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ふむ

なんやかんやで遅くなった…

不愉快なことは多々あるが、やはり出処進退の結果が出るまでは外に出さず、自分の能力をあげることに腐心すべきだろう。なにもすべてと敵対する必要もないのだから。

宣和の続きは次回にする。

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つかれた

つかれた。

今日は1日バタバタしていた。配水管の工事を見届けつつ、本整理に追われた。本の整理を助けに来てくれた友人と一緒に作業して、ようやく19時ごろにひと段落。

それから夕食をともに食べて(適当なものになってしまって申し訳なかった)、またすこし作業をして終わった。

それにしても友人が助けに来てくれてよかった。おかげでいろいろ教えてもらった。メモしておこう。

ゴキブリキャップ
水とりぞうさん
カビ

いろいろあるもんだ。明日からぼちぼち綱要にもどります。

おお

いかん、あっという間に時間が!

いろいろあってなかなか時間が取れない。虫とか水漏れとか。迷惑だな。週末に無視対策も兼ねて本の整理をする。

宣和年間

宣和三年
正月、童貫が方臘討伐に向けて宣撫使に。張苑が叛乱を報告しても、王ほが遮って報告しなかったという話がここにも出ている。出所はどこなんだろうか。
二月、花石の禁止。編管及び安置の人の自便、復敘とある。方臘の乱にびびってるのだろうか。しかし編管人らは力があるんだな。つぎつぎに新法を廃止してる。やはり彼らには新法が特殊だという観念があったのだろうか。同じ新法系の話でも、官名戻すのは南宋に入ってからだしなあ。新法の改廃を調べるのも面白いな。杭州を奪回してるから、ぼちぼちだな。そういえば女真から使者が来たけど、童貫不在でうまくいかなかったらしい。
四月、方臘が捕縛された。梁師成が使用人に同進士出身を与えたことが記されてる。
五月、女真の使者がついに到着(童貫がいないとかで阻まれたので徒歩で国都に向かったとか前の記事に出てた)、でも朝廷ではなにもできず、童貫の帰国を待って対処するらしい。さすがは童貫。彼がいないと何もできないんだな。方臘の残党もおおむね始末された。
六月、方臘の残党狩り。災異を記してる。さすがは古い歴史書だな。呆れ返ってしまう。
七月、童貫の凱旋。
八月、女真の使者が帰国。話し合った内容は特に書かれていない。方臘が処刑された。
十一月、女真と宋との間で国書云々。さっきの使者のことはやはり重要な話だった。女真の契丹攻略が激しさをます。

宣和四年
二月、陳瓘が死んだ。
※以下、契丹と女真の絡みのものは省略。多すぎるので。ともかくカタカナ名であるべきところを漢字で書かれるとわかりにくい。
九月、王安石の子孫が表彰される。
十月、吾復た汝を信ぜず……徽宗から童貫とさいゆうへ。

宣和五年
五月、やはり鄭居中は出世している。阿骨打が死亡。
六月、張覚の乱。
七月、童貫と蔡攸が頗る徽宗の意を害して、王黼と梁師成が譚稹を進めたとある。なるほど。で、童貫は致仕。あ、福建路で蘇軾と司馬光の文集を刊行していたとある。で、破壊させて、元祐学術を禁止。
九月、蔡京の息子の一人が降格。蘇軾と黄庭堅を宗としているらしい。蔡攸の仕業だろうか。
十一月、王黼と梁師成の家に行く。なにか通説と違うような。

宣和六年
閏三月、元祐学術を禁止。
六月、元豊の法制を改めよとの主張は、大不恭をもって論ずるらしい。
八月から

このごろ

このごろ部屋に小虫がよくでて困る。本の虫みたいな小さいのが急に出るようになった。なにか良い対策はないものか…

ここ2週間ほどのことで、特に変わったことはなかったはずなんだが。それとも本から出てきたのだろうか。

この部屋は広さに似ず本が多い。実家に本を送って、一度身軽になるのも良いかもしれない。読まない本が多すぎる気がする。

本はあれば便利だが、切りが無いし、それに余計な本をたくさん置いていると、あちこちに気がいって、一つのことに集中できなくなる。

そうしよう。本を整理しよう。カラーボックスで四つ分と段ボール六つ分だけど、整理すれば、段ボール五つにカラーボックス二つは整理できるはずだ。年末までの仕事だな。

話がそれてしまった。バルサンというのもあるが、なにかそれ以外に良いものはないだろうか。

米櫃に入れる奴はためした。効き目なし。
毎日こまめに掃除。毎日出てくる。
ネオパラ。引き出ししが効果なし。
虫コナーズ。効き目なし。

うーん、困った。


そうそう「急進愛国主義の理論的根拠」は無事Amazonで発売された。ちなみにKindlePW向けなので、それだと縦書きだが、iOSだと横書きになる。とはいえiOSだけのはずだから、いちいち対応しないことにする。

