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四コマ+雑感

1.四コマ
2.怒らない云々
3.自由
4.四庫提要

※以下本文

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続修の提要など++++

やっとトモノリ登場か。待っている間に京子が登場して、そっちの方に牽かれてしまったが、トモノリはトモノリで悪くない。

それはともかく先週末に運よく続修四庫全書総目提要(経部)を見ることが出来たので、つい夜更かしして余計な資料を作ってしまった。以下、知ってる人は誰でも知ってる、知らない人は知る必要のない記事。


続修四庫全書総目提要は四庫全書総目提要に続ける目的で作られた漢籍解題集で、戦前の我が大日本帝国が出資し、狩野直喜、服部宇之吉、内藤湖南など少数の日本人学者と圧倒的多数の中国の学者を中心に編纂された。原典資料は未入手なので孫引きになるが、編纂開始時期は1931年、終了(停止)時期は1945年7月、すなわち日本の敗戦間近。総計約三万三千の書物の解題が含まれるという。ちなみに続修四庫全書総目提要と続修四庫全書には直接の関係はない。

おおむかしは続修四庫全書総目提要というと臺灣商務印書館の出版した『続修四庫全書提要』(全13冊、1972年)だったのだが、その後、大陸から『続修四庫全書総目提要(経部)』と『続修四庫全書総目提要(稿本)』が発売された。後二者は基本的に同一作業上の産物なので問題ないが、商務印書館のものは少々問題がある。

上に書いたように、続修四庫全書総目提要は日本出資の下、大陸で編纂されていた。そして日本の敗戦とともに作業は中止され、編纂資料と編纂のために集められた資料は大陸に残された。しかし編纂過程において原稿の一部が日本に届けられていた。この日本に送られていた資料をもとに作られたのが、台湾から出版された『続修四庫全書提要』(全13冊、1972年)になる。

大陸においても断続的に資料整理が行われており、経部と史部、そして集部の一部がまとめられ、1993年に『続修四庫全書総目提要(経部)』上下冊としてまず発売され、ついで『続修四庫全書総目提要(稿本)』全38冊が発売された。前者は活字印刷の断句本、後者は稿本の名のとおり原稿を影印出版したもの。前者は整理されており使い勝手は悪くないが、後者は人物別に原稿をまとめたものであり、書物の解題としては頗る利便性が悪いことで知られている。ただし原典資料の正確さという意味では、当然ながら、稿本がもっとも信頼できる。

では台湾の13冊本と大陸のものとはどれほど分量に違いがあるのか。大陸の学者の指摘によると、台湾本は全体の1/3ほどしかないらしい。試みに経部春秋類を比較すると:

台湾本:総計176(経之属62+左伝之属59+公羊伝之属22+穀梁伝之属14+総義之属19)
稿 本:総計417(左伝135+公羊伝38+穀梁伝29+総義215)

ということで、分量の差違は一目瞭然といえる。ちなみに続修四庫全書総目提要の編纂過程については『続修四庫全書総目提要(経部)』と同『稿本』の前言に詳しい。両者とも基本的に内容は同じだが、後者は日本との折衝過程が細かく書かれている。日本と中国の文化的な問題を知りたければ後者の前言を読むとおもしろいが、単に叢書の性格を知りたいだけであれば、前者の方がコンパクトにまとまっており便利。

本筋とは離れるが前言に少しおもしろいことが書いてあった。提要の執筆について編纂委員の出した規定(関於研究委托編纂事項規定)の中に次のようなものがあった。

・稿本の版権は完全に本会に属す。自分の執筆分を勝手に出版してはいけない。(6条)
・必ず原典にあたって検討すること。もし序跋をもとに提要を書いていたら原稿を突き返す。(8条)
・皇清経解のような抄録本ではなく、原本に当たって提要を執筆するように。(11条)



第6条はこの時代だと当たり前なのか、それとも近代日本が一枚かんでいるからなのか、よく分からない。でも四庫全書が編纂されたときは、編纂者が勝手に資料を流していたらしいから、それに比べるといかにも近代的な取り決めのように見える。第11条は当然といえば当然だが、善本を見る機会の少なかった当時のことを考えると、いちおう言っておかないといけないことなのだろう。

傑作なのは第8条でこれはいかにもあり得る話だ。原典を読んで、それを分析して、該当書物の解題を書くというのは、一般人からすれば当たり前のことのように思うかも知れないが、専門の世界からすると、それは専門家の中でも相当の学力を有する人間にしか出来ない芸当に属す。実際に当時一流の学者をあつめて作ったはずの四庫提要ですら、序跋や経義考から抜粋しただけの記事が多くある。もちろん現代の学者の論文にも、序跋とか人の評論をまとめただけのものが多数ある。わざわざ規定で禁止しなければならない所以だろう。


そういえば続修四庫全書総目提要をググると書虫と東方書店のサイトがそれなりに解説されており参考になった。が、少し気になるところもある。

まず書虫の続修四庫全書総目提要-経部(上下)

《続四庫全書総目提要》共收古籍30000余種,主要為《四庫全書総目提要》雖已收録但簒改、刪削過甚或版本不佳的書籍,以及修改阮元的《四庫未收書目提要》等。本書分易類、書類、詩類、礼類,楽類、春秋類、孝経類、四書類、小学類(訓詁、文字、音韻、音義、文字総義)、石経類、群経総義類、匯編類等。



これによれば続修四庫全書総目提要(経部)というのは、主として「為《四庫全書総目提要》雖已收録但簒改、刪削過甚或版本不佳的書籍,以及修改阮元的《四庫未收書目提要》等」らしく、いわゆる続修四庫全書総目提要ではないように見える。しかし続修四庫全書総目提要(経部)はいわゆる続修四庫全書総目提要の経部の整理本である。おそらく書虫の解説は同書整理説明の3頁の一部のみを引用したため、説明不足になっているのだろう。

つぎに東方書店の續修四庫全書總目提要(稿本) 1-37(附索引卷1册)

補:1970年代に戦後日本から返却された“提要”のタイプ原稿をもとに台湾で刊行された〈続修四庫全書総目提要〉は原書1/3の分量しかなく、タイプ原稿そのものも誤脱が多い。1983年から1993年にかけて科学院図書館が“提要手稿”を点校して、中華書局から出版された〈続修四庫全書総目提要(経部)〉は原書の1/4の分量で、点校も誤りが多い。(史部・子部・集部の点校および出版は現在予定されていない)



