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欧陽修「春秋論」上

伝統ある二つの学説があり、遺憾なことに、それらが対立している場合、我々はどちらの学説に従えばよいのだろうか。もちろん信用できる方に従わなければならない。では、どうすればそれを見分けられるだろうか。人を見るに越したことはない。衆多の一般人があのように発言し、君子がこのように発言したのなら、衆多の一般人の意見を捨て、君子の意見に従わなければならない。なんといっても君子は世の中のことをよく知っている人々だからだ。しかし君子とはいえ、知らないこともあれば、間違えることもあるだろう。だから君子があのように発言し、聖人がこのように発言した場合は、君子の意見を捨て、聖人の意見に従わなければならない。これは世の中のだれもが知っていることだ。ところが春秋学者だけは違うのだ。

孔子は聖人だ。あらゆる時代を通じて、最も信頼できる人間だ。一方、公羊高、穀梁赤、左氏の三人は、世の中のことをよく知った君子たちではあるが、彼らの著した三伝には、残念ながら間違いがないではない。ところが聖人の経と三氏の伝とが異なる学説を唱えたとき、春秋学者は、こともあろうに経を棄てて伝に従うのだ。孔子を信じるのではなく、三人の君子たちを信じるというのだ。なんと無茶苦茶なことではないか。

例えば、魯の隠公が君主であったか否かについて、孔子は「公、邾の儀父と蔑に盟す」と言うばかりか、隠公の死に対して「公、薨ず」と記している。孔子はずっと隠公を「公」、すなわち魯の正式な君主とみとめていた証拠だ。ところが三君子は「隠公は魯の正式な君主ではない。摂政だった」と主張する。すると世の春秋学者は、孔子の意見に従わず、なんと三君の意見に靡いてしまうのだ。隠公は魯の正式な君主ではない、摂政だったと信じてしまうのだ。

同じ例は他にもある。晉の霊公について、孔子は「趙盾、その君夷皐を弑す」と記している。ところが三君子は「趙盾が弑したのではない。趙穿が弑したのだ」と主張する。すると世の春秋学者は、孔子の意見を信じることなく、三君子の意見を信じてしまうのだ。趙盾が弑したのではない、趙穿が弑したのだと信じてしまうのだ。

まだ他にもある。許の悼公について、孔子は「許の世子止、その君買を弑す」と記している。ところが三君子は「世子止が弑したのではない。買は病気で死んだのだ。ただ世子止は薬の検分に失敗し、その結果、買を死に至らしめてしまっただけだ」と主張する。すると世の春秋学者は、孔子を信じることなく、三君子に靡いてしまうのだ。そして世子止は買を弑したのではない、薬の検分に失敗しただけだと信じてしまうのだ。

世の春秋学者が孔子を棄てて三伝に従うのはなぜだろう。経は簡潔直裁だが、伝は奇抜で新味があるからではないか。なぜなら簡潔直裁な文章は人に楽しみを与えないが、奇抜で新味のある文章は人の耳に心地よいからだ。そして心地よい言葉に、人は心を惑わされてしまうのだ。なにも私は絶対にそのような言葉に惑わされないと言うのではない。しかし私は篤く孔子を信ずる人間だ。だから経に記されたことは信用する。しかし経に記されていないことは、あえてその是非を判断しようと思わない。

私の意見に批判的な人々は指摘する。──君は含むところがあって、そのようなことを言うのだ。そもそも三君子はみな聖人から学んだ人々だ。そして彼らの著した三伝は、経の言わんとすることを伝えたものだ。経の文章は隠微で奥深い。三君子はその奥義を我々に解き明かしてくれたのだ。だから経に記されないことまでも、三伝には記されているのだ。経と三伝は対立するものではない。

ならば私は彼らに聞きたい。聖人の判断が示されてもいないのに、三君子はどうやってその是非を知り得たのか。

彼らの答えはこうだ。──経文の前後の記述から判断したのだろう。それに伝え聞くところがあったのだ。例えば、一国の君主になるためには必ず即位の儀式が必要だ。ところが隠公には即位の記事がない。だから三君子は知ったのだ、隠公は摂政だったと。趙盾の弑君もこれと同じだ。君主を弑したものは、二度と経に名を記されない。ところが趙盾は君主を弑した後も経に名が記されている。だから三君子は知ったのだ、趙盾は君主を弑していないと。世子止もそうだ。君主が弑され、しかも弑した賊が討伐されない間は、その君主の葬は経に記されない。ところが許の悼公は世子止に弑され、しかも世子止が討伐されてもいないのに、経にその葬が記されている。だから三君子は知ったのだ、世子止は本当に弑したのではないと。経の文章は隠微だが、三伝は詳細に真相を語ってくれる。だから世の春秋学者は考えるのだ、三伝こそは聖人の深意を説いたものだと。だから人々は三伝の意見に耳を傾けるのだ。しかし勘違いしてはいけない。これは何も孔子を棄てて三伝に従うものではない。

私は言いたい。みだりに聖人の心を語り、世の学者を惑わした罪は、三君子にある。とはいえ、もし春秋学者が三君子を信じるというのなら、もはや私にはどうすることもできない。しかし、もし世の正しきを追求するというのなら、私は真実のためにあえて戦わなければならない。



欧陽修の春秋論。全三篇。これはそのうちの上篇、すなわち問題提起にあたる。これは宋代の春秋学を語るには欠かすことの出来ない論文で、いかにも素人を思わせる単純さを備えながら、その核心をとらえて離さないのは、さすがに欧陽修といったところだろうか。論文後半、三つの例題が示され、ああだこうだ論じているが、あまり気にする必要はない。要するに、欧陽修の所論は、聖人は正しい、だから聖人の作った経書は無条件に正しい、以上につきる。聖人原理主義みないなもので、気持ち悪いことこの上ないが、こういう気色の悪い考えかたが発展して、儒学は新しい一歩を踏み出すに至るのだった。

ちなみにこの論文が世に出たとき、春秋学の最先端の世界では、この種の発想は常識と化していた。問題はそれをどうやって技術的に証明するかにかかっていた。だから時代遅れといえば言えないではない。しかし世の一般読書子に語りかけるにはちょうどよかったのだろう。もっとも、これから数百年後も結局はあまり変わっていないのだけれど。

今回はいつもより思い切って訳してみた。

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ふぅ+雑記

ようやく『春秋権衡』の巻一がおわった。かなり無理した。明日に響きそうだ。研究者じゃないんだから無理すると次の日に堪えてしまう。明日からはもとのスピードにもどそう。

権衡の左伝部分は全七巻。しかも巻一は短い方だから、これ以上のものがあと六巻あることになる。何でもそうだが余裕があれば楽しいとはいえ、そうでないときついな。まぁ完成しなくても構わないものだし、気楽につづけることにしよう。