今日は綱要は読まない。眠たい。

政和から宣和

今日二つ目の記事。

政和六年
五月、蔡京の年にちなんで、鄭居中が太宰になってる。
七月、豐享豫大......これほどおろかな御筆もないな。
十一月、ああそうか、この年は官制改革があったのか。それと夏との戦いのことで妙に記事が長いのだな。

政和七年
七月、ここまで道教関係のつまらない話がたくさんあったが、読んだ瞬間忘れてしまった。ここにきて女真がついに北宋に接近したことになっている。
九月、万歳山......
十二月、観文殿学士の張商英が観文殿大学士に復してる。陳瓘も南康軍居住に移ってる。この時期になると、もはや邪等とか党人とかいう名前すら見付けにくくなってる。

重和元年(政和八年)
正月、女真が力をつけてきている。が、宋は文化事業(礼制局とか)に余念がないらしい。それと夏との戦いも連年つづいてる(という書き方がなされているし、そう思って欲しいようだ)。
二月、女真と買馬旧交。
六月、追復朝奉大夫の范祖禹が徽猷閣待制になってる。范祖禹は蜀の人だから、彼だけ事跡が分かったのだろうか。他の人の紀事は出ていないのに。王寀・劉昺が流されてる。「謗訕悖道」の中味はなんだろうか。
八月、劉安世・任伯雨・張庭堅らが一官を復され、提挙宮観になってる。
十一月、安堯臣の諫言。

宣和元年(重和二年)
正月、昨年末からの出来事として、徐處仁が失脚。裕民局の設置ねえ......徐處仁も愚かだな。
二月、宣和に改元。
三月、劉法の戦死。劉法は名将らしいから、もう少し扱われても良いような気がするな。劉法について調べてみるかな......と思ったけど、前に調べて大した紀事がなかったんだった。ぼちぼち契丹がほろびそうだ。
五月、洪水が開封府を襲う。
六月、忠君愛国の人・李綱が諫言。早速左遷される。
八月、高麗が医を求めて来国。実は女真と結んで契丹を滅ぼそうとしていることを諫言しにきたらしいとのこと。ふ~ん。細かい左遷の記事はもしかしたら政争と関係あるのかもしれないけど、知らない人が多いのでそこまで分からない。随分衰えてるな。ただ靖康年間に大抜擢されたけど無能だった人間の名前をちらちらみかけるから、やはりそれなりに派閥色のある政争なんだろうという気もする。

宣和二年
正月、蔡確が哲宗擁立に功があるといって王様になってる。やはりまだやっていたのか。?、蔡確の弟はまだ罪籍にいたのか。
二月、契丹夾撃の特使が派遣。
三月、王安石の遺文探求。まだやってたのか。
六月、蔡京の蔡と京の字を避けさせてる。そんな話もあったな。おお、蘇軾が承議郎・龍図閣待制に復してる。やっとか。
十月、契丹戦の準備がちゃくちゃくと整うなか、方臘が叛乱を起こす。
十二月、方臘の叛乱が拡大。ついに杭州が陥落する。
この年、陳瓘が楚州に移住。なんでも方臘の叛乱で流言飛語があり、陳瓘の身内が賊につかまり、好くないことを言いふらす可能性があるとのこと。もっとも卞・京の党人みなよく害するなしという表現からして、非常に怪しい記事だ。蔡卞って、いつの時代だよ。


あっちこっちで叛乱がおこってる。が、これはもっと手広く調べてみないと、多いのか少ないのか分からないし、そもそも数が同じでも質はちがうというのもあるしな。というか、こういうのは昔の研究の専売特許だったから、調べればすぐにでも詳細なデータが得られそうだな。これは調べてみよう。民衆の叛乱ばかり調べてる研究とかあったような気がする。自分とは関係ないはなしなのに、ご苦労なことだ。それとも人の痛みは自分の痛みだとでも思っているんだろうか?人格が異なると思うんだがな。

