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極没要緊

翁方綱といえば清代中期を代表する学者であり、四庫提要編纂に携わった一人としても知られている。その彼の手になる分纂稿の一つに公是先生極没要緊がある。このまえ読んでいたら少しおもしろかったのでここに記録しておく。

公是先生極没要緊一巻、宋の劉敞の撰。

劉敞、字は原甫、新喩の人。慶暦六年の進士。集賢院学士、判南京御史台を歴任。卒後、私に公是先生を諡られた。その文集六十巻は既に散佚し、いまでは江西の『新刻三劉集』に四巻を残すのみである。『宋史』本伝および欧陽修の撰した墓誌銘によれば、劉敞には『春秋権衡』『春秋意林』『七経小伝』『弟子記』があったという。しかし江西の新刻本は『春秋権衡』『春秋意林』『七経小伝』のみを収め、『弟子記』は存在しない。

さて銭曾の『読書敏求記』には「『公是先生極没要緊』一巻、すなわち劉原父の『弟子記』である。本書は、当時の人物に対して、ときに名を記し、ときに字(あざな)を記している。恐らく称呼に差違を設けることで当該人物の賢否を区分したものであろう」とある。この書を検するに、いずれも『荘子』を解釈したものにすぎず、銭氏の指摘する「当時の人物に対して、ときに名を記し、ときに字を記した」という部分は存在しない。しかし銭氏は本書を子類に列入しており、これは『荘子』を解釈した本書の性格と符合している。おそらく本書は『弟子記』から節録したものであろう。

『弟子記』の巻数について、『宋史』本伝は五巻とし、『敏求記』は一巻とする。本書は『荘子』の本文を載せていないが、その配列は『荘子』注と同じである。書名の由来については、謙遜して他撰のごとく見せたもので、弟子の手に成るものではあるまい。劉敞が『荘子』について語った言葉を弟子が記録したもの故に、劉敞の諡を書名に冠したのであろう。劉敞の著述は既にその多くが散佚しており、本書には向秀や郭象の注に裨益するところがある。是非とも本書を刊刻し、世に広むべきであろう。



翁方綱の調査は非常に杜撰で、読書敏求記を頼りに極没要緊の真偽を決めるという驚くべきことをしている。現在であれば読書志、書録解題、あるいは文献通考経籍志の他、劉攽の行状も参照すべき必要がある。さすがに欧陽修の墓誌は見たようだが、必ずしも善本でなかったことは、その挙げるところの書目の一覧から確認できる。

もっとも一流をもって知られる翁方綱がこのような杜撰な調査をしたのには、それ相当の理由があったと考えるべきで、その理由としてまず考えられることは、恐らく資料が決定的に不足していたのだろうということである。書録解題は四庫提要編纂当時に存在せず、わずかに文献通考経籍志に引用されるものを利用しなければならなかったし、劉攽の行状(彭城集所収)もまた当時存在しなかった。その他、現在であれば容易に閲覧できる書物も見られなかったのだろう。

それはさておき翁方綱の見たものは、恐らく四庫提要公是先生弟子記および同書極没要緊(子部道家類存目)に引かれる書物と同一のものと推測される。両者は基本的に同じ解説なので、若干説明の詳しい後者を引いておく。

極没要緊一巻。浙江巡撫採進本。

本書には公是先生撰なる署名が附されている。公是先生とは宋の劉敞の別号である。銭曾は『読書敏求記』において「公是先生極没要緊』一巻、すなわち劉原父の『弟子記』である。本書は、当時の人物に対して、ときに名を記し、ときに字(あざな)を記している。恐らく称呼に差違を設けることで当該人物の賢否を区分したものであろう」という。

さて、『公是先生弟子記』は晁公武の『読書志』に収録されており、銭氏の指摘はその晁公武の指摘と同じである。しかし『公是先生弟子記』は別に伝本があり、この四庫全書総目においては別の書目として収録した。本書の内容は郭象の『荘子注』を採取しただけのもので、『公是先生弟子記』とは全くの別物である。銭氏がいかなる理由から両者を同一視したのかは不明である。あるいは銭氏の所見本はこれと別物で、本書は好事家が偽作したものであろうか。

『公是先生弟子記』は儒家に属すべきものだが、本書は『荘子注』を採取したものにすぎず、道家の書物と言える。そのため本書の名を道家に加え、その偽妄を明らかにしておくものである。



分纂稿は四庫提要成立の様子を調べられる貴重な資料ではあるが、さすがに四庫全書編纂途中のこととて資料閲覧に難があったと見え、翁方綱ほどの人物が執筆したものですら、完成された四庫提要から見ると見劣りするところがある。

それにしても翁方綱の見た極没要緊はどのような内容だったのだろう。四庫官は郭象注を集めただけの贋作ではないかというが、翁方綱の発言を見るかぎり、郭象注以外の文面もあったのかも知れない。劉敞の著作は明代初期に散佚した。これを清代の劉氏末裔が再び集め、翁方綱の文章にある新喩三劉全集(三劉は劉敞、劉攽、劉奉世)を編纂した。

しかし三劉全集は非常に粗雑なできの書物で、春秋権衡、意林など以外は、宋文鑑から遺文を蒐集したものに過ぎない。しかも遺文の輯佚書であればそれなりの価値はあるが、他人の文章も多く含むものであった。就中劉奉世の自省集に至ってはその所収遺文(詩は除く)はすべて他者の作品であるというとんでもない代物であった。

もっとも劉敞の著作には、四庫提要に別本公是集というものがあり、銭塘の呉允嘉が輯集したものという。なぜ呉氏が公是集の輯集に乗り出したのか不明だが、なにやら劉敞に興味を持つ人もいたようではある。明末から清代にかけての宋代研究もおもしろいテーマではあるが、いかんせん時間がかかるし必要な書物が多すぎて市井の浪人には無理な相談なので、まあ放っておくことにしよう。

おわり。

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