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立つ鳥

1.立つ鳥跡を濁さず

ブログを止める場合、記事は消しておくべきものかどうか。いつの間にか止めていた、という場合はともかく、確信犯の場合はどうなんだろう。価値のある記事があるでもなし、文句を言われたら困ることばかりなので、その時には消しておくつもりだが、有害無益のものもあるように思う。サイトはややマシなので、放っておこうかなとか思っていたり思わなかったり。

2.立つ鳥跡を濁さず2

標題のごとく「立つ鳥跡を濁さず」というのがある。なにもなかった子供の頃は難しく思わなかったが、歳を喰うと案外難しいことに気付く次第。全ての責を一人で背負って消えていく。立派ではあるし、そうしてくれた方が世の中の他人は助かるのだが、本当にそれでいいのか?

今後の自分に利益がある場合は、黙って消えていくのも分かるのだが、なんの利益もなく、ただ損なだけの場合、本当にそれで満足できるのだろうか?騒ぎ立てて、捨て台詞を吐いて、反感と顰蹙を買って去っていくというのは、明らかに周囲の人間には迷惑なことだが、本人的にはそれで得るものはなくても失うものはない、ということもあるのではないか。

利益を得る人間は、利益を与える人間の損害を考慮しないものだが、立つ鳥云々も案外その手の詐欺的手法ではないかと思わないでもない。

3.列子楊朱篇のつづき

楊朱が「生きててもしょーがねーだろ」というと、弟子が「そんなら自殺でもしたらいいんじゃね?」と切り返した。それを受けての楊朱先生の発言。訳文は岩波文庫の小林さんのもの(『列子』下冊134頁)。

すると先生はこういってさとされた。「いや、そうじゃない。すでに生まれたからには、とやかく余計なことをせず、なりゆきに任せ、自分のやりたいことを存分にやりつくして、静かに死のおとずれを待つことだ。いよいよ死がおとずれてきたら、とやかくせずになりゆきに任せ、死に行くさきを見きわめて素直に死んでゆくことだ。すべてとやかく余計なことをせず、あくまでも自然のなりゆきに任せておく。そうすれば、死のおとずれが早いか遅いかの違いなど、全く問題にはならないのだ。」


理想的な生き方だが、私には無理だな。でも不思議なもので、列子でも荘子でも、その手の書物を読む限り、悲壮感が全くない。私としては上のような主張を悲壮感いっぱいで語ってもらいたいのだが。

4.漢辞海

三省堂の『漢辞海』は高校生を対象とすると言いながら、なかなか立派な辞典なので私はよく利用している。たぶん『漢語大詞典』より使っていると思う。第2版になって書き下しを添付するという、気に入らないことをしてしまったが、あって害になるものでなし、特に問題とするに当たらない。

でもこの辞典、みんなが言うように、たしかに収録語彙(?)数が少ない。熟語数には期待しないが(というか、熟語を調べるなら、最初から漢語大詞典を調べる)、親字の収録が少ないと見えて、ATOKに出て来るのに辞典にないという気持ち悪いことが稀にある。そう思っていたのだが。

この前ひょんなことから親字数を調べてみると、この辞典には1万2500字の親字、5万の熟語(熟語関連項目は8万)を収録していることを知った。嘘をついても仕方ないから本当なんだろう。でも、手持ちの旺文社の『漢和中辞典』(赤塚さんと阿部吉雄さんが編纂したもの)は、経験的にいって明らかに収録親字数は漢辞海より多いのだが、凡例による限り、親字1万1000、熟語6万2千らしい。漢辞海には私の利用しない漢字がたくさん入っていると見える。

どうでもいいけど、こういう辞典はデータで売ってほしい。辞典を引くことで勉強になるというのは否定しないが、調べたら収録してなかったでは、単なる時間の無駄だと思う。

5.墨子

昨日のつづき。東洋文庫の墨子は抄訳だったんだ。知らなかった。もっとも抄訳の部分は、戦争に関係する後半部分だけだから、私のような読み方をする人間には、全く問題ないことではあるのだが。どちらかというと、抄訳じゃなくて省略されていても構わないくらいだ(いや、全くもって困る人もいると思うけど)。

でも墨経は意味が分からない。原文がああだから仕方ないのだが、訳文を読んで意味の分かる人がいれば天才だろうな。「体は、兼の部分である」(206頁)とか言われても、「体」も「兼」も解釈が多すぎて意味が分からん。いちおう「説」があって、「経」の解釈はしてくれるのだが、説は経と乖離したところがあるとか解説されたのでは、信用して良いものかどうか。

という具合なので、墨経は無視することにした。

6.鉄人28号

何年か前に鉄人28号のアニメをやっていた。全体的におもしろい出来だったが、特に京都の回はよかった。部屋を整理していて、関係グッズがでてきて久しぶりに思い出した。梅小路博士の考えは素晴らしい......のだけど、それが私の思っているものと同じかどうか、よく分からない。三島由紀夫の金閣寺あたりをモデルにしているらしいから、ちょっと私のとズレているように思わないでもないが、ズレていないと言えないでもないようにも思う。どっちなんだ?

7.森田さんは無口セレクション

牧先生が出てないな。そういえば森田さんは『くらぶ』の方でも連載を再開するらしい。来月の1日に発売。そうそうセレクションが出たからには、第2巻は当面お預けかと思ったが、6月27日に発売されるらしい。......なんのためのセレクションなんだろう。いや、セレクションが出たこと自体は嬉しいのだけど。でも第2巻は時期的に購入は難しそうだな。生きてはいると思うけど。

8.秦山先生の資料

個人にとって、知らないものは存在しないのと同じだ。しかし知ってしまったからには、なかったことにはできない。秦山の文献は『秦山集』と『手簡』で充分とはいえ(『日抄』も便利ではあるが)、ファン心理としては、見られるものは見たいし、読みたいし、理解したいものだ。

こんな時期に見つからなくてもよかったのに。もう間に合わないよ。

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成句

1.成句

働かざるもの云々とはいうものの、働いておればいいわけでもあるまい。働けば働くほど不利益を生み出す仕事だってあるだろうから。もっとも無為徒食は一種の才能だから、だれでもやりたくてできるものではない。私など、何もしていないと不安で不安で、それだけでストレスがたまる。だから今なんて精神が病みまくって大変だ。働いておれば安全、儲かる仕事なら大丈夫、ってわけでもなんでもないのは明々白々なんだけども。

2.好きな成句

ちなみに私の好きな成句は「千羊の皮は一狐の腋に如かず(平凡な人間がたくさんいても、一人の勝れた人間には及ばない)」で、子供の頃に知って、大いに感動した記憶がある。

私はむかしから「努力すれば偉い」「普通は立派だ」という考えの人間が嫌いだった。ただ、普通の人は、あるときハタと自分で自分を責めているのに気づき、優しい人間になるか、それとも欺瞞めいた人間になるのだろうが、私の場合は他人を責める目をもって自分をも責めたいと意固地に思うようになった。だから今の私が駄目なのも、それについて弁解する気はない。と同時に、他人様を批判的に見るのを止める気にも到底なれない。

人を批判する→同じ理由で自分も批判する→自分も批判するんだから他人も批判する、という悪い循環にはまっていると見える。

3.墨子

突然墨子を思い出した。理由は分からないが、大昔の素朴な思想を読みたいけど、論語は鬱陶しいので、同じく顕学の墨子にしたのだろう......か?でも原文で読むような冒険はやめて、おとなしく東洋文庫を借りて読むことにした。といっても、戦争と詭弁に付き合うほど時間がないので、順当に儒学批判とお墨様のみことばを読んでみた。長らく棄てられていた本だけのことはあって、議論が未熟すぎておもしろくない。なんというかね、孟子劣化版というか、論争相手は迫力で押し切れるかもしれないけど、第三者はムリだぜという感じ。でも、おもしろいところもあるので、明日いっぱいくらいはつきあってみようかな。