続修四庫全書総目提要(経部)に校点の誤りが多いか否かはなんとも言い難い。そもそも四庫全書総目提要の校点本ですらおびただしい誤植があるので(台湾本の十三経注疏校点本よりひどい)、それよりもはるかに整理の難しい本書にどの程度の正確さを求めるかは判断に難しい。それに校点ミスは文字の誤植と異なり読み手が正しく判断すればいいだけのことだから、さほど問題にならない。また「原書の1/4」というのはおかしい。たしかに経部は四部分類の1/4ではあるが、分量的にはそれよりもはるかに少なく、実際には史部が1/2ほど占めており、集部もかなりの分量がある。したがって適切な表現とは思えない。

この内容紹介が何に基づいて書かれたのか不明だが、全体的に稿本前言をもとに書いたように見える。ただ前言には、タイプミスや校点の錯誤がおびただしいのは商務印書館の13册本であり、続修四庫全書総目提要(経部)には錯誤が多いとは書かれていない(稿本前言は経部の整理説明を増補した内容で、書き方が少しまぎらわしい)。

ようやく本題。

研究室にいたころ商務印の続修提要(春秋)を読んでいたら、やたらと執筆者が楊鍾羲になっていて不思議に思ったことがある。今から考えれば驚くようなことではなく、単純に日本に送られていた資料に楊鍾羲のものが多かったに過ぎない。で、めでたく続修提要の経部を見たついでに、商務印本とどの程度の出入りがあるか、および誰が提要を執筆しているかを調べてみることにした。

結論から言うと、経部春秋類の提要は16名あまり(無記名があるので正確な人数は不明)、そのなかでも楊鍾羲と張壽林の二人が大半を占めている。

楊鍾羲 172
張壽林 171
劉白村 29
葉啓勳 10
徐世章 5
謝興堯 4
傅振倫 2
趙録綽 2
奉寛 2
劉思生 2
柯昌濟 2
王重民 1
孫海波 1
余寶齡 1
馮承鈞 1
馮汝玠 1
無記名 11

楊鍾羲は中国語wikiに解説がある。張壽林はよく知らないが、台湾から民国期の経学者ということで張壽林著作集というのが出版されたらしく、おそらくそのなかに続修提要の原稿も含まれていると推測される。他の執筆者のなかでやや数が多いのは劉白村だが、これは緯書15書目を扱ったことによる。また無記名の11書目は劉師培と呉樹栄がほとんどを占める(他は繁露関係の2書目)。したがって経部春秋類の執筆者は、ほぼ楊鍾羲と張壽林の二人に成ったものとみて差し支えあるまい。

もっとも楊鍾羲と張壽林の執筆書目を見る限り、明らかに楊鍾羲の方が重要な部分を担当している。当時の学界をよく知らないので両者の地位の差は分からないが、試みに清経解および続経解に収録されたる春秋学関係の書目の提要執筆者を調べると、阮元の公羊伝および穀梁伝の校勘記の二書のみ張壽林が執筆し、他の重要書物──例えば春秋左傳詁、公羊通義、公羊義疏、穀梁補注などは全て楊鍾羲が執筆している。

続経解編纂以後の書物を見ても、劉文淇の左傳舊疏考正、康有為の春秋筆削大義微言考、廖平の穀梁古義疏、張應昌の属辞弁例編など、主要な書物の多くは楊鍾羲の手に成っている。ただし近代人の書物は劉文淇の春秋左氏傳舊注疏證稿、章炳麟や劉師培の著作などは別人や無記名の執筆となっている。これは時期が時期だけに何らかの意味を込めた配慮だったと推測されるが、遺憾ながらそこまで調べていない。いずれにせよ以上から、春秋学の主要著書の大半は楊鍾羲が担当していたということは確認できる。


以上、たったこれだけのことを調べるために、続修提要の書目をタイプし、提要執筆者を記入し、清經解と続經解の書目を抜き出し、それと提要執筆者を比較する等々をして数日を眠たく過ごすことになった。ついでなのでサイトにデータをあげておいた。下のはそのリンク。ばたばたしながら作ったのでタイプミスがあると思う。全く期待してないけど批正のコメントを求む。

※いずれもpdf。Excelから簡易にpdf化しただけなので不具合があるかもしれない。

続修四庫全書総目提要(春秋類)の書目一覧および提要執筆者一覧
清経解および続経解の書目一覧および提要執筆者一覧


その他、備忘録。

続修の提要は四庫提要より詳細かつ長文で、記述は公平中立を重んじた。
一つの書物に対して複数人が提要を執筆している場合がある。例えば春秋會義は楊鍾羲と張壽林の二人が手がけている。
続修提要経部は活字印刷の校点本とされるが、実際はふるい中国書籍に多い断句本である。
続修の提要はもともと著録と存目の区別を設けていたらしいが、稿本にはその区別を設けていないものが多い。
続修提要経部はもとの原稿にあった著録と存目の表記は削除したらしい。
書虫には続修提要の叢書部が出ている。内容は知らない。
便利な書物であることには変わりないので、経部以外も整理して出版してもらいたい。

稿本は書虫で70万あまり。東方書店で40万と少し。続修提要経部は書虫で1万3千円あまり。史部と集部はもっと多いだろうから、恐らく四部が全てそろえば5万以上するだろう。ただ書前提要をあつめた文津閣四庫全書提要匯編で5万、金毓黻手定本文溯閣四庫全書提要で2万、四庫全書薈要総目提要で5千円あまり。四庫全書総目提要の断句本(全5册)も古本で1万数千。影印本もそれほどやすくなかったと思う。だから新しく続修提要の整理本がでればちょっと買えない値段になるだろう。

きもんいろいろ

専門外というのは何かにつけて問題がおこる。秦山関係の文章を読んでいていつも困るのが、何を典拠にしているのか分からないことだ。現在はいろいろな検索サイトがあるし、最悪、ググってみたら答えが出てきたというおめでたいこともないではないが、そういう場合に出てくるのは、大概おおもとの典拠であって、それをもって秦山が直接典拠としたものかどうか、少々心許ない。

確かに四書集註に典拠があるようなものは、それを直接用いたのだろうが、文集とか、語類とか、あるいは宋代の人の文章となると、秦山が本当にその原典を読み、そこから着想を得たものかどうか、あるいは単純に闇斎なり淺見先生あたりがそれを引いており、秦山はそれをみて知っていたのかどうか、それとも孫引きの孫引きで知っていたにすぎないのか、そのあたりがよく分からない。もっといろいろな文献を読まないといけないということだろう。

