでかつて一度も存在しなかったし、当の宋代にもなかった。だから言行録に書いてあることを実践すれば(仮に宋代と同じ局面があったとしても)、絶対に失敗することは、歴史が証明している。

さらに蛇足。人間の努力ではどうにもならない悲しい現実を前にして、宋代には朱子学が生まれる。そしてよく言われるように、天道是非の論に決着をつける。別段、私は朱子学を推奨しないが、少なくとも権力を批判すれば理想的な世の中がやって来ると絵空事を夢想している人よりは、よほど深みのある思想には違いない。それが反動思想だというなら、積極的に反動思想を学びたいものだ。

以上。

テーマ : 読書メモ
ジャンル : 本・雑誌

見識はむつかしい

最近つかれぎみながら、いまさっき気付いたのでメモがてら書いておこう。............もしかしたら思い違いかも知れないが、いや、そんなことはないと思う。

1.例の名臣言行録は朱熹のみた資料の質によって大幅に質が変わる。
2.蘇轍は見識がない。

以上。


(1)
よく考えればあたりまえなのだ。粗雑な資料を用いて高級な伝記がかけるはずがない。しかも本人を知らないのだから。でもちょっと酷いんじゃないか?と思うのがあった。

巻4の連中は朱熹の手に墓誌銘やら行状やら、それにかわる伝記やらが残っていたと見えて、該当人物の条文を通覧すると、それなりにその人の生涯が分かった。あれに年月日をつけて、文字に修飾を施し、若干の訂正を加えれば、立派な正史の伝記になるだろう。しかし巻5の連中は......

特にひどいのが李迪で、朱熹は張方平の『楽全集』が読めなかったらしく(現存する)、まとまった生涯は語られず、たんなる有名なエピソード集になっている。その方が名臣言行録にふさわしいといえばそれまでだが、問題はそこで利用された資料だ。

いや、資料の種類も蘇轍の『別志』とか司馬光の『記聞』なのだが、どうもこの李迪の資料は雑で、『続資治通鑑長編』と比較すると間違いが多くて困る。記事内容に間違いが多すぎて、本文の読解以上に、事柄の考証に手間がかかってしまった。おかげで『記聞』も『別志』も朱熹先生も怪しいという結論になった。

(2)
でも言行録はたまに発見もあるし、それに言行録だから、人のいいところ(ウソでも)を見て、自分も立派になろうと思えば、それで罪はない。問題は蘇轍の見識のなさだ。

大昔、邵伯温の『聞見録』はつまらないと思ったものだ。ちょっと気の利いたような文句を最後に載せて、「俺は分かっているぜ」的な雰囲気を醸し出しているのが、たまらなく嫌だった。おまけに記事もいい加減とあっては、ほとんど読むに堪えない書物に見えた。

しかし今回、李迪の考証がてら蘇轍の『別志』をパラパラ読んでみたが、どうも蘇轍も同じ程度に底の浅い人間に思えてしまった。いや、蘇轍も彼自身の見てきた煕寧~元祐あたりのことはいい。「俺は見た!」と言われると、1000年近くあとの我々としては、なんとも決め手に欠く場合が多い。しかし真宗とか仁宗初期の話しは、もう、ウソが多くて。

こういうとお前が間違っているんじゃないか?と思う人もいるだろう。事実、そういうこともあるだろう。しかし学士や宰執の任免時期を間違えて、「ちょっといい話」とか「鋭そうな見識」を示されても、困る。

司馬光の『記聞』にも錯誤がまま見られるというが、あれは全体的に短い記事だから、致命傷にならない。個々の記事が間違っていた、という以上にならないことが多い。ところが蘇轍は、「Aという事件があって、Bというのが続いて、なんとCという展開になって、実はDだった」みたいな、そらぞらしい書き方をしているので、どれかの事柄が間違っていると、波状的に物語の全てに破綻をきたすことになる。

ちなみに私が蘇轍の浅さを感じたのは、下の太字の部分。

李文定與呂文靖同作相、李公直而踈、呂公巧而密。李公嘗有所規畫、呂公覺非其所能及、問人曰:「李門下、誰爲謀者」。對曰:「李無它客、其子柬之、慮事過其父也」。呂公因謂李公:「公子柬之、才可用也。當付以事任」。李公謙不敢當。呂公曰:「進用才能、此自夷簡事。公勿預知」。即奏除柬之兩浙提刑。李公父子、不悟也、皆喜受命。二公内既不協。李公於上前求去。上怪問其故。李奏曰:「老疾無堪夷簡公相謾欺具」。奏所以上。召呂面質之。時、燕王貴盛、嘗爲其門僧求官。二公共議許之。既而呂公遂在告、李公書奏與之、久之忘其實、反謂「呂獨私燕邸」。呂公以案牘奏上。李慚懼待罪、遂免去。
其後王沂公久在外、意求復用。宋宣獻爲參知政事、甚善呂公。爲沂公言曰:「孝先求復相、公能容之否」。呂公許諾。宣獻曰:「孝先於公、事契不淺、果許、則宜善待之、不如復古也」。呂公笑然之。宣獻曰:「公已位昭文、孝先至以集賢處之、可也」。呂公曰:「不然。吾雖少下之、何害」。遂奏言「王曾有意復入」。上許之。呂公復言:「願以首相處之」。上不可、許以亞相。乃使宣獻問其可否、沂公無所擇。既至、呂公專决事、不少讓、二公又不協。王公復於上前求去。上問所以、對如李公去意。固問之、乃曰:「夷簡政事、多以賄成。臣不能盡記。王博文自陳州入知開封府、所入三千緡」。上驚復召呂公、面詰之。呂公請付有司治之。乃以付御史中丞范諷、推治無之、王公乃請罪求去。蓋呂公族子昌齡、以不獲用為怨、時有言武臣王博古嘗納賂呂公者、昌齡誤以博文告、王不審、遂奏之。上大怒、逐王公鄆州、呂公亦以節鉞知許州、參知政事宋宣獻、蔡文忠、皆罷去。李王二公、雖以踈短去位、然天下至今以正人許之


