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コメント欄は字が小さく目に厳しいのでこちらでご勘弁を。管理者の特権ですなぁ。

1.検索
2.孔丘先生
3.漢学堂経解
4.その他
5.検索2
6.djvu
7.その他2

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雑記

1.泗上十二諸侯

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sibucongkan

公羊伝と穀梁伝の四部叢刊を探すべく何気なく調べていたら、臥遊堂というところで四部叢刊初編がたくさん出品されていた。収録書名から推して、例の単品の洋装四部叢刊ではなく太っちょの方のだと思うけど、欠番があるからセットで流れたわけでもあるまいし、バラで誰か売っぱらったのだろうか。

四部叢刊というと善本が集まっているので、論文や翻訳の底本に使われる。ふだんは校点本や粗悪本を利用しておきながら、論文を提出するときだけ自分の必要箇所(引用箇所)を四部叢刊と比べて「底本は四部叢刊を利用した」みたいなことをするふとどきな人間がいるとかいないとか、そういう話を聞いたこともあるほど、権威ある本といえる。

もっとも最近は整理本が多く出版されているので、あえて読書に四部叢刊を選ぶ人も少ないだろう。それしか利用できなかった大昔はともかく(そういう時代はたぶんなかったと思うけど)、整理本があるならそれを読んだ方が便利だし参考になるに決まっている。

だいたい四部叢刊に収録されているもので整理本がある場合、四部叢刊を参照していないものは存在しないといっていい。もし参照していなかったら、それはよほどの俗悪本だ。だからふだんはさしもの四部叢刊も校正とか校勘とかするときのために利用するにとどまる。

それはともかく、上の古本屋には公羊伝と穀梁伝がなかった(第3冊目に爾雅などといっしょに入っている)。もちろんハナから買う気はなかったとはいえ、経部が売れるとは珍しいとか思ったが、考えたらあの冊には論語が入っているのだ。日本には奇特な人がいるから、もしかしたらそれで売れたのかもしれない。

でもまあ......どうせ違法だろうからあえて推奨はしないけど、中国には四部叢刊の画像くらい流れてるから、あえて買う価値があるかと言われると疑問だ。私は近くの大学に線装本の四部叢刊が入っているので、経文の校正にはそれを見せてもらいに行く予定です。いや、もしかしたら手持ちの粗悪本(明版の復刻みたい)を見るだけかもしれないけど。


ちなみにタイトルは検索よけです。

文字違い

1.春秋経中に於ける日中字体異動
2.高度な漢字
3.wordのpdf機能
4.結局

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賢者の知恵

1.部数
2.穀梁経文
3.司馬光先生のこと(本題)

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頭が溶けてくる

司馬光みたいなやつは手に負えんな。ああいうのは世の中の癌だ。何のことかは今度書く。

研究雑誌をデータ化するから著作権を委譲しろみたいな手紙が来た。そういえばそんな雑誌あったな。公開した論文をいまさら「公開」されても困らないけど、返事をよこさないと著作権委譲を許諾したと見なすと書いてあったのがイラッときた。わざと拒否して作業を増やしてやりたい気にさせてくれるじゃないか。面倒だからしないけど。

どうなんだろう、あるていど自信がついてくれば発言もそれなりに大きくなるのは分かる。しかし「俺はがんばったからもうできることねーよ、あとは客次第だな」というのはいいのだろうか。こういう態度でもあとしばらくは大丈夫だと思うんだけど、長い目で見ると不安になる。謙虚にとか初心を忘れずとかはどうでもいいから、さらにレベルの高いものを目指して欲しいというのが一愛好家としての私の願いなんだが。

タイスペでゲスト登場してる水沢あゆむ氏の「変スタイル」というのは、なんかへんてこりんでおもしろい。でもさすがに「きき」と「どん」はどうだろう。霊的なものは人によりけりだろうけど、さすがに「きき」と「どん」はやっていいのかという気がしないでもなかった。ということもあって、おもしろいから連載で読みたいような気がする反面、息切れされるのが怖いのでもう少し様子を見たいような気がしないでもない。ま、どっちにしろ掲載されてたら読むということだけど。