とはいえ、そういう博識が学問の本質かと言われると、そうであるような気もするし、違うような気もする。そういう作業が可能な環境とそれをこなし得る才能に恵まれた人はともかく、私のような人間がそれを求めてもあまり成果はないのではないかと思うのだ。まぁアカデミックな論文を書くのであればどうしても必要な作業ではあるが、そうでもない場合は、あえて典拠探しに血眼になる必要もあるまいて。


それはそうとパソコンで崎門関係の人名をタイプすると、ほぼ100パーセントの確率で変換できない。ああ、もちろんATOKさんです。あまりに面倒なので単語登録しようかと思ったが、Googleのはどうなんだろう?改めてパソコンに導入するのも気が引けるが......Googleさんで普通に出てくるのならあえてATOKで辞書登録してもしかたないしな。考えものだな。

久米訂斎......期待を裏切らない人だ。学思録。性理の書。

又(美代重本に與ふ)

又(與美代重本)

重遠啓す。某、去年貶絶の中、時に或は粮を斷つ。某は則ち男兒、何を以て顰蹙せん。惟だ一僕困頓、見るに忍へず。毎に之を苦しむ。今年は則ち貶絶中の貶絶、故を以て月初に一僕を遣歸し、兀然(*)と獨坐す。幸ひに舊知に依怙(*)し、敢へては畏れざるなり。自ら以て得策と為せり。兄の知る所となり、而して昨日仄聞す。諸友、某の自炊を憐れみ、僮を買て以て之を助けんと欲し、合議已に定まると。相愛の切と謂ふべきなり。感謝曷ぞ已まん。但だ某に一説有り。仰ぎて高明に懇(もと)む。某、嘗て古の君子は窮して米を乞ひ食を丐ふ者を聞くも、未だ醵錢(*)し僕を買はしむるを聞かざるなり。以て不必の事(*)と為すのみ。此の説、何を以て之を通すやを知らず。況んや某が伏(*)、未だ期せずして、僮僕乃ち資を挾みて以て來るをや。耕牛倉鼠の命は固より哀しむべくも、虎視眈眈の頤(*)も亦た料るべからず。豈に瑣ならざらんや。某の僕を遣る、本と籌上の實算(*)。初より斬絶過矯の事と為さず。煩す、兄、宜しく此の意を以て諸友を曉し醵錢を却け、區區の志を遂げしむべし。萬一異時、疾病狼狽、支吾すべからざれば、自ら之を報ず。時に臨み垂念して可なり。買夫の未だ來らざるに及び、遽に此の報瀆を作る。多及に暇あらず。亮察、是れ憑る。幸幸。餘は面言を期す。不宣。

(*)忽然に同じ。
(*)依頼に同じ。
(*)銭を集めること。集金に同じ。
(*)不必要の事の意。
(*)生活乃至生活必需品。
(*)養の意。
(*)もとより実を狙った計算なりの意。


貧乏の中、人を雇わないといけないのも大変だな。同じ貧乏でも中国の士大夫と日本の貧乏在野学者とでは貧乏のレベルが違う。

雑記

連絡:しばらくはゆっくり静養してください。人間、山もあれば谷もありますから、いずれ生活に慣れれば復調すると思います。まぁやる気が出るにしても、いつも何かにイライラしている私のようになるのは考えものですが。


ついでに秦山の「宮地介直に與ふ」も読んでみた。今回は少しばかり語釈をつけた。たぶん高校ていどの漢文読解力があれば読めると思う。......いや、冒頭の「更師の命」は説明しないといけない。これは語釈というより、背後関係に属すことだけども。

秦山が生きていたころの高知は、無学な武士が威張り散らしていて、「学問や知識を持っていないことが誇り」であったらしい。そういうところで「学問は一番大事」とかのたもうた秦山先生は大変な傑物だが、それはともかく、いかに当時の人が学問を軽蔑していても、実務において文章が書けないと困る。藩内のことはともかく、江戸との関係や他藩とのかねあいで、漢文が書ける人間がいないと大いに困る。というわけで、地方で頑張ってた秦山にもお声がかかり、いちどはめでたく藩のお抱えとなった。若者とともに神代巻を読んで涙したという有名な逸話はこのころのことだ。

が、そこでうまくいかないのが秦山先生のすごいところで、藩主が代わったのをきっかけに、無実の罪を帰せられて自宅軟禁に処せられたのだった。藩主としては気持ちよかろうが、これでは藩内に漢文を書ける(教授する)人間が減るというので、こんどは京都の学者を招いて顧問ということにした。まあ京都の偉い先生は秦山みたいな野太い男と違って、たおやかで藩主に経緯を払うのを忘れない人間なので、藩主としても気分はよかろう。それに自分の部下みたいな奴に文章を書いてもらうのと、外にいる学者に書いてもらうのとでは、また気分も違うだろう。

そんでもって学者を手に入れた藩主は、つぎに秦山を慕っている学者(ここの宮地さんとか)にひとつ命令を出した。「秦山なんて罪人は見限って、こっちの京都の偉い先生の弟子におなんなさい。そうしたら京都に留学させてあげるよ、そんでもって藩のおかかえサラリーマン=正社員にしてあげるよ。せっかく学問したのにいつまでも非正規社員じゃいやでしょ?」と先生を変えろと迫ったという。これが上に書いた「更師の命」で、要するに、「師(先生)を変更しろと命令した」という意味になる。

あとは秦山の手紙に書いてあるとおり。宮地氏の快刀乱麻......の行動に秦山先生が感動したとかなんとか。


先生で思い出した。

先般の京子のはなし、聞いたところによると、大先生も顰蹙を買ってるらしい。大先生の所行なんぞ気にもとめていなかったが、なるほど自分の生徒が主人公一行を傷つけ、無関係の人を殺戮していながら、それをなんとも思っていないことに不満があるらしい。

原作を読んでないので設定がよく飲み込めないが、大先生というのは人間みたいな格好はしているけど人間とは違う存在みたいだし、いちいち人間のことなんか気にしないのではあるまいか。自分の仲間(同類?)が殺されたわけでもあるまいに、別段心が痛むこともあるまい(大先生という存在に心が痛むという機能があればだけど、自分の生徒が殺されかかると助けようとするんだから、たぶん同類は大事にするんだろう)。

強いて言えば、人間が動物を食らって生きているようなもので、殺しすぎると顰蹙くらいはかうが、動物風情の命と人間様とをひとまとめにすることはできない。人間も動物ではあるが、人間外の動物は人間と同類ではなく、同類ではない動物が死んでも、同類以上の悲しみは起こらない。ましてや同類でもない動物が人間を襲っており、それを自分が助けられるなら、よろこんで動物をぶっ殺すと。まあそんなところではないかと。