引用は『言行録』から。ただし蘇轍の発言は間違いが多い。これは李もいうから本当なんだろう。そうそうこの文章、これだけでは最後の意味がさっぱり分からない。なぜ仁宗は王曾だけでなく呂夷簡にも怒ったのだろう?なぜ宋宣献が巻き添えを食らったのだろう?そもそも蔡文忠って誰?

蘇轍も偉い学者なんだから、もう少し真面目に文章を作って欲しい。

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迷妄

心が腐ってきている。秦山先生の言葉でも読んで、鍛え直さないと駄目だ。

で、その秦山先生のことで気になっているのだ。たしか三宅尚斎が忍藩に幽閉されたとき、自殺を考えて止めた理由が、無実の俺が死んだら君主に無実の臣を殺した罪を負わすことになるから駄目だ、というようなことを言っていたと思う。いかにも日本人らしい発想だが、秦山はこのような論理の展開をしない。もっと自身に引きつけて、自分がそれでは快くならないからだとか、そういう理屈でいろいろ考えている。行動は同じなのだが、行動に移るための納得の仕方が異なるのだ。

と、言いたいのだが、実は尚斎の言葉を原典で確認していないので、なんとも怪しいはなしなのだ。もしかしたら「~という前提の下においては~だ」みたいな書き方かもしれないし、これならそもそも前提があるのだから、そういう答え方をしても不思議ではない。なにごとにつけても、原典を確かめられないのはつらい話しだ。『白雀録』だったかな?戦前に刊本(線装本だけど)が出版されたけど、売ってないし、買えないし、近くにないしで、なんとかならないものかと、寝る前に考えて見たりする今日この頃。

ぼちぼち『土佐国群書類従』の新刊が発売されてもよさそうなのだが、今年は遅れるのかな?

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残念無念

おお、もうこんな時間か!(明日の30分前)

少しだけ。今日ようやく確認できた。佐野さんの『Smileスイーツ』が終了した。無念。分量的に4巻目はきつそうだけど、なんとかならないものか。

どうでもいいが、悩みに悩んだあげく、結局、野間さんの『春秋左氏伝』を買ってしまった。3500円もした。まだ読んでないが、左氏伝を一通り知っている人間に向けて、野間さんの左氏伝観の一端を書いたもののようだ。日本人の本は解説しないことにしているので、読んでも感想を書くかどうかは未定。

いろいろ書きたいこともあったけど、今日はこれで終い。もう寝ます。

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小ネタ

言行録に畢士安が貧乏だったという話しがあった。この手の逸話はウソと相場が決まっているので、せせら笑って訳したものの、校正の段階で畢士安の神道碑と行状をもちよったところ、あんがいウソではないかもしれなかった。

そもそも北宋初期に生きた畢士安の行状を、なぜ孫の畢仲游が書いているのか、なぜ元祐時代の闘将・劉摯が神道碑を書いているのか、不思議ではある。しかしその答えは劉摯の神道碑にあった。なんでも畢士安が死んだときは、家が貧乏すぎて、神道碑を建てる金がなかった。でもぼちぼち銭もたまったから、あらためて孫が作ることにしたらしい。そこで劉摯も一肌脱ぐことになったとか。

劉摯によると、畢士安の時代は既に遠い過去のことだが、その偉業は世に知れ渡り、名言は人口に膾炙しており、国史伝記の類も完備しているから、いまからでも神道碑は書けるとか言って、あらためて書き上げたらしい。なるほど、畢士安が(他の宰相に比べて)貧乏だったのは、あるていど本当だったのかもしれない。もちろん全く嘘っぱちの可能性も充分あるが、文献に徴す限り、本当だったということになる。

だが劉摯の言い分の半分は間違っている。劉摯によれば、畢士安の業績はいろいろ残っているから、それをかき集めれば神道碑が書けるというようなことを言っているが、実際に劉摯の神道碑を畢仲游の行状と比べてみると、神道碑などは行状の節略に過ぎないことが、あまりにも明白に分かってしまう。あまりに露骨すぎるほど露骨に、節略だ。よくもまあ偉そうに自分が調べたようなことを言えたものだ。これだから宋代の詐欺師は困る。


つぎに欧陽修と錢惟演。

王曙の言行録の最後に、欧陽修は錢惟演が大好きだったとあった。王曙の言行録に、なぜ錢惟演と欧陽修の話が割り込まねばならぬのか、場違いも甚だしいが、とにかく王曙にはそれだけ取るに足る逸話がなかったのだろう。ちょい役でも載っけておかないと、頁が足らないというところだ。

それはともかく、錢惟演の諡は欧陽修の力で代えられた云々という話しは、あまりに宮中奥深い話しなので、調べても根拠は得られまい。しかし本当に錢惟演のために汗をかくようなことを、はたして欧陽修はしたのだろうか?宋代の士大夫は前代に比して恥知らずだと罵る人もいるくらいだから、これはそうとう疑ってかからねばならぬ。なにせ人間というものは、生きておればタカれもするが、死んでしまえばただの屍だ。