やはり左氏伝の経文を使うのは許されないような気がしてきた。ここは初心貫徹して穀梁伝で行くべきじゃないか。と、2年前も思ったことをまたぶり返すのだった。でもな~世の中は左氏伝の経文を使うから穀梁伝だと便利悪いんだよ。でもな~左氏伝鬱陶しいからな~。でもな~左氏伝の経文使って11巻に分けるってのは変だよねぇ。と、これも2年前に思ったことだったりする。進歩ないな。

師走先生の新刊四コマがAmazonに出てた。新刊の帯に「師走先生サイン入りちるみのメイドカチューシャ」の応募券がついてるそうです。

スーパーメイドちるみさん 9 (まんがタイムコミックス)スーパーメイドちるみさん 9 (まんがタイムコミックス)
(2010/09/07)
師走 冬子

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春秋学の歴史

※中身はありません。枠だけ設けておけばいずれ書く気になるかなと思っただけです。

1.発生
2.秦漢
3.魏晉南北朝
4.隋唐
5.宋元
6.清

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備忘録

北九州中国書店からおもしろそうな新刊案内があった。

宋集序跋彙編

全5冊で10,920円が高いか安いかしらないけど、便利本であることには変わりない。要するに、いままで特殊な版本を所蔵している大学に勤めているというだけで研究できた人が、だれでも同じことが出来るようになったため、悔しい思いをしなければならなくなったということだろう。学問的には結構なことだが、蔵書だけが研究の種だった人間にはつらいはなしだ。

いや、そうでもないか。こういう手合いは、この手の書が発売されてだれでも研究できるようになると、「ますます現物を見る必要性を痛感するようになった」とか今までの自分の研究を棚に上げて発言するものだから。

編纂者の祝尚書氏は前も宋代の文集の版本研究みたいなのを出版していたように思う。あれは力作ではあったが、細かいところにいろいろ不備があった。しかし今回のは研究ではなく、資料を集めてくるだけで分析力も不要だろうから、問題あるまい。

研究者には資料を片っ端から集めてくる能力に長けた人と、集められた資料を綺麗に分析する能力に長けた人とがいる。両方兼ねていた方がいいけど、片方しか能力がなければ片方だけの作業で満足すべきだ。そうした方が本人の学者としての名誉も保てるし、後学のためにもなる。

が、それは世間が許さないので、不必要に自分の不得手とする分野の成果を出さざるを得ないときもある。本当は世の中にとっていいことではないが、大人の事情ってやつだな。ここでも達観した人々の意見に従って、「世の中そんなもんだ」と言っておこう。だから無理して成果を出させて害悪あるものを手に入れても「世の中そんなもんだ」であきらめなければならない。

春秋五伝

1.ファイル
2.春秋五伝
3.春秋経11巻
4.春秋夾氏伝
5.宋代の学者
6.ファイル2
7.食ふだけの仕事は必ず授かる
8.その他
9.SimSun-ExtB

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それは驚くほど紅い世界だった

単なる夕焼けです。

> 吉里吉里

話を振ったにもかかわらず暑さのため存在を忘れていました。すみません。

昨日あどびのindesignはたいして変わってないとか書いたけど、使ってみたらいろいろ変わっていた。基本的なところは同じなので作業で迷うことはなかったが、表示場所などの細かいところに変更があった。たぶん使いやすくなっているのだろう。まぁphotoshopならともかく、indsignなんて特殊な人間しか使わないから、よほど不便になったり便利機能が削除されたりしないかぎり、あまり文句はでないんだろう。

同じく昨日のこと。友人にある世界の文句を言ったところ「そんなもんだ」とたしなめられた。まぁそんなもんなのだが、そこで折れるのもしゃくに障ったので、「そんなものに文句を言うのもそんなんだ」と言い返してやったら相手に呆れられてしまった。

まぁ私の話はへりくつにしても、「そんなもんだ」というのは危険な考えだ。口にする方は、案外、世の中を知った風を装っているが、その人間の都合の悪いことだって「そんなもんだ」で済ませられるのだ。世の中が悪くなるのもそんなもんだし、人が殺されるのもそんなもんだし、貧乏人があふれるのもそんなもんだし、強いやつが威張り腐るのもそんなもんだし、弱いやつが理不尽な要求するのもそんなもんだし......etc。