高畠本

そういえば忘れていたが、高畠師の本を一冊復刊したんだった。というかAmazonのKDPを利用しただけなので、出版費用(印刷代とか)はかかってはいない。その少し前に文庫本サイズで5冊ほど印刷し、知り合いに配りはしたので、そのときの費用はかかっているといえばかかっているが、それとはまた別物なので。

ちなみに印刷した方の「自己を語る」はこんな感じ(都合のわるい風景は削除している)。

自己を語る01

自己を語る02

奥付をふくめて223ページだから大した分量ではなかった。思っていたよりは綺麗に印刷できたので満足している。カバーもつけられるようだけど、高くなるので止めた。表紙は通常よりも堅めに設定したので、なかなか頑丈。

印刷してもらったのはポプルスというところで、普通は漫画の同人誌とかを印刷してくれるところみたいだ。1冊から印刷してもらえるので助かった。もしかしたら向こうも活字だけの変な本の依頼がきたと思ったかも知れないけど。

Amazonの方は

自己を語る自己を語る
(2014/08/15)
高畠素之

商品詳細を見る


こんな感じ。KindlePWで最適化しているので、モノクロの活字だけの本。値段も低く設定はしていないので、誰も買わないだろうと思っていたら、誰か買った人がいたらしい。う~む、世の中には珍しい人もいたものだ。

次の本と言うことで、二箇月前に「急進愛国主義の理論的根拠」というものものしい講演をデータ化して発売するつもりだったが、Amazonに申請するのを忘れていた。で、さっき申請してみた。急進愛国主義とかいうタイトルなので却下されたら、それはそれでおもしろい。

今週前半はいろいろあって政和6年からなかなか進めないでいる。今日は政和を終わって宣和に入りたい。

政和六年まで

政和元年
正月、鄒浩が復官。ただ陳瓘の事件はまだ問題になっているらしい。
五月、上書邪上(?)の范柔中は特別に許されないことになってる。なにを発言したのだろうか。
六月、蔡京が復帰しつつある。
八月、張商英が失脚。
九月、童貫が契丹へ使いした有名な話。李良嗣をつれて帰還。陳瓘が処罰。張商英派が粛清。
十月、郭天信の事件で張商英派が相継いで処罰される。
十一月、上書邪等の取締が厳しくなってる。
十二月、陳瓘の事件。女真族の情報が記されてる。契丹の滅亡もぼちぼちだな。

政和二年
正月、科挙にちなんでまた先烈うんぬん国是云々が登場。
二月、蔡京が致仕。といっても京師に住んでるのであまり意味ない。
四月、張商英の自便が許される。
五月、蔡京の致仕を落とし、3日に1度政事堂におもむくことに。ほんとすきだな。宦官の黄経臣が失脚してる。こんな時期だったか。
八月、元祐の制詞を焼き捨てさせてる。
九月、官名が変更される。太宰のあれ。

政和三年
正月、王安石が舒王にねえ。
二月、劉太后が崩御。南宋に入ってから罵倒されることになるし、そもそも死に方がねえ。
七月、王珪・孫固の贈官と諡および韓忠彦・曾布・安燾・李清臣・黄履の職名を進復している。ここに出てる人はみな旧法派ではないので、当たり前と言えば当たり前だが。

政和四年
八月、女真が謀反。
十一月、邪等の名前が見える。が、これは上書邪等のことではないらしい。邪等とか下品な名前がすきな時代だな。さすがは徽宗の時代だな。くさってる。

政和五年
八月、陳瓘が承事郎に復し、自便を許されてる。なんか紛争の多い年だな。

今日はここまで。政和六年は記事が多いみたいだな。北宋の寿命もあと11年くらいか。


中国史学基本典籍叢刊の十朝綱要を読んでるのだが、たまに簡体字で印字されている。単なる打ち間違いならいいのだが、もともとデータを簡体字で作って、それを繁体字に変換してるのであれば、困ったものだ。まぁわたしの場合はだいたいわかればそれでいいので、細かいことをどうこういうつもりはないが。

