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今年最後

それにしても今年もどうこういいつつ生き残った。来年は生きてるかどうか分からないけど、まあ考えても仕方あるまい。それはそうと今年最後に何か一つもっともらしいものをと思っていたが、急に忙しくなってそれも無理になった。とりあえず今年のブログ更新はこれで止めることにする。しばらくネットにつなげない状態がつづくので、いないとは思うけどコメントなどを送られても返信できないので悪しからず。

おまけ:

書虫の新刊案内に閲微草堂筆記-中国古典小説名著叢書があがってた。どうも簡体字シリーズみたいだな。前の中国古典文学叢書のはどうなったのだろう。

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去年までスーパーの建ってた土地で埋蔵物の調査をしていた

各地で開発が進んでボコボコ出土資料が出るのは、たぶんその通りだろう。この狭い日本、開拓し尽くした感があるのに、古い歴史をもつところからボコボコ余計なものが出てきて開発の妨げになるのを見ると、中国のような超古い土地からやたらと珍奇なブツが出てくるのは当然といえば当然のことといえる。

が、そういうのが出てくるのと一々の真偽とは別物であるし、そもそも出土物を完全に把握できていない状態で、分かっても分からなくても人類になんの貢献もないような仮説をボコボコ立てるのとは意味が違う、と思う。それも中国人がするのなら分からんでもないが、なんで日本人がそんなものの尻馬に乗ってやらねばならんのだ。やりたいなら趣味でやればよろしい。

趣味人が気にするのは大いに結構なことで、その意味であれば私も興味がある。例えば、尚書っぽいのはどんな内容だろう?とか。しかしそんなものは日本人が研究しなくてもいずれ中国人が外に見せびらかしたがるだろうから、ぜんぶ丸投げしておけばいいのだ。

たまに研究は自由であるべきだというような寝言を吐く学者がいる。もちろん研究に国境があるのは真理に国境があるのと同一で、まったく耳を貸す必要性すらない言葉だが、かりにそうだとしても、それならそれで中国人が研究しても何も問題ない。でしゃばって日本人が研究する必要もない。こういう寝言を吐く奴に限って自分の手持ちの資料は見せようとしない..........というのは関係ないからまあいいや。

つまりですね、この前のは、出土資料が出てくるのは構わないし、それに価値(?)があるのもかまわない。中国から価値のあるもの(=お金になるもの)が出てきたり、古いものが出てくるのを必死に否定する必要も義理もない。が、今のところボコボコ立てられている仮説は、本当に一々真偽を確認したものか奇しいところが多いし(膨大な出土物からチョビッと取り出して年代測定したなんてのは論外だ。特に盗品の場合)、まだまだ出土物が出てきそうなときに、われ先に無意味な仮説をぼんぼん立てられるのも迷惑だというに止まる。大前提として分かっても分からなくてもいいものなのだから、資料が出そろって、中国の学者様がご立派な学説を吹聴し尽くすまで待って、おもむろにそれらを右から左に流せばいいと言いたいのです。

メモ

宋代の春秋学には、やたらと春秋時代の事件や人物を批判したがる傾向がある。もちろん解釈上においては「孔子が筆誅を加えた」という形になるのだけど、実際は宋代の注釈者がそういう解釈をしたというに過ぎない。さすがに春秋学的権威の崩壊した現在では宋代春秋学の特徴の一つに数えられるくらいで済まされるが、清代の学者からずいぶん罵倒されたものだ。

清代の学者が批判すると言うことは、その元締めのような四庫提要にも当然ながらその種の指摘が頻出する。そんで四庫提要を訳すとき、これにどのような訳語をあてるか決められずにいたところ、この前、刑法の本を読んでいたら必罰主義とか厳罰主義という単語があった。宋代のは厳罰主義といえば厳罰主義だが、どちらかというと必罰主義に近いので、この言葉なはなかなつかえそうだ。

ということで、今後この種の言葉が登場したときには必罰主義と訳してみることにした。

以上、単なるメモです。

経験するまでもないことだが

パソコンさんが入院からもどってきた。びっくりするくらいはやかった。修理ってこんなに早いのね。てっきり2週間くらい入院されたままになるものだと思っていた。移動を含めて3日とは驚きだ。

ということで記念にどうでもいいことを書いておこう。

経験するまでもないことだが、見せつけられるとなるほどと思うことがある。古文尚書とか、ああいう偽書になんで騙されるかな~と思いつつも、現に書物として目の前に存在し、そしてそれが由来ある古典と部分的に重複し、それなりに古そうな文章で書かれていれば、コロッと騙されるのも所以ないことではない。