孔子語録

孔子からはいつもお金のにおいが漂っているように思うんだが、気のせいなんだろうか?あやかりたいものだ。お金の部分だけ。

どうでもいいが中国の本もずいぶん値上がりして買えなくなってきた。もっとも私は根暗なので、買えるようにがんばろう!みたいな気持ちは全くおこらず、逆にそういうのに背を向けて活動しようと考えるようになる。中国の研究はさすがに本場なだけあって立派だが、それでもなくていいものがたくさんあることは否定できない。いやまぁ、中国思想なんて分野じたいがなくてもいいのですけどね。

そういえば中国人が最近よく日本に留学するとあって、俺たちが教えてやっていると思っている日本の学者がいるらしいことを知って嗤ってしまった。もうすこし自分の留学経験と現実を見てものを言ったらいいんじゃないですかね。拗ね者の冷水で恐縮ですけど。

よく国民の意見というのを目(耳)にするが、不思議なことに国民たる私の意見と違う場合が多い。文字通り不思議な話だ。

双子ちゃんのBDを確認した。やはり斧を振り回して殺しまくってるのが私の気を引いたんだろうな。あと××くんと××××というのもポイント高かった。ちなみにこれがテレビで放送されてたころ私と同じ所感をもった人がいてびっくりした。でも広いネットの海で1人しか見つけられなかったのは、まぁどういうことなんだろうな。

切り取り本は大学にもありましたよ。もっとも切り取ったのは一般人ではなくて学者でしたけど。

一方、書き込み本を見つけて「けしからんな~」とか思っていると、実はその本は古本で、もとの持ち主が書き込んだものだったというのもありました。これだと文句いえませんね。

『かなめも』を立ち読みしたら思わぬ方向(いや、予想通りか)に話が進んでいた。そんでぼちぼち新刊が出てもおかしくないと思いつつwikiを調べてみたところ、またしても思わぬ発見に出くわした。

かなめも - Wikipedia

どこのどなたがお書きになったのか知らないけど、「主な登場人物」についてる異常に細かい注はいったいなんなのだろうか。そんなに細かい注を必要とするほどwikiの記事は改善されているというのだろうか。あわてて粟田真人を調べてみたけど、こっちは原典ならぬ人の学説を孫引きしただけのいい加減な記事だった。四コマですら原典引用なんだから、学問的なものは当然研究者の本からの孫引きでなく、原典から直接根拠を明示してもらいたい。え、無理だって?分かってて言ってます。


ぼちぼちまじめな話をしようと思いつつ、またしてもしょーもない記事を書いてしまった。

あつい~

1.学問的
2.例のソフト
3.アクティベーション
4.梨
5.辞書
6.字体

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雑記

1.春秋経
2.漢字変換
3.宋代の辞典
4.配達
5.連絡をかねて

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石川準十郎の著作目録

石川準十郎(1899-1980)著作目録

1.単行書
(A)著書
『マルクス社会主義より国家社会主義へ』(日本社会主義研究所,1932年)
『ヒトラー「マイン・カンプ」研究』(国際日本協会,1941~43年)
第1分冊:1941年11月
第2分冊:1941年12月
第3分冊:1942年7月
合冊普及版:1943年5月
『歴史の方向侵すべからず』(1945年)
『共産主義国家論批判』(共和書房,1948年)
『社会主義論稿―理論と歴史の再検討―』(新思潮研究会,1963年)

(B)翻訳
カール・カウツキー『マルクス経済学入門』(『社会哲学新学説大系』第9輯。新潮社,1925年)
G.D.H.コール(George Douglas Howard Cole)『機能的社会国家論』(新潮社,1926年)
フリードリッヒ・エンゲルス『マルキシズムの根柢』(新潮社,1927年)
ヨゼフ・ディーツゲン『マルキシズムの認識論』(改造文庫,1929年)
ハインリッヒ・クノー『マルクスの歴史社会並びに国家理論』上巻(別府峻介との共訳。改造文庫,1934年)

2.雑誌・雑誌掲載
(A)論文
1924(大正13)年
「自称マルキシストの非マルクス的国家論」(第1次『急進』9月号,1924年9月)
「マルクス国家論に就いての一考察」(第1次『急進』10月号,1924年10月)
「二種の似而非マルキシスト群」(第1次『急進』12月号,1924年12月)