新釈ファンタジー絵巻は古本でも入手がむつかしいのか。一年ほど前はブックオフとかに転がってたけど、それもなくなったのか。Amazonで3000円の値がついてる。ちょっとぼりすぎだろう。ヒツジ効果で欲しい人が増えたのだろうか。そういえばヒツジの執事(残業編)も入手不可になってる。予想外に売れたのか、それともほとんど刷らなかったのか。新作でもなんでもいいので、はやくナントカ氏の作品が読みたい。

すっかり忘れていた。晴のちシンデレラとかなめもの発売日だった。

中国のAmazonでおもしろいレビューをみつけた(開くのに時間がかかる)。竹添氏の『左氏会箋』に対するもの。ついでにそのレビューに対するコメントも笑えた。あっちのAmazonもなかなかいけるな。


小倉さんの春秋左氏伝をめくっていたら「天王(襄王)は召武公・内史過を派して晉侯に策命を賜わったが、瑞玉の受け取り方がルーズだった」(上巻、215頁)と訳されていた。好みの差にすぎないけど、漢籍の訳本、というか訳本に「ルーズ」とかいう外来語を使うのには抵抗があるなあ。別にいいんだけど。

そういえば孔子家語でこのブログに来る人がそこそこいるようだけど、どこかの大学でテキストに使ってるんだろうか?それとも論語の続きというので読みたいのだろうか?あらためて書く必要もけど、孔子家語のいい訳本は存在しない。

十三経辞典

さすがは『三礼辞典』だ。頼りになる。

それはさておき

十三経辞典のつづきが出ていたのか。

中国・書籍見せチャイナ: 11月14日
「十三経辞典 尚書卷」《十三経辞典》編纂委員会 陝西 12,600円
「十三経辞典 周礼卷」《十三経辞典》編纂委員会 陝西 19950円
「十三経辞典 儀礼卷」《十三経辞典》編纂委員会 陝西 18,900円
「十三経辞典 春秋公羊伝卷」《十三経辞典》編纂委員会 陝西 18,375円
「十三経辞典 爾雅卷」《十三経辞典》編纂委員会 陝西 11,970円

既刊:

十三経辞典-毛詩巻
十三経辞典-春秋穀梁伝巻
十三経辞典-孟子巻
十三経辞典-論語巻 孝経巻

あとは易と礼記と左伝の三つか。どれも難解だな。このシリーズは値段が異常に高い上に、あまりに本が大きすぎて使い勝手が悪く、さらに不必要な部分が多すぎるという弱点がある。私が持っているのは穀梁伝巻だけだが、実際に価値があるのは前半数分の一の語釈だけで、あとは穀梁伝の原文だとか、唐石経の影印(しかも左→右なのですごく読みにくい)とか、この種の辞典を求める人には不必用(不必要とまではいうまい)な部分が大半を占める。

重くて大きくて不用部分が多く、極めつけに高いとくれば、だれも買わなくなる。辞典部分だけ切り離して、一種類千円~二千円くらいで売れば少しは売れる気もするが。公羊伝と儀礼・周礼(の辞典部分)は見てみたいけど、いずれにせよこの高さではちょっとどうにもならない。ああ、そうそう、余計なことではあるけど、穀梁伝巻の辞書の部分も普通の内容だったから、他の内容も同じ可能性がある。だから値段に比例して期待しすぎると痛い目にあうかもしれない。

本このごろ

書虫の近刊新刊案内みてたら面白いのがいくつか見つかった。備忘録がてらに抜き出しておこう。


清代中琉関系史研究-中琉関系研究叢書

知らなかった。『中琉関系研究叢書』というのが出ていたのか。書虫でバックナンバー(?)を調べると他にも出てきた。意地悪く全部あげてやろう。

明清士大夫与琉球-中琉関系研究叢書
明清時期中琉友好関系歴史遺存考-中琉関系研究叢書
中琉関系史料与研究-中琉関系研究叢書

いずれも2500円もするらしい。全部買えば1万もする。私の懐具合では買えないな。まぁ、こういうのは国から金もらって研究している人々のうちの誰かが研究しているはずだから、その人間の発言を聞けばいいのではなかろうか。問題はその人間が政治的に偏った考えを持つ人間であると有害でしかないということだけど。

しかし歴史的な立場から現代の問題を考えるという態度は、断然きっぱりと棄てなければならない。歴史がどうあろうと、それだけのはなしで、なんの効力もなければ価値もない。現実を支配するのは現実の力だ。もちろんその力のなかには観念も入るので、過去をうまくちらつかせることで、物事を損な方にも得な方にも動かせるのだが、そういうものは所詮空想だから、断じて切り捨てるべきだ。歴史認識とかは笑って済ませればいい。そういうものは政治的に無価値なものにしなければならない。

まぁどうしても歴史の問題をいいたいなら、中国人はチベットやウイグル地区は当然にして、はやく東北部から出ていくべきじゃないか。あそこは清とか金の領土でしかないだろう?あるいは長江以南からも出て行くべきじゃないか?あそこは野蛮人が住んでいた土地だろう?あるいは日本政府は元寇の慰謝料をモンゴル政府にでも求めたらいいんじゃないか?書いていてばかばかしくなってきた。

そうそう聞いた話によると、世界史を教えている人が「秦の始皇帝がはじめて中国を統一した。……秦の領土は現在の中国と同じくらいの大きさです」というようなこと(もうすこし表現はうまかったけど)と仰ったそうな。......始皇帝の領土ってどんだけでかいんだよ。

蜀学-第5輯

おぉ、蜀学も第五輯まで出ていたのか。二輯までは買った記憶があるけど、金がなくなって買うのを止めたんだった。そこそこ面白い雑誌(?)ではあるけど、若干有名人の論文を再掲しすぎなのが玉に瑕。でも地元ならではというのはある。え?当然四川人は褒められてますよ。

ちなみに中国経学-第6輯も何ヶ月か前に発売された。こちらは数少ない購入雑誌の一つ。いつもよりずいぶん値段が抑えられているので努力したのかと思ったら、何のことはない、頁が少ないだけだった。今回は巻頭の「王制辨證」(洪誠氏の遺書)が目玉で、あとはびっくりするような論文はなかったように思う。「王制辨證」は書き方が古風だから余計にそう思うのだろうが、懐かしい感じのする論証だね。でもさすがに中国の研究だけあって、日本人のような孫引き臭さがなくていい。

知らなかったけど回族典蔵全書(全235册)というのがあるんだ。ふーむ。値段もすごい。政府公認の資料集というのが引っかかりはするが。そういえば回族の研究している人がいたなあ。こういう研究は価値がある。

何気なく目録を見ていたら左氏春秋義例辨(重訂本)(上下)-陳盤著作集というのもあるらしい。左氏春秋義例辨というのは日本の終戦直後くらいに出版されたものが初版だったと思うが、その後で改訂本が出た。上の本は大陸から著作集の一つとして出版したようで、「重訂本」と銘打ってる。何か発見でもあって改訂したのだろうか、などと一瞬興味をそそられたけど、Webcatをみたら底本は原本(ないし改訂本)と同じだと書いてあった。