4.列子(楊朱篇限定)

小林さんの列子訳、孟子の訳と同じく、やたらと亀甲括弧が多様されている。それはいいのだけど、二つほど奇妙な訳文があった。誤訳というのではなく、中国語によくある、「Aはabc、Bはdef」という説明方法、なぜか「Aはabc、Bはd(改行)ef」となっていた。これでは正確に意味を取ろうとすればするほど、誤訳を誘発する。なぜこんな切り方をしたのだろう?文の長さかな?前の本田某を推す気は全くないが、ひとまとまりの流れを断つような改行はよくないと思う。

楊朱のお言葉(とされているもの、と言った方が正しいのかどうか知らない、というか、そもそもそんなことが分かるほど先秦時代の文献は残っていない)も、お墨先生と同じく素朴で感心しないものが多い。現代人の、しかもエエ歳しこいた人間が読むには、純真すぎるのだろ。でも、そこはお列様、泥臭い話しもあって、そこそこ楽しめた。

気が向けば引用する。

5.盗作

そういえば小林さんの孟子は、ある人の訳と類似点が多いのに、それを黙っているのはよろしくないとか、そういう意見があった。誰の議論でどこに書いてあるのか知ってはいるが、書きたくないし、人に勧める気もないので、書かないでおこう。

小林さんの孟子が本当にある人に似ているのかどうか、私は知らない。そもそも比べる気にもならない。だからその評論の真偽は分からない。もし本当なら宜しくはないだろうが、本当でないなら、とんでもない誹謗中傷だし、なにか理由があるなら(訳者同士で了解していたなど)、専門家の皮相な無知蒙昧さを露呈したことになる。

しかしここ数十年における現代人の常識としては、人の著作物を勝手に引用するのはよくないことになっている。いや、大昔でも、そういうことがあるていど通用した場合もある。経書の注釈にいちいち「某氏曰」とかあるのがそれだ。しかしね、これも考えようで、南宋から元代の資料によく見かけるのだけど、「某氏曰某氏曰」というのがある。後の某氏の著作を直に読めないものだから、それを引用した前の某氏の著書から後の某氏の学説を引用したという意味なのだが、こんなものは煩瑣に堪えない。

しかし元代あたりで、こういう書き方をする著作があったからといって、謹厳実直で、剽窃などあり得ないと考えるのはおめでたい。仔細に調べると、そういう「某氏曰」的書き方をする一方、だまって他人の注釈をごっそりそのままパクっているのもあるのだ。なぜ分かるかって?だって、パクられた方の解釈じしんに引用ミスがあったり、引用文を意図的に変えて(日本語で言う通釈)いるときがあるのだ。

しかし剽窃はいけない、などと嘯くのは現代人だけで、だからそれをもって現代人を批判するのは理にかなった行いだが、古代人を批判するのは的を外している。自分たちの価値観は古代まで通用するはずだ、だから自分たちの価値観と異なる作法をする古代人は劣っている、とは、あまりにおめでたい発想だ。

......三段とも「しかし」で始まっている。悪文の典型例だね。

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秦山の最期

秦山最期の記録はいろいろあるが、以下はその内の一つ。昨日夜中に本を読んでいたら、ながなが引用されていたので、それを抜き書きしておく。本当は原本を確かめるべきなのだが、近くの図書館に収蔵していなかったので、とりあえずこれで我慢しておく。

※以下本文

享保三年戊戌六月晦日未の刻、谷重遠先生香我美郡山田町自宅に於て卒去、卯の年にて今年五十六、去年四月廿六日より中風患ひ危急之所、良友馬詰興三右衛門療治にて程なく快氣、尤右の手少々不叶に有之音舌さわやか無之候へ共、是又為差事にてはなし。今日晦日、例に勝れ氣色快然、早朝は唐鑑講有之、晝前町へ用事に出られ、追付歸り、庭前へ自身木藥を干し内に入、脾胃透候間茶漬をと被好候。其儘すへ懸候へ共、最早すゝむ氣無之、頭痛甚候。此體ならば、可相果候枕をと被申、奧方樣差出され候へともすけ候事不叶、直に奧方の膝に倒れ絶入被申候。臍中へ過分灸治候へ共、ききめ無之、未の刻事切被申候。爾來の中風の氣味は少も無之霍亂にて候き。

七月二日、申の下刻先生葬り、家より八町斗北グイミ谷(植村ノ内、鍋山ノ東)南向山半腹に墓を築く。棺は坐棺也。壹寸五歩板也。悉クコガリをさし竹の輪をひしと入る。内の高さ二尺五寸、廣さこれに隨ふ。髪月代常のごとし。裝束は帷子二ツ麻上下着し、脇は冬の衣類二ツ入る。綿入袷セ也。惣體の詰には茶を紙袋にしてソコソコへ押込也。桶の肌へは布四幅ぬひ合せ、よほど長くして外に垂れ、遺體内に坐せしめ、布の端を四方より掩ける也。

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宋代皇后その他意味不明

1.皇后選び

> 明朝の法則

知らなかった。そんな法則があったのか......まだまだ勉強が足らないな。

しかし皇后選びといっても、廃后がない限り、皇太子時代の嫁さんがそのまま皇后になるので、実際は皇太子妃選びと言えないでもない。いや、明代は違うのかな?

宋代の場合は......隠微なことだから史料も少ないけど、哲宗の孟皇后の記録はたくさん残っている。それによると皇后を選ぶのにいくつか条件があったらしい。

まず何はともあれ本人の資質。美女(美少女?)......は関係なくて、政治に口を出さない人とか、奢侈の趣味を持っていない人とか、要するに礼儀に適った人が求められた。もちろん皇帝と同年代なのは言うまでもない。できれば年下が求められたようだが、少しくらいなら年上でもよかったらしい。現に哲宗のは姉さん女房だしね。

次に血筋。ハッキリ言えば、官僚一家として朝廷の名簿に名前の載る人の娘でないと駄目......とまでは云わないが、後々ややこしい問題が起こるといけないので好まれなかった。

次に養子もちょっと......となる。親と親戚の数が増えるので、朝廷に関与する人間が増えてややこしいのがその理由らしい。

次に親の能否。朝廷に口出しする親は駄目。

次に家柄。現皇后や皇太后の家からは選ばない。外戚が力をますから。でも名門すぎても駄目らしい。名門の娘はお鼻が高いので、躾けられないとか。もっともここらは時代によっても少し違うようだけど。

最後に(哲宗の場合は)皇太后が気に入ったかどうか。

複数人のお嫁さん候補を挙げて、気に入ったのを皇帝自身に選ばせるというのもあるが、哲宗の場合は、まだ哲宗その人が子供だったのと、あまりに条件を厳しくし過ぎたために候補が1人しか残らなかったらしい。

で、大変な難関を突破したのが孟皇后だったのだが......立派な人が必ずしも幸せになるとは限らないよね。2回も廃后されるとは夢にも思わなかっただろう。

そういえば曾布が復后(廃后を皇后に戻すこと)は前代未聞だ!とか言っていたが、調べてみると全くないわけでもないような気もしないでもないこともないような感じもしないでもないのかも知れないこともない。

2.崎門学脈系譜

そうそう崎門学脈系譜がリニューアルされたらしい。

いままでの一覧表に加えて、直方、絅斎、詳細の各系譜ごとのページもできたようだ。1ページで全てのデータが見られるのは便利だが、それだと重くなりがちなので、分割のページも作ったとのこと。私なんかは割と軽い方が好きなので、ありがたい。

3.カーソルさん、じゃまですよ

firefoxの画面にカーソルが出てきた。実害はないけど目障りだったのでググったら、先生が教えてくれた。F7を押せばいいのか。ちなみに「ググったら、先生が~」というふうに、本来繋がっている単語を、2つに分割する記述方法は、漢文によく見られる。でも日本語ですると意味不明だな。先生ってだれ?