しかし欧陽修が錢惟演に思うところがあったというのは、あながちウソではないかもしれない。言行録の巻五の最後に蔡齊という人の言行録が載っている。蔡齊は王曾を小型化したような人で、どちらかと言えば堅物の真面目君だったらしい。その蔡齊の伝記資料には、幸いなことに、欧陽修の行状、范仲淹の墓誌銘、張方平の神道碑の三種が揃っている。ちなみに三種とも劉摯のような詐欺まがいの作文ではなく、それぞれ手が込んでいる。当然ではあるが、劉摯の手前、当たり前のことが立派に見える。

さて、この三種に『宋史』と『東都事略』の所伝を加えれば、ほぼ蔡齊の主要逸事を抑えることはできるのだが、その中に錢惟演に絡む逸話が存在する。

錢惟演は詩文の名手として名を馳せていたが、如何せん人間が下劣だった。出世したいがために、利用できる人間はだれでも利用した。人間的だといえば人間的で、その実、無意識にみな同じようなことをするのが人の常とはいえ、あまりに節操がなさ過ぎると、さすがに世間の顰蹙を買う。錢惟演は丁謂が権力を握るや、それにピッタリくっついて、寇準を批判し、寇準が失脚するや、在職者一覧を石碑に刻むとき、わざわざ寇準の名前を削って、「反逆者の寇準の名は記さぬ」などと豪語してみせた。もちろんこれらは寇準を忌む丁謂の心を得んがためであった。

ところがひとたび丁謂が失脚するや、私は全く関係ありませんとばかり、今度は丁謂を謗りはじめ、醜い自己弁護に走った。これには汚いことが綺麗に見える官界もどん引きだった。汚穢に塗れた蓄財家として名高い清潔な男・馮拯は、錢惟演に同じ臭いを感じたが、非常に嫌悪して、ついに中央政界から追い出してしまった。錢惟演のその後はどうでもいい。要するに錢惟演は「反逆者の寇準の名は記さぬ」などと言って、人の謗りをかったのだ。

さて、月日が経ち、蔡齊が皇帝に申し上げた。錢惟演はかくかくしかじかで寇準の名を削りましたが、もってのほか、世間のだれもが寇準の忠勇を信じ、国家の英雄とみなしております云々。ということで、皇帝はさっそく寇準の汚名を雪いだのだった。この蔡齊の行動は、いかにも名臣のものとして評価され、張方平の神道碑にも、『宋史』にも、『東都事略』にも記載されている(墓誌銘は美文のため事柄自体の記述が少なく、これも省略されている)。しかしそこそこの長さのある欧陽修の行状のみ、なぜかこの一件が削られている。その他、神道碑に見える錢惟演の悪行も、行状には触れられず、あたかも事実がなかったかのごとき書き方をしている。

欧陽修は文章の達人だから、あるいは行文に不都合を感じ、省略したのかも知れない。しかしあっぱれ天下の名臣となった蔡齊の所行をこうも無視するからには、なにかしら作意の跡を感じられないでもない。あるいは欧陽修は錢惟演のために悪事に蓋をしたのであろうか。だとすれば欧陽修の『新唐書』はその名に恥じるできであろう。なぜなら『新唐書』本紀は、春秋の筆法をまねて作ったのだから。そして春秋は、情をもってする詩とは異なり、義をもって事を裁くものだから。

以上、小ネタ二つでした。知っていても一銭の得にもならないこと請け合いだ。

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読書感想

アドルフ (岩波文庫)アドルフ (岩波文庫)
(1965/01)
コンスタン

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Fridayさんのところで見かけて、おもしろそうなので読んでみた。コンスタンの『アドルフ』。岩波文庫で本文138頁弱の薄い本だし、優柔不断でダメダメな男というのが興味を引いたのだ。

内容は「これをしも恋愛小説というべきであろうか。発端の1章を別とすれば続く2章だけが恋と誘惑にあてられ、残る7章はすべて男が恋を獲たあとの倦怠と、断とうとして立てぬ恋のくびきの下でのもがきを描いている」(岩波の表紙)ものらしいが、要するに、一度は激しく燃えた二人であったが、男が冷めたので女に別れ話を切り出そうとしたら、女が嫌がるので、ついつい断り切れず、そのままズルズルいったあげく云々というお話だった。ようするに誠実にふるまいたいが優柔不断であるため、自分も相手も深く傷つけてしまった男のお話だった。

私はあまり小説の類は読まない。面倒くさいからだ。歳のせいもあるのだろうが、結論を速く知ろうとして、くどくどしい行文がイライラするというのがその一つ。もう一つは小説に恋愛はつきものだが、その恋愛が面倒くさい。別の目的の枷として恋愛を利用するならまだしも、それ自体を中心に書かれると、はやく次いけよ!という気になる。最後に私は中国の思想を研究対象にしたせいか、ふつうの悲劇が悲劇に見えなくなった。呂后?人彘ってステキだよね、みたいな。

とはいえ、本作の主人公の誠実に振る舞いたいのに!というものには、少し思うところがあった。少し話しはそれるが、北宋初期の大臣に寇準という男がおり、これは非常に豪放磊落な人で、また見識も気概も人一倍だったらしいのだが、如何せん、出世が速すぎたせいで、知識はあったが「学問」はなかったらしい。そこで張詠という兄貴分から、「あいつは学術がない」とか謗られていた。天罰覿面、ではないが、張詠の言葉が当たって、寇準は政敵の陰険野郎・丁謂に足をすくわれ、見事、最果ての地に罪人として流され、命を終えた。