左伝の正体は何か!というのが晩清経学で問題になったけど結局分からなかった。でもそれも当たり前のことで資料が決定的に足らないのだ。最近は出土資料も増えてきて、この種の問題解明の可能性がほんのわずかだけ増えた。ただ出土資料も多いように見えて、活字数は恐ろしく少ないから、どれほど確定的な結果が出るかは頗る疑わしいと言わなければならない。もちろん出土資料が本物であって、一つの偽作もないということが大前提だけども。

とはいえ、出土資料の関係から孔子家語は本物だとのたまう人が中国に増えてきている。これは使える。どうせ嘘でも本当でも大した違いはないのだから、「最新の研究によって本物であることが分かった!」とか「孔子家語を読めば孔子とその弟子たちとの日常に肉薄できる!」とかあおり文句をつけておけば、なんとなく『論語』の副読本ということで凄そうに見えるような気もしないでもない。

孔子家語がホンモノだとのたまう学者のものに孔子家語通解(楊朝明)がある。この本は力作だ。たしかに力作ではある。が、どうもね、孔子家語=ホンモノを前提に議論を進めてしまうものだから、孔子家語本文と類似する関係文書を列挙せず、「某々にも類似の文あり」みたいな表現で済ませてしまうのはいただけない。たしかに孔子家語には疏證があって、二度も三度も必要ないということかもしれないが、やはりホンモノを主張するなら、単に書誌学的なものだけでなく、本文の関係も一つ一つ明らかにしてかなければならなかったと思う。

むかしは印刷の関係でカラーで出版するのも難しく、また編纂も大変だったと思うが、最近はhtmlやpdfでテキストデータなんて簡単に作れるのだから、孔子家語も全文をテキスト表示して、重複部分を色分けで表示するというようなことをすれば、もっと類似文献との関係が分かりやすくなるだろう。とはいいつつ、私もいちどこれを実践しようとして、時間がかかるのでやめたのだった。

もっとも資料が少ない時代は想像できる幅が大きいから、たしかにロマンのようなものはないではない。たとえば武威から出土した儀礼は大戴とも小戴とも現行本(鄭注)とも異なるので、竹簡の時代から推測して、慶氏礼ではないかと噂された。これが正しいか否かはなかなか判断できないが、長らく存在しなかった漢代の経書であることに変わりはなく、経学をする人間が興奮するのも当然でもあり、また本当に慶氏なのかどうかといろいろ想像を逞しくするのも分からないではない。

参考:武威漢簡《儀礼》整理与研究

そういう意味で古い時代はおもしろいというのは嘘でもあるまい。もっとも私は同じ古いにしても宋代くらいの中途半端な古さの方が好きではあるが、これは個人の好みだろう。

ごんべ

凶は書く気亡かったけど

……

今日は書く気なかったけど、師走さんの日記見てびびった。う~む、最近わたしは心がずいぶん弱くなっているようだ。

私も気が散る質なので包丁を扱うときはそうとう気を遣っている。が、それでもたまに指の爪を飛ばすときがあって、そのたびゾーっとす日を送っている。そういう散漫な性格を自覚している所為か、日頃から身の回りのことに気をつかって、ついつい小心になりすぎるところがある。ちょっと風邪ひいただけで死ぬような気分になったり、どこか痛くなっただけでこの世の終わりが来たような気持ちになったり。まあ、その反面精神的なところでは敵愾心が強いらしく、よく人の悪口言うので、そのあたりでバランスをとっているらしい。

それはともかく、自分の体は自分にくっついてくるのでいいのだが、最近はガスを切ったかとか、電気を止めたかとか、そういうことに異常に気になるようになってしまい、正直なところ自分でも困っている。なにせ目の前でしーんと静まりかえるガスコンロを前に十分近く立ち尽くしたり、冷たくなったコンロに手を置いて数分とか、風呂の水道がとまっているかぼーっと眺めているとか、家の外に出たと思ったらまたもどって全ての電気製品とガスを確認するとか、最悪は、コンセントから発火しないかいちいちプラグを見て回るとか、ちょっと我ながら病的な感じなことをしたりする。

誰から聞いたか忘れたが、「気にしてしまう人」は声に出したり、身振り手振りで確認するようにするといいらしい。からだ全体で確認するから確実性が増し、自分自身も安心できるとか。でもね、経験者から言わせてもらうと、この方法はとるべきではない。理由は簡単だ。症状が悪化するからだ。

私のようは人は誰でもそうだろうが、その程度のことは言われずとも実行している。だからコンロに手をかざしたりするのだ。が、その効果もはじめの数回に過ぎない。すぐに慣れるのだ。そしてひとたび習慣になってしまうと、それを無意識に行うようになり(声に出しても同じ)、結局、やったかどうか(声を出したかどうか)自体を疑うようになり、元の木阿弥となってしまう。却って手数が増えて時間のロスが増えるだけだ。

こういう趣向(?)は、その手の感性のない人には理解してもらえない。ちゃんと確認すればいいとか、(ガスだと)外出の前に使わないようにすればいいとか反論される。が、そんなことは問題ではない。私は外出の前には極力、ガスを使わないようにしている。しかしいざ外に出る段になると、結局はいつもと同じことになる。説明が難しいのだけど、「もしかしたら」というのが頭のなかにこびりついてどうにもならなくなるのだ。

もしかしたら、いままでは偶然ガスが切れていただけで、本当は危ない状況だったのかも知れないとか、もしかしたらいまはガスが切れているように見えるが、実は切れていないのかも知れないとか、いま火は確実についていないように見えるが、もしかしたらそれは錯覚で、このまま外に出ると火事になるかも知れないとか。もしかしたら、プラグから火事がおこる寸前だったのかもしれないとか。そして確認したらしたで、いま確認したことによって危険な状態になったかもしれないから、もういちど確認した方がいいのではないか。いや、二度確認したことでかえって危なくなった可能性もあるのではないか、ということになる。

我ながらなんとかしたいのにどうにもならない。むしろ日々症状が悪化しているようで困る。家を出るだけで正直つかれる。


以下、関係ないこと。

さもしい根性は、ものごとの結果であり原因であるから、一方だけを断ち切るのはなかなか難しいだろう。さもしい根性がなくなればその原因もなくなる可能性はあるが、さもしい根性の持ち主からすれば、やはり先に原因を絶てということにもなってくる。このような循環が生まれると断ち切るのは至難の業で、やはりいちどご破算にしてしまった方がいいのかもしれない。

こういうご破算によく利用されるのが犠牲精神で、日本にもつい最近まで存在した。それに人間はなんだかんだと言って犠牲や命の喪失に意味を求めたがる。だからその段になれば嫌でも犠牲精神が声高に叫ばれるようになるだろう。逆に言えば、そういう声が大きくなれば、いまの日本もいよいよ終わりということでもある。ちょうど明代経学のような中身のないものを褒める学者が出てくるということそれ自体が、現代学術の中身がなくなったということを明示してくれるようなものだ。

