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もろもろ

折角なのでkindleで吉川英治の随筆私本太平記を読んでみた。いや読んでいる最中なんだけど。吉川英治の小説は昔よく読んだからというのもあるんだろうけど、やはりおもしろいな。最近のものにくらべて語彙が豊富な気もする。それと誰かがkindleの方が速く読めるというようなことをいっていたが、あるいはそういうこともあるのかもしれない。1頁分の文字数が少ないから、先を読むのを焦る人は、すいすい読んでいける。私なんか終わりまであと何ページとか考えながら読んだりするので、予想外にページが進むと気分良く読める。

何年ぶりだか明儒学案を開いた。中華書局の修訂本。一番マシな江右王門学案をぱらぱら読んでみたのだが、以前ほどのいらつきさはなかった。年を取ったからかもしれない。それとも興味のかけらもないほどに遠いところに来てしまったので、かつては憎悪の対象でしかなかったものをみても、なんとも思わなくなっただけなのかもしれない。いずれにせよはっきりしているのは、やはり読み進めようという気は起きないということだけだ。やはりこういう宗教じみた学派には興味がもてないのだろう。もうとっくに人生の後半に入っているのだから、無理して嫌いなものを趣味で読むような悪趣味なことをしないでもいいだろう。

とはいえ、私もひょんなことからある事実をしり、それで心が安らかでいられなくなるときもある。仕事のことや生活のことではなく、全くそいういうことと関係のない、かつての浪費した時間に関係することにおいて。しかしそういう感情も最近は少し覇気?がなくなってきて、気持ちが高ぶることはあっても、どこかで非常に冷めた目で、世の中はそういうものだから、それはそれでいいのではないか、というように見ているようでもある。やはり年をとったのと遠いところに来てしまったのが原因なんだろうか。単純に暑いからかもしれないけど。

最近妙に本が読みたくなって、学生でもあるまいに、同時に数冊の本を読みたいと思うようなこともあった。なんだろうか。しかし何でも読みたいわけではなく、興味のない本は全く読む気になれない。去年買ったままになっていた入矢義高氏の本(岩波の現代文庫から出ていた二冊目)を開いてみたものの、全く読む気になれず、他人の思いで話だけを読んで終いにした。おそらく宗教的な内容だったので、何も興味をもてなかったのだろう。あるいはあるがままの生を認めるという、私の思想と正反対のことが書かれていたので、辟易したのかもしれない。いや、文章も読みやすいし、その道の大家だったというのは知っているし、そういうのにケチをつける気はないが。

日新とかなら興味をもつんだがな。

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kindle買ってみた

いまさらというべきか、kindleのpaperwhitewを購入してみた。単純にスマホとかタブレットで本を読むと目が痛くなるので、kindleなら痛くならないんではあるまいかと思ったからに過ぎない。もちろん紙で読むという最も読みやすい方法もあるわけだが、これにはもう一つ、高畠素之の本を読みたいという希望もあって(戦前に出版されたものを持ち歩く気になれなかった)、購入してみることにした。

まぁ光が目に刺さらんとあって、目が疲れないといわれれば疲れないような気もする。もちろんスマホみたいな小さい画面を必死になって読むのとはわけが違うから、そういう意味では楽に違いない。でも、これももちろん本に較べると読みにくい。読みにくいというより、ちゃっちさが気になる。紙みたいに執筆者がレイアウトを決めるのではなく、読者の自由度を優先させているから、これは仕方ないといえば仕方ないのだろう。正直いって、テキストデータを貼り付けたように見える。

それはともかく肝心の高畠師のデータをkindleに入れることにした。もともとhtmlにしているので、本体は少し手を加えるだけですぐできたが、mobiとかいうファイルに変換したら「cover入れろ」とか警告されたので、仕方なくepub形式にしてやりなおしたらうまくいった。もっとも自分の端末に自分で入れて自分が読むだけなら、coverがなくても大丈夫のようなんで、以後はcoverなしにした。

売る気はないのでmobiデータをそのまま端末に入れる。と、なぜかしらんが余白部分が狭い。散財して購入したkindle版「随筆新平家」(吉川英治の)と較べると、下の余白はともかく、上は明らかに広く(したがって本文が狭い)、左右は狭すぎる。というか左右の余白がない。文字がきちきちに入っているから読みにくいことこの上ない。

なんでだろう。cssに問題があるようにも思えないし、htmlの本体なんか何も書いてないから問題の出ようがないように思うし。ちなみにcoverありもなしも同じ結果。上の新平家と他に購入したkindleの本とを較べてみると、購入した2つの本は右端の行が同じ位置から書き出してあって、ちゃんと余白が取られているので(amazonの仕様書みたいなのに右のmarginは設定できないとあるので、自動的に右端の位置が決まるんだろう)、高畠師のmobiがおかしいのだろう。

ちなみに上のは縦書きの場合で、横書きのmobiをつくって端末に入れてみたら普通に表示された。他人様の記事をみていると、実際にamazonから販売されたのとmobiとは表示のされかたが違うらしいから、もしかしたらその所為かもしれないが、よくわからん。

でもとりあえず高畠師の批判マルクス主義は作り終えた。久しぶりにページをめくると、「無条件的に売国的である」とか、「低能無知のデモクラ非国民」とかあって笑った。一言で四つも悪口いうとはさすがだな。あといくつか高畠本を増やしたら、石川準十郎の国民的名著にとりかかろう(クラウドにはあげず端末で自分が読むだけだから著作権には引っかかるまい)。


※「ていのうむち」をATOKで変換したら「定能無知」になった。「ていのう」が登録されていないらしい。即登録しておいた。

読書

通勤中に『ハンガリー民話集』を読んだ。頭を使わず読めるものは通勤中の読書にはもってこいだな。なにせ乗り継ぎが多くて、電車の中にいるのはせいぜい10分たらずだからね。

感動を覚えるようなものは期待していなかったが、下の一つだけ心に残った。思わぬ収穫だった。

「生きてる限りずっと追いかけた、今は死んで、やっとつかまえた、でもどうするのさ?こうして双方とも死んで、葬る人もいなかった。そういうことさ。」(ハンガリー民話集 (岩波文庫)


どうでもいいけどATOKで「つうきんちゅうの」を変換すると「通勤注の」になるんだが、なにかね、「『通勤』の注」とかいう表現でもあるのかね。あほなのかね。

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Author:awatan
HN:江藤清通
かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

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