スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

人の名前

考えたら後紀には乙叡の死亡記事が載っいたんだった。で、ググってみたらwikipediaにあたった。うーむ、さすがに日本の歴史は日本のwikipedeiaに詳しい。あってるのかどうかはともかく、妙に感心してしまった。

で、そのwikiによると乙叡の読みは「たかとし」らしい。何に拠ってるのか不明ながら、なるほど、私が読んだ本とは読み方が違う。でも私の記憶では、昔読んだ本は音読みしていただけだから、なんとなく「たかとし」があってる気がする。公卿補任にでも載ってるんだろうかと思って近くの図書館にいったら、誰かが借りていて置いてなかった。

甲寅(3日)。散位從三位藤原朝臣乙叡薨。右大臣從一位豐成之孫、右大臣贈從一位繼繩之子也。母尚侍百濟王明信、被帝寵渥。乙叡以父母之故、頻歴顯要、至中納言。性頑驕好妾、而縁山臨水、多置別業、以信宿之、必備内事。推國天皇為太子時、乙叡侍宴、瀉酒不敬。天皇含之。後遘伊豫親王事、辟連乙叡。免歸于第、自知無罪、以憂而終。時年卌八。

信宿……一宿為舎、再宿為信。(左伝荘3)
推國天皇……平城天皇



六国史は実録っぽいけど、卒伝(薨伝)は全体的に短い。中国の卒伝はもっと長文で、わりと気の利いたことが書いてあったりする。乙叡は死んだとき散位だったとはいえ、政界で重要な人間だったのだから、もっと長くい卒伝があってもよさそうだけどな。紙幅の都合だろうか、それとも単純に長い漢文を書く素養がなかったんだろうか。そういえば和気清麻呂は長い伝記が書かれていた。あれはもともと長い漢文の伝記があったがあれはそれを下敷きにしたんだろうか。

スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

カレンダー
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
プロフィール

awatan

Author:awatan
HN:江藤清通
かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

自営サイト
最近の記事
カテゴリー
リンク集
全記事表示

全ての記事を表示する

FC2カウンター
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。