昨今中国からバカバカ出てくる出土資料なんてのは、それが本物かどうかなんて分かりはしないのにコロッと信じてしまうのだから、遠い昔のことであれば古文尚書を信ずるのもしかたあるまい。出土文献なんてものは、まずもって内容よりもその真偽を確かめる方が先で、それが確かめられない状態では研究を進めるべきではないのだ。昨今の出土資料が全くの噓っぱちだとは思わないが、部分的に信頼できない資料が含まれており、それが学問的に価値のあるものである可能性は否定しきれない。日本にも神の手を持つ男がいたくらいだし、出土資料がパチモンでも一向におかしくない。

学者は嘘をつかないはずだなんてのがナンセンスであることは、日常的にナンセンスにつきあわされている我が国にあってはいまさらあえて口にする必要もあるまい。とはいえ、嘘であれば話のネタが一つ増えるだけ、本当であればそれはよかったですねの一言で済むのだから、罪のない話でないこともない。


パタリロの英語wikiは頗る充実してない。それにwikiのリンクを見る限り、諸外国に広まっているようにも見えない。やはり内容が内容だからだろうか。

それにしてもパタリロは長くつづくなぁ。最近のパタリロも見たら見たでおもしろいのだが、私はむかしのちょっぴり残酷で美しい話が好きなようで、あえて見るのなら古いのを選んでしまう。ここらはパタリロにはまった年代によるのかもしれない。ちなみに私はマライヒよりビョルンの方が......

ビョルンといえばスターダスト計画のときの弁天小僧菊之助だ!が笑えて笑えて、ゲラゲラ声をあげて笑った記憶がある。ああいうのはいいね。


Google chromeだと表示されない画像がある(fc2のブログのね)。なにが原因なんだろう。firefoxとかIEだとちゃんと表示されるのに。大したことではないからどうでもいいけど。

もっとどうでもいいけど、瀚典がめちゃくちゃ使いにくくなった。もしかしたら私の使い方が悪いだけなのかもしれないけど。

これはどうでもよくない話として、えむえむは美緒が中心だったのね。最後の最後でようやく分かった。

ぼちぼち今年も終わる。最後に一つくらいまともな記事を書いておこう。次回かその次くらいに。でも予定だからしょーもないこと書く可能性大。

儀礼は人気ない

儀礼は人気ないなぁ。中国語のwikiも儀礼はすっごくなげやりな記事になってる。大戴礼より粗雑だ。さすがは儀礼だな。

儀礼
周礼
礼記
大戴礼

日本語のwikiに至っては儀礼(ぎれい)と同じ項目に括られてる。独立の項目すら立てられないとは......人ごとながら哀れさを感じさせる。そしてやはり周礼の方が文字数が多い。

礼記は......おおむかし私が大幅に増補してやったのだった。あまり変わってないな。あのころ大戴礼も途中までやって面倒になって止めたんだった。今でもやり残しのままになってる。

あ!そうでもないや。出土資料が復活してる。あんな眉唾物は辞典から削除すべきだと思うんだが、書きたい人がいるんだろう。どうでもいいや。

でも中国の出土資料が本物で、その推定が当たっているなら、逸礼が出てきてもおかしくはない。それと尚書の残り物みたいなのがボツボツ公刊されはじめたけど、あれも結局は偉大の聖王たちの物語の一コマなんだから、残っていても少しもおかしくないし、そもそも驚く方がどうかしている。尚書の残り物みたいなのが、もし漢代に継承されなかった儒学者の経書なら価値はあるが、単なる歴史逸話だとすれば、単なる歴史資料にすぎないから、私のような人間には文字の校勘以外に大して役に立たないことになる。出土資料で影響を受ける時代があるとすれば、せいぜい漢代くらいまでだろう。中国の出土資料も、もうちょっと頑張って孔子と孟子の間の資料とか、孔子の少し前の資料とか、そういうのを出してもらいたいね。なんなら作って出してもらっても一向に困らないけど。おもしろいし。

郡斎読書志(礼類)+雑記

パソコンさんが入院することになった。余暇の楽しみが9割ほどなくなった感じ。

○『郡斎読書志』礼類(巻二、王先謙補校本)