1925(大正14)年
「復帰コンミュニズム検討」(第1次『急進』第2巻1月号,1925年1月)

1926(大正15)年
「アナキズムに就いて」(第3次『局外』2月号,1926年2月)

1931(昭和6)年
「マルクス主義か国家社会主義か―近世社会主義の帰結としての国家社会主義―」(『日本社会主義』第1巻第1号,1931年10月)
「マルクス主義か国家社会主義か―近世社会主義の帰結としての国家社会主義―」(『日本社会主義』第1巻第2号,1931年11月)
「マルクス主義か国家社会主義か―近世社会主義の帰結としての国家社会主義―」(『日本社会主義』第1巻第3号,1931年12月)

1931(昭和7)年
「我等の当面の任務及び陣成に就いて―国家社会主義党結成問題に対する一提説―」(『日本社会主義』第2巻第1号,1932年1月)
「下中氏等の新党組織問題」(『日本社会主義』第2巻第2号,1932年2月。「時評」の一つ)
「所謂『三反主義』の意義」(『日本社会主義』第2巻第2号,1932年2月。「時評」の一つ)
「森戸氏の『国家社会主義の正体』論(上)」(『日本社会主義』第2巻第3号,1932年3月。「時評」の一つ)
「国家社会主義党の結成を望んで―国家社会党樹立に就いての若干の注意―」(『日本社会主義』第2巻第4号,1932年4月。「時評」の一つ)
「森戸氏の『国家社会主義の正体』論(下)」(『日本社会主義』第2巻第4号,1932年4月。「時評」の一つ)
「国家社会主義運動の確立の為に!」(『日本社会主義』第2巻第5号,1932年5月)
「最近の国内政情と国家社会主義運動当面の任務」(『国家社会主義』第2巻第6号,1932年6月。時評)
「国家社会主義党の成立とその若干の問題」(『国家社会主義』第2巻第6号,1932年6月。時評)
「議会の問題とされら国家社会主義」(『国家社会主義』第2巻第7号,1932年7月。時評)
「謂はゆる『中間階級』の問題」(『国家社会主義』第2巻第7号,1932年7月。時評)
「斎藤内閣と自力更正主義」(『国家社会主義』第2巻第9号,1932年9月。時評)
「謂はゆる『満蒙モンロー主義』」(『国家社会主義』第2巻第9号,1932年9月。時評)
「国民の満洲か財閥の満洲か」(『国家社会主義』第2巻第10号,1932年10月。時評)
「最近のドイツと国民社会主義運動」(『国家社会主義』第2巻第10号,1932年10月。時評)
「国家主義と社会主義」(『国家社会主義』第2巻第12号,1932年12月)
「ドイツ国民社会主義運動紹介(一)」(『国家社会主義』第2巻第12号,1932年12月)

1938(昭和13)年
「日支事変とその終極について」(『国社』第2巻第3号,1938年7月)
「ドイツに於けるドイツ主義の最後」(『国社』第2巻第3号,1938年7月)

1939(昭和14)年
「思想上の支那と日本(二)―日支思想工作の前提的一研究―」(『国際評論』第4巻第7号,1939年7月)
「欧洲大戦の日本に及ぼす影響―英仏が勝利すれば東亜の新秩序は画餅を免れず―」(『国際評論』第4巻第11号,1939年11月)

1940(昭和15)年
「二千六百年への緊急主張」(『国際評論』第5巻第1号,1940年1月)

1943(昭和18)年
「満洲訪問雑記」(『国際評論』第8巻第1号,1943年1月)
「敵反撃の結果と戦争の現段階―敵にも学ばざるべからず―」(『国際評論』第8巻第8号,1943年8月)

1944(昭和19)年
「時局随想」(『国際評論』第9巻第2号,1944年2月)

1945(昭和20)年
「歴史の方向侵すべからず」(『協和運動』第7巻第2号,1945年2月)

1948(昭和23)年
「共産主義の破壊性とその由来」(『暖流』第5号,1948年11月)

1949(昭和24)年
「世界は何処へ行くか」(『協同主義』第20号,1949年1月)
「共産主義国家論」(『経営者』第3巻第4号,1949年4月)

1950(昭和25)年
「方法としてのマルクス辯證法(上)」(『早稲田政治経済学雑誌』105号,1950年8月)