4.主張は控えめに

本田某の『日本語の作文技術』という一部に有名な本がある。別に新聞社の書き方をまねる必要なぞ全くないが、有名だというのでおおむかし読んだ。なんでも著者は、内容は立派だけど日本語の書き方に問題があるものを引用させてもらったとか。私なんぞ、引用文の内容(主張?)は論外だが、日本語の書き方は気にならなかったものだ。

で、ちょっと前に図書館に於いてあったので、お久しぶりとばかり、パラパラ捲ってみた。なんというかね、どうしても主語の位置(主題というべきか。「~は」の位置ね)が気になって仕方なかった。生成文法というのもどうかと思うが、まあどうでもいい。一読して読み間違えないようにといいながら、主語が下の方にあったのでは、行為乃至条件の主題が分からんのではないか?ここらは人によって違うのかな。私なんかは、文の冒頭に主題があった方が分かりやすい。副詞も漢文調のものの方が読みやすい。

5.国会寄贈本の謎

国会図書館には寄贈の義務があるはずだけど、たしかに検索に出てこない雑誌がある。身近の某研究雑誌は図書のコードを付けてないとかいって、むかし寄贈してなかったらしい。価値がないと自覚していたから寄贈しなかったのだろう。

でもこの前、ナントカ氏の四コマを調べるべく国会のOPACを検索したところ、『まんがタイムポップ』が出てこなかった。入ってないのかな?それともあれは『まんがホーム』の増刊号だったから、そっちの増刊で登録されているのかな?あるいは短期間で廃刊したから(『ジャンボ』に吸収されたような)、寄贈しなかったのかな?

6.国会複写

図書館で複写を頼むと、当たり前だが、1冊まるごと複写はできない。というか、個人でもしてはいけない。でも、すこし感覚が狂うのが、論文集の複写。『某先生なんとか記念』という、一般人からするとありがたくも何でもない本がある。ああいうのには複数の学者の論文がまとまっているのだが、その論文1本が1冊と見なされ、国会に1本の論文の複写を頼むと、「半分のページまでしか複写できません」と言われる。規則ではそうなんだろうが、ちょっと現実的じゃないなあ。

その代わり、雑誌の1論文は全ページ複写できる。やったことはないけど、1雑誌の全論文の複写を頼んだら(結果的に雑誌全部を複写したことになる)、許可が下りるのだろうか?

でも国会(公共図書館も)を利用したときは日本国民のありがたみをしみじみ感じた。大学や研究所に史料の閲覧許可を求めても、普通は断られる。貴重書(でもないんだけど)は専門に入っていたりして見せてくれないか、見せてくれても時間が取れない/かかりすぎるのだ。私学は論外ね、国の金をかなりもらっているくせに見せてくれないから。でも国会やら県立図書館やらは、所蔵機関の規則さえ守れば見せてくれる。あほな学者が横暴なことを要求しない限り、普通の人でも見せてくれる。

もっとも、私は古いものを守ろうという考えには何の共感もできない。なくなっても不都合ないだろう?観光客が減るから困るというのは、現実味があって結構なことだが。


今日は少し寒い。そして無駄に書き散らしてしまった。あんがい楽しい。

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とりあえず

考えている時間が勿体ないので、とりあえず神道批判の常道ということで、浅見さんと佐藤さんの中国弁と中国論集を読むことにした。尚斎にも神道批判のまとまった書物はあるらしいが、ちょっと見られそうにないので諦める。秦山先生は分量が多くて、なにをやっても中途半端に終わるだろうから、こちらも断念した。

以下、雑感。

たしかに日本は歴史に学ばない国柄だな。もっとも今回の政治劇は、歴史というより、個人的な反省が足らないだけではないかと思わないでもない。でも、変えようにも変えられないのかも知れない。人は変われるものだが、変わらないのもまた人の性、だからそういう風にしか動けないのではないか。別の方面から言えば、選択肢が少ない、というか、ないから、どう転んでも、転がそうとすれば同じ人が中心になるのだろう。

でもこれからの政治はどうなるものか。一昔前なら、日本には日本の伝統があるから、よしにつけあしにつけ、そういうものとして各々努力しないといけない、アメリカにも善悪あり、中国にも善悪あり、云々と言えたのだが、世界が急速に一つになるということは、そういう各地の伝統を踏みつぶしていくのだろうか。いや、踏みつぶしていくとして、どういう形で踏みつぶすのだろう。

中国なんて昔からでかい国だが(面積ね)、地方ごとにかなり違うことをやっていたし、差異に手を付けないように政治をしていた。それが善いことかどうかは知らないが、欧州のような傲岸不遜的態度とは、同じ傲岸不遜でも性質が違う。いずれにせよ私のような人間には苦しい時勢だな。いや、そうならなくても楽にはならないのだけどね。人生いろいろ。

どうでもいいが、googlebotは一日何回きたら気が済むんだ。さっき調べてやったら、今日だけで70回もご訪問があった。なかには1秒後とかいうのがあったが、どんだけ暇なんだ。

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うむむ

残された時間が少なくなってきた、短期間のうちにまとめきれるものはないだろうか、などと考えているだけで時間が減ってしまった。

そういえば今日は『まんがライフセレクション 森田さんは無口増刊号』の発売日だな。まんがライフWINに「森田さんは無口」があがっている。これは第1巻発売記念(?)として『まんがライフ』2008年2月号に掲載されたもののはず。加筆はないと思うけど、目が痛いので厳密には比べてない。

とはいうものの、我が居住区ではまだ発売されていない。明後日かな。

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資料処理の速度(蓬左文庫編)

古典籍の複写を頼む人はそういないだろうが、私のような変な人間は、その手の機会がないでもない。もっとも古典を多く収蔵している大学の図書館は、善良な一般人が利用するのは難しく(卒業した大学は別だが)、あってもなくても同じというような感じになる。で、勢い、国会図書館とか、そういう仰々しい肩書きを持つところに頼ることになる。むろん料金は決して安くないので、私も片手で済むくらいの回数しか依頼したことはない。

それはともかく、国会図書館は対応がスマートで処理もそこそこ速く、個人的には好印象を持っている。でも蓬左文庫はもっと処理速度が速い。

ところが残念なことに、国会図書館が利用の仕方に細かく利用方法を記しているのに反し、蓬左文庫はなぜかその点が不親切で、分かりにくい。そもそも郵便による複写を認めているのかどうかも、サイトの情報だけでは判別が難しい。

実際は蓬左文庫も郵送による複写を認めているし、料金もバカような高さではない。同館は道学資講といって崎門関係の資料を多く収蔵しているので、その種のものに興味ある人間としては、せっかくいろいろなサービスを用意しているのだから、いささか勿体ない感じがしないでもない。

で、以下、基本的な流れ。
  1. 蓬左文庫に必要箇所を連絡する。
  2. 蓬左文庫側から可否の連絡があり、可なら、必要経費と申請用紙(PDF)がメールで送られる。
  3. 現金書留と申請用紙を蓬左文庫に送る。
  4. 蓬左文庫から代金着払いで資料が届く。
  5. 資料を受け取る。
となる。ちなみにマイクロから複写の場合、料金は1枚25円(2010/04/17現在)。

私の経験したところ、いきなりメールを送りつけると、不達になる可能性があるらしい。理由は不明ながら、もしかしたら迷惑メールに振り分けられているのかもしれない。だから連絡をする場合は、まず電話をかけた方がいい。

もっとも電話をかけても、細かい資料の指定はむつかしいので、結局はメールを送ることになる(ファックスがある場合は、ファックスを推奨しているようだが)。その際の注意点として、郵送による複写依頼は、できるだけ全冊申込(1冊まるごとの複写)が望ましいらしい。理由は、冊内の一部だと、マイクロのコマ数を数える必要があるので、料金の換算に時間がかかるかららしい。