さっき近くの書店に行ってきた。真相を確かめるべく、これゾンの原作でも買おうかと思ったが、年齢が年齢だけに、さすがに恥ずかしくなって止めた。どうしても気になるなら通販でいくかな。

PCの画面に黒い点(0.1ミリくらい)があって目ざわりだ。液晶にゴミがついてるのかと思ったが、どうも違うらしい。液晶そのものが傷ついているのか、発色のところがおかしいのか、そんなような気がする。修理に出してもどってきたらこうなったような気もするが、もしかしたら気付かなかっただけで、もともとそうだったような気もする。ちょうど目のあたりにあるので目に入って仕方がない。

といいつつも、必死に作業しているときには全く気にならないわけだから、ダラダラPCの画面を見ているときにだけ気になっているのだろう。

宮地介直に與ふ(辛卯)

宮地介直に與ふ(辛卯)

重遠啓す。介直足下。去年、更師の命、京師の遊、時事雨雲、寒暑再易り、寂として一書を獲ず、鬱陶萬萬、馳情殊に劇し。昨夕忽ち聞す、疾を以て俸給を辭し、且つ更師の訴を陳べ、朝廷震怒し、命を下して遠鄙に禁錮するを。雷霆耳に在り、恐悚聲を呑む。北堂の憂苦、何を以て之を慰むるやを知らず。世に處ることの多難、吁、此に至るや。某や驚魂累年、之を招きて未だ鎭まらず。乍ち復た此の事を聞く。食するも咽に下らず、寝ぬるも睫を交へず、悵然大息、飲泣踧踖す。

竊に獨り惟念す。往歳戊寅、正明翁の竄謫せられて歸らず。丁亥、某や此の如し。今復た高明に逮ぶ。罪條各々殊なると雖も、我が學の大厄を為すは則ち同じ。謂ふ所の黨錮傳、何ぞ必ずしも讀まんや。然れども更師の命、事は非常に出ず。小學に言ふ、「君父と師と、一に死を致すを以て之に事ふ」と(*)。君父は天なり。臣子は地なり。君父、改むべからざるなり。師は其れ改むべけんや。某が高明に於ける、固より往來して聞く所を言ふの輩行のみ。豈に之を師と謂はんや。然れども之を指して「舊師なれば更ふべし」と為せば、則ち分義、焉に繫る。噫、此の命の下る、我が學の否塞極まれり。此の若く一刀兩斷するに非ざるよりは、竟に好出場無し。題目髓腦を布施すと雖も、尚復た何をか論ぜん。今般の舉、差ゝ人意を強うすと謂ふべし。甚慰甚慰。
(*)正確には「欒共子曰、民生於三。事之如一。父生之、師之、君食之。非父不生、非食不長、非不知。生之族也。故壹事之、唯其所在則致死焉。報生以死、報賜以力。人之道也」(小學明倫)

大丈夫の天地のに生まるる、直に須く立身をば分明にし、死生之を以てすべし。豈に含糊摸稜(*)、學ぶ所に辜負(*)し、憒憒乎(*)として是の六尺の軀を保たんや。高明久しく書信を絶つ。蓋し訴陳の志、胸懷に留在し、重ねて賤迹(*)に傳染するを恐るればなり。此の意甚だ厚し。向來、賢慮を悉さず、猜疑多端、淺薄の愧、何を以て之を謝せん。多罪多罪。
(*)しのごの言い訳して態度をはっきりしない様。
(*)所信に背くこと。
(*)凡庸で態度をはっきりしない様。
(*)自身の謙称。

此の、昨の如し。遠念(*)を勞せず。禁錮五年、一室に塊坐し、左經右史、俯讀仰思、蓋し一生の優閑を得。然れども講學體驗の功、分寸も進むるを加へず、氣習卑陋、工夫生硬、眞に天地のの一蠧と為れり。不審、高明、何を以て之を教へん。因て念ふ、某と高明と、書を講ずること幾ど二十年。經傳を談論すること徧ねからずに非ずと雖も、或は稠人説書(*)の冗に發し、或は杯酒詼諧の機に出で、年少輕脱、磨練未だ至らず、懇惻憤悱(*)の氣象に非ず。今に至るまで書を讀むも味少なく、進脩も力乏し。此れ高明と某と、蓋し同一の病なり。今や各々一方に屛居し、門を出ずると人に接するとを許されず。此れ天の講學の暇を予二人に賜ふなり。豈に幸甚ならざるや。
(*)遠方の人に対する想い。
(*)稠人は衆人に同じ。説書は論評のこと。
(*)「子曰、不憤不啓、不悱不發。舉一隅不以三隅反、則不復也」(論語述而)。朱注に曰く、「憤者、心求通而未得之意。悱者、口欲言而未能之貌」。

只だ願はくは、須く急ぎ小學の書に從ふを首と為し、次に四書、次に近思、次に五經と夫の濂洛關閩の遺言、垂加・絅齋の發揮と、一一細看し、件件剔出し、先賢の已に言ふ所を熟復し、前人の未だ言はざる所を發明し、寢食起居の微、妙道義の祕、得る所、疑ふ所、悉く筆して以て寄せらるべし。某、衰惰すること年久しく、道ふに足る者無し。然れども高明果たして此に志有らば、駑鈍を策し(*)、考究切劘(*)せば、某も亦た豈に黽勉(*)せざらんや。天下の靈に頼り、萬一相與に生順死寧(*)の髣髴に庶幾せんや。陽復困亨の吉(*)、孰れか此より大ならん。伏して冀はくは、高明、勉㫋(*)せよ。
(*)「愚鈍を勉励し」の意。
(*)切劘は切磋琢磨の意。
(*)努力の謂。
(*)「子曰、朝聞道、夕死可矣」(論語里仁)の朱注に曰く、「道者、事物當然之理。苟得聞之、則生順死安、無復遺恨矣」。
(*)困窮の極より快方に向かうの意。
(*)努力の謂。

書疏往來の計、密ならざれば害生ず。然れども故舊林立すれば、豈に一人の義士無からんや。固より多言を煩はさざるなり。若夫れ稷下甘陵の覆轍は、先賢之を戒むること具備す。而して抑鬱無聊(*)の歎は、唐賢、道を聞かざるの愆(*)なり。今又何ぞ尤效(*)すべけんや。他は眠食自珍(*)し、以て交友の遠望に副へよ。重遠再拜。
(*)煩悶の意。
(*)過誤の意。
(*)模倣の意。
(*)自愛の意。


最後の段落に出てくる「稷下甘陵の覆轍」と「唐賢」は何を指すのかよく分からない。言われれば思い出すかもしれず、全く知らないかもしれず、なんとも。

野中繼善に與ふ(丁卯)