1951(昭和26)年
「方法としてのマルクス辯證法(中)」(『早稲田政治経済学雑誌』108号,1951年2月)
「方法としてのマルクス辯證法(下)」(『早稲田政治経済学雑誌』112号,1951年10月)

1952(昭和27)年
「THE BANKRUPTCY OF THE STATE THEORY OF MARX AND LENIN」(『早稲田政治経済学雑誌』116号)
「近世社会主義国家論とスターリン」(『早稲田政治経済学雑誌』117・118合併号)

1954(昭和29)年
「日本国家主義の時代的思想的変遷」(『早稲田政治経済学雑誌』125号,1954年2月)

1955(昭和30)年

「マルクス唯物史観考」(『早稲田政治経済学雑誌』131号,1955年2月)
「マルクス資本主義破綻論」(『早稲田政治経済学雑誌』133号)
「マルクス・プロレタリア革命論(上)」(『早稲田政治経済学雑誌』136号)

1956(昭和31)年
「マルクス・プロレタリア革命論(中)」(『早稲田政治経済学雑誌』139号)
「マルクス・プロレタリア革命論(下)」(『早稲田政治経済学雑誌』142号,1956年12月)

1957(昭和32)年
「ソ連来襲前夜の満洲追懐―洪国事件に思う歴史の方向不可侵性」(『流れ』第5巻第2号,1957年3月)
「ソ連来襲当時の満洲追懐―洪国事件に思う歴史の方向不可侵性」(『流れ』第5巻第3号,1957年4月)
「ソ連来襲後十二年―洪国事件に思う歴史の方向不可侵性―」(『流れ』第5巻第7号,1957年8月)
「社会主義と共産主義の三種の区別に就いて」(『早稲田政治経済学雑誌』146・147合併号,1957年10月)
「修正マルクス主義論考―ベルンシタインのマルクス主義修正論―」(『早稲田政治経済学雑誌』148号,1957年12月)

1958(昭和33)年
「岐路に立った社会主義」(『早稲田政治経済学雑誌』150号)
「マルクス主義とソ連共産主義」(『早稲田政治経済学雑誌』151・152合併号,1958年8月)

1959(昭和34)年
「社会主義と階級政党問題」(『早稲田政治経済学雑誌』156号,1959年4月)
「社会主義の概念をめぐる最近の二大問題」(『早稲田政治経済学雑誌』160号,1959年12月)

1960(昭和35)年
「マルクス主義と『中間階級』」(『早稲田政治経済学雑誌』164号,1960年8月)

1961(昭和36)年
「G・D・H・コールのファシズム論」(『早稲田政治経済学雑誌』169号,1961年6月)

1965(昭和40)年
「歴史の方向侵すべからず―米・ソこそは東亜民族共同の敵―」(『新勢力』第10巻第4号,1965年4月)

1966(昭和41)年
「ナショナリズムの概念と生態―単一民族国家と複合民族国家の相違―」(『新勢力』第11巻第4号,1966年4月


(B)翻訳
1941(昭和16)年
「ヒトラー著『マイン・カンプ』研究(三)」(『国際評論』第6巻第1号,1941年1月)
「ヒトラー著『マイン・カンプ』研究」(『国際評論』第6巻第2号,1941年2月)
「ヒトラー著『マイン・カンプ』研究」(『国際評論』第6巻第3号,1941年3月)
「ヒトラー著『マイン・カンプ』研究」(『国際評論』第6巻第4号,1941年4月)
「ヒトラー著『マイン・カンプ』研究」(『国際評論』第6巻第5号,1941年5月)
「ヒトラー著『マイン・カンプ』研究」(『国際評論』第6巻第6号,1941年6月)
「ヒトラー著『マイン・カンプ』研究」(『国際評論』第6巻第7号,1941年7月)
「ヒトラー著『マイン・カンプ』研究」(『国際評論』第6巻第8号,1941年8月)
「ヒトラー著『マイン・カンプ』研究」(『国際評論』第6巻第9号,1941年9月)
「ヒトラー著『マイン・カンプ』研究」(『国際評論』第6巻第10号,1941年10月)
「ヒトラー著『マイン・カンプ』研究」(『国際評論』第6巻第11号,1941年11月)
「ヒトラー著『マイン・カンプ』研究」(『国際評論』第6巻第12号,1941年12月)