例えば、巻193には
  • 中和集説筆記
  • 中庸説話
  • 人心道心考
  • 中庸大意
の四書が収録されているが、その中の「人心道心考」が欲しい場合は、これの含まれる冊を全て依頼することになる。巻と冊はだいたい同じだが、異なる場合があるので注意が必要。ちなみに1冊あたり500~800円くらいと思われる(線装本だから、数千頁の冊はない)

また申請書には「利用目的」を具体的に記入する必要がある。したがって「研究のため」のような書き方はだめで、「名古屋における道学を調べるため」とか言うように、なにかしら固有名詞のようなものを記入しなければならない。


ということで、依頼フォームもなく、現金書留以外に送金方法がない等、やや面倒なところはあるのだが、そのかわり(利用者が少ないからか)複写処理は異様に速かった。私の場合は、現金書留が到着した日に複写して発送したらしく、現金書留を送った日から数日後には資料の複写を入手できた。

ああいうところは処理が遅いと決まっているのだが、あまりのスピードに驚いたこと驚いたこと。

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神代温義

ヤフオクに『神代温義』が出品されていた。

『神代温義』は谷秦山と澁川春海の神道問答、春海の天体研究の成果(天柱密談)、秦山の息子・谷垣守の速別草を収めたもので、いずれも山内家の蔵書(当時)を活字印刷したものだ。戦前の出版物だから稀覯本というわけではないが、普通の古本屋でよく見かける書物というわけでもない。

ただ写真を見た感じ、かなり汚い。私の手持ちの本も決して綺麗ではないが、さすがにあそこまで汚れていない。だからこそ年代物のわりに値段がお手頃なのだろうけど、あれを買ったら、すぐに補修しないといけないんじゃないか?


どうでもいいけど、ここ数日、頭が痛い............

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秘伝焼却

久しぶりにジャンボを読んだ......ような気がしたが、1ヶ月とばしただけだった。と思っていたのだが、なんですかね、『あおいちゃんとヤマトくん』は終わりなんですかね?なんとも言いかねるな。

ということで、備忘録がてらに若林強斎の言葉。どれもよく引用される有名なものだが、有名なだけあって感銘を受けたので記しておく。


○『雜話續録』一
先生曰「神道ノ傳授切紙ヲ許サルレバ、モハヤソレデスンダコトノ樣ニ誰々モ思フテヲル。ソレハ箱傳授ト云テ、何ノヤクニタヽヌコトナリ。垂加翁ノ書記シオカレシコトハ、古傳ニヨリテマコトニ初學ノ為ニワヅカニ其端ヲヒライテオカレタマデノコトナリ。然レバ其言ニツキ其端ニヨツテ反復熟思、推窮演繹セネバ、蘊奥ハ窺ハレヌ。垂加翁ノ詳ニ仰ヲカレヌモ、學者思而得之ヤウニトノ思召ト見ヘル。然ルヲモハヤ磐境・神籬ノ傳モ承リタ、三種ノ傳モ承リタ、モハヤ蘊奥ニ殘リタコトハナキトオボヘテオルハ、タハイモナキコトナリ。」(神道大系の『垂加神道』下、134頁)

先生は強斎のこと。筆記者は山口春水。

切紙の否定。否定の根拠がおもしろい。知識は万人に共通だというのではなく、伝授されただけで安心してしまうというところは好感が持てる。万人共通は結構なことに相違ないが、なかなか実が伴わないのが現実。


○『雜話續録』三
一、先生曰「神明ノコト、アマリニ道理ヲ發越シテ説ヌコトナリ。垂加翁云、吾才ヲ以、神道ノコトヲ演繹シテ説カバ、諸人感服シテ靡キ從フベシ。此事甚易シ。然ルニ左樣ニ説クハ、神書ヲアイシラフ體デナイ。ヤハリ古説ヲ立テヽヲボコナナリニ云テ置クガ、神書ヲ讀ノ法ナリ。言嬰兒ニカルト云ガ大事ノ旨ヂヤ、ト仰ラレタル由ナリ。」(201頁)

一、先生ヨリ大坂ノ僑居ヘ仰下サルヽハ、「葦齋編集ノ源根録・玉籤集ヲ焚捨ラレタリ。是ハ手前達テ進メタルコトナリ。是ニテ世上ニ何程ノ源根・玉籤アリテモ苦シカラズ。葦齋モ神道上達ニテ悦バシク思フ」と仰越サル。即右始末ヲ書サレタル文章ヲ示サル。予、其頃、右兩書ヲモ未拜見、スベテ神道相傳ノコトナド不案内ナル時節ユヘ、先生ヘ申上ルハ、「私、邊地ニ生レ仕官ノ身ナレバ、上京仕ルコトモ心ニ任セズ、時節ヲ以右兩書ナド拜見仕リタラバ、又合點ノ手懸リニモ相成ベキト是ヲ樂シミニ存居候處、最早右ノ望モタエ、力ヲ落シ候」旨ヲ申上レバ、先生ヨリ仰越ルヽハ、「ワルキ合點ナリ。右兩書ヲ焚タルコトヲ聞テハ、大ニ力ヲ得タルトコソ可被申越コトナリ。垂加翁ノナサレ置レタル書ヲ焚タデハナシ、少モ力ヲオトサルベキコトナラズ」トテ、甚御叱リノ御状ナリ。去レドモ其時ハ信服セズ。夫レハ源根録モ玉籤集モ、神道相傳ノコトモ、聞盡シ熟讀アツテ、其上ニ葦齋ヘモ討論モ有テノ上ノコトナリ、予ナド何ヲ以、神道傳來ノ説ヲ承ランヤト、殘念ニ思ハレタリ。然ル處、不思議ニ玉籤集モ源根録モ、求得テ熟覽スル。又、日蔭草・風水草・風葉集ナドモ、不思議ノ傳手ニテ得之、熟覽スル。サテフリカヘリテ見レバ、誠ニ源根・玉籤ヲ焚捨ラレタルハ、御尤至極ナリ。其編集者ノ葦齋ガ焚捨ラレタルト云コトニテ、世間ニナニホドノ源根・玉籤ガ徘徊シテモ、大根ノ處デ消テオルト云モノナリ。サテ玉籤集ハイカヾノコトモ多キナリニマヅ其通デモアルガ、源根録ヲ開キ見レバ、淺間敷、涙ノ落ル樣ナ氣ノ毒ナル書ナリ。何レモ葦齋ノ作文ト云コトニテモナク、皆、諸書ニ記シテアルコトヲ標出シテ編集セラレタデハアレドモ、諸書ニ散在シテアルハ散在ナリデ目ニモ立タズ散在シテアルヲ、志有ル者ハ心ヲ着テ見ルデ事モ闕ケズ。ソレヲアノ樣ニ諸書ノ中ヨリ撰出シテミセテハ、寶鏡ノ始末ニテモ、神道ノ衰、王室ノ衰ヘノ次第モ、カクレナク見ユル。アマリニ勿體ナキコトナレバ、委クモ云レズ。或時、先生仰ラルヽハ、「葦齋、神道ノコト彼是骨ヲ折テ諸書ヲ考、編集セラルヽハ、能事ノ樣ニハアレドモ、ドコヤラ氣ノ輕キ處アリテ、此道疎末ニモナリ、神秘大切ナコトモアラハニ可相成歟ト甚氣遣ニ思ハルヽコトナリ」ト御物語アリ。右兩書燒棄ラレタルコトト、思合サルヽコト也。(204~205頁)

上の闇斎の言葉は、闇斎の神道研究の姿勢を示すのによく引用される。いつも引用場所を忘れるので、書きとめておくことにした。

下の、山口春水の気持ちも分からんはない。秘伝の伝授を楽しみに勉学に励んでいたら、理由はともかく、先生から「あれ、有害なので焼いたから。あとよろしく。がんばれよ」では、残念どころではあるまい。こういうところは、師に対する強い敬慕の情がないと、なかなか先生の気持ちは分からないし、分かろうと思えないもんだろうな。むしろ逆が多い(ように思う)。


○續強齋先生集(『神道大系』のために編纂したものらしい)