いつも歴史をバカにしているが、そういう意味では歴史家の発言は、彼等の目的や希望と全く異なる意味で、大いに参考になるのかもしれない。彼等の発言を見る限り、私見に拠れば、もう終わりも近いという感じだろうか。もちろん全くの私見なので外れていただければそれに越したことはない。

隠公の摂政

左伝によると魯の隠公は摂政だったらしいが、摂政とは何だろうか。

唐代には攝冢宰というのがあるらしい(『通鑑』唐紀六十四の以李徳裕攝冢宰など)。が、これは:

子張曰:「書云『高宗諒陰,三年不言』,何謂也。」子曰:「何必高宗。古之人皆然。君薨,百官總己以聽於冢宰三年。」(『論語』憲問)


をふまえてのものだろうから、隠公のように、「桓公の代わりに君主となった」的な意味でつかわれる摂政とは違う。

で、まず経書関係から用例を集めると:

(1)仲尼曰:「昔者周公攝政,踐阼而治,抗世子法於伯禽,所以善成王也。(禮記 文王世子)
(2)繆公曰:「先君之不爾逐可知矣,吾立乎此攝也。」(公羊傳 隱公三年)
(3)元年,春,王周正月,不書即位,攝也。(『左氏伝』隠公元年)
(4)孟子曰:「否,此非君子之言,齊東野人之語也。堯老而舜攝也。云々」(『孟子』萬章上、咸丘蒙問云々条)


ということで、経書の用例はないわけだが、準経書に四例ほどみつかる。この中、(3)は問題の箇所なので省くとして、実質三例。(1)は周公摂政についてよく引かれる文王世子の言葉。重要なので関係箇所の全文を引くと:

仲尼曰:「昔者周公攝政,踐阼而治,抗世子法於伯禽,所以善成王也。聞之曰:為人臣者,殺其身有益於君則為之,況於其身以善其君乎。周公優為之。」是故知為人子,然後可以為人父。知為人臣,然後可以為人君。知事人,然後能使人。成王幼,不能蒞阼,以為世子,則無為也,是故抗世子法於伯禽,使之與成王居,欲令成王之知父子君臣長幼之義也。


細かい解釈は除くとして、微妙な発言ではあるが、いちおう成王は王様で、周公は摂政という位置づけで、下にみる『荀子』のような解釈はしないのを通例とするらしい。なんとなく我が平安時代の摂政に似ている。

次ぎに(4)。これは下の『史記』に見える堯舜のこと。伝説のとおりであれば、これは問題あるまい。

ややこしいのは(2)で、簡単に説明すると、宋の宣公は、実子をさしおいて、弟の穆公に位を譲った。穆公は何を勘違いしたのか、「宣公は本当は実子を国君にしたかったが、諸般の事情で私(穆公)に位を譲った」と考えたらしく、そこで「私(穆公)が国君になっているのは『摂』なのだ」とのたまい、結局、穆公は実子を国外に追放し、宣公の子に国君の地位を譲ったらしい。ただし穆公は「摂政」を自任していたとはいえ、宋の君主であったことにかわりなく、また対外的にも宋の君主とみられていた。まあ、結果的に宣公の子は穆公の子に殺されるので、穆公は余計なことをしたとしか言いようがないのだが、それはともかく、この話は隠公と桓公の話に非常に近い。ただし出典は『公羊伝』であって、『左氏伝』ではない。

以上で準経書はおわり、もう少し用例をふやすべく、諸子も「検索」してみる。

(1)天子也者,不可以少當也,不可以假攝為也。能則天下歸之,不能則天下去之,是以周公屏成王而及武王以屬天下,惡天下之離周也。成王冠,成人,周公歸周,反籍焉,明不滅主之義也。(『荀子』儒效)
(2)孔子為魯攝相,朝七日而誅少正卯。(『荀子』宥坐)
(3)孔丘攝魯相,七日而誅少正卯。(『尹文子』孔丘攝魯相条)
(4)武王既終,成王幼弱,周公攝天子之政,邵公不悦,四國流言,居東三年,誅兄放弟,僅免其身,戚戚然以至於死。(『列子』楊朱)


この中、(2)と(3)は君主のこととは違うが、孔丘さんの話というので入れてみた。要するに「相」のことを「とった」という意味で、孔丘先生は権力を握るやいなや政敵をチュン!と殺っちまったというはなし。

それはともかく、(1)は非常に問題の箇所で、『荀子』のこの箇所の謂では、武王が崩じた後、その子供はまだ幼なく、とても天下を収められないというので、姫旦様みずから王の位に即いて政務を執り、成王が聖人してから王の位を退いた、というような感じになる。

(4)は一般的に語られる周公の摂政(攝天子之政)。武王が崩じた後、成王がまだ幼いというので、周公がかわりに政務を執ったということ。けど、こともあろうに兄弟と周王朝建国の功臣・召公に疑われたという、周公にはどんだけ徳がないんだ、というはなし。それはともかく、この場合の摂政も平安時代の摂政に似ている。

諸子を検索したので、ついでに『史記』も調べておく。これは司馬遷が勝手に書いたものだからあまり信用できないが、戦国以前のことが載っているので、調べても損はあるまい。

(1)於是帝堯老,命舜攝行天子之政,以觀天命。(『史記』五帝本紀、帝堯)
(2)舜年二十以孝聞,年三十堯舉之,年五十攝行天子事,年五十八堯崩,年六十一代堯踐帝位。(『史記』五帝本紀、帝舜。注:索隱謂告天使之攝位也)
(3)帝太甲既立三年,不明,暴虐,不遵湯法,亂,於是伊尹放之於桐宮。三年,伊尹攝行政當國,以朝諸侯。(『史記』殷本紀)
(4)成王少,周初定天下,周公恐諸侯畔周,公乃攝行政當國。(『史記』周本紀)
(5)二十五年,王壽夢卒。壽夢有子四人,長曰諸樊,次曰餘祭,次曰餘眛,次曰季札。季札賢,而壽夢欲立之,季札讓不可,於是乃立長子諸樊,攝行事當國。(『史記』呉太伯世家)
(6)四十六年,惠公卒,長庶子息攝當國,行君事,是為隱公。(『史記』魯周公世家)
其在成王時,召王為三公,自陝以西,召公主之,自陝以東,周公主之。成王既幼,周公攝政,當國踐祚,召公疑之,作君奭。(『史記』燕召公世家)
(7)召公、周公二相行政,號曰共和(『史記』周本紀)注「索隱……共,國。伯,爵。和,其名。干,簒也。言共伯攝王政,故云『干王位』也。」