礼類

周礼十二巻(鄭玄注)……現
石経周礼十二巻
儀礼十七巻(鄭玄注)……現
礼記二十巻(戴聖纂、鄭玄注)……現
石経礼記二十巻
大戴礼記十三巻(戴徳纂)……現
三礼義宗三十巻(崔霊恩撰)……佚
周礼疏十二巻(賈公彦撰)……現
儀礼疏五十巻(賈公彦撰)……現
礼記疏七十巻(孔穎達等奉詔撰)……現
礼記外伝四巻(成伯璵撰)……佚。唐代の人
唐月礼一巻(玄宗皇帝册定、李林甫等注)……佚
三礼図二十巻(聶崇義纂輯)……現
開宝通礼二百巻(劉温叟等撰)……佚
太常因革礼一百巻(姚闢、蘇洵撰)……残
明道中庸解一巻(程撰)……現
芸閣礼記解四巻(呂大臨撰)……輯
編礼三巻(呂大臨編)……佚
新経周礼義二十二巻(王安石撰)……輯。周礼新義のこと
郊廟礼文三十一巻(楊完撰)……佚
周礼義辨疑一巻(楊時撰)……佚
晁以道中庸篇一巻(晁説之撰)……?
游氏中庸解一巻(游酢撰)……輯
楊中立中庸解一巻(楊時撰)……輯?
周公諡法一巻……佚
春秋諡法一巻……佚
沈賀諡法四巻(沈約撰)……佚
嘉祐諡法三巻(蘇洵撰)……現
集諡総録一巻(孫緯撰)……佚
太常礼書一百五十巻(陳祥道撰)……現

☆附志
石経周礼十二巻
石経儀礼十七巻
石経礼記二十巻

今からすると三礼義宗が亡くなったのは惜しい。沈賀諡法あたりも。

礼関係のメモ

(1)史記
言禮自魯高堂生(*1)。
諸學者多言禮,而魯高堂生最本。禮固自孔子時而其經不具,及至秦焚書,書散亡益多,於今獨有士禮,高堂生能言之。而魯徐生善為容。孝文帝時,徐生以容為禮官大夫。傳子至孫延、徐襄。襄,其天姿善為容,不能通禮經;延頗能,未善也。襄以容為漢禮官大夫,至廣陵内史。延及徐氏弟子公戸滿意、桓生、單次,皆嘗為漢禮官大夫。而瑕丘蕭奮以禮為淮陽太守。是後能言禮為容者,由徐氏焉。
(*1)【索隱】謝承云「秦氏季代有魯人高堂伯」,則「伯」是其字。云「生」者,自漢已來儒者皆號「生」,亦「先生」省字呼之耳。

司馬遷の認識では:
・漢代の礼は魯の高堂生をご本尊とする
・礼経は孔子の時代から残闕
・現行(漢代)の礼経は士礼のみ→高堂生は経をよく読めた
・魯に徐生がおり礼の儀式に詳しかった
・徐生の子孫と門人が礼の儀式を伝えるが、礼経には通じなかった
・瑕丘蕭奮の前の「而」の意味が分かりにくい。流れからすると、彼も徐氏の弟子だろうか。

高堂生が礼経をよく読めてご本尊だというのはいいが、それと徐生の関係が書かれていない。同郷らしいから関係者なんだろうか。
儀式方面は学統らしきものはあったが、経の方はなかったと、司馬遷は思っていたのかもしれない。


(2)漢書
漢興,魯高堂生傳士禮十七篇,而魯徐生善為頌。孝文時,徐生以頌為禮官大夫,傳子至孫延、襄。襄,其資性善為頌,不能通經;延頗能,未善也。襄亦以頌為大夫,至廣陵内史。延及徐氏弟子公戸滿意、(栢)〔桓〕生、單次皆為禮官大夫。而瑕丘蕭奮以禮至淮陽太守。諸言禮為頌者由徐氏。

・相当程度史記と同じ
・ただ魯の高堂生が士禮十七篇を伝えたとあり、篇数が記されている
・高堂生と徐生の関係は相変わらず不明

孟卿,東海人也。事蕭奮,以授后倉、魯閭丘卿。倉説禮數萬言,號曰后氏曲臺記,授沛聞人通漢子方、梁戴延君、戴聖次君、沛慶普孝公。孝公為東平太傅。號大戴,為信都太傅;聖號小戴,以博士論石渠,至九江太守。由是禮有大戴、小戴、慶氏之學。通漢以太子舍人論石渠,至中山中尉。普授魯夏侯敬,又傳族子咸,為豫章太守。大戴授琅邪徐良斿卿,為博士、州牧、郡守,家世傳業。小戴授梁人橋仁季卿、楊榮子孫。仁為大鴻臚,家世傳業,榮琅邪太守。由是大戴有徐氏,小戴有橋、楊氏之學。