大観の時代

大観元年
正月に早速蔡京が復帰。
二月に章楶の息子がらちられる。
三月に趙挺之が失脚。
五月、張懐素の獄。元祐学術関係の禁止が出ている。蔡京が復帰したからだろうか。
九月、章楶の子どもの獄が備わる。政府高官の息子の疑獄事件だからか結構長いな。この少し後で崇寧五年の詔に応じて政治を批判した人々が処罰されている。さすがは中国だな。諫言しろと命じておきながら、本当に諫言したら処罰される。実にたのもしい。崇寧五年の詔は彗星があらわれたときに出た詔。正月のこと。蔡京が失脚して、しばらくして趙挺之が復権した。
十月、張商英がめっちゃ処罰されてる。

大観二年
正月、と思いきや、元祐党人の軽度な連中は許されてる。ええ加減だな。もっと徹底しろよ。
三月、孫固らの元祐党人が籍から抜けている。うーん、理由があるんだろうか。
六月、韓維らの元祐党人が籍から抜けている。そういう時期なのかな。あ、元祐党の罪がうんたらかんたら述べてる。続いて韓忠彦・蘇轍・安燾が許されはじめている。文彦博も。孫固とか韓維は正直大物ではあっても大したことをしてないから、わからんではないが、蘇轍は許してはいかんだろう。
九月、皇后王氏が崩ず。
十二月、張商英が自便。

大観三年
六月、蔡京が失脚。有名な石公弼の弾劾か。かわって何執中が宰相に。何執中がぼろくそにいわれたのもこの時代なんだな。張商英もちと許されてる。已出籍人の例に依るとあるので、張商英は元祐党人ではないんだろうなあ、公式には。
七月、章楶の息子が許されてる。うーむ、わざわざこの記事を残したところに恣意性を感じざるを得ないな。趙挺之の奪官ももとにもどされてる。
十一月、蔡京が太師致仕。毛注がぼろくそに批判したらしいが聞き入れられなかったらしい。うーむ、毛注というのもおもしろいやつだな。蔡京も権力を握っているわりに、自分の批判者のすべてを追放できたわけでないところが笑える。

大観四年
二月、おお、「自今官司の移文の元祐奸党及び党人と称す者、並びに係籍・出籍人と称せ」。ふむ。
三月、でも陳瓘は息子の偽証で左遷されてる。かわいそうに。上書邪等も無過人例に依るらしい。ふむ。なにか融和ムードですね。
四月、蔡京が哲宗実録を献上している。
五月、章惇も許される感じ。蔡京も追い詰められている。
六月、張商英が宰相に。忘れていたが、張商英が復権する時代だったのか。だから党禁が甘くなったのだろうか。
七月、曾布も許される感じ。
閏八月、朋党の厳禁。今更感がある。
十月、鄭氏が皇后へ。
十一月、陳瓘も自便が許される。

今日はここまで。次は政和から。政和に蔡京が復活するはずなので、ちと楽しみではある。

崇寧四年と五年

崇寧四年正月、童貫大活躍。
閏二月、上書邪等の禁が少し緩くなってる。
三月、趙挺之が右僕射兼中書侍郎。九鼎ができた。西北の戦いと礼制と左遷劇が入り交じってややこしいな。このあたりはリンクしてるのかどうかよくわからない。文化事業(礼制)のようなしょーもないことは読んでいても楽しくないから、ついつい飛ばしてしまう。
五月、党人の禁がさらに緩んでる。
六月、趙挺之が中太一宮使。

崇寧五年
正月、彗星が現れて元祐姦党碑が破壊されている。この月は復権が盛んに行われる。
二月、蔡京が罷免されて趙挺之が復権。
十二月、劉逵が失脚。

眠たいから今日はここまで。


だらだら

紹聖の時代は粛清のあらしでおもしろいが、さすがに飽きてきた。で、私の中で整理できずにいる徽宗の時代にでも足を伸ばしてみよう。あの時代は名臣とかいないから、仁宗の時代とかとちがって鼻につくような話もすくないだろう。

焦って調べる必要もなし、また発見をしなければならない必要もなし、他人の研究成果を調べる必要もなし、だらだら調べればよかろう。

ということで、まずは十朝綱要あたりからはじめよう。で、正しいのか正しくないのかよくわからないことを、ここにだらだら書いていくことにする。

そうそうみじん切り機(手動)を購入したところ、あまりにもよく斬れる刃だったので、おもわず指を傷つけてしまった。すごい切れ味だった......。餃子は普通のできだった。