(1)には類似の記事が多くある。(2)も同じ。いずれも既出。(4)も既出。(6)は問題の箇所なので省略。

(3)は書序とだぶる話で、商の太甲は君主になったばかりのころ、あほんだらだったので、宰相の伊尹は太甲を追放して自分が政権を握ったという話し。この場合の摂政は微妙で、幼主にかわって政務を執ったのでもなく、かといって王様がいないでもない(追放されても太甲は生きていた)。どちらかというと王莽の居摂に似ている。

(5)これは宋の宣公と穆公に似ている。呉王の壽夢には四人の子供がいた。で、王様としては最も賢い四男の季札に位を譲りたかったが、季札は賢いので、兄を無視して国君にはなれませんぜ、と断った。で、しかたなく長男の諸樊に位を譲った。しかし諸樊は父の願いをかなえたいので、「おれは(季札のための)摂政だぜ」みたいなことをいったということになる。ただしこちらも宋の穆公と同じで、ちゃんと呉の君主になっている。

(7)は有名な共和の出典。西周の後半、王朝が混乱したとき、王様がいなくなったので、周公と召公(周公旦と召公奭のことではない)が政務を執ったといわれているが、一説には、共伯和という人が政権を壟断したともいわれている。その共伯和の政治のことを、索隱は「共伯攝王政」と表現している。これは索隱の便宜的な表現にすぎないけれども、王様不在の摂政ということになる。

その他:

(1)許弘仁馳告之曰:「天子已崩,宇文將軍攝政,闔朝文武咸集,天道人事自有代終,何預於叔而低回若此。(『通鑑』唐紀一、武徳元年)
(2)太后(則天武后)問其状。對曰:「〔張〕説嘗謂元忠為伊、周,伊尹放太甲,周公攝王位,非欲反而何。」(『通鑑』唐紀二十三)


というのがある。

日本で摂政というと、ふつうは天皇が政務を行い得ないとき、皇族から天皇の政務を代行する人間が立ち、それを摂政とよぶことになっている。近いところでは大正末期に昭和天皇(後の)が摂政となった例がある。大昔だと平安時代に天皇が幼少のおり、外戚の藤原氏が摂政となって政務を代行したこと、さらに昔であれば、推古天皇のときに聖徳太子が摂政になったとかならないとかいう話がある。推古天皇は女帝だから中継ぎという意味があり、其の意味では幼少の天皇と類似の環境にあったのかもしれないが、学説が錯綜としているし、そもそも現存の資料をどこまで信用していいか分からないので、まあいいだろう。それに国も違うし。

さて本題。摂政とは何か。あるいは隠公の摂政とは何か。

ひろく解釈すると、摂政とは、本来君主となるべきでない人間が、何らかの事情で君主の行うべき政務を代行していることを指すと見える。ただこれには二種類あるらしく、一つは君主が即位しているにも関わらず、幼少のためみずから政務をとることができぬ故に、代行者が摂政となって政務を執るという場合。もう一つは、ある人間がなんらかの事情で君主の位を践み、実質的に政務を執っているが、その人は正式には君主となるべき人ではなく、君主となるべき人を後継者に指名しなければならないことになっている、あるいは指名することが要求されている場合。

特殊なものとして、君主を追放して自分が政務を執るというのもあるようだが、これは伊尹と王莽に特有のものという気もしないではない。竹書紀年によると伊尹は勢力を盛り返した太甲に粛清され(その子供が宰相になったらしい)、聖人君子の政治を行った王莽はみじめな最期を遂げたので、彼等のようなことをすると正式な君主はもとより、人々の反感をかって嫌な死に方をすることになるらしい。なお『荀子』の周公は君主そのものになったらしいので、摂政とはよべない。

ということで、上の話が間違いなければ、隠公は二種類目の摂政だったのだろう。ただこれって外からみれば普通の君主と同じなので、「摂」の字をつかうメリットがあまりない気もする。というか、摂政のつもりが治世30年とかになったら、正統後継者の方が先に死ぬんじゃないかね。ああそうか、その場合は譲位するのか。でも劉敞によると、摂政は譲位できないらしい。なぜなら摂政は君主の位にいるべき人でなく、したがって君主の位の保持者ではないので、自分のものでない君主の位を譲ることはできないから。

ああ、そうそう、隠公が摂政だというのは、左氏伝の所説であって、公羊伝と穀梁伝は違うよ。だからもし公羊伝か穀梁伝の所説が正しいのであれば、隠公は摂政ではなく正統後継者だから、上にあれこれ書いたのは全くのどーでもいい話になる。


どうでもいいけどATOKは正統後継者もまともに変換できんのか。政党後継者ってなんだ。もう一つどうでもいいけど、神武天皇の即位って案外おそいのね。周の恵王って、つい最近の人じゃないか。日本は神話の時代をつかっても中国の歴史に及ばんのか。


およばんのか→雄四番の下(ATOK)


追記:

もう少し資料の質を加味して(ATOK→資料の質を紙して)、摂政の内実を分析することはできる。例えば周公以前の摂政は日本の平安時代の摂政に似ているが、伝説と史実の狭間の話であり、どこまで史実であるか疑問が残る。逆にあるていど資料的に信頼できる春秋以降の資料による限り、正統後継者以外のものが君主の位につき、正統後継者に君主の位をわたすことが期待されている人と考えられる。あるいはこれをもっと積極的に表現するなら、君主権(ATOK→君主剣)の代行者というよりは、中継君主のようなものと見なせる。

が、わずか十数例でそんなことは分からない。そもそも摂政に統一的な定義があったかどうかすら不明だ。各国でばらばらだった君主交代劇を、後の時代の人が「摂政」という都合のいい表現で括っただけかもしれない。無理に解釈してみせる必要はない。なにせ歴史なんてものは分からなくても何の害もないのだ。分からなくて結構、間違っていて結構。

分かりにくく書いてみる

考えたら前も似たようなことを書いたので二度も三度も書く必要あるまい。消してしまおう。

…………

件の春秋権衡をpdf化してみた。前の春秋学綱要と同じスタイルで何頁くらいになるか調べるために。で、一巻の三分の二ほど終わった状態で20ページくらいになった。う~む、予想外にページを食うな。

一巻全訳となると30ページくらいになりそうだ。左伝の権衡は全七巻だから、単純計算して30*7で210頁か。しかも巻一は全七巻のなかでも少ない方だから、実際は230~240頁くらいになるかもしれない。それに表紙やら目次やら解説やらをつけると、250頁前後になってしまうかも。これはいかん。

ちなみに前にブログで訳していた四庫提要を同じスタイルでpdf化してみたところ、こちらは110頁ほどになった。これも解説とか抜いているから、実際はもう少し増えると思う。それに完成させるときは、ブログで省いた三伝と釈例、繁露の提要も入れるつもりだし。どっちにしても、こちらもいかんな。

二つとも冊子にして一人でニヤニヤ楽しもうと思っていたが、こんなに分量があっては冊子にするだけで途方もない金がかかってしまう!いかん。これはいかん。なんとか考えないと。でもこれ以上フォントを小さくすれば眼に厳しいし。