1942(昭和17)年
「ヒトラー著『マイン・カンプ』研究」(『国際評論』第7巻第1号,1942年1月)
「ヒトラー著『マイン・カンプ』研究」(『国際評論』第7巻第2号,1942年2月)
「ヒトラー著『マイン・カンプ』研究」(『国際評論』第7巻第3号,1942年3月)
「ヒトラー著『マイン・カンプ』研究」(『国際評論』第7巻第5号,1942年5月)
「ヒトラー著『マイン・カンプ』研究」(『国際評論』第7巻第6号,1942年6月)
「ヒトラー著『マイン・カンプ』研究(十九)」(『国際評論』第7巻第7号,1942年7月)
「ヒトラー著『マイン・カンプ』研究(二十)」(『国際評論』第7巻第8号,1942年8月)
「ヒトラー著『マイン・カンプ』研究(廿一)」(『国際評論』第7巻第9号,1942年9号)
「ヒトラー著『マイン・カンプ』研究(廿二)」(『国際評論』第7巻第10号,1942年10号)
「ヒトラー著『マイン・カンプ』研究 後篇(一)―後篇建設篇緒言並にナチス党綱領―」(『国際評論』第7巻第11号,1942年11月)

1943(昭和18)年
「ヒトラー著『マイン・カンプ』研究 後篇(二)―ブルジヨア党の綱領作成とその対マルクス主義無能性―」(『国際評論』第8巻第2号,1943年2月)
「ヒトラー『マイン・カンプ』研究 後篇(三)―世界観は如何にして世界観たり得るか―」(『国際評論』第8巻第3号,1943年3月)
「ヒトラー『マイン・カンプ』研究 後篇(四)―世界観は如何にして世界観たり得るか―」(『国際評論』第8巻第5号,1943年5月)
「ヒトラー『マイン・カンプ』研究 後篇(五)―世界観は如何にして世界観たり得るか―」(『国際評論』第8巻第6号,1943年6月)


※不明部分多し。情報求む。
※『早稲田政治経済学雑誌』の掲載年不明部分は丸括弧内に年月を記さなかった。
※『国際評論』『国社』は部分のみ参照。
※その他、国会図書館の雑誌記事検索を用いた部分もある。
ソ連来襲前夜の満洲追懐、ソ連来襲当時の満洲追懐、ソ連来襲後十二年の三論文はぜひとも読んでいただきたい。満州で敗戦を迎えた思想家の思い出としてたいへん興味深い。『流れ』という雑誌は国会図書館に所蔵されている。ちなみに『流れ』は右翼雑誌です。

まだ大学に在籍していたころ身分を利用して各地の大学の資料を見てまわったり複写してもらったりして作ったもの。『早稲田政治経済学雑誌』所載の論文はあまりおもしろくない。

感想

相変わらず体調悪いけど、まあ人間には反省が必要だろう。

改めて春秋の訳文を読み直してみたところ、やはり分かり難さは如何ともしがたいものがあった。1つには当然にして訳文が洗練されていないことがあげられる。しかしこれはすぐにどうこうできるものでなく、これからも地道に努力していくしかないものなので、今回は問わないことにしたい。

ただ訳文の洗練とは別の問題として、言葉の背景がとらえ切れていない、あるいは私はわかっているつもりでも、それを訳文に落とし込めていないところがある。もともと春秋のような分野は、専門家の中の専門家が己の学問的レベルの高さを誇って研究成果を世に問うていたものだけに、当時においてすら一般の人にはわかりにくかったものだ。それを当時の知識をまったく持たない現代の人の前に出すのであれば、当然ながら原文に用いられた言葉や文章、あるいは分の流れのもつ意味を訳文中の落とし込んでいなければならないはずだ。もちろんそう思ってあるていど努力したつもりではあったが、はやり不出来なのは目の覆いようがない。

とはいえ、こう考えたときいつも頭をよぎるのは、明治書院のある訳本のことだ。私はあのほんの訳文だけを読んだとき、すぐに著者の所感や解釈を混ぜて訳した(?)ものだということがわかった。そして実際に原文と比べてみて大幅に訳者の感想を加えたものであることが確認できた。