昨日書いた「野中繼善に與ふ」。むかし書き下しにしたのを載せてみる。一つ二つ疑問の箇所があるので、読みにくいところは私の読み間違いだと思う。ちなみに原文は漢文、秦山二十五歳のときの文章。附録で原文を載せる予定だったが、目が痛くなったので止める。語釈は最低限度とし、漢字を見て意味を想像できそうなものは省略した。

※以下本文

朱子の書、宇宙のに在る、其れ國家の元氣、生民の命脈か。生民は無かるべくも、朱子の書は無かるべからざるなり。今且らく一事を舉げて之を言はん。楊雄が賢をして師法とすべからしめば、天地は其れ立たんや。曹操・荀が舉をして信然すべからしめば、天地は其れ立たんや。天下の事を論ずる者をして、咸な司馬光・蘇軾ならしむれば、日月は地に墜ち、世界の劫火は固より已に久しからん。趙宋の末、朱明の始(*1)、忠憤義氣の盛んなる、開闢以來有らざる所。之を朱書(*2)の功に非ずと謂ひて可ならんや。
(*1)宋末明初の謂。宋は趙氏の王朝の故に趙宋といひ、明は朱氏の王朝の故に朱明といふ。
(*2)朱子の書の謂。

朱書の我が邦に行はるるは、已に元弘・建武の際に在るも、時の人は得て知らず、師錬・玄慧等が時に其の説を採り談柄に充つるのみ。爾來三百年、沈淪埋沒し、藤太閤の老成該博を以て尚お深く造る能はず。其の他、知るべきなり。幸いに貴家の先國老(*3)、弓馬の中に崛起し、我が山崎先生の髠髟のに勃興し、相與に推輓引重するを頼り、然る後に小學なる、四書の全本なる、近思録なる、文集なる、語類なる、實に始めて人に出で、雷霆日月の揜ふべからざるが若くにして、三年の喪、齊疏の服、ゝ亦た焉に觀るべき者有り。不幸にして其の志を就すを得ずと雖も、天下、陰かに其の福を被る。然れば則ち後の朱書を讀む者、自ら下風に託すに及ばずと雖も、猶お其の胤子に見えて餘論を聞かんと欲する、其れ豈に過たりと言ふべけんや。
(*3)野中兼山のこと。

僕、九歳にして小學の書を讀む。時に先國老の沒すること既に數年にして、胤子の宿毛に在るを聞き、已に私に之を識る。後、稍ゝ士大夫に交接するも、貴家の故臣の出仕する者、往往にして時と浮湛し、之を問ふも肯ては對へず。十五歳の時、宿毛の童子、來りて府に學ぶ。僕、之が遊敵と為り、邂逅往來す。童、伯子仲子を知るに及ばず、獨り高明叔季の事(*4)を道ふこと頗る詳らかなり。五年前、秦山に徙居したるとき、隣民に又嘗て先國老に野中に厮養せえらるる有り、亦た伯仲季を識らず、惟だ細かに高明の幼時、岐巍の状を稱す。
(*4)「貴方と末弟のこと」の意。

往年、蹉駝(*5)より宿毛に轉遊せるとき、私心、是に於いて其の初望を遂ぐるの日有るを喜べり。既に焉に至り、其の居を問へば則ち圜牆なり。其の僕を訪へば則ち獄吏なり。乃ち悵然として大息し、泫然として涕を出して曰く、「吾れ其の人と為を得ること、蓋し十有七年にして、一たび其の面を見ゆる能はず。豈に命に非ざるか」と。尋で數詩を得て之を讀み、既に家聲を墜さざるを歎じ、又、窮困の久しきを悲しみ、感慨歔欷す。言はんと欲すること麻の如きも、縁無くして黙すること復た茲に二年たり。
(*5)地名。高知西南の足摺を指す。

僕、今年二十五歳。然れども目は昏く耳は轟き、殆ど衰老の人の如し。素より儋石の禄を受けずして、頻りに罪案に觸る。或は一旦溘死し、宿心を償ふ能はざるを恐るるなり。故を以て已むを得ず、此に其の愚を效し、展轉附託し、仰ぎて高名を瀆す。意未だ必ずしも理に當らず。只だ區區景戀の萬一を呈似せんと要するのみ。覽畢れば之を火せよ。

蓋し之を聞く。朱子の道、大にして且つ博し。然れども其の實は父子の親、君臣の義の二者に過ぎざるのみ。此の二者は、天の以て我に與ふる所にして我の得て以て性と為る所、人心の已むべからずに根ざして天地のに逃るる所無きものなり。是を以て子の親に事ふる、臣の君に事ふる、一に其の心を盡し、死有るも貳無し。其れ或は事變不齊あり、放逐の悲しみ、竄殛の慘きに遭ふ有りと雖も、我の已むべからざる者、自ずから息むこと能はざれば、則ち慝を引き身を致し、敢えては一毫怨懟の私有る莫し。或は不幸にして君父亡沒するや、此の心を施す所無きが若しと雖も、然れども此の身は即ち親の遺體、君の遺黎なれば、則ち我の已むべからざる者も、亦た依然として易ふべからざるなり。故に葆嗇して節を守り、敢えては一毫解弛の念有る莫し。此れ君父に徳とすること有るに非ず。蓋し必ず此の如くにして、然る後に本心に慊て、天地のに愧ること無きなるのみ。

瞽叟は慘父なり。毎に舜を殺さんと欲す。而るに舜の知は其の慘を知らずして曰く、「惟だ父母に順ひて以て憂を解くべし」と。紂は忍君なり。文王を羑里に拘ふ。而るに文王の聖は其の忍を知らずして曰く、「臣が罪は誅に當る。天王は聖明」と。父沒す。曾子は一息尚存するのに薄きを履み深きに臨む(*6)。君亡す。伯夷は仁を求めて天下の周を宗とする秋に仁を得たり。是れ舜の性者なる所以、文王の至徳なる所以、曾子・伯夷の魯を以て之を得、且つ聖の清と為る所以にして、之を要するに、本分の外に於いて、毫末も加ふる有るに非ざるなり。夫の湯武の慚じて未だ盡さざる所以の若き、其も亦た此を謂ふか。朱子の六經四子を羽翼し、小學・近思を蒐輯する、其の用心精力、蓋し此に在り。而して通鑑綱目は其の實事を舉げ、楚辭集註は其の實情を述ぶる者なり。世の放臣屏子、往往にして此に聞く有る能はず、其の抑鬱無聊の感に迫られ、勝へずして天年を夭せる者有り、詩に遁れ、酒に遁れ、老釋に遁れ、琴棊書畫の玩に遁るる者有り。此の如くなる者は皆惑ひなり。亦た罪有り。嗚呼、天の與ふる所、夫れ奚くにか避けんや。
(*6)「深淵に臨むが如く、薄冰を履むが如し」(論語泰伯)の謂。