記原根録玉籤集篋
玉木翁、一日、門人數輩を召し、嘗て編述する所の『原根録』『玉籤集』、并に切紙數卷を取り出し、曰く、「道の寄するや、此に在るが若し。而るも道の廢るるや、實に此に在り。予、之を思ふこと久し。今、將に此等の書を焚き、諸賢をして此の事の某年某月某日に在るを證せしめんとす。故に召して以て視す」と。遂に携へ往き悉く諸を森蔭社の前に焚き、其の灰燼を篋中に収め、以て指示して曰く、「是れ乃ち眞の原根・玉籤なり」と。門人の憲蔭、慨然として歌いて曰く、「焚棄而言葉艸毛荒金之土爾遺志志道之賢佐」と。時に余も亦た來りて會す。竊かに歎じて謂く、嗚呼、今の神道を學ぶ者、蓋し尠なしと為さず。而るに往往にして内に蓄うるに務めずして、徒らに口耳に資り、道を明らかに求めずして、急ぎて傳授を利とし、條を尋ね目を數へ、許可を乞ひ社號を請ひ、既に之を得れば、則ち安然と翁を以て自居し、驕然と傳を以て人に加へ、高談虚論し、光陰に間度す。實に神州の罪人なるに、自ら知らず。是を以て、言愈いよ繁くして徳愈いよ荒く、傳愈いよ廣くして道愈いよ衰ふ。豈に痛哀せざらんや。翁の此の舉、始め之を聞きしときは太だ過ぎる者の若し。而るに退きて之を思はば、道を憂うの深しと謂うべし。大凡、學者、翁の憂う所を以て之を體し、反求して自ら責め、一味に神代中臣の間に反復し研究すれば、平生の齋戒・祈祷・祓除の功、少しの間斷も無し。漸やく五十鈴流に遡り、深く神路の奥に入り、終に清清の地に造らば、則ち所謂眞原根・玉籤なる者、實に我を欺かざるを知り、而して彼の歌に「荒金の土に遺す」と云う者、是に於いてか驗あり。因て誌し以て後感に備ふと云ふ。享保十二年丁未冬十二月三日 若林進居、謹みて記す(448頁)。

玉木正英は垂加神道の後継者で、闇斎の書物から重要箇所を抜き出して秘伝を作ったりした。もともと闇斎の神道伝授は各人の能力に応じた口授だったので、人によって理解も文字もさまざまだったらしく、そのため闇斎の真意が歪められるのを畏れ、あえて秘伝をつくってその学説の保存に務めたとかなんとか。

しかし玉木さんの友人だった若林さんは、どうもこれが気に入らず、秘伝を焼き捨てるよう勧めていたらしく、ながらく語り合ったあげく、ついに玉木さんが折れて、門弟を集め、秘伝の焼却に踏み切ったらしい。したがって、上の発言は、いちおう玉木さんの言葉になっているが、実際は強斎の意であろうとか(上の山口春水の記録に見える)。

「道の寄するや、此に在るが若し。而るも道の廢るるや、實に此に在り」とは、なかなかかっこいい言葉だね。「此」は秘伝のことね。もっとも、これに対しては、真理は文字にないけれど、文字がなければ真理もまた残らない、という言葉が対応する。これも朱子学者系列の人々がよくつかった格言で、そういわれたらそういわれたで、ごもっとも。

なお玉木さんはこうして『玉籤集』を焼き捨てた後も、また秘伝らしく出していたらしいが、上の山口春水の記録に「是ニテ世上ニ何程ノ源根・玉籤アリテモ苦シカラズ」とあるからには、玉木さん自身に焼却させるのが目的だったんだろうね。

それはともかく、若林さんは自分で焼き捨てるよう唆したくせに、「始め之を聞きしときは太だ過ぎる者の若し」とは、なかなかしゃれの分かるおじさんと見える。


*焚棄而言葉艸毛荒金之土爾遺志志道之賢佐:「焚き棄てて、言葉さけ、荒金の、土に遺しし、道の賢こさ」かな?二句目が気持ち悪いけど、読み方が分からん。その他、読みにくい句がいくつかあった。下に原文をあげておく。

原文

玉木翁一日召門人數輩、取出嘗所編述原根録、玉籤集、并切紙數卷、曰:「道之寄也、若在乎此。而道之廢也、實在乎此。予思之久矣。今將焚此等書、令諸賢證此事在某年某月某日。故召以視焉」。遂携往悉焚諸森蔭社前、収其灰燼於篋中、以指示曰:「是乃眞原根・玉籤也」。門人憲蔭慨然歌曰:「焚棄而言葉艸毛荒金之土爾遺志志道之賢佐」。時余亦來會。竊歎謂:嗚呼、今之學神道者、蓋不為尠。而往往不務蓄乎内、而徒資于口耳、不求明乎道、而急利于傳授、尋條數目、乞許可請社號、既得之、則安然以翁自居、驕然以傳加人、高談虚論、間度光陰。實神州之罪人、而不自知矣。是以言愈繁而徳愈荒、傳愈廣而道愈衰。豈不痛哀哉。翁之此舉、始聞之若太過者。而退思之、可謂憂道之深矣。大凡學者以翁之所憂體之、反求自責、一味反復研究於神代中臣之間、平生齋戒祈祷祓除之功、無少間斷。漸遡于五十鈴流、深入於神路之奥、終造乎清清之地、則所謂眞原根・玉籤者、實知不欺我、而彼歌云遺于荒金之土者、於是乎驗矣。因誌以備後感云。享保十二年丁未冬十二月三日 若林進居謹記(448頁)。



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『艮背語録』中の秦山記事

目が冴えて寝られない............困るなぁ。ということで、『艮背語録』(『神道大系』垂加神道上)でも読んで眠気を誘おうと思ったら、目が醒めてしまった。余計なことをしたもんだ。

同書最後の2条に秦山関係の記事があったので抜粋。

○正徳年間、朝鮮人來朝、學士李東郭、書記嚴龍湖等ト我邦ノ文士ト出會、贈答ノ詩文書翰ノ書ニ雞林唱和續集ト云モノアリ、其中ニ本朝ノ儒士三宅九十郎觀瀾ト號スル者ノ嚴龍湖ヲ送ル書中ニ靈社ノコトヲ舉テ稱シタル文アリ。三宅氏ハ淺見十次郎門弟ト云コト、保建大記打聞ト云書中ニ書キタゾ。(486頁)

○神代卷、中臣祓、コレニ鹽土傳ト云注ヲ土佐ノ谷丹三郎トカヤ云モノ著シヽガ、用ニ立モノニテハナシ。丹三郎ハ靈社晩年ニ講席ヘ出シ者ニ谷八ナルモノ土佐ヨリ來リシガ、蓋シソノ人カ。八ハ直授門弟ト云ホドノ者ニハ非ズ。靈社沒後、土佐ヨリ京師ニ來リ、竹村市兵衞ヲ訪ヒ、靈社ノ行状カ、又ハ年譜ナリトモ書キ立ツベキニ、親炙門人衆ソノ志ハ無之ヤナド云ヒ、靈社眞跡(シンセキ)ノ故紙(ホウグ)ナド市兵衞モトニ有リシヲ多ク取、歸リシトナリ。其事ヲ淺井萬右衞門等聞テ、竹村ヲシカラレシトゾ。先生ヘ淺井ヨリ贈ラレシ書中ニ在リ。(486-487頁)


清八って誰?記事だけ見ると秦山らしそうだけど。上の『保建大記打聞』は秦山の著書で、栗山さんの『保建大記』の講義録。その序文に浅見絅斎のことが出て来る。

しかしこれらの書き方からすると、植田玄節(艮背)は秦山をよく知らなかったのかな。『艮背語録』の「霊社従学ノ人」(479頁以下)にも秦山の名はないし(『垂加霊社門人大略』には記名されているらしい)。もっとも玄節がわざと知らないふりをしているなら、それはまた別の話になるけれども。

