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まぁまいどのこと

土日は高畠さんの文章を読んで過ごす予定だったが、日本後紀の方が気になるので、今週はそっちにしよう。その代わり高畠さんの芸術に対する皮肉を引用しておく。

至上主義にも色々あるが、古今東西を通じて、最も需要の旺盛なのは、藝術至上主義と勞働至上主義とである。この頃では、もう一つ學問至上主義といふのが殖えて來た。『生命は短し、されど藝術は永し』とか、『勞働は神聖なり』とか、『學問の獨立』とかいふ標語は、夫々自惚れを臆面もなく、公表した言葉である。

何の至上主義によらず、この連中の滑稽なことは、自分のやつてゐることを、身も世もないほどに最高唯一だ、と盲信してゐる點である。思春期の少女は、初めて惚れた男を、三千世界に二人とない對手だと思ひ込むものである。しかし年數を食ふに從ひ、世間の振割りが見えるやうになれば、アバタはアバタ、エクボはエクボと見定める餘裕もでき、達觀すれば、六千萬の人口の半分は男だと解るやうにもなる。花恥づかしき乙女の思ひ上がりなら、まだしも色氣があつて愛嬌になるが、いい加減、娑婆の波風に揉まれた筈の大の男が、ゲージツのガクモンのといつてゐるのは、噴飯よりも癇癪が先きに立つものである。

藝術至上主義者が、最も見つともない馬脚を露はすのは、展覽會の出品に撤囘を命じられた時である。その作品ひとつが陳列されないため、展覽者そのもの、擴大しては藝術そのものが生命を斷たれたやうな騷ぎ方をする。そして抗辯するところは、千遍一律の官憲の無理解である。この點、聊か官憲横暴患者と症状を一にする。しかしこの世は幸か不幸か、藝術のために存在してゐるのではない。況して一展覽會の一出品のために作られたものでもない。藝術の本來的な性質が、人生の慰樂として生産されたものであるかどうかは別として、現在の藝術消費者の需要するところは、慰樂的要素の享樂以外に意味は認められない。藝術そのものが既に人生に慰樂であるとすれば、その藝術品が慰樂に反する效果を齎すか、或は、慰樂を與へても、社會の淳風美俗と認められるものを壞亂するものなら、取締りに任ずる當局が、燒いて喰はうと煮て喰はうと、致し方がないことを觀念しなければならぬ。憂世の定めは、總てさうしたものである。



ちなみに高畠さんは小説が好きだったらしく、その手の評論もあったりする。まぁそういう人だからこういうことを言いたがるのだろう。私のように小説に縁のない人間は、根本的にどんな小説がちまたに溢れていても気にならないものだ。

それはそうと日本後紀のおもしろいところは、やはりその批判がましい言説だろう。何かにつけて人の失敗をあげつらって寸評を加えている。緒嗣さんの癖らしいが、なんとなく日本の儒者っぽいところがいい。

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