今の時代では、なぜ張詠が「学術がない」と文句をつけたのか、少し分かり難いが、それは彼らにとって学問が、技術や就職の手段ではなく、物の本質や人間としてなすべきことを見定める手段だったからだ。だから学問がない人は、見識が定まらず、ふらふら人生を歩むことになる。寇準のような素質に恵まれた人は、そこそこうまく歩めるが、それでも分かってやっているのではないため、いつ間違えても不思議ではない。張詠としては、寇準にもっと見識を身に付けてもらいたかったのだろうが、残念ながらそうはならず、望ましからぬ結果に陥ったのである。要するに、一見、人間的に正しいことや、感情的にそうすべきだと思うようなことに身を委ねるのではなく、人間として最も守らねばならぬところを抑え、それに従って行動すれば、一つの憂いもなくなる、ということになる。

............少しどころか大幅にずれた話しになってしまったが、本作の主人公の「誠実そうに振る舞って最後は冷酷になる」というのは、宋代士大夫風に言えば、この種の学問が欠けていたにすぎず、とりたてて驚くほどのことでも、嘆くことでもなく、単なる不学者の当然の末路ということになる。

何はともあれ、小説を読んで久しぶりに楽しめた。Fridayさんに感謝。ちなみに岩波文庫は在庫切れだそうです。

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『宋名臣言行録』巻四の訳

サイトを更新した。今回は少しく思うところがあり、『宋名臣言行録』(五朝名臣言行録)の巻四を訳出してみました。同巻には、北宋初期の真宗皇帝時代に活躍した畢士安、寇準、高瓊、楊億、王曙の五人が含まれており、主たる記事内容は澶淵の盟に関することです。

更新場所:宋代史(宋名臣言行録)
むかし書いた説明(改訂した)

更新:2010/03/20

期日前ですが、これくらいで終わります。コメントやメールでいろいろご助言、ご意見をいただき、ありがとうございました。これを糧に少しでもよいものを作りたいと思います。(2010/03/29)

(*以下、感想文。回答)

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終わった。生きている間になにか一つくらい成し遂げたかったが、それも無理か。


*追記

あらぬ誤解を与えてしまった。眠たかったのでいい加減なことを書いてしまった。

先週のうちに終わらせる予定のものが、なんの不測の事態も生じなかったのが、延びに延びて今週の金曜日にようやく「終わった。」つねひごろ「生きている間になにか一つくらい成し遂げたい」と思っていた「が、」このていたらくでは「それも無理か」という意味。

まあ、全く駄目な状態であるのは変わりないが。

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新刊

根暗な話しが続いたので、ここは一つ明るいものを。

木曜日か金曜日か、記憶が定かではないが、本屋で偶然にも野間さんの左氏伝の本を見つけた。新刊らしい。タイトルは忘れた(っていうか、Amazonで調べれば分かると思うが、その労力を惜しんで忘れたことにしたい)。前の穀梁と公羊のつづき見たいなものだったと思う。

ほとんど見ていないので、うろ覚えどころのものでないが、左伝の特徴とか歴史とか、用語法とか、先行学説の整理とか、そういうのだったと思う。3000円もする本だったので、買うのは止めた。なにせ今月から来月にかけて、四コマがたくさん発売されるので、余計な出費はしたくなかったのだ。

四コマも1冊くらいなら大したことないが、5冊6冊となると、それだけで4000円ちかくかかってしまう。予算は三冊が限度なのに、今回は六冊ほど欲しいものがある。それをどうやって絞ればいいか悩んでいるのだ。

もっとも、六冊のなか、師走先生の『奥さまはアイドル』第4巻は必須として、あと『ひなちゃんが王子!』も捨て難い。だから残り一冊、『ひよわーるど』第1巻にするか、『うちの姉様』第2巻にするか、あるいは『天然女子高物語』第3巻にするか、『ひかるファンファーレ』第2巻にするか。おそらく2冊だけ買って、他はあきらめるということになるだろう。

どうでもいいが、上の左伝の本、左伝の史料批判をしたような本などを取り上げて、いちいち先行研究を検討していたように記憶する。先行研究の批判は正当的研究の必須項目になっているので、単に人間関係のみならず、研究者としてもせざるを得ないのだろうが、ああいうのまで取り上げないといけないのだろうか。あれは春秋学でも何でもないし、だいいち論評に値しないだろう。全冊まとめて「根拠薄弱」の一言で十分じゃないのか。

もっとも「根拠薄弱」といえば、隋以前の歴史は一様に根拠薄弱になってしまうし、それこそ先秦なんて薄弱どころか皆無と言いたいものもある。『孟子』に書いてあるとか言われても、本当にその孟子は戦国のか?もしかして孟子外書こそが孟子の著書で、現行本はパチモンじゃねえの?とか言いがかりをつけてみたくなる。

ということで、来月にかけて四コマの収穫の楽しみな日々ではある。

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増補(終わり)

かまってもらえているようなので、もう少しだけ所感を書いてみる。とはいえ、さすがに何度も申し訳ないので、ブログに書くのは今回で最後にする予定です。(昨日、更新して寝たら、下書きになっていた。確認はするものだな。)


少し話しはそれるが、『要説 上総道学の研究』(塚本庸氏執筆)という50頁弱のA5冊子がある。いろいろあって親切な方に紹介をいただき、あわせて入手の労をおっていただいたものだ。なんでも上総国の山武市歴史民俗資料館で発行している紹介資料らしい。