まぁ、秦山は独学の人だからな。艮背に褒められて価値があがるわけでなし、貶されたからといって、なんの参考にもならん。いや、別に艮背にケチをつけるきはないよ。そもそも私は艮背の学問がどんなものか、よく知らないのだし。小林健三さんに「知られざる植田艮背」という論文があって、私も読んだけど、なんというか、まあ、読み終わっても玄節のことはよく分からなかった。

ちなみに上の論文、国会の雑誌記事索引で調べると、「植田背」でヒットするのがある。できれば直して欲しいところ。

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中村恒亨宛書翰

秦山が神国思想を闡明したものとして有名な文章。中村恒亨に宛てた書翰。跡部良顕の『垂加文集』(拾遺)の跋文にも見える。そうそう本文とは関係ないが、陳建の『學蔀通辨』に対する四庫官の論評はすばらしいね。「觀朱子集中與象山諸書、雖負氣相爭、在所不免、不如是之毒詈也。蓋詞氣之間、足以觀人之所養矣」。至言だな。思想史で有名になったからといって、褒める必要などどこにもない。

(※)以下、本文。

重遠、啓す。前日、徒歩の勞、風雨の凄を以て病むべしと為さず、惠然として我が鏡野に顧みる。意愛深厚、感謝すること曷ぞ已まん。幸いに兩日の欵を為すも、菜蔬蛙鱔の供、尚爾として意に滿つ能はず、愧恨萬萬、心に解くべからざるなり。向に承る所の君臣の説、鋒頴森然、嚮(むか)ひ邇(ちか)づくべからずして、盃酒の餘、其の辨を窮むる能はず。蓋し止だに高明の是の説を為すのみならず、世儒往往にして唱へて之に和せり。僕竊かに病む。嘗て自ら揆らず、論究し以て一是に歸せんと欲す。今謹しみて布呈す。幸いに之を反復せよ。

天照大神、天津彦彦火の瓊瓊杵の尊に八坂瓊の曲玉、及び八咫の鏡、草薙の劔の三種の寶物を賜ひ、又天兒屋命・太玉命・天鈿女命・石凝姥命・玉屋命の凡そ五部の神たちを以て配して侍らしむ。因て皇孫に敕して曰く、「葦原の瑞穂の國は、是れ我が子孫の王たるべきの地なり。宜しく爾皇孫、就いて治しむべし。行けや。寶祚の隆へんこと、當に天壤と窮り無かるべき者なり」と。是れ乃ち吾が道の本原にして、天地の位する所以、君臣の叙づる所以、正に此に在り。千秋を更て、萬歳に二道無き者なり。

西土の國を立つるや、本を二にす。謂ふ、泰伯の去り、夷齊の饑うる、君に事へて貳無しは、是なり。成湯の放、武王の伐、天に順ひ人に應ずも、亦た是なり。天下豈に兩つながら是なるもの有らんや。二本に非ずして何ぞ。夫れ子と為りては孝に死し、臣と為りては忠に死し、婦と為りては貞に死す。此の三者は、則ち天地の大經、亘古亘今、攧撲し破れざる者なり。然して西土に獨り臣の君を弑すの道有るは何ぞや。其れ國を立つるの本原此の如し。宜なるかな、末流の弊、簒弑相踵ぎ、歳ごとに主を易へるに至るや。西土の國と為る、湯武の大聖有りて、既に放伐の始めを為し、孟子の大賢、復た為に之を祖述すれば、則ち儒者紛紛として已むを得ざるの論有るも、亦た必到の勢なり。獨り恠む、聖朝の人、君君臣臣、忠厚誠篤、數萬載の邦に生まれ、何を苦しみて乃ち外國二本の説を信ぜん。天歩少しく古に若かざれば、輒ち名づくるに衰周を以てし、臂を攘(はら)ひて抗論し、諸國を擬するに齊梁を以てせんと欲し、悍然として天誅神罰の何物と為るかを顧みざるなり。悲しいかな。莊子が言ふ所の詩禮を以て冢を發く者(*1)、此に於いてか驗あり。

抑そも日本は神國なり。天の安河の古より、平安城の今に距るまで、天照大神、鎭すこと常なへに高天原に在り、明明赫赫、我が斯の人に臨みたまふ。天下の事、萬起萬滅すと雖も、然れども天上の日輪、未だ地に墜ちざれば、人の皇統、搖し移すべからず。此れ皆な一人相將に相與に保守し秘護し、敢へて失墜せざる者。其れ豈に艸野酷薄の儒、得て窺ふ所ならんや。儒者の學、富めりと謂ふべし。其の所謂居敬窮理の訓、菽粟布帛の身に切なるが如し。顧に今の學者、是を之れ學ばずして、彼の二本已むを得ざるの説を以て先んず。肉を食らはずして馬肝を喫ふ、亦た笑ふべきなり。

前日に喩す所、傲言不祥、大いに駭くべき者有り。夫れ皇朝は神明の統なり。一本の國なり。異邦の今日に履を賣り、明日に踐祚する者と、年を同じうして語るべからず。是を以て毫釐も上を忽にする者は必ず罰せられ、芥蔕も君を慢る者は必ず殃す。敬せざるべけんや。戲言も思に出づ。願はくは高明之を戒めよ。王文成が詐僞欺罔、其の跡炳如たり。陳東筦が『晩年定論』を辨ずる者(*2)、明たり。僕嘗に謂ふ、明朝の滅ぶる、王氏良知の遺毒、人心恠僻の馴致に由れり。諸を晉氏談の弊に比するに加ます酷し。詳らかに李贄が『藏書』理學名臣の諸傳に考へて見るべし。今悉くは論ぜざるなり。別後、知らず、何の功夫をか做す。此の一大事、固より艸艸ならず。冀くは深志篤學、以て初期(*3)に副へ。此の外、世の譽毀、斗升の沈浮、何ぞ道ふに足らんや、何ぞ道ふに足らんや。
(『秦山集』十一)

〔注〕
(*1)『莊子』雜篇、外物の言葉。
(*2)陳建『學蔀通辨』を指す。四庫官云:「大旨以佛與陸王為學之三蔀、分前編後編續編終編。毎編又自分上中下、而採取『朱子文集』『語類』『年譜』諸書以辨之。……按朱陸之書具在、其異同本不待辨。王守仁輯『朱子晚年定論』、顛倒歲月之先後、以牽就其説、固不免矯誣。然建此書痛詆陸氏、至以病狂失心目之、亦未能平允。觀朱子集中與象山諸書、雖負氣相爭、在所不免、不如是之毒詈也。蓋詞氣之間、足以觀人之所養矣。」
(*3)ママ。


○原文

與中村恒亨(辛巳)
重遠啓。前日不以徒歩之勞風雨之凄為可病、惠然顧我鏡野焉。意愛深厚、感謝曷已。幸為兩日之欵、而菜蔬蛙鱔之供、尚爾不能滿意、愧恨萬萬、不可解心也。向所承君臣之説、鋒頴森然、不可嚮邇、而盃酒之餘、不能窮其辨。蓋不止高明為是説、世儒往往唱而和之。僕竊病焉。嘗不自揆、欲論究以歸于一是。今謹布呈。幸反復之。

天照大神賜天津彦彦火瓊瓊杵尊八坂瓊曲玉及八咫鏡・草薙劔三種寶物、又以天兒屋命・太玉命・天鈿女命・石凝姥命・玉屋命、凡五部神使配侍焉。因敕皇孫曰:「葦原瑞穂國、是我子孫可王之地也。宜爾皇孫就而治焉。行矣。寶祚之隆、當與天壤無窮者矣」。是乃吾道之本原、而天地之所以位、君臣之所以叙、正在乎此。更千秋而萬歳無二道者也。