訳文だけを読んだといっても、もともと原文で読んだことのある文章だから、わかってもたいして偉いものではないが、それ以外にも理由がないではなかった。そもそもあの訳文は日本語臭味が強すぎた。残念ながら中国の古典はああいう書き方をしない。もっと我々にわかりくい論理の展開をする。訳文はあまりに日本人に親切に解説されすぎていた。だからすぐにおかしいと思ったのだ。

まぁ、あの訳本は全体の文意をとらえ損ねたところが多く、根本的に訳本としての及第点にも達していないものだったから、もとより訳文の巧拙など論じてもしかたのないものではあった。しかし訳文の作り方という点においては、少し考えるところがあったのもまた事実だ。たしかに原文だけではわかりにくいところに大幅に解釈を書き加えれば、訳文もどきを呼んだだけで読者は原文の意味を理解した気になることはできるだろう。しかしそれは訳文ではあるまい。

このような訳者の解説を防ぐ方法としてもっともありふれたものは、膨大な注を付すやり方だ。よく学者系の訳文にみかけるのがこれで、失笑すべきことに、一行に3つも4つも、下手をすれば10前後の注を加えるものがある。それも本論冒頭のもっとも難解なところならやむを得ないが、どうでもいいところにまで注釈をつけて、自分の知識をひけらかすのが目的ではあるまいかと邪推させられるものもある。

私はこういうものは全く評価することができない。率直に言ってこのような注は不必要であり且つ読者を混乱に陥れるばかりか、単なる自己満足でしかないからだ。異常に多い注の中には明らかに訳文に手を加えれば目的を達成し得るものがたくさんある。要するに訳文を練るのが面倒だから、そして自分は間違っていないことを示すために、もっともらしくたくさんの注を加えているだけなのだ。

とはいえ、訳語や文字の配列を変更することで読者により正確に文意を伝えられるならもちろんそうすべきではあるが、それ以上に深いところで理解を困難にしている部分に対してどうすべきかとなると、いまだによい答えが出てこない。

たとえば孔子の無謬性を知らない人が、「孔子は間違っていた」という訳文を読んでも、意味を正しくとらえることはできないだろう。この場合、強いて訳せば、「(絶対に間違いを犯すことのないと世間一般で信じられている)孔子は(なんと)間違っていた」というような意味になる。あるいは孔子のように「子」をつけて呼ばれる人間に対して、あえて「孔丘」とかくことの意味は、このような中国の習慣や慣例を知らなければわからない。しかしこれを訳文に補足することは明らかに翻訳作業の逸脱になると思われる。翻訳もやっかいなものだな。

でも思ったより春秋に興味を持っている人がいるらしいので、今度はいよいよ劉敞の『春秋権衡』でも訳してみようかな。あれは葉夢得とか清代のと違って、見識のレベルから春秋三伝を批判したものだけに現代の人が読んでも感動的なところが多々ある(と思ふ)。

春秋は自分にとって大事なものだけに間違いたくないが、宋代史の訳は私にとって遊びみたいなものだから、ああいう訳本はすぐにできるし、間違っていても苦にならない。だいたい偉い大学の学者が平気で間違ったことを垂れ流して許される世の中なんだから、私のようなゴミのような人間が間違いを犯しても批判されるいわれはない。私を批判するならさきに偉い学者の誤りを糾弾してもらいたい。

ああ、そうそう、なんでも日本語に翻訳するのはよろしくないとお思いの人もいるだろうから、そういう人は原文でよんでください。訳文は強制されて読むものではなく、読みたい人が読むだけだから、読む必要のない人は一切みなければいいだけなのだから。


書き忘れていた。

たぶんあの訳本に興味を持った人は違う意味で手に取ったのだと思う。さすがにあれそのものに興味を持ってお金を払おうと思った人はほとんどいないだろう。さすがにそれくらいのことは私も自覚している。ただ「春秋」という名前に興味を引かれる人がいるらしいことを知ってうれしく思ったというにとどまる。

帰還

ようやく帰宅。

ともあれコミケ参加者の皆様方お疲れ様でした。
またスペースに来てくださった方々、本を手にとってくださった方々、ありがとうございました。

私の感想はだいたい犬大将さんの(2010/08/15)と同じですが、いろいろ発見のある楽しいものでした。細かいことはまた後ほど。今日はもう寝ます。

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かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

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