本書は研究と銘打たれている。しかしその内容はほぼ「上総道学の歴史」といってよいものだ。たしかにこれは歴史だと思う。その地に住む人々が、その地の偉人を顕彰するべく、過去の偉人や偉業を表彰しているのだ。すなわち儒教から始まり、日本の儒教、そして闇斎学、そして崎門三傑、佐藤直方、藤門三子(稲葉迂斎、野田剛斎、永井隠求)を経由し、黙斎以下の学脈が語られ、近代以後の継承者をもって話しを結んでいる(付加的に最近の黙斎継承についても語られている)。

とはいえ、この「歴史書」を執筆するには、この順序と逆の過程が必要だったはずである。すなわち最近に活躍した人々がおり、その先生がおり、そのまた先生がおり等々と遡ることで径路が導かれ、そしてそれを逆に説明し直すことで、上の説明を作るのだ。これは中国式の歴史叙述によくある方法で、日本でもこの種のものは珍しくないし、近代以後の歴史学もこの手法をよく取っている(というか、他の地域の歴史書は原典で読めないので分からない)。

私から見て、本書にはたしかに歴史が書かれていると思う。歴史とは本来このようなものだとも思う。自分の存立基盤を過去に求め、それを遡り、一脈の流れを作る。そしてその歴史の一番新しいところに自分が立っていること、あるいは自分が過去に繋がっていることを確認する。確認することや繋がっていることに意味を感じるから、こういう歴史が作られるのではないかと思う。だから現実が全てだというよう想念する人は、歴史を必要としない。また歴史がそのようなものであれば、そこに属さぬ人々にとって、簡単に史料的に否定できるものであることも、当然だと思う。歴史はそれを作り、その歴史を共有できる人間にだけ、正当性を保持し得るのだろう。

そうは思いつつも、私には囚われがある。一つには、歴史じしんが何かを語るはずだという誤謬、換言すれば資料を解体すれば私の主観を離れて何か出てくると思う誤謬。二つには、自分個人を離れた集団の歴史が存在するという誤謬。三つにはあらゆる人を是認せしめる普遍的な歴史が存在するという誤謬。そして私はこれらを誤謬だと思うにも関わらず、なぜかこの誤謬を追求しようとする。矛盾も甚だしい。自分で前提と結論を否定しておいて、その前提と結論を証明しようとするのだから。

なぜこんな矛盾をおかすのか、はっきりした理由は分からないが、心当たりという意味で、私が子供の時分は国民国家が強かったが、大学に入った頃に否定され、大学院にいた頃にそれも無意味になり、しかも現在にいたるまで確乎とした生活基盤を持っていないせいではないかと思う(まぁ、本当に確乎とした生活基盤というものが存在するかどうかは疑問だが、世間一般の意味で)。そして付属的に、真理や客観的などの価値がのさばっていたかつてから、それが否定された現在に遷ったというのもある。私は変人なだけで、才能的には平々凡々な子供だったので、ふつうにそう信じていたし、考えが変わっていった(ように思う)。

そういう径路を反映して、頭で否定して体がついていかない、という、ただそれだけのことが私に起こっているのではないかと思う。ただ「学問をやったバカは、やらないバカよりたちが悪い」という格言が当たっているのか、なにかしらん、へんな理屈をつけて納得しようとするし、またややこしいことに、人の知らない学説を持ち出して、この分野はこうだ!という迷惑なことをするのだろう。

それが迷惑行為だと分かっているから、普段は口に出さない。しかしそういう感情はたまっていく。だから口を漏らすくらいに止めていたものが、あるとき主題となって飛び出てしまうことがある。一度出すとすっきりするので、しばらくは沈静化する。なんとなく汚い表現になったが、まあ、そんなところだと思う。

ちなみに矛盾という意味では、近代以後、歴史学がずいぶんのさばっていたが、近代の終わりにともない、その賞味期限も切れたのではないか、これからは太古のむかしよろしく、「ふつうの歴史」になるのではないかと思ってもいるが、これは誤謬なのかどうか不明なので、上の中には加えないでおく。


まあ歴史の目的とか、個人の価値観とかいうと、それはたしかに神学論争で、俺は思う!のオンパレードになってしまう。それに件の聖徳太子の件だって、偽作を主張する人の脳裏には、戦前強調されたものを否定すれば価値があるという錯覚があるのだろう。もちろんその種の人にとって、私にとっての錯覚が、まぎれもなき真実なのだろうけども、そういうあまり学問的とは言えないものがあるのは否定できない。

それにも関わらずああだこうだと二三回にわたって書いてきたのは、一つには上のような私個人の矛盾のはけくちに好都合だったからだ(と思う)。本来このようなものは個人で解決すべきものだが、幸か不幸か、私の意見はまわりの人に冷笑され、まともに批評を聞くこともできなかったから、かまってくれる人がいると、つい嬉しくなって長々語ったにすぎない。

ただ、もう一つ、少し「公的な」ものもないではなかった。明治以後、敗戦後しばらくの間の歴史学研究は、極端な思想偏向を持つ間違った成果を無視すれば、それなりに有効なものも多かった。特に伝統の盲目を否定するには預かって力があったことは否定できないと思う。例えば、伝説によると、周の天子さまが作ったという制度や文物が、もっとも古くからあったとか、あるいはその逆とか、そういうものは考古学的発見によって適切に批判できた。あるいは加藤さんの『考証』で止めろとは言わないが、論理的には証明不可でも、現実的には多くの人を是認せしめる程度の経済史を語るくらいなら、それはそれでおもしろくもあり、また有意義でもあると思う。