西土之立國也、二本焉。謂泰伯之去、夷齊之饑、事君無貳、是也。成湯之放、武王之伐、順天應人、亦是也。天下豈有兩是哉。非二本而何。夫為子死孝、為臣死忠、為婦死貞。此三者、則天地之大經、亘古亘今、攧撲不破者也。然而西土獨有臣弑君之道何耶。其立國之本原如此。宜乎末流之弊、簒弑相踵、至歳易主也。西土之為國、有湯武之大聖、既為放伐之始、孟子之大賢、復為祖述之、則儒者紛紛、有不得已之論、亦必到之勢也。獨恠聖朝之人、生乎君君臣臣、忠厚誠篤、數萬載之邦、何苦乃信外國二本之説。天歩少不若古、輒名以衰周、攘臂抗論、欲擬諸國以齊梁。悍然不顧天誅神罰之為何物也。悲夫。莊子所言以詩禮發冢者、於此乎驗矣。

抑日本神國也。從天安河之古、距平安城之今、天照大神鎭常在於高天原、明明赫赫、臨我斯人。雖天下之事、萬起萬滅、然天上之日輪、未墜于地、人之皇統、不可搖移。此皆一人相將相與保守秘護、不敢失墜焉者。其豈艸野酷薄之儒、所得而窺也哉。儒者之學、可謂富矣。其所謂居敬窮理之訓、如菽粟布帛之切身。顧今之學者不是之學、而以彼二本不得已之説先焉。不食肉而喫馬肝、亦可笑也。

前日所喩、傲言不祥、有可大駭者。夫皇朝神明之統也。一本之國也。與異邦之今日賣履、明日踐祚者、不可同年而語。是以毫釐忽上者必罰、芥蔕慢君者必殃。可不敬乎。戲言出於思。願高明戒之。王文成詐僞欺罔、其跡炳如。陳東筦辨晩年定論者明矣。僕嘗謂明朝之滅、由乎王氏良知之遺毒、人心恠僻之馴致。比諸晉氏談之弊加酷焉。詳考於李贄『藏書』、理學名臣諸傳、可見。今不悉論也。別後不知做何功夫。此一大事、固不艸艸。冀深志篤學、以副初期。此外世之譽毀、斗升之沈浮、何足道耶、何足道耶。

(『秦山集』十一)



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谷垣守『神代巻速別草』(はしがき)

神道を學ぶ者は、先此名目を覺悟したがよい。神道と云は、神國に生へ付いた道の名目ぞ。然るに其正意を云へば、上一人の帝王より下萬民迄の心法の主本で、神聖の一言一行の事實事跡が直ちに道の本體、教の起元となつて、神皇相傳の心法に存することぞ。神道の名目、上代には必しもあるまじく、地盤になつてあつたものなれども、應神天皇の時、儒經が渡り、欽明天皇の時、佛法が入て以來だ。異國の道に混雜せざる為に、神道の名目起れることも自然の勢ぞ。右云如く、神道は、神國の神聖より承繼玉ふ道なれば、是亦自然の名とみても害はない。大都神道は文字に載せ議論に發して道の本體、教の支用を説と云こと決してなく、物に載せ言語に寓して自然に其道其教流行することで、神代卷上下の事實事跡が直ちに天地人の道、我國無窮の教で、今日日本に生るゝ人の心法の基本にすはることなれば、假令道と稱し教と號して、件々の名目を立すといへとも、不學无術の野人村夫迄も、忠孝の心を生れ得ぬと云ことはない。此道を指していへば、朝家にあつては王道、武家にあつては武道、四民の上では日用其任職に應し上に事へ下に接る人家尋常の事實が、直に道で教ぞ。當時昇平百年の聖朝、幕府に行はれ、用らるゝ所の政事教化、其起元神代卷に存せぬと云ことはない。上代には此道開明ならず、後世に全備すると云ことは、神道にはなことぞ。右の如く神道の稱は、全體の名目で、王道武道は天子將軍に付ての名で、古今沿革ありといへども、當時でいへば王法は天子の御心法で、其業にほどこしあらはさるゝ處は律令格式、天神地祇をいつきまつらせ玉ふ祭政のことぞ。武術は守禦征伐で、其用は治教のことで、王武一源、君臣同根、神明の心法、實に唯一の神道ぞ。扨、神道と云事は、用明紀と孝徳紀と二所に出てある。用明紀には天皇信佛法尊神道とあり、孝徳紀には「尊佛法輕神道(昔生國魂社樹之類是也)」とありき。又孝徳紀に三年の詔に、「惟神(惟神者、謂隨神道亦自有神道也)我子應治故奇」ともある。是等が出處であらふ。多くは佛道に對して云てある。又天武天皇十二年の詔に、「明神御大八洲」ともあつて、天子は直に明神(アカラカミ)、神皇一體、神明と天使の御心法が同一躰にして大八洲を治玉ふ。然れば神道と云ふことは、專ら天子の御心法で、三種神器のあづかる處なれば、今地下で、神道を相傳するの、我こそ三種の神器の傳を得しなどゝ云は、至極勿躰なきことで、我國實に道の人と云は、天子より外にはないことぞ。故に神道者、神學者と云ことも、決してないことで、右段々云如く、神道と云は大本で、往古より天地と共にはへ貫た道で、其神道の業にあらはるゝ所は、天神地祇を祭り、外に私意を用す、即祭政一致で正直の心法が天神地祇と一まいになつて、三種御合躰でほどこし玉ふ政が道の主本、君臣父子夫婦、夫々の教となつて、法りをはつれず、然れば天子の齋き祭らせらるゝ御心法がとんと天神地祇と合一で治め玉はねはならず、其合徳の業にあらはるゝ政が則教ぞ。故に上代には教と云こと格別にくださす。日本紀に在る處の事實が道の本體で、自ら教も全く備り、今日の人の根ずはりになつてあることぞ。我國身を持ち國家を治る人道、今自然に王化に服し養はれて、あるなりが日本人のなりぞ。教と云ことの正サシク辭にあらはれてみゆるは、景行紀に日本武尊東夷征伐の時、大倭姫命、草薙劔をあたへ玉ひし時に、「愼而莫怠矣」とある一句が、神道の教の詞にあらはれた初とみゆる。又推古天皇十二年に聖徳太子十七ヶ條の憲法を作り、教政を立玉ふ。第二曰「篤敬三寶。三寶者佛法僧也。云云」とあり。三寶は玉鏡劔で、云てありさうなものじやに、左はなくて太子の御聰明の思召がコウジコウジて佛道を尊信なされ、佛法の事にしてあるは、大義に明らかならぬ證據、嘆しく信用しがたきことぞ。又舒明紀に「亦大臣所遣群卿者、從來如嚴矛(嚴矛、此云伊箇之保虚)取中事而奏請人等也。云云」、又皇極紀に入鹿の亂の時、中大兄の入鹿が徒へ、「天地開闢、君臣始有云云」の事を説さとし教られたことがあるが、我國なりの君臣ハヘヌキの大義にあきらかなねづよいことぞ。


底本:『秦山谷重遠先生 都翁澁川春海先生 神代温義』(昭和15年、高知縣神職會)附録

神代卷速別草第一
延享三丙寅年六月廿三日谷垣守翁於岡田宗殖宅御開講
徳田敷要、岡田宗殖 謹記

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雑記

このごろ毎日更新しているのは、あまり宜しくない理由によります。理由はもうすぐ報告できるはずです。


絅斎おもしろ

下の谷氏の『加神道の成立と展開』を読んでいたら、次の逸話が引かれてあった。有名なものなのだろうが、知らなかったこともあって、思わず笑ってしまった。

絅斎先生は厳しい人だった。
ある日、門人が先生に告げ口した。「某が劇場で遊んでました」
絅斎、「だれかの見まちがいであろう」
門人、「いいえ、確かなことです」
絅斎、「なぜ分かる?」
するとその門人、忌憚なく答えた。「私が劇場で某を見たのです!」
これを聞いて絅斎はびっくり仰天、「それならお前の方が先に遊んでいたのであろう。人を批判している場合か!」と怒鳴りつけ、即刻、義絶した。

