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だらだら

紹聖の時代は粛清のあらしでおもしろいが、さすがに飽きてきた。で、私の中で整理できずにいる徽宗の時代にでも足を伸ばしてみよう。あの時代は名臣とかいないから、仁宗の時代とかとちがって鼻につくような話もすくないだろう。

焦って調べる必要もなし、また発見をしなければならない必要もなし、他人の研究成果を調べる必要もなし、だらだら調べればよかろう。

ということで、まずは十朝綱要あたりからはじめよう。で、正しいのか正しくないのかよくわからないことを、ここにだらだら書いていくことにする。

そうそうみじん切り機(手動)を購入したところ、あまりにもよく斬れる刃だったので、おもわず指を傷つけてしまった。すごい切れ味だった......。餃子は普通のできだった。

...
......
.........
............とりあえず江公望があほだというのはわかった。いや、わかっていたような気もするが。
というか、建中靖国の時代、韓忠彦はほんとなにもしてないな。この人は何がしたかったのだろうか。それともするだけの力がなかったのだろうか。左僕射になって、左僕射を辞めたこと以外、なにも特筆すべき事がない。これだけ無能な宰相もめずらし......くはないが、ほめられたものではないな。

よくいわれるように、韓忠彦は無能、言官(陳瓘先生とか江公望のあほとか)は活躍するが今ひとつ世論をリードできず、曾布は活躍するも大きい影響力をもちえず、鄧洵武と蔡京の犬のような温益が活躍して、崇寧を迎えるという典型的でコテコテの展開が記されてあった。しかし曾布はなぜこうも影響力がないのだろうか。あるいは章惇もそんなものだったのだろうか。蔡京とどうちがうのだろうか。

蔡王の獄。
趙諗(ちょうしん)の謀反。なんじゃらほい。
愛莫助之図。

崇寧
元年
正月にさっそく元祐党が処罰。
五月に韓忠彦が失脚。即処罰。
閏六月に曾布が失脚。
九月~十月の記事にいろいろな左遷がまとまってる。が、これって上書邪等ではなかったかな。元祐党とは少しちがうような気もするが。
元祐皇后のこともあったな。忘れてた。
いや、上書邪等は十一月だったのか。九月のとは別だったのか。ややこしいな。
十二月には対西夏作戦の責任を問われて安燾らが処罰されている。

二年
五月にまた曾布がささいな請託がばれて処罰される。
六月に上書邪等がまた出て来てる。元年のとはちがうのだろうか。
八月にふたたび対西夏作戦の責任を問われて安燾らが処罰される。
あいかわらず粛清がはなはだしい。結構なことだ。

三年
正月、どうでもいいが蔡攸が出て来た。
二月に蔡王の不祥事(壁に穴を開けて遊びに出かけていたこと)がでてる。こんな愉快なはなしもあったんだな。それはそうと章惇と王珪は元祐党とは別に一党として不忠の扱いをうけている。元祐党の中に一括されることもあるが、分けることにはなっていたのだろうか。当たり前なんだが。
編類元祐臣僚章疏。張康国がまとめたというのが皮肉だろうな。
童貫と王厚が活躍しまくっている。
六月に元符末の姦党が元祐党に合流している。上書邪等とはちがうんだったかな。わすれた。また安燾が降格されてる。かわいそうに。
十月、張商英がめでたく元祐党へ。

今日はここまで。

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かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

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