ところが最近の歴史は、どうも神学論争のようになっている。あるいはとても正当性があるとも思えぬ「根拠」を持ち出して、自分の主観にあわせた歴史を語ろうとする。もちろん語ってもらうのは結構だ。ご自由になさればよろしい。しかし、それがあたかも日本の歴史であり、したがって日本人たる私の歴史であるべきであるかのごとく押しつけられると、もともとの不満と相俟って、ついつい文句の五つ六つを言いたくなってくる。

そんなこんなで、誰も見ていないのをいいことに、ブログで文句を垂れているわけです。私の歳から言って、おそらく自分の立場をしっかりもって、そこから歴史を語っていくことは、もうできないと思う。このまま両方に足を付けたまま、命を終えるのだろうと。そして、いつの頃からか、私は中国でいうところの史部から経部に足を入れてしまったので、それほどに歴史に魅力を感じず、ただ「穴が見える」というところで満足してしまうのだとも思う。


ちなみに私は「あらゆるものに価値がない」というのを精神安定剤のように使っているところがあります。あらゆるものに価値がなく、したがって、あらゆるものは肯定される。この考えは、社会にもっとも有害である反面、表面的には無害に見える。そういうものではないかなと思っております。

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補足?

きのうの補足、というほどでもないが。

昨日のは学者が変な優越感を持つのは笑止千万だというはなしで、研究者的な正しさが真理ではないということを言いたかったにすぎない。だから自分の説が一般人に認められないからといって、「世間は分かっていない」という学者は困る、という程度のことになる。

それはともかく、たしかに最近は古い時代も考古学的な資料が出てきて、ここ数十年前までの歴史とはまた違った研究が可能になってきている。私はこれを何とも言えない気持ちで見ているのだが、その理由を書いてみよう。ただし整理できていないので、単なる列挙にとどまる。

第1、学者は信頼できない。神の手を持つやつが他にいないとは限らない。それは昨今の中国古代の発見にも言える。
第2、炭素測定法にしてもなんでも、学説によって年代測定がずれてくる。というか、炭素測定法に他の埋蔵物をあわせて時代を確定する場合がある以上、炭素測定法だけで断定するのは危険と言うことだろう。ということは、単独の考古学的資料に対するものとしては、いまひとつ信頼できない。
第3、考古学的資料はそれ自体として意味をもつか?
第4、考古学的資料そのものが嘘をつく可能性がある。
第5、まあ要するに、歴史って何なの、なぜ必要なの?というところ。

ほかにもあったが、すぐ頭に出てこないので、とりあえずこんなもんで。

1と2は言わずもがな。炭素測定法は主観によらないだけ心強いが、断定できないのでは価値も減る。それに100年単位で分かってもらっても............というのもある。

第3は、明清の「とう案」じゃないが、策書ばかりが出てきても、その意味するところを理解するのは難しい。人間は知らず知らずのうちに先行する思考体系を補正するかたちで新出史料を用いる。だから新出史料がそれじたい主張をもった歴史書なら別だが、たんなる辞令書や記念碑ばかりがでてきても、それだけでは意味をなさない。前の歴史学体系に照らした瞬間、その考古学的発見は学説体系の一部に組み込まれる。もとからある体系がいびつである以上、それに照らして生み出された新しい体系もまた、いびつだ。嘘に嘘を塗り固めても、出てくるのは最後まで嘘でしかない。

もちろんそういう文字資料以外の発見もあるし、それをつなぎ合わせる必要もあるのだが、ならそれで作られる歴史というのは何だろうか。それは我々にとっての歴史か?古代人が貝塚を巨人のなんとかと思ったのと同じように、我々がその考古学的発見を見て憶測逞しくしたところの妄想が歴史なのだろうか。

それが歴史と言えないではない。そうやって昔から王権は己の正統性を保持してきたのだから、民主主義政権だって、そうやって保持するのだろう。それでいいというならそれまでで、私も文句はない。その場合は、私の信ずるところが大多数と違うので、大多数の信ずる歴史は間違いだという、単純なことになる。しかしそれを越えて通有の「事実」でも見つけるつもりなら、まあ本当にそんなことが可能なのだろうか?ということになる。

第4は、まああれだ、発掘資料だからといって、あるいはその埋められた時代が分かったからといって、でてきた物がその時代の物とは限らない。古いものと新しいものが混ざるのはよくあることだ。そういう微細な点まではっきり分かるようになるには、まだ時間がかかりそうに思う。しかし物は語らないから害が少ない。文字資料はもっと厄介だ。たまに歴史書に書いてあるのは嘘だが、発掘資料に書かれてある文字は正しい、なんぞということを、真顔で力説する学者がいるが、そういう人間の神経が理解できない。歴史書が嘘なら、その本になった発掘資料の文字だって、とうぜん嘘だろう。正確に言うと、真偽を見分けるだけの「史料的判断」は常に不在なのだ(個々の事柄の起源を調べる等のことはある程度可能だが、その場合は意味をめぐって第3の問題に抵触する)。

さて、整理できていないことを書いてしまった。

おそらく私は頭で歴史の普遍性、あるいは普遍的なものに対する価値を否定しながら、現実にはその前提を抜けきれないでいるのだと思う。だから目にうつる多くのものを、普遍的なものに対する追求と捉えてしまうのだろう。なんぎなことだと思いつつも、それを切り離せないところが、私の限界なのだろう。

私はかつて、歴史が己の主観と切り離された存在だと思ったから、価値を感じていた。もっと端的に言えば、そうとう若い頃の話しだが、歴史を研究すれば民主主義は間違いだとう結論が、とうぜん出てきてもおかしくないと思っていた。しかし歴史というのはそういうものではない。我々が作り上げるものだから、民主主義を肯定する人間が、それを否定する論理を歴史から導くことはありえない。