・ところが蕭奮の弟子に孟卿が現れ、后倉に学を伝えている
・后倉は大物だ!
・后倉は曲台記数万言を著した
・そして沛の聞人通漢子方、梁の戴延君、戴聖次君、沛の慶普孝公に伝授
・紆余曲折を経つつ、戴徳、戴聖、慶普をおおもととする三系統が現れた模様


(3)漢書芸文志
禮古經五十六卷,經(七十)〔十七〕篇。經(七十)〔十七〕篇。(后氏、戴氏。)
記百三十一篇。(七十子後學者所記也。)
明堂陰陽三十三篇。(古明堂之遺事。)
王史氏二十一篇。(七十子後學者。)
曲臺后倉九篇。
中庸説二篇。
明堂陰陽説五篇。
周官經六篇。(王莽時劉歆置博士。)
周官傳四篇。
軍禮司馬法百五十五篇。
古封禪羣祀二十二篇。
封禪議對十九篇。(武帝時也。)
漢封禪羣祀三十六篇。
議奏三十八篇。(石渠。)
凡禮十三家,五百五十五篇。(入司馬法一家,百五十五篇。)

易曰:「有夫婦父子君臣上下,禮義有所錯。」而帝王質文世有損益,至周曲為之防,事為之制,故曰:「禮經三百,威儀三千。」及周之衰,諸侯將踰法度,惡其害己,皆滅去其籍,自孔子時而不具,至秦大壞。漢興,魯高堂生傳士禮十七篇。訖孝宣世,后倉最明。戴、戴聖、慶普皆其弟子,三家立於學官。禮古經者,出於魯淹中及孔氏,(學七十)〔與十七〕篇文相似,多三十九篇。及明堂陰陽、王史氏記所見,多天子諸侯卿大夫之制,雖不能備,猶瘉倉等推士禮而致於天子之説。

・礼経十七篇か七十篇か異論あり
・礼は孔子の時代から欠けていた
・漢代の礼は魯の高堂生から始まる
・宣帝の時代に后倉が現れる。やはり后倉は輝いてる。その割に書物は消えたけど
・弟子の戴、戴聖、慶普が継承したらしい
・礼経には戴、戴聖、慶普一派のものと礼古経がある
・礼古経は魯淹中および孔氏から出る
・礼古経は十七篇と類似しているが、三十九篇多かったらしい
・明堂陰陽、王史氏記(礼古経系統?)には天子諸侯卿大夫之制が多い
・礼古経関係は后倉らの学説より優れている

最後に猶瘉倉等推士禮而致於天子之説とあるが、これによると現在の礼記や大戴禮は士礼から天子に致したものと考えられる。だとすれば曲礼とか王制もその類のものなんだろうか?
礼古経は唐代まで残っていたとか残ってないとか。整理屋の劉向はともかく、なんで鄭玄は逸礼に注をつけなかったんだろう。全部とは言わずとも、一つ二つつけといてくれれば、どんなものか分かったのに。


(4)儀礼の篇
戴本:
冠禮第一、昏禮第二、相見第三、士喪第四、既夕第五、士虞第六、特牲第七、少牢第八、有司徹第九、郷飲酒第十、郷射第十一、燕禮第十二、大射第十三、聘禮第十四、公食第十五、覲禮第十六、喪服第十七

戴聖本:
冠禮第一、昏禮第二、相見第三、郷飲第四、郷射第五、燕禮第六、大射第七、士虞第八、喪服第九、特牲第十、少牢第十一、有司徹第十二、士喪第十三、既夕第十四、聘禮第十五、公食第十六、覲禮第十七

劉向別録本(鄭氏所注):
士冠禮第一、士昏禮第二、士相見禮第三、郷飲酒禮第四、郷射禮第五、燕禮第六、大射第七、聘禮第八、公食大夫禮第九、覲禮第十、喪服第十一、士喪禮第十二、既夕禮第十三、士虞禮第十四、特牲饋食禮第十五、少牢饋食禮第十六、有司徹第十七

武威漢簡本(慶氏?):
士相見禮第三、(喪服第八)、特牲饋食禮第十、少牢饋食禮第十一、有司徹第十二、燕禮第十三、泰射第十四

しっかしアレだな、よく分からない武威漢簡はともかく、后倉から分かれたはずの戴徳と戴聖の篇順が違うというのは傑作だな。それと劉向別録本と違うというのもおもしろい。要するに、漢代には儀礼の配列はばらばらで、学者によってまちまちだったということなんだな。劉向は出土文献を目にしているので、それを案じて現行本の配列にしたのかも知れないが、いずれにせよ現行本の配列はそういう意味のものでしかないということなのだろう。まあ経学は事実上漢代にはじまるからそれでいいといえばそれでいいのだけど。