『事実文編』巻30所収の「光海跡部先生伝」の記述。話しができすぎなので真実味は薄いが、絅斎の逸話としてはおもしろい。ちなみに義絶というのは、ここでは破門と同じ意味。やたら義絶が多いのは、崎門の特徴の一つに数えられた。


『土佐國群書類従』第12巻(新装版)

『土佐國群書類従』の新刊が発売されたらしい。この第12巻は雑部で、文字どおり雑多な史料が収められている。秦山関係のみに絞ると、おそらく(――未見につき)谷垣守の『半家義民録』と秦山の『秦山随筆』が収録されているはずだ。

『半家義民録』は半家(はげ)の地に関する伝記資料で、平家の伝説がどうのこうのというもの。『秦山随筆』は『秦山集』丙丁録以後の雑記を収めたもの。したがって『秦山集』を入手した人は(ほとんどいないと思うが)、あえて見る必要はない。もちろん校勘のため、というのはありだが、それならマイクロを利用すべきだと思う。底本は知らないが、国会図書館に所蔵している。

しかし学者が関わらない編纂物はちゃんと出版されるのね。なにせこの種の編纂物は、出版してこそ意味がある。どれほど正確な原稿が出来ていても、10年も20年もかけてたのでは、埒があかない。きちんと出版しているだけでも立派だ。

それはともかく、今年この12巻が発売されたということは、おそらく來年には最終の第13巻が出版されるだろう。そして第13巻には、秦山手簡、秦山門弟問目と北渓随筆が収録されるだろう。でも秦山手簡は後に『秦山先生手簡』として増補版が発売されたのだが、増補部分はどうなるのだろう?さすがに収録されないだろうな。


大学生が高校の授業へ逆戻り?!

Yahoo!で目に付いた。最近の風潮を前提に書くとこうなるのだろうが、でも、本末論でいうと逆だと思う。高校教育の不備が問題なのではなく、そもそも高校教育で習得されるべき知識の不足した学生を合格させた大学が間違っているのだ。なぜ合格させたか。いうまでもなく学生が欲しいからだ。なぜか。いうまでもなく大学は財政難だからだ。しかしこのようなことが長く続くはずはない。日本らしいとはいえ、いずれある限界点を越えたとき、全てが全て爆発してしまうのだろうな。人ごとではないが。

出処は忘れたが、大学の学者が、学力のない学生を合格させるのはけしからんとか云っていた。そう思うなら、すぐに不合格にすべきだ。そしてその大学は収入不足を教員の解雇で対応すべきだし、それでも無理なら廃校すべきだ。そうしてこそ有言実行のはずだ。

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読書感想

谷省吾氏の『垂加神道の成立と展開』(国書刊行会、平成13年)を読んだ。久しぶりに研究書らしい研究書だった。とはいえ、長年、神道を修めた人の書物だけに、とうてい私には論評できないので、いつもどおりの読書感想文でも書いておきたい。

本書前篇は「山崎闇斎と垂加神道の成立」と題して山崎闇斎のことを、後篇は「垂加神道の継承と展開」と題して山崎闇斎没後の垂加神道(玉木葦斎、若林強斎、跡部良顕が中心)のことを書いている。論文集のような作りになっており、意識的に体系立てて書かれたものではないようだが、全体を通して読むと、おのおの篇題のごとく、垂加神道の成立とその後の継承展開が時間順に語られている。

著者は大正10年生まれとあって、さすがに古風な感じは受ける。しかし最近の自己主張だけの目立つ研究ではなく、一つ一つ丁寧に歴史的事柄を開明していく態度には感銘を覚えた。本書のようなものこそ、史料に語らせるスタイルの研究というべきだろう。したがって、本書には垂加神道と幕府、あるいは社会のような論攷は見られない。もちろん現代人が求める「歴史の事実」も入っていない。あくまでも著者本人が垂加神道の内部に立ち入り、そこに即すことで、一箇の人間の真理(生死の問題など)を究めようとするにあるように思われる。私などは、思想の研究は本来こうあるべきだと思って已まない。

本書は思想を問題にしているが、さりとて研究対象は事柄に絞られている。著者自身が、この思想はこうだと思う、というような余計な穿鑿は加えていない。著者の心情はまた別に述べられ、あくまでも対象とする人間の思想が、あるいは宗教的境地が史料に即して語られ、史料に即し得ない部分は、留保されている。まま著者の意見の加わることがあっても、それは明示的に想像に依ることが指摘されており、安心して読んでいられる。こう言うところにも、私は深く感動した。

以上のような内容だけに、垂加神道の諸々、あるいは本書所収の論攷そのものに興味を持つ人には大いに参考になる書物だが、手軽に人の研究を読んで理解したつもりになりたい学者や、世間流行の歴史学的な意味(垂加神道と政治あるいは社会の関係とか、国際関係とか)を知りたい人には、恐らくほとんど役に立たないだろう。もとよりそういう人は、学会の僻地にある垂加神道に興味など示さないだろうから、それはそれでいいのだろうけども。

個人的に勉強になったのは、価値や学問的成果は全ての人間に開示されるべきだという江戸後半あたりから現在全盛期を迎えている考え方と真反対の、価値や真理が特定一部の人間にしか示されない秘伝形式の学問にも、存立価値があると思えたこと、および跡部良顕の事跡。その他、なかなかお目にかかれない史料の復刻も便利に思えた。そこは、まあ、史料の問題は研究者には関係なかろうが、素人ということで。

どうでもいいけど、なぜか「日本の古本屋」に本書の古本がたくさん流れていた。ちょっと悲しくなった。

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直方おもしろ

思いもよらぬところで佐藤直方の言葉を目にした。直方さんは、言うまでもなく崎門三傑の一人で、その道では大変有名な人。

この先生、神道が嫌いなものだから、神儒兼学の同門・谷秦山の死に対して、「ああいう奴は死んでよかった」とか言っていたので、そういうのは人としてどうよと思わないではなかったし(*)、そもそも私は秦山から出発したので、どうしても絅斎から闇斎にのぼり、直方さんは一番最後になってしまう。

ということで、他人の書物でしか知らなかったのだが、なかなか直方さんはおもしろい人だね。そう言われれば、どこかでそんな話しを読んだ気もしたが、正直なところ、まったく記憶に残ってなかった。

で、そのおもしろい言葉。

学者は自己の理を信ずるでなければ、本のことではない。聖賢を信ずるは、善いは善いけれども、我理を信ずるには及ばぬ。曾子・子夏にて見るべし。程子曰「信人而不信理」。神道者の神明を信じてあそこへとりつくは、本を失ふたものなり。人々有尊於己者、天理也、其尊無対。我心より外に頼み力にすることはない。明々徳の三字、章句の自の字、宜味之。(『佐藤直方全集』第1冊、『韞蔵録』、学談雑録)



他人や書物を祖述し、それを信じて信じて信じ抜くという類ではなく、己の確信を重んずる人らしいが、そういうところには共感するものがある。もちろん信じて信じて云々というのも、それはそれで霊験あることだろうから、そういう道を進む人に止めろと言うつもりはサラサラないが、要するに、自分の好みと近いような感じがするのだ。

そうそう学談雑録の最初の方に「生た人こそ重宝なれ、死だ後は何の重宝はなし」とあるのも、なかなか気の利いた発言に思えた。いずれにせよ、直方さんの発言はスレスレなのが多いな。一歩間違えると、学者としてちょっと笑い話では済まない。

どうでもいいが、日本の古典は手に入れるのが難儀だ。全集は難しくても、学談雑録はかつて日本倫理彙編にも取られたほどのものだから、中国の新編叢書集成みたいなものが出ればいいのに......と思いつつ、我が日本でそんなものを出版したら大赤字になるのは、あまりに当然、あまりに自明、みずから深く信ずるところのことだった。

おしまい


(*)いちおう弟子の勉学を励ますために言ったものらしく、秦山が死んだのが愉快で堪らなかったというものではないらしい。

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かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

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