しかしそういうところから一歩進んで、歴史は我々の理想だというような立場に立つのなら、いわゆる歴史的根拠は、私から見るところの、都合のよい資料収集に見える作業に変貌する。ここでも、いままでもそうだったし、これからもそうだと言われれば、そうなのだろう。ただ私は自分の観念に囚われてしまっているので、なかなかそうしたものを認められないでいる。

私はせこい正直者だから、口では「目的と結論は決まっているから、さあ、「東アジア」の連携に向けた歴史を作ろう。え?政権変わったの?じゃあ「日本の崇高性」の歴史を作ろうか」と言えても、本気で作業する気になれない。あるいは、「歴史の目的なんてどうでもいい。俺が楽しいからいいのだ。グダグダぬかすな!」とも言えず、さりとて「事柄が分かればいいじゃないか、価値?知らん」とも言い切れない。では私の信ずる妄想を軸に歴史を構築すればいいということになるが、それだと「あらゆるものに価値はない」という有害な思想になってしまう。目的がこうである以上、論証の過程でひっくり返るはずはなく、「価値がなかった」という結論になるのは自明の理だ。


以上。意味不明の文章だと思うが、私も分かっていない。分からなくても文字になるんだな。無意味な文字の列挙というのも、一見すると文章に見えるから、それと似たようなものか。


そうそう、もう一つ忘れていた。考古学的資料というのは思ったより少ない。最近の中国の考古学的発見(戦国時代のね)をもとに作られた研究成果を見て、「なんて堅固な研究成果だ!これでようやく戦国時代が分かるようになる!」と感嘆できる人は、もともと私の意見に賛同できないだろう。偏った見方によるかぎり、私は「あの程度の資料でなんでそんなことが言えるんだ。解釈の大半を既存の資料に依存し、しかも解釈は都合が良く、ましてやもとになった文字の判読は疑問もあり、さらには時代も怪しく............これなら昔の間違った歴史書的歴史を、間違った考古学的歴史に置き換えただけではないか」としか思えなかったのだから。要するに、本当に資料を解析している人の作業や経過を見ていると、とてもその正当性を是認できないということだったりする。

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資料の多寡

聖徳太子が偽者だという説がずいぶん前に流行した。(軽度の)歴史好きたる私ではあるが、その実、この種の「発見」に興味が持てないでいる。理由は簡単で、仮説が正しくとも、それを保証するだけの史料的根拠を欠くことが、研究する前から分かっているからだ。真実探求のため、いろいろやるべきだという人もいるが、もちろん私はそう思わない。

我々にとって是非とも必要なことなら別だが、歴史など分かろうが分かるまいが、政治的な問題を除き、なんの価値もない。だから史料的裏付けの取れないものは、「~にこう書いてある。正しいかもしれないし、間違いかも知れない。資料には矛盾が見られるが、見られるからといって間違いとも正しいとも言えない」と言っておけばいいのだ。

そういう意味で、上の偽造説も所詮知る必要のない存在だが、つい先日、成り行き上、話しがこれに及んだついで、ネットの反響を調べてみた。どんな記事でもよいとはいえ、長い方がよかろうと、結局wikiを読むことにした。

案の定、この程度の資料でよくこんな大胆なことが言えるなというものだった。史料的根拠がどうこういう程度でいいなら、奈良時代の(資料に出てくる)大半の人間は存在しないことになるだろう。などと思いつつ、ふと行文中、学者と民間人が並んで、同じように「学説」と見なされているのに気付いた。

偉大な学者とどこの馬の骨とも知れぬ民間人の意見が並記される。おそらく一部の学者が見れば気分を悪くするだろう。なんでも小説家の説が信用されて、学者の意見が軽んじられる風潮に危機感を覚えるアカデミックな人がいるらしいほどだから。しかし幸か不幸か、全ての人間の発言が同列に置かれ、同様に批評されるのは、あまりに当然の道理だ。

学者と民間人とを決定的に分けるものは設備の多寡にある。もちろん頭のよさもあるだろうが、正直なところ、日本で最も優秀な人材が歴史学に集まるとはとても考えられない。だから日本で最も優秀な人材以下の人材の争いなのだから、頭の良さを加えると、ほとんどすべての歴史学者が落第してしまうのだ。

それはともかく、設備というのは、歴史が降れば降るほど、民間人には苦しい。私の好きな宋代あたりだと、おそらく300万(円ね)ほどあればほとんどの資料を揃えられるだろう。しかし歴史を研究する段になれば、宋代の資料だけ見れおればいいというわけにはいかない。だから総合すると厖大な資料を必要とする。歴史は思想ではなく、資料の塊を解析した知識体系だから、資料のないところ、おのずと研究は封鎖される。

だから大規模な設備を必要とすればするほど、民間人に研究は難しく、それだけに学者が有利になる。しかし資料僅少の太古の昔ときては話しが違う。利用できる資料はほとんど限られ、しかも民間人も学者もともに見ることができる。江戸の宣長ならいざしらず、明治から現在(の少し前まで)の偉大な学者によって、読み方も一般人に開示されている。あと残るのは、その資料をどう解釈するかだけだ。

資料の多寡が等しいとき、そこから発せられる発言に差別されるいわれはない。学者の意見が民間人と並記される所以はそこにあるはずだ。もちろんこういうと、民間人は大衆迎合的な文章を書くが、学者は真実を追究していると、詭弁を持ち出す人間も現れるだろう。しかしそれは言うまでもなく間違いだ。