あと經典釋文と隋書経籍志があるけど、資料的価値はぐっと下がるので、今回はここまで。

メモ

清華大学蔵戦国竹簡
意味があるとは思わないが趣味的おもしろさはある。20年くらいしたら全貌が分かるだろうか。それまで私が生きているか分からないけど。

ある少女の延命拒否
老人の延命処置はむつかしい。でもどうなんだろうな、このまま日本が貧乏になれば大多数の人は延命処置の費用を捻出できなくなるわけだから、問題は自然と解消されるような気もするけど、そうはならないのだろうか。いずれにせよ私のような貧乏人は大病になれば仮に延命したくともできないことは確かだ。

12月8日を知らない若者 - 原 淳二郎
いいことだ。むしろ健全な証拠だ。戦争の思い出をいつまでも抱えていたいなら、日清日露といわず、元寇も白村江の日だって覚えておくべきだ。記憶が薄れていくと言うことは、それだけのものだったということだろう。自分に価値があるからといって、人も同様に価値を感じるとは限らない。

頭痛い。

し忘れの気にしすぎではなく、単純に判断力が落ちてるだけじゃないかと思うようになってきた。理由はしらないけど。停止ボタンを見ても停止の意味が分からなくなるときがある。停止ってどいういものだっけ?という感じで。

人を信用しないのは何事にも支障を来すけど、都合よく人を信用するのは楽しい気がする。何事につけ得な性分と損な性分があって世の中うまくいかないものだなぁ。

やはり儀礼は無理だな。魅力的だが時間が決定的に足らない。というか、最近は権衡すら訳せなくなってきた。やばいな。このままでは生きている意味がなくなってしまう。

日記

『春秋権衡』、ようやく隠公がおわった。

関係ないけど、えむえむはどこにいきたいのだろう。妙に気になってきた。

もう一つ、十三経注疏叢書の発売がまた始まったようだな。断続的だなあ。いかにも中国らしい。そういえば書虫のリストにあがってる儀礼には写真がないけど、発売はされているみたいね。中国のサイトに写真があがってたから。買う人が少ないのだろうか。まあこれを必要とする人は何年も前にでた精装本の十三経注疏を持っているだろうし、あえて買わないよね。でも噂によるとこの十三経注疏叢書は精装本のを校正しているらしい。精装本の校点にはまま誤りがあったから、校正して出すというのはあるいみ良心的ではあるんだろう。精装本を買った人間には意味のないことではあるが。

国民主権と平和主義と基本的云々は現行憲法の三大特徴で、憲法を改正するときもこの三点の改正はできないと習ったが、改正できるという学説もあるのね。まあそれはそうだろうな。帝国憲法を改正したんだものね。同じことすればいくらでも改正できるよね。でも憲法の根本的改正をしたら憲法を専門にしている人はどうするんだろうか?ああそうか、改正の作業に参加するから困らないのか。

雑記

1.孔子平和賞
2.早稲田大学孔子学院叢書
3.陸軍刑法
4.信じるべきは民の声
5.よーわからんが

※以下本文

続きを読む

さくら&四コマ

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やはり書いておかなければならないだろう、義務として。SET2は画像が出てなかったので省略。今となっては設定の古さはいかんともし難いが(でかい携帯電話とか)、すてきなアニメだった。というか、これを見たから、私はまちがった道に走ってしまったのだ。


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なにはともあれ、生きて最終刊を拝めるか心配していたが、こうして無事、最後まで見ることができた。ありがとう......って、誰に対してかしらないけど。そうそうおまけでその後の展開がついてる。

論語仲間++

私信:ぶじに到着されたようで何よりです。


論語は漢代から尊敬の的だったので、論語類というよく分からないジャンルが設けられていた。いや、正確に言うと、漢書芸文志に論語という項目があるので、漢代から項目分けされるほど尊敬されていたんだなーという話ではあるのだが、ともかく、漢書芸文志にはそういうジャンルがある。純然たる経書春秋の後に配されているところをみると、やはり準経書という扱いなのだろう。

その漢書芸文志の論語類を列挙すると:

論語古二十一篇(出孔子壁中。兩子張)
斉二十二篇(多問王、知道)
魯二十篇、伝十九篇
斉説二十九篇
魯夏侯説二十一篇
魯安昌侯説二十一篇
魯王駿説二十篇
燕伝説三巻
議奏十八篇(石渠論)
孔子家語二十七巻
孔子三朝七篇
孔子徒人図法二巻