昔し程朱の窮に處する所以は、固より尚ふべからずと為す。後學の宜しく熟考矜式すべき所にして、范忠宣(*8)の嶺南に安置せらるるや、疾に因て明を失するも、命を聞けば怡然として道に就く。或ひと名に近づくと謂ふ。忠宣曰く、「七十の年、兩目倶に喪ひ、萬里の行、豈に其れ欲せんや。但だ區區の愛君、懷ひに盡さざる有り。若し名を好むの嫌を避くれば、則ち善を為すの路無し。愧ずる心有りて生きるは、愧ずる心無くして死するに若かず」と。毎に子弟に小しも不平有るべからずと戒む。諸子の章惇を怨むを聞けば、必ず怒りて之を止む。道に在るに及び、舟の江に覆し、衣盡く濕る。諸子を顧みて曰く、「此れ豈に章惇之を為さんや」と。
(*8)范純仁のこと。

劉忠定(*9)の梅州に竄せらるるや、章惇・蔡卞・蔡京の之を怨むこと尤も深く、累連貶竄し、極遠惡地、之を歴ざる無し。而して將に必ず之を死にかんとし、屢しば使者を遣はし之を脇して自裁せしめんとす。忠定は畏れず、「君、死を命ぜば即ち死せん。自死すること奚ぞ為さん」と曰ひ(朱子曰く、此れ學び得るを須ちて他れ始めて得)、遺祝の類を寫し訖りて「今、死するは難きこと無し」と曰ひ、卒に恙無し。
(*9)劉安世のこと。以下、主語を補うと、「劉忠定(*9)の梅州に竄せらるるや、章惇・蔡卞・蔡京の之を怨むこと尤も深く、累連貶竄し、〔忠定は〕極遠惡地、之を歴ざる無し。而して〔章惇等は〕將に必ず之を死にかんとし、屢しば使者を遣はし之を脇して自裁せしめんとす」となる。

陳忠肅(*10)の台州に羈管せらるるや、何執中、石悈をして台州に知たらしめ、くに必死を以てせんと欲す。悈至り、之を執らへて庭に至らしめ、大いに獄具を陳し、將に脇すに死を以てせんとし、之を窘辱する所以の者、百端たり。忠肅曰く、「今日の事、豈に制旨を被らんや。時相、學術短淺、人の愚にする所と為る。君の得る所は幾何ぞ。乃ち亦た公義を畏れず、名分を干犯するか」と。悈、慚じて之を揖して退かしめ、終に害する能はず。
(*10)陳瓘のこと。

朱子の門人に至りては、呂子約の吉州に安置せらるるや、藥を賣りて自給し、書を讀み理を窮む。嘗に曰く、「世變に因て摧折する所有り、其の素履を失ふ者は、固より言ふに足らず。世變に因り、而して意氣に加はるところ有る者も、亦た私心なり」と。

蔡季通の道州に竄せらるるや、貶を聞き、家に辭せず、即ち道に就く。朱子は從遊の者と蕭寺の中に餞別す。坐客に歎を興し、泣下る者有り。朱子微かに之を視るに、平時に異ならず。因て喟然として曰く、「朋友相愛の情、季通不挫の志、兩つながら得たりと謂ふべし」と。衆、宜しく緩く行くべしと謂ふ。季通曰く、「罪を天に獲。天、逃るべけんや」と。杖屨もて其の子の沈と同に行くこと三千里、脚、為に流血するも、幾微も言面に見るる無し。舂陵に至る。來りて學ぶ者日に衆し。季通を愛する者の謂ふならく、「宜しく生徒を謝すべし」と。對へて曰く、「禍患の來る、閉門塞竇するも能く避くる所に非ざるなり」と。書を貽りて諸子を訓じて曰く、「獨行するも影を愧じず、獨寝するも衾を愧じず。吾の罪を得るを以ての故に、遂に其の志を懈くこと勿かれ」と。道に在ること逾年、忽として一日、沈に謂ひて曰く、「客を謝すべし。吾れ安靜以て造化の舊物に還らんと欲す」と。三日を閲して卒す。

夫の數子の者、處るところ各々同じからずと雖も、要するに、皆な天命民彝の已むべからざる者に於いて、竭し盡して遺すこと無らんと欲す。故に其の禍害患難に於けるや、從容整暇として特に避けて死するを為さざるのみならず、實に生きて之を受くるを甘樂す。孔子曰く、「君子固より窮す」と。又曰く、「不仁の者は以て久しく約に處るべからず」と。旨なるかな、旨なるかな。

高明、一謫二十四年なるや、境界危惡、層見錯出す。然れども其の詩を讀みて其の志を逆るに、温雅冲澹、類むね齪齪する者の能く及ぶ所に非ざるなり。想ふに亦た此に見る有るか。西江の波浪、蓋し未だ平き易からず。更に願はくは朱子敬格の方に於いて、益々力を勵まし、向に謂ふ所の本心の已むべからざる者に於いて、果たして灼然として見る有らば、則ち潤鑊伏鑕するも易牙の味の如く、雪窖の土室も適くとして出で王きて游衍するに非ざる莫き者、僕、高明の庶幾すべきを知れり。今、靖獻遺言一部を奉納す。書は新なるも義は舊たり。忠臣孝子の蹟具る。高明をして狴犴に終るも、抱き以て沒するを得れば、則ち死すとも恨み無し。幸いにして天日を見る有れば、其も亦た自處すること莫けんや。躬の逮ばずんば、徒言を恥ずと雖も、此れ則ち區區宿昔の望なり。先國老の志なり。抑も亦た朱子の遺旨なり。

『秦山集』巻十一

黒い京子はいい

でも狂った京子はもっといい。

ということで、いろいろな感想があるのは分かるし、それに文句をいうつもりは全くないが、今期唯一視聴しているものの中、個人的には予想外に京子が頑張ってくれてよかったというお話。できればもう少し活躍して欲しかったが、死んでないのでよしとしよう。今後も出てきて頭のいかれたところを見せて欲しいものだ。

打って変わって別の話。

死というのは魅力的な響きがしないではない。もちろん人にむかって死ねとかいうつもりは毛頭なく、あくまでも自分に向かっての話ではあるが、なんとはなし、それですべて終わりに出来そうな気がする。いや、私の死生観(宗教観?)からすれば、死ねば終わりだと信じてやまない。