そうそう四庫提要pdfを印刷して朱を入れてみたら紙が真っ赤になった。冗談じゃなくて。わかりにくすぎて我ながらびびった。でも印刷してしまうと移動中でも訂正できるから便利だ。A5で作ってるので、A4の見開き印刷、かつ両面印刷だと、結構頁が減らせる。まぁ、電車の中で訂正しまくっていたら横の人が怪訝な顔してたけどな。


おお!本の補修テープってAmazonでも売ってたのか。近辺の雑貨屋になくて困ってたんだ。

ペーパーエイド 00120

Amazonのレビューにも書かれてあったけど、やっぱりこれも剥がしにくいんだね。

霜降月随筆

ヤフオクに周礼通釈が出品されている。現在18000円。高いけど普通の古本屋より安い。もちろんいらないけど、欲しい人もいるんだろう。周礼は注疏とか正義とかで読もうと思わない限り、これを使うしかないから、やむを得ないところなんだろう。ああ、和刻本はあるのか。いずれにせよ礼学はむつかいい。


ぐうぜんここのサイトにたどり着いて、久しぶりにファイアーエムブレムを思い出した。懐かしいなぁ。私がやったのは聖魔の光石までだった。あれでさすがにもう次はないなと切ったのを覚えてる。でも暗黒竜と紋章の新版がでたとか言ってたな。......いや、もうとっくに出てたのね。

なるほどこういうのもあるのね。ふむ、語り出すとつきないものな。

上の辞典を見ていて思い出した。封印にソフィーヤというシャーマンが登場する。この人、めずらしく闇魔法を使うので(レイも使うけど子供は嫌いだ)、魔法が好きな私はぜひとも一軍で使わねばならないという使命感に燃えて彼女のレベルを上げることにした。ところが彼女は魔力と魔法防御はほぼ確実にマックスまであがるのに、魔導師(ATOKは「まどうし」すら変換できないらしい)に必要な技と素早さがかなり上がりにくく、最悪、最終章手前でドーピングかなとか思っていたのだが......

何故か知らないけど、異様に素早さと技があがって、両方とも能力値が最大まであがってしまった。あれは何だったんだろうなあ。そのときはロイとリリーナとソフィーヤの三人に支援をつけて(最後はソフィーヤとロイをAにしたように思ふ)敵軍を粉砕していったんだっけか。しかもドーピングで三人の移動範囲を最大まで高めたので、最終章は三人で出撃して、あっというまに攻略したのを覚えてる。

そうそう、あのときはあまった金とドーピングアイテムでセシリアさんのパラメータをほぼ最大まで引き上げたりしたんだった。

いやまぁどーでもいいことだけど、ふと思い出したんで。しかし外伝のぞいて聖魔まですべてプレイしたけど、ああいう変な成長したのはソフィーヤだけだったなあ。


隱公三年の武氏子來求賻の公羊伝に「武氏子者何。天子之大夫也。其稱武氏子何。譏。何譏爾。父卒子未命也。何以不稱使。當喪未君也。武氏子來求賻,何以書。譏。何譏爾。喪事無求,求賻非禮也,蓋通于下」というのがある。で、いつも問題になるのが蓋通于下の蓋。何休はとりたてて解説しておらず、公羊疏に蓋云歸哉の蓋と同じで、すなわち皆の謂だとする。蓋云歸哉は小雅黍苗の一句で、鄭箋に蓋は皆とする。もちろん皆でも通じるけど、本当にそうなのかどうなのか。

善くも悪くも宋代の学者のように一人の人間が作った書物なら、宋代の言葉の使い方とか、そういう方面から意味を探ることもできるが、公羊伝のようにいつどうやって作られたのかも分からないようなもの、漢代末期の鄭玄の解釈を用いてよいものかどうか。もしかしたら単純に書き損じで分かりにくい文章になっているのかもしれず、現に儀礼は漢代の竹簡が見つかって読み方が分かったところもあったほどだから。古い文献はなかなか読むのがむつかしい。別に新しい人のは簡単だというわけではないけども。


> 言っちゃた

どうですかねぇ。国民というのはそういうものでしょう。というよりも、民主主義みたいなものは所詮あり得ないもので、国民が議員を選ぶというのも一種のペテンでしょう。愚かな政権党に政権を取らせたのが愚かなら、それを止められなかった選ばれし人々はさらに愚かということになる。現今の日本に統治能力がないのは言わずもがなでしょうけど、そもそも現在の出発点は統治能力を否定することにあったはずですから、否定を否定することもできず、現状の価値観が崩壊しないと直らないんじゃないですかね。そのまま日本も消えてなくなるかもしれませんけど。


生臭坊主の呆れた抗議!──北村隆司

坊主=出世間した人=世間から出て行った人。そういう人を世間様があれこれ考えてあげる必要もあるまい。食えなくなってそこいらでのたれ死んでもかまわないから坊主をやってるんだろうから。文字通り「勝手に一人で悟ってください」というやつで、皮肉なことに、それを実践するから尊敬されもする。

例のpdfソフト

件のFoxit Phantom PDF Suite。しばらく使ってみたので、備忘録がてらに一つ二つ書いておく。ちなみに使ったPCはwin7の64ビットで性能は......そこそこ。まあそこらは適当で。

1.起動速度

前も書いたけど、たしかにAcrobatと比べると速いようには思う。けど、サイトの表記は紛らわしい。Foxit Readerは起動に1秒もかからないかもしれないが、Foxit Phantom PDF Suiteは数秒かかる。決して1秒では起動しない。しかも上のPCだとAdobeのAcrobatReader9でも1秒で起動できるので、単にpdfファイルを閲覧するだけならほとんど意味がない。

ただし、いちどFoxit Phantom PDF Suiteを起動してからpdfを開いた場合は、比較的高速に表示される。もっともこれですらAcrobatReaderとどっこいどっこいだけど。

2.大容量ファイルの閲覧は重い

起動速度はともかく、このFoxit Phantom PDF Suiteは、サイズの小さいpdfだとAcrobatReaderより軽快に動くような気もしないではないが、容量の大きいpdfを開くとかなり不安定になる。例えば147Mで15000頁くらいのテキストの塊のpdfを起動すると、かなりもたつきがあり、ページ間の移動にも不都合が起こる(ただし落ちなかった)。対するAcrobatReaderは比較的軽快に操作できる(PCが苦しむことは苦しむけど)。同様に数百頁ながら800Mくらいのファイルを起動しても同じ結果になった。

ということで、閲覧がメインで、たまに編集という程度なら、AdobeReaderの方が軽快に動く。まあそこまで馬鹿でかいファイルを開く必要はほとんどないけど、たまにそういう迷惑なファイルを使うことがあるので、一言。