もしかすると学者は真実を追究していると本気で信じている人間がいるかもしれない。なかにはそう思い込んでいる学者本人もいることだろう。しかし学者は、いわゆる真実を追究しているのではない。彼らが追求しているのは、学者の世界で通用する「大衆」迎合的な発言にすぎない。ただ民間人と学者の間では、通用するところの「大衆」が異なるから、おのずと両者の間で発言の形式や好みが分かれ、結果として第三者が見ると違うように見えるだけなのだ。もっと平たく言えば、顧客層が違うだけなのだ。

ということで、wikiの太子偽造説を読んでいて、民間学者の発言に思わず感心すると同時に、もし宋代の歴史も、民間人が自由に資料を扱え、それを議論する時間的余裕が与えられるなら、従来の学者の説などはもろくも崩れ去るだろうと、そう思わないではおれなかった。

もちろん、太子真偽の真偽になんの興味も正当性も感じなかったこと、冒頭に書いた如くではある。

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髭をぬぐったのはいつか?

北宋初期の権臣・丁謂の逸事に「寇準の髭(ひげ)をぬぐう」というのがある。

名臣として知られる寇準は、好んで優れた人物を朝廷に推薦していた。その一人に丁謂という人がいた。丁謂は元来あたまのいい人間だったが、出世のきっかけを作ってくれたのが寇準とあって、地位が高くなってもなかなか頭があがらない。

そんなこんなで寇準が宰相、丁謂が副宰相になったある日のこと。二人して宰相府で会食したところ、寇準の髭に羮(あつもの)の汁がついているというので、副宰相の丁謂がわざわざ立ち上がってそれをぬぐってやったらしい。すると寇準はそのあまりのへつらいに堪らず、「朝廷の副宰相ほどの人間が、宰相のために髭をぬぐったりするのか」と叱ったとか。もっともこの発言に、丁謂は恥をかかされたとばかり寇準を憎み倒し、以後、二人の関係は悪くなったと云う。

後の歴史を知る人間からすれば、寇準が丁謂を推薦したとは、なかなか信じがたいことだ。なにせこの二人、最後にはたがいに天敵となり、寇準の方は丁謂の粛清を画策し、丁謂は丁謂で寇準を失脚させ、自殺を唆したのだ。そんな二人がかつては仲良しさんだったなんて、ちょっと信じたくない。人生、なにがあるか分からないものだ............という教訓を書き語ったわけではない。

こういう人間関係を記した逸話は信頼できないものが多く、私もいい加減に聞き流していた。ところが丁謂の伝記を読んだついでに、この逸話を調べなおしたところ、『萊公遺事』が情報の出処であり、そこに「寇準が宰相で、丁謂が副宰相(参知政事)」のころの事件として記していたことが分かった。

では寇準が宰相で丁謂が副宰相だったのはいつだろうか。自前の年表で恐縮だが、それは天禧三年六月から同年十二月のあいだ以外には存在しない。それ以前にも寇準ひとりが宰相だったり、丁謂ひとりが副宰相だった時期はあるが、二人がともに宰相府にいたのは上の時期に限られるのだ。

しかし天禧三年はもう真宗最晩年である。この時期、真宗は既に病に倒れ、三年後の乾興元年二月に崩じている。ましてや寇準が丁謂と激しく争い、李迪・曹瑋・楊億らを抱き込んで丁謂の粛清をはかり、みごとに謀略が露見し、逆に宰相職を奪われるのが天禧四年六月、かわって丁謂が首相に就くのが同七月。九月には寇準派の曹瑋が失脚、李迪も十一月に丁謂との共倒れを策したが失敗し、逆に丁謂のみが宰相の職に居座ることになる。後、丁謂派の馮拯が宰相の末席に加わった。

『遺事』の指摘が正しければ、寇準と丁謂はこの一年以前はすごく仲の良い師弟だったのに、髭の一件で急速に仲が悪くなり、たがいを殺戮しようとする間柄になったことになる。人間にはなにがあるか分からない。だからそういうこともあるかも知れない。

もしかすると、寇準が久方ぶりに朝廷に帰ってみると、丁謂が幅を利かせていた。はじめは自分にペコペコしていたのに、とちゅうで変なおべんちゃらをつかうから叱ってやると、掌を返したように攻撃的になった。だから自分も仲間(李迪とか曹瑋とか楊億とか)を抱き込んで、丁謂とその関係者を血祭りにあげ、権力を奪取しようとした............のだろうか、ほんとうに。それとも日ごろから寇準と丁謂は互いを憎んでいたが、師弟というので黙っていた。ところが髭の一件があったので、表面的にも対立関係になった............のだろうか。

そもそも『萊公遺事』該当部分の前置きには、「公は好士楽善、推薦を倦まず。种放・丁謂の徒、みなその門に出ず。然れども嘗に親しきところに語りて曰く、『丁生はまことに奇材。ただ重任に堪えず』」とある。しかしこの「丁謂の才能は買うが、人の上には立てない」という故事は、かつて寇準が人生の師・李から諭された言葉だ(『東軒筆録』)。なんとも調べれば調べるほど『遺事』の記事は眉唾な感じがしないではない。

政治の話しだから何があっても不思議ではないが、丁謂ひとりが憎いにしては、寇準の遣り方はあまりに大人げないし、寇準ひとりの問題なら、丁謂にしても寇準の徒党をすべて放逐する必要はなかろうから、対立の本質はもう少し根が深いところにあったのかも知れない。もっとも根が深いといっても、地域的対立とか文化的相違とか、そういう人間通有の権力闘争の埒外にある問題だと到底考えられないのが、哀しいところではある。

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かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

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