とはいうものの、前にも書いたが、死について思うとき、秦山の次の言葉がどうしても私の頭を離れないのもまた事実だ。

一日,野遊に従いし時,潮江の人家の奴婢心中の事あり。先生(秦山のこと)曰く,「昨,心中する者あり。聞くや。」曰く,「聞けり。」曰く,「奴婢すらなお能く事理の逼るに臨みては,死してもって心中を明らかにす。然らば則ち死は難事に非ざるなり。ただ能く死さずして節義を全うす。是れ可。」



この種の文献に慣れない人は言い方に嫌気がさすかもしれないが、それはそれとして、当時の感覚からすれば奴婢なんてのは人間的価値の最もない連中だったわけだから、その連中すらして然りとすれば云々となるのは、理の当然といえる。では秦山のいう節義とは一体なにかというのが問題になるが、ここらは秦山が野中継善に与えた書簡あたりが手がかりになるのではないかと思う。この書簡は、なんとかいちど「美しい」日本語に翻訳したいと思いつつ、学力とか文章力とか語彙力とかの関係でついぞ念願かなわずにいる代物だったりする。


おお!知らなかった、ブクログにも青空文庫のデータが流れていたのか。だったら高畠さんの文献を流しても問題あるまい。さっそく着手しよう。


そうそう、書くのを忘れていたがようやく全訳漢辞海を入手した。予告のとおり新常用漢字表に対応した以外に大きい変更はなく、附録のページが少し厚くなった程度にとどまる。総じて初版から第二版に移行したときのような衝撃はなかった。急いて第二版から乗り換える必要はないかもしれない。親字数が少なめなのが残念なところ。でもいい辞典であることには変わりないので、第二版はすぐ棄てて今後は第三版をつかっていこう。

石川準十郎の論文

『流れ』に二つほど知らない論文が掲載されているのを知った。というよりも、『流れ』全目次というところで目次を調べていくと、知らない論文が二つ見つかった。忘れる前にメモしておこう。

第四巻(昭和三十一年)九月号‐愛國派と社会主義
第十巻(昭和三十七年)二月号‐民主主義とは何か

やはりこういう情報はアカデミックなサイトからは得られないな。


> 辞典

まだ手に入れていない。近辺の大きい本屋には来てるみたいだけど、近くの本屋ではまだ見かけない。今週中にはなんとか手に入れたいものだ。

欧陽修の「君主はつらいよ」上

君主たるものが肝に銘じておかねばならぬ点はなにか。人の起用である。人を起用する場合、一般論として重要なことは、いちど仕事を任せたら最後までその人に任せきること、そして、いちど信じたら最後までその人を信じ切ること、この二つである。これを守ればこそ、事業も成功するのである。しかしここに注意を要するのは、(1)その人に仕事を任せきろうとするあまり、他の批判的意見に一切耳を貸さないことである。これでは一人に仕事を任せきるのと引きかえに、他の全ての人間の反感を買うことになるだろう。そして(2)その人を信じようとするあまり、何の調査や研究も行わず、事業の始めから最後までを任せてしまうことである。これでは計画の可否や事業の損得を何も考えていないのと同じである。

そもそも多くの人々の意見に逆らって事業を展開し、計画の可否を考えもせずに軽々しく事業を展開すれば、どうなるだろうか。当然ながら時間が経てば経つほど損失を生み、最後には壊滅的な損害を招くことになるだろう。これは道理としてあまりに当然のことである。ところが世の中にはこのようなやり方でも運よく成功するものがいる。人というものは成功すれば賞賛し、失敗すれば批判するものである。幸運による成功を目にしたものは、このようなやり方を賞賛する。そして人々の意見を無視して事業を断行したことに対しては、「独見の明の持ち主だ」といって褒める。批判的意見に耳を貸さなかったことに対しては、「愚かな世論に惑わされなかった」といって讃える。人を盲信して軽々しく事業を展開したことに対しては、「決断の人だ」といって拍手を送るのである。

もしも君主が「人々の意見を無視し」、「批判的意見に耳を貸さず」、「人を盲信すれば事業が成功する」と考えればどうなるだろう。思惑が少しでも外れれば、壊滅的な損害を招くことになるだろう。しかしそうなってから後悔しても後の祭りである。なんとも残念なことではないか。

(以下、つづくけどつづかない。)

いろいろメモ

> 漢語大詞典

十数冊の時代がなつかしい。いまは漢語大詞典(全22册)

春秋左伝研究―2008《春秋》《左伝》学術研討会論文集
宋代金石学研究

春秋と左伝の研究ね、ステキなタイトルの本が出ている。これは読まないわけにいかないな。金石の方は何となく想像つくけど、できれば見ておきたいものだ。


終わった!!─Amethyst Garden

雪が降ってる、寒くないのに++

そういえば最近はよくブログを更新してるような気がする。いや、気のせいだろう。

まあ辞書もデータ化されていれば、圧倒的にそちらの方が使いやすい。辞書は使いやすくてなんぼだから、データがあるのに部首索引とかで漢字を調べる必要は全くあるまい。ああいうものは現在のような技術のないとき、便利なように考案されただけのものだから、もっと便利な検索方法が生まれれば、どんどんそちらに流れていくのは理の当然といえる。

漢語大詞典のデータといえば、それはたぶん2.0のデータのことだと思う。直に話を聞いたとき、なんとなく2.0が最新だと思って、落ちてたかな~といい加減に聞き流してしまったが、よく考えたら、現在のものは3.0で、2.0よりも例文等がかなり増補されているのだった。3.0は落ちてないと思うけど、「まじめに」調べたことがないからよく分からない。聞いた話だとwin7の64bitでは動かないとかなんとか。書虫に聞いたら、いま書虫で発売しているのは64bitにも対応しているそうです。


日本人が身内に寛容?聞いたことない話だな。

ウヌボレとカサケを一切放棄して直言すれば、人間は老若賢愚を問はぬ手前勝手な動物である。──英雄崇拜と看板心理

人間のエゴイズムは、人間そのものであるといつて差支ない。人間からエゴイズムを取り去れば、殘るところはほんの人間的形骸だけである。──警官論

何といつても人間は自分勝手なものさ。誰れだつて、ヒトのことよりも先づ自分の都合を考へるだらう。ヒトはどうでも構はないとはいふまいが、とにかく自分の都合、自分の利益、自分の快樂、自分の人氣、自分の權勢が先きに立つ。──性惡觀