論語古というのは古文論語、斉二十二篇と魯二十篇はいわゆる斉論と魯論で、斉に伝わった論語と魯に伝わった論語を指す。斉説以下、燕伝説までは、論語の解説書。議奏は石渠での議論をまとめたもの。で、次に孔子家語と孔子三朝があり、最後に孔子徒人図法というものが並んでいる。私が好きな孔子家語は孔子学派の言葉で、三朝記は哀公に三たび朝したときの言葉らしく、政治から軍事にいたるまで幅広く論じたもの。孔子徒人図法は書名からして孔子とその弟子の図なのだろう。

現行本の論語は魯論に斉論と古論を加味したもの、それらに付随していたらしい上の解説書はすべて現存せず、詳細は分からない。石渠閣の議奏と孔子徒人図法も残っていない。ところが不思議なことに孔子家語は胡散臭い本としていちおう残っており、孔子三朝記も残っているといえば残っている。ということで、論語の解説書とか図とかいうのはともかく、論語ご本尊とその羽翼たる孔子家語と三朝記がなんとなく残っているというのはなかなか面白い。

そうそう、家語はパチモンだというなら、三朝記からも孫引きしてるのかと思って、昨日の夜中に雑然と孔子家語の出典をチェックしてみたところ、三朝記からの引用はないようだった。いや、厳密に調べていないので断定できないが、なんとなく見ただけだとないような気がした。もし家語に三朝記からの引用がないとすると、家語がホンモノであれば当然にして、偽物であっても王肅とてそれくらいの計算はしていたということなのかもしれない。家語と三朝記はもともと別モノだったのだから、家語に三朝記がバカバカ引用されていたらおかしいですもの。

ちなみに寝る直前に三朝記をぱらぱら捲ったら、あまりのつまらなさにすぐ寝ることができた。ありがとう三朝記!

という、こちらもどうでもいいはなし。


なんとなく余計なことを書いておこう

小説や新聞読む生徒、読解力で高得点…学力調査

アホくさ。「小説や新聞を読む生徒の読解力得点が高いことがわかった」らしいが、仮にそれが正しいとして、小説のおかげですか?それとも新聞のおかげですか?

刑法はなかなか冷酷でおもしろいな。法律の本を読んでいると経書の解釈を読んでいるような気になってくる。むかしの儒学者(経学者)は法律家を兼ねたりしたから、律令と経学に親近性があるのは何となく分かるが、現在の法律の解説書を読んで親近性を感じるとは思わなかった。条文の素直な解釈を前提に、現実問題に妥当な判断を下すところが類似しているのかもしれない。

長音ローマ字

頭が痛い......が、忘れる前にメモしておこう。

Ā
Ē
Ī
Ō
Ū
ā
ē
ī
ō
ū

表示できたんだね。今頃知った。

ついでにGoogle eブックも。横書文章はwebでも苦痛度が低いな。縦書きは高さが制約されるぶん、どうしても読みにくい。そういえば経書は市行(by ATOK)一行の長さが決まっていたから、あれだと綺麗に収まるかも知れない。いずれにしても単行本の行数をそのままPCで表示したら見づらくてしかたがない。もっとも印刷用だと逆に一行が短すぎると読みにくいので、これはこれで面倒な話しではある。印刷しなければいいと言ってしまえば、それまでだけど。

欧陽修君と劉敞君の趙盾弑君をめぐる問答

欧陽永叔(欧陽修)、「春秋経には『趙盾、其の君を弑す』とあるが、これは『弑』を加えたのだろうか、それとも本当に『弑』したのだろうか?」

劉子(劉敞)、「加えたんだ」

永叔、「なぜ加えたのだろう?」

劉子、「賊の正体が分からず、賊を討てなかったのなら、しかたない。賊の正体を知っていても、討つ力がなかったのなら、それもしかたない。しかし賊の正体を知っており、それを討つ力をもちながら、親類や仲間だというので見逃したというのなら、そのものは『君を弑した』と見なせよう」

永叔、「いまここに殺人を犯したものがおり、有司が意図的に逃したとしよう。その場合、有司が殺人を犯したと言えるだろうか?」

劉子、「いいや、言えない。君主のことを一般人に当てはめることはできない。大臣の君主に対するものは、有司の一般人に対するものとは違うだろう?君主と親とに関わることだから、聖人は『弑』を加えたんだ。加えたにも関わらず、なおも世の乱れは止まなかった。ましてや加えなければどうなったことか。『書』にいうところの『事を議するに制を以てす』というやつだな」



これによると欧陽修君も趙盾弑君の解釈に迷っていたらしい。で、劉敞先生にお伺いをたてたら、いかにも専門家らしい回答が返ってきた。欧陽修君がこれに満足できたかどうかは知らないが、春秋論中では趙盾が殺したとわめいている。はたしてこの問答が先なのかどうか。ちなみに劉子の方が永叔よりも一回りほど年少だったりする。劉敞はいつも自信ありげなのでこういう訳にしてみた。