3.見開き表示

長らく気づかなかったけど、Foxit Phantom PDF Suiteで縦書き文章を見開きで開いた場合、左→右に表示され、非常に読みにくい。Foxit Phantom PDF Suiteはプロパティで閲覧方法を変更できるのだけど、どうもこれでは右→左には変更できない。もちろん見開きを止めて、一頁連続で表示すれば苦痛を感じないとはいえ、見開きが便利な場合もあるので、この不備はあまりいただけない。言うまでもなくAcrobatReaderは(設定通り)右→左に表示される。

4.認証が英語

もう一つ、これは動作とは関係ないけど、Foxit Phantom PDF Suiteはライセンス認証(?)の後にインストールキーを入力しないとけいない。そしてそのキーは記入したメールアドレスに添付されてくる。が、日本語のサイトで日本語で販売しているくせに、わざわざ英語のメールを送ってくる。受け取ったとき、どうすべきか迷ってしまった。

海外に本社があるようなソフトの場合、海外の本社からメールが来る場合がある。でもそれは手違いメールで、あとから日本語のメールが送られてくるということも珍しくない。しかしこのソフトはどうも英語のメールでよかったらしい。英語は構わないけど、日本語のサイトで売買してるのだから、英語でメールが行きますよとか一言あってもよかった気がする。間違えて迷惑メールに放り込みそうになった。

5.Firefoxでpdfを開くと

たぶんこれは私の使ったPCの問題だと思うが、Foxit Phantom PDF Suiteを標準のpdf閲覧ソフトに指定すると、当然のようにforefoxもIEもそれでpdfを閲覧することになる。しかし例の如く表示にもたつきがあるのでいらついてAdobeさんに変えようと思い、標準の閲覧ソフトをAcrobatReaderにもどしたところ、なぜか切り替わらず、あいかわらずFoxit Phantom PDF Suiteでブラウザ表示された。もちろんブラウザの設定は変えての上です。

で、AcrobatReaderのインストールの修復をつかってFoxit Phantom PDF Suiteを追い出してやったところ(その前にfirefoxのプラグイン修正を試みたが全て失敗した)、Foxit Phantom PDF Suiteで表示されなくなったが、代わりにpdfが表示できなくなった。どうもFoxit Phantom PDF Suiteのプラグインが邪魔しているようなので、しかたなくfirefoxのプラグインフォルダにあるnpFoxitReaderPlugin.dllを削除したところ、ようやくAcrobatReaderで表示できるようになった。

よく覚えていないけど、ブラウザが狂った前後のことを思い出してみると、Foxit Phantom PDF Suiteを標準ソフトとして利用していたとき、AcrobatReaderのアップデートがあって、それで不意にAcrobatReaderが標準ソフトに変わってしまったことがあった。そのときはもういちどFoxit Phantom PDF Suiteを標準にもどしたのだけど、ブラウザでのpdf表示があまりに遅いので、Adobeさんに戻そうと思ったら出来なくなったので、いろいろいじったというようなことだったと思う。

6.ついで

indesign(cs5)でつくったpdfファイルのブックマークがずれた。もっともこれはcs2で作ったデータをcs5に読み替えたものだったので、そのせいでずれたのかもしれない(AcrobatReaderだとちゃんと表示された)。ただしFoxit Phantom PDF Suiteでブックマークを修正したものはAcrobatReaderでもきちんと表示される。


あと細かいところでは、helpの日本語が変だとか(Adobeの公式サイトの比ではないが)、アップデートの記述がおかしいとか、ないではないが、それほど気になるものではなかった。


悪いところばかり書いてしまったけど、軽快に編集できることはできる。試しに上に書いた15000頁のpdfから500ページずつページを抽出してみたり(このソフトは抽出のことを「拡張」とよぶらしい)、500ページpdfからテキスト抽出してみたりしたけど、スムーズにできた。中国語のファイルをテキスト抽出しても文字化けすることなく綺麗に抜き出せる。また比較的ページの多いワードファイルやテキストデータだと簡単高速にpdf化してくれる。(ただし100ページ前後のファイルを同時にpdf化して結合するというのはできないらしい。そして数百メガのファイルの塊をpdf化すると、かなりの確率で固まり、最悪、ソフトが落ちる。)


しばらく使ってみたところそんな感じだった。まあAcrobatReaderと比べれば値段がぜんぜん違うから、こんなものといえばこんなものなのかもしれない。ふつうに使うぶんには悪いと思わないけど、閲覧がメインで、たまに編集するというような人なら、AcrobatReaderをメインにした方がストレスなく使えると思う。

四コマその他

1.四コマ
2.公是先生弟子記
3.春秋権衡どうするか
4.そらおと
5.らーめんや

※以下本文

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雪待月雑筆

やばいな、三つ目でもうネタが尽きてきた。

1.この前のすばらしい言葉の出処
2.朱子全書外編
3.マーズ
4.中国思想関係の新刊
5.国文学研究資料館の宣伝
6.自慢の位相

※以下本文

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春秋権衡・左氏学派への批判(05)・隠公篇

「公及邾儀父盟于蔑(公、邾の儀父と蔑に盟す)」。『伝』は「未だ王命あらず。故に爵を書せず。儀父と曰うは、之を貴べばなり」というが、間違いである。

そもそも諸侯は理由もなく盟(*1)を行ってはならないのに、〔邾と〕盟を行うことの何が善いことなのか。貶せられこそすれ(*2)、どこに貴ぶ理由があるというのか。

丘明は仲尼から『春秋』を受けなかった。そのため「儀父」が字であると知り心ひそかに惑いながらも、仲尼が素王の法(*3)を立てたことを知っていたがため、その虚説を継承し、道理の根本を推し量ることなく、「これを貴べばなり」と言ってしまったのだ。

そもそもこの出来事に対して、三伝はいずれも「儀父を貴べり。故に之に字す」と言う。その中、公羊のみは「『春秋』をもって新王に当つ」との学説を提起し、まだしも道理らしきものを立てているが、これとて結局は解釈に困難を来すものである。ましてや左氏と穀梁に至っては、そもそも「貴ぶべき」道理が存在しない。

また『伝』は「公、位に即きて好を邾に求む。故に蔑の盟を為す」(*4)と言う。この発言の通りであれば、友好関係を継続し、国民に安寧をもたらした功績は、魯に帰せられこそすれ、邾のどこに褒めるべき理由があるのだろうか。またこの後、『春秋』は桓公との盟においても「儀父」と言うが(*5)、このどこに善いことがあるというのか。




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春秋権衡・左氏学派への批判(04)・隠公篇

「不書即位(即位を書せず)」(*1)。『伝』は「摂なればなり」といい、杜預は「公、即位の礼を行わざるが故に、史、書さず」というが、これは間違いである。

『伝』の思惑を推し量れば、ここで「書せず」と云うのは、『春秋』における仲尼の筆法──「書せず」──を指摘しようとしたのであろう。だから隠公に対しては〔仲尼が「即位」を書かなかった理由を説明して〕「摂なればなり」といい、荘公には「文姜の出ずる故なり」といい、閔公には「乱の故なり」といい、僖公には「公出でて復た入ればなり」といったのだ(*2)。しかしこれではまだ仲尼の意図を理解したことにならない。左氏は『春秋』にこの数君の即位が記されていないのを見て、私見でもって仲尼の意図を類推したにすぎない。そして杜預はこの解釈の不備を回避しようとして、「この四人の君主は朝廟告朔の礼(*3)を行っただけで、即位の礼は行わなかったからだ」(*4)と弁解したのである。しかしこれはまた何と真実味のない発言ではないか。