...
......
.........
............とりあえず江公望があほだというのはわかった。いや、わかっていたような気もするが。
というか、建中靖国の時代、韓忠彦はほんとなにもしてないな。この人は何がしたかったのだろうか。それともするだけの力がなかったのだろうか。左僕射になって、左僕射を辞めたこと以外、なにも特筆すべき事がない。これだけ無能な宰相もめずらし......くはないが、ほめられたものではないな。

よくいわれるように、韓忠彦は無能、言官(陳瓘先生とか江公望のあほとか)は活躍するが今ひとつ世論をリードできず、曾布は活躍するも大きい影響力をもちえず、鄧洵武と蔡京の犬のような温益が活躍して、崇寧を迎えるという典型的でコテコテの展開が記されてあった。しかし曾布はなぜこうも影響力がないのだろうか。あるいは章惇もそんなものだったのだろうか。蔡京とどうちがうのだろうか。

蔡王の獄。
趙諗(ちょうしん)の謀反。なんじゃらほい。
愛莫助之図。

崇寧
元年
正月にさっそく元祐党が処罰。
五月に韓忠彦が失脚。即処罰。
閏六月に曾布が失脚。
九月~十月の記事にいろいろな左遷がまとまってる。が、これって上書邪等ではなかったかな。元祐党とは少しちがうような気もするが。
元祐皇后のこともあったな。忘れてた。
いや、上書邪等は十一月だったのか。九月のとは別だったのか。ややこしいな。
十二月には対西夏作戦の責任を問われて安燾らが処罰されている。

二年
五月にまた曾布がささいな請託がばれて処罰される。
六月に上書邪等がまた出て来てる。元年のとはちがうのだろうか。
八月にふたたび対西夏作戦の責任を問われて安燾らが処罰される。
あいかわらず粛清がはなはだしい。結構なことだ。

三年
正月、どうでもいいが蔡攸が出て来た。
二月に蔡王の不祥事(壁に穴を開けて遊びに出かけていたこと)がでてる。こんな愉快なはなしもあったんだな。それはそうと章惇と王珪は元祐党とは別に一党として不忠の扱いをうけている。元祐党の中に一括されることもあるが、分けることにはなっていたのだろうか。当たり前なんだが。
編類元祐臣僚章疏。張康国がまとめたというのが皮肉だろうな。
童貫と王厚が活躍しまくっている。
六月に元符末の姦党が元祐党に合流している。上書邪等とはちがうんだったかな。わすれた。また安燾が降格されてる。かわいそうに。
十月、張商英がめでたく元祐党へ。

今日はここまで。

校閲

ある本がAmazonのkindleで安売りしていたので、レビューを見ていると、本の中味はおもしろいが、校正がなってないとか書いてあった。中黒点とか句読点の抜けとか、そういうのがあったらしい。で、その人は出版社はきちんと校正しろという注文をつけていた。

出版物としてそういうものがあるのは、あまりよいことではないので、それ自体はどうでもいいが、その誤植はどの段階で発生したものか興味はある。もしも責了後に誤植が混じってしまったのなら、もちろん出版社のミス以外のなにものでもないが、原稿自体にミスがあるとか、著者がろくに校正もしていないというのなら、それは著者の怠慢以外の何でもないだろう。

どういう理由であれ、細部を自分で確認せず、出版社にまるなげしているようなら、できあがった著作そのものが、はたして著者のものといえるのか、はなはだ疑問だ。

そんなものといえば、そんなものだのだけど。

ひさびさ

今年はコミケに落選したらしい。あまり芳しい活動もないから、当たり前と言えば当たり前か。

それはそうと人間生きているとおもしろいこともあるものだ。いや、世間的にはまったくおもしろくない、不愉快なことなのだけど、こういうことは自分が努力しただけで陥るものでないだけに、なかなか興味深い。このまま滅びるのを見届けたい気もするが......なやみどころではある。

それはそうと、ここしばらく継続して何かをしていないので(おもしろいことのあった勤め先のことはともかく)、ぼちぼち何かをはじめなければなるまい。というか、そういうことばかりいって結局なにもしていないので、やはりなにか継続しておかないと、形にまとまらない。

困ったものだな。

そうそうブログの更新をやめていた時期に高畠さんの『自己を語る』を印刷したり、Amazonで売ってみたりと、いろいろあったが、それはまた次回にでも書こう。

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Author:awatan
HN:江藤清通
かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

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