まあ弑君にはいろいろな解釈があるので、劉敞の立場も欧陽修の見解もおのおのの意見ではあり得る。趙盾氏弑君の事件は、経文に「趙盾、其の君夷皐を弑す」と書かれてあるのに、伝には夷皐を実際に弑したのは趙穿という男だったとある。この場合、経文を信じて趙盾が弑したと見るのか、それとも伝を信じて趙穿と考えるのか、宋代で意見が分かれた。

実際これはなかなか難しい問題で、経文というのはそれなりに古い文章だから、経文の方が正しく、伝はちまたの伝説に過ぎないとも言い得る。別段、記事が長い方が正しいわけではない。だから経文と伝文という孰れも来歴ある文献の場合、そのどちらが正しいのかは、正直なところ、判断できないといってよいだろう。もっとも経文を否定すればそれで真実が分かったつもりになれるような戦前的な思考の人は分からないが、常識で考えて、経文の記述を否定するだけの力を伝文がもつわけではない。もちろんその逆も成り立つ。

それはともかく、経文を重視して、趙盾が夷皐を弑したと考えるにしても、ここにも幾通りかの解釈が生まれる。まず単純に趙盾が夷皐を弑したという文面を是認する立場。これは分かりやすい。次ぎに、上の劉敞のように、実質的に趙盾が夷皐を弑したに等しいから、趙盾が夷皐を弑したとする立場。これを説明するために昔の人はいろいろ頑張った。劉敞のように、国の正卿でありながら、賊を知りそれを討つ力をもちながら看過したものは、弑君の賊と等しいから「夷皐を弑した」と見なし得るという立場もあり得る。これは別の人の表現を借りると、そもそも弑君とは何かということでもあり得る。

例えば明智光秀が織田信長を暗殺したといっても、別に明智光秀が織田信長の首をちょん切ったわけではない。暗殺という事件の首謀者であったから、そういわれるのだ。この関係は事件がもう少し複雑になるとややこしくなる。AがBを唆し、Bが首謀者となって君主を弑した場合、Bはもちろん弑君の賊ではあるが、果たして「真の」首謀者はAであろうかBであろうか。これは楚の国で起こったことであるが、こういう場合の弑君の賊の指定はなかなか難しい。

この種の類推を趙盾弑君の場合にも当てはめ、趙盾は趙穿に夷皐を弑させた、すなわち趙穿の意志はともかく、実質的に弑君は趙盾の主導で行われた。ならばこの夷皐暗殺の首謀者は趙盾でなければならず、経文が趙盾其の君夷皐を弑すと書くのは事実を正しく書いたものだと言わなければならない、という立場も生まれる。

ああだこうだと春秋学者はこりもせず理屈を並べたがるものだが、つまるところ、春秋経は孔子が作ったものだから絶対に正しいはずで、その正しい理由を見つけるのが学者のつとめだというところに、彼らをしてそうせしめる原動力があるのだろう。その原動力に魅力を感じられないと春秋学なんてアホくさくてやってられないけど、そこに魅力を感じると引きつけられてしまう。人それぞれだね。税金で研究しているわけでなし、好きな人間どうしやっている分には問題あるまい。今も昔も。

四コマなど

もうすぐあおやまの最終巻が発売されるなあと思いつつ。

かなめも (4) (まんがタイムKRコミックス)かなめも (4) (まんがタイムKRコミックス)
(2010/11/27)
石見 翔子

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久しぶりに読んだ......わけではなく、本を開いたところ、全体の1/4は立ち読みしていた。前巻でかながいいこちゃんになっていたのでこの先の展開を危惧していたが、杞憂に終わった。もとの黒いかなが帰ってきた。やはり主人公は黒くないとつまらない。そういえば美華はずいぶん性格が変わったなあ。前からこんなんだったかな?どちらかといえば典型的なツンデレだったはずなんだが、本巻ではツンデレどころかデレデレになってた。第三期のルイズ状態という感じか。まあ、私はかなが黒ければそれでいい。


晴れのちシンデレラ(3) (バンブーコミックス)晴れのちシンデレラ(3) (バンブーコミックス)
(2010/11/27)
宮成 楽

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あいかわらず晴さんはいいね。基本的にいいはなしは嫌いなんだが、この四コマのいいはなしは楽しい。描き手の人柄かどうかは知らないが、下手な作為が感じられない。ちなみに今月のMOMOもよかった。あの後、晴さんがどんな活躍をしたのか、できればもう一本、つづきを読んでみたかったくらいだ。