あるいは国家擾乱のおりとて、礼を行う余裕がなかったとでも言いたいのだろうか。それならばなぜ即位の礼のみを実施しなかったのだろう。朝廟告朔の礼を実施する余裕もないはずではないか。そもそも朝廟告朔の礼のどこが即位の礼と異なるというのか。即位の礼のどこが朝廟告朔の礼と異なるというのか。朝廟告朔の礼は、君主と百官が宗廟に集まって実施するものだ。ならば朝廟告朔の礼を実施する余裕があるのなら、〔君主が宗廟で百官に見える〕即位の礼についても、また実施する余裕があるのではないか。この種の杜預の発言は全くもって信用できない。

そもそも杜預は『伝』の主張をも理解しきれていないのだ。『伝』に「即位を書せず」とあるのは、言うまでもなく「仲尼が〔『春秋』に即位を〕書かなかった」という意味である。もし隠公と荘公が本当に即位していないのであれば、『伝』は「公の即位せざるは、摂なればなり」、あるいは「公の即位せざるは、文姜の出ずるが故なり」と言わなければならず、「即位を書せず」、あるいは「即位を称せず」と言ってはならないはずだ。さらに杜預は定公の初年に正月がないこと(*5)に注して、「公は未だ即位せざればなり」という(*6)。この発言によれば、公が即位すれば正月を書き得、逆に公が即位していなければ正月を書き得ないことになる。もし公が即位すれば正月を書き得、公が即位していなければ正月を書き得ないのであれば、隠公などの第一年には即位が書かれていないのに、なぜ正月が書かれているのだろうか。これでは自説でもって自説を破ったことになる。




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春秋権衡・左氏学派への批判(03)・隠公篇

元年春王正月(元年、春、王の正月)(*1)。『伝』の「春王周正月」に対して、杜預は「周王の正月なり」と言うが、これは間違いである。周の諸侯は周王朝の暦を用いるものだ。それとも『春秋』は魯が周王朝の暦を用いぬのを厭い、そのことを明らかにするために「王」の字を加えたとでも言うのだろうか(*2)。そもそも『伝』は「王周正月」と言い、「周王正月」とは言っていない。もし『伝』が「周王正月」と言ったのなら、『伝』の間違いというべく、杜預の間違いとは言い得ない。しかし『伝』は「王周正月」と言うのであるから、『伝』の間違いとは言い得ず、杜預の間違いと言わねばならない。なぜそう言えるのか。『伝』は「王」の字を前に置き、「周」の字をその後に置いている(*3)。ならば「王」が「周」の外にあることは明らかである。「王」が「周」の外にあるならば、〔この「王」が〕時王(*4)でないことは明らかだ。杜預はただ『春秋』の解釈を間違えているばかりか、『伝』の意味するところをも間違えているのだ。




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春秋権衡・左氏学派への批判(02)・隠公篇

隠公

『伝』には「恵公の元妃は孟子なり。孟子卒し、室に継ぐに声子を以てし、隠公を生む。〔……〕而して仲子を夫人と為し、桓公を生む」(*1)とある。もし『伝』の言うとおりであれば、隠公は年長者でかつ身分が低く、桓公は幼少でかつ身分が高いことは明白である。また「隠公は立ちて之を奉ず」と言うところから判断すれば、隠公が桓公のために「立った」ことも明白である。すなわち隠公元年の『伝』に言うところの「〔即位を書せざるは〕摂なればなり」(*2)というのがそれである。また同じく十一年の「羽父、桓公を殺さんことを請う。〔将に〕以て太宰を求めんとす。公、曰く、『其の少(わか)きが為〔の故〕なり。吾れ将に之を授けんとす」から判断すれば、隠公はもともと「立つ」べき人ではなかったので、「位を摂って」、桓公が国君としてふさわしい歳になるのを待っていたことは明白である。さらに元年の『伝』に「恵公の薨じたるとき〔……〕太子少(わか)し」と記される「太子」とは、桓公のことである。

さて、これに対して杜預は「〔隠公は〕継室の子、当に世を嗣ぐべし。禎祥の故を以て、父の志を追成し、桓を立てて太子と為す」(*3)と注している。これは間違いである。もし隠公がもともと君主となるべき人であったなら、『伝』は「即位を書せざるは、譲なればなり」と言わねばならず、「摂なればなり」とは言えなかったはずである。そもそも君主の位にありながら摂政を名のることはあり得ず、摂政でありながら国を譲ることもあり得ない(*4)。摂政と譲国という言葉の意味を知れば、隠公が君主となり得たのか否かは明らかである。もし隠公がもともと君主となるべき人であったなら、羽父は理由もなく桓公の殺害を要請したことになる。ならば羽父が桓公の暗殺を要請したことから類推して、隠公はもともと君主となるべき人ではなかったことが分かるというものだ。恐らく羽父は疑っていたのだろう。──隠公は長らく摂政に居座っている、隠公は君主の位を私したいのではないか、と。もし隠公がもともと君主となるべき人であったのなら、桓公に君主となる可能性がないことは羽父にも分かっていたはずだ。それを何故に殺害を要請することがあろう。そもそも桓公の母は夫人であり、隠公の母は妾である。妾と夫人とは地位が異なる。その身分の高下も明白である。

しかし『伝』は「桓公は身分が高く、隠公は身分が低い」と言うが、これはまったく信用できない。そして杜預はこれに拠りながら、さらに両者の身分を取り違えてしまったのだ。

では何をもって「信用できない」と言うのか。曰く、国を譲ったならば摂政ではあり得ず、摂政ならば国を譲ることはできない。ところが『伝』によれば、隠公は摂政だという。これでは君主の位にないものが、その位を践んだことになり、王法において許されないことである。王法において許されないことならば、隠公を弑した桓公の悪事は少しく加減されるべく、『春秋』も深くは罰さぬはずである。ところが『春秋』は桓公の弑を深く罰している。ならば隠公は国を譲ったと見るべく、摂政でなかったことは明らかである。ここに鑑みれば、「隠公は摂政である」との主張は、『春秋』の真意を理解しきれなかったものと言えるだろう。では何をもって「両者の身分を取り違えている」と言うのか。これについては既に述べたとおりである。

私見によれば、杜預の注と『伝』とが互いに異なっているばかりか、『伝』と『春秋』すら互いに異なっている。このことは『春秋』の真意を深く知るものでなければ、とうてい理解できないことである。




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かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

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