何人も自分勝手の本性を有つが故に、放任して置けば火事場の如き混亂を呈して収拾すべからざる状態に陷る。──偏局哲學

で、そのエゴとか自分勝手を抑えないと人間生活がままならないから、いよいよ高畠さんの大好きな国家=権力の登場となるらしい。おそるべきあなだらけの論理だ。


いまさらながらノック式uni-ballの0.5と0.38とでは太さが違うことに気が付いた。

春秋釈例の提要を終わらせたいが、長すぎて気後れしてしまう。しかも集解の序文を拙劣につなげたようなものを読まないといけないのだ(ただし文章はうまい)。そう思うとなぜこんな面倒なことをしているのだろうかと疑問が湧いてしまう。やって得なこともなし、理性的に判断すれば、時間の浪費だから止めるべきなのはあまりに明白なのだが。まあ理性的な行動をしないから現在の状況に立ち至ったのだから、私らしいと言えば言えないではないこともないこともない。


私の記憶がたしかなら、漢語大詞典4.0は我々のよくしる漢語大詞典様とは別の単なる漢語辞典だったように思う。ただ私も実際に使ったことがないので真相は闇の中。

漢語大詞典2.0のテキストデータみたいなのを持ってるけど(誰かにもらった)、データが大きすぎて使いにくく、実用に供したことは一度もない。普段は漢辞海と漢典で確認して、やむを得ない場合だけ漢語大詞典(縮刷!)をつかってます。大漢和辞典も持ってるけど、段ボール箱の中に入っているので使うことはないです。まあ外に出ていても引くことはないですけど。

そういえば漢辞海は結局今日も手に入らなかった。明日は面倒なので調べにいかない。月曜日の帰りに書店に寄ってみる予定。こんなことなら通販で購入するんだった。んで、漢字源は使ったことがないので辞書としての性能がいかほどかは不明なり。

漢辞海、紀伊国屋の在庫によると大阪・神戸までは来ているようだが、広島の本店には在庫なしとある。ということはまだ近畿圏まででしか届いていないことになる。ちなみに四国もまだだった。

夢で劉敞を見た(ほんだい)

私のことじゃなくて萬斯大のことです。さすがに私も夢で劉敞に会ったことはない。劉敞の遺著がこんなところに残っていたのか!という夢を見たことがあるに止まる。目が覚めてから大いに失望したのは言うまでもない。

それはともかく、萬斯大は春秋と礼の解明に尽力した人物で、いちどは膨大な春秋経解をあさって二百四十二巻にまとめたことがあったらしい。二百四十二巻というからには、春秋二百四十二年にちなみ一年一巻かとも推測されるが、息子の説明によると「事」をまとめたものだったそうな。しかしその膨大な書物も出来たとたん火事で焼けて灰燼に帰し一字も残らなかったという。

萬斯大の落胆は甚だしいものがあったらしいが、それにめげることなく、後々に再び春秋経解の輯集をはかり、精要をあつめて独自の注解を施し、春秋学の集大成を企図した。しかし昭公まで終わらせたところでついに力尽き、朦朧たる意識の中、夢見心地で、劉敞にあったとか、左伝のどこどこがこうたら、とのたもうてお亡くなりになったらしい。

彼の研究はどちらかというと××××で、××××なところに特徴があり、××××といえる。とはいえ劉敞の研究に執着を見せたというからには、やはり××××な感性を持ち合わせていたものと推測され、××××の××と言っても差し支えないだろう。彼も××××なのだ。私などは劉敞の××××を見たところで××××としか思えないが、萬斯大ともなると××××と思えたのだろう。さすがに××××なだけのことはある。

宿願を果たせずに死んだからには、萬斯大もさぞや心残りだったはずで、その意味では不幸なことではある。しかし萬斯大ほどの学力をもつ人間にして然りとすれば、それに及ばぬ人間は大いに身の引き締まる思いで学問に打ち込まねばならぬわけで、その点から彼の生涯を見れば、また別の感慨を与えてくれる。優れた学者の真摯な努力ほど後学を叱咤激励してくれるものはない。

ちなみにその遺著・學春秋隨筆は四庫存目に落とされ、四庫官からああだこうだと非難を受けているが、皇經解にはちゃんと収められている。彼の研究結果の是非はいろいろ論法できないでもないが、春秋学を志すのであれば一度は目にせねばならぬ書物の一つといえる。若干書き方が独特だけど。


という話を前に書こうと思って忘れていたのだった。學春秋隨筆がどういう書物かは、清經解に入っているので自分で読んで下さい。おしまい。


補記:

『漢辞海』第三版が発売されたらしいので、さっそく比較的大きい書店に行ってみたが、第二版が平積みされていた。第三版が売ってないのはしかたないとして、第二版を平積みして売り出すのはよくないと思ふ。しかし地方は発売がおそくて困る。この分だと入手できるのは最短で月曜日になりそうだ。はやいところ崩壊した第二版を棄てたいのに。

四コマ:

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(2011/02/26)
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おお、キルミーベイベーの三巻が出るのか。これは買わなければ。

ついでに:

黒い京子ちゃんはいい。

雑感

実際のところ大事なのは「社会」にとってではなく自分にとってだと思ふ。所得と満足度に強い相関関係があろうとなかろうと、現実に貧乏であればそんな相関関係はなんの価値もない。まぁ相関関係がどうのこうのと言ってる人は生活に余裕のある人だろうけども。

話は変わるが、世の中に不満を感じてそれを振り破る為に努力しようとする人間がいる。それはそれで悪いことでもあるまいけど、個人的には堪え忍ぶ人間の方が好きだな。人生をあきらめるというのではなく、甘んじてその状況を受け入れて天命の本質を知る人間の方が好感を持てる。おそらく私と正反対の性格だからだろう。人間は自分にないものを求めるというからね。

秦山先生に儒学者なんて肩書きは不似合いだ。儒学者ていどの矮小な名前ではなく、いっそのこと哲人とか名乗るべきだ。惜しむらくは秦山先生は自分の考えを漢文で書いたことだ。漢文が悪いというのではなく、へたくそな漢文で書くものだから、折角の深い人生体験も感動が半減してしまう。

いかんいかん

萬斯大の學春秋隨筆についてコメントしようと思っていたが、なにやらそういう研究をしたのか志したのかしている人がいるらしいので書くのは止める。


日本が宗教に寛容なのは宗教が政治に介入しない場合だけだと思うが。逆に言えば政治が宗教の役割を果たしているというか。日本人相手にその人の宗教を尋ねることはあるが、その人の政治信条や支持政党を聞くことはまずない。聞けば対立が起こるのは必死だからだ。

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かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

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