漢文の語彙を求めてネット(中国の)をさまよっていたら、春秋釈例のデータが落ちてた。前からあったのかどうか知らないが、日付は今年(2010)の3月になってる。他のところにも同じデータがあったけど、おおもとはこの道里書院論壇のufe氏の手になるものらしい。

春秋釈例は杜預が著したもので、彼が左氏伝を研究する際に、経文と左氏伝との書法等について研究した成果をまとめたものとされている。上のテキストデータは誰が切ったのか句読が施されていて便利なようには見えるのだが、利用には一つ気をつけなければならないところがある。

春秋釈例は春秋学の基本書の一つとして元代までは現存したらしいが、明代初期に永楽大典に収録されたのを最後に、この世から消え去った。したがって現行本は主として四庫官がその永楽大典から輯佚本したものにすぎない。しかし、四庫官は単に永楽大典から輯佚したのみならず、正義からも輯佚し、おびただしい増補と校正、および校注を施した。

四庫官が正義からも輯佚したことは釈例の読解には便利なのだが、おのおの輯佚元の資料形態が異なるため、どこから輯佚したものかいちいち確認しておく必要が生まれる。さもないと、「杜預は粗雑な議論してんなー」みたいな感じで読んでいたところが、実は正義からの輯佚であり、したがって論旨を簡明に説明するため複雑な議論を削除したものであった可能性が生まれるのだ。

ということで、春秋釈例に四庫官の注は不可欠なのだが、遺憾ながら上のテキストデータはこれを全て削除してしまっている。あるいは入力しなかったというべきかもしれない。まあ、テキストデータとして公開しているということは、後から使う人間がそれをもとに自分で補訂すればいいのだから、大した問題ではない。人の労力を安く使おうというのがそもそも間違っているのだ。それに四庫官の編集自体、難点がないとは言い難いのだし。が、そういう注意点もあることくらいは書いておいてもいいだろう。

なお上のテキストデータはこれ以外にも長暦や地名も削除している。おかげで本文だけでも不完全なデータになってしまうが、気持ちはよくわかる。私がつくっても同じことをしたと思う。

大雑把に各篇の存佚を示すと以下の通り。標題は上のデータの流用、丸括弧内は私が四庫本で確認したもの。

※永楽大典輯佚/編目存佚(四庫官補足×/他書引用△)

公即位例第一(○/○)
會盟朝聘例第二(○/×)
戰敗例第三(×/×)
母弟例第四(○/○)
弔贈葬例第五(○/○)
大夫卒例第六(○/△)
滅取入例第七(○/×)
氏族例第八(×/×)
爵命例第九(×/×)
内外君臣逆女例第十(○/×)
内女夫人卒葬例第十一(○/○)
侵伐襲例第十二(○/×)
災異例第十三(×/×)
崩薨卒例第十四(○/×)
書弑例第十五(×/×)
及會例第十六(×/×)
蒐狩例第十七(○/×)
廟室例第十八(○/×)
土功例第十九(○/△)
歸獻例第二十(×/×)
歸入納例第二十一(○/×)
班序譜第二十二(×/△)
公行至例第二十三(○/×)
郊雩烝嘗例第二十四(○/△)
王侯夫人出奔例第二十五(○/○)
執大夫行人例第二十六(○/×)
書諡例第二十七(×/×)
書叛例第二十八(×/×)
書次例第二十九(○/×)
遷降例第三十(○/×)
以歸例第三十一(×/×)
夫人内女歸寧例第三十二(○/○)
大夫奔例第三十三(○/○)
逃潰例第三十四(○/×)
殺世子大夫例第三十五(×/×)
作新門廐例第三十六(×/△)
作主禘例第三十七(○/△)
得獲例第三十八(○/×)
執諸侯例第三十九(○/○)
喪稱例第四十(×/△)
告朔例第四十一(×/×)
戕殺例第四十二(×/×)
土地名第四十四(○/△)
世族譜第四十五【略】
經傳長歴第四十六(○/○)
終篇第四十七(×/△)

永楽大典の収録状況が判然としないのでなんとも言い難いが、現行本の釈例は相当程度四庫官の想像が加わっているのが分かる。なお四庫本春秋釈例はこちらのサイト(例の北京/浙江大学の)で簡単に閲覧できる。


あおいちゃんとヤマトくん(6) (まんがタイムコミックス)あおいちゃんとヤマトくん(6) (まんがタイムコミックス)
(2010/12/07)
師走 冬子

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かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

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