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権衡197

天王使毛伯來錫公命。杜氏云:「諸侯即位,天子賜以命圭合瑞為信。」然則杜氏為禮然也。非也。諸侯喪畢,以士服見于王,王乃於廟命之。古者五十而命。至周,喪畢則命矣。喪未畢而命,非禮也。

「天王使毛伯来錫公命」(天王毛伯をして来りて公に命を錫はしむ)。杜氏云ふ、「諸侯即位すれば、天子賜ふに命圭を以てし、瑞を合するを信と為す」と。然らば則ち杜氏は礼の然りと為すなり。非なり。諸侯は喪畢はれば、士服を以て王に見へ、王は乃ち廟に於いて之に命ず。古者は五十にして命ず。周に至り、喪畢はれば則ち命ず。喪未だ畢はらずして命ずるは、礼に非ざるなり。

「天王使毛伯来錫公命」(天王 毛伯をして来りて公に命を錫はしむ)。杜氏は「諸侯 即位すれば、天子 賜ふに命圭〔注1〕を以てし、瑞を合する〔注2〕を信と為す」という。しからば杜氏はこれを礼に適ったことと考えたのである。間違いである。諸侯は喪が畢われば、士服でもって王に謁見する。王はそこで廟において〔諸侯に〕命ずるのである。〔注3〕古代においては、五十になってから諸侯に命じた。〔注4〕周の時代になり、〔三年の〕喪が畢われば諸侯に命ずるようになった。喪がまだ畢わってもいないのに諸侯に命ずるというのでは、礼に適ったこととはいえない。


1 命圭は玉の一種で、王が諸侯を封ずるときに授けるもの。
2 命圭は、天子のもつ冒(玉の一種)と割り符のように合わせることができ、両者の玉をあわせて本物か否かを調べた。
3 鄭玄の「此諸侯世子也。除三年之喪、服士服而来」(『毛詩』小雅・瞻彼洛矣の箋。此れ諸侯の世子なり。三年の喪を除き、士服を服して来る)を参照したと思われる。類似の議論が『白虎通』所引『韓詩内伝』に「諸侯世子三年喪畢、上受爵命於天子」(巻一・爵。諸侯の世子は三年の喪畢はれば、上は爵命を天子に受く)と見えるが、鄭玄のいう「士服を服す」の規定はみられない。これについて葉夢得は「韓詩之言、鄭氏取之、載于膽彼洛矣注、以為諸侯喪畢、見王以士服、王錫之命圭黻冕、然後帰以臨其民。韓詩今亡矣、而士服見王之礼、非『白虎通』所載。蓋必有別見者矣」(『春秋考』巻九・荘公。韓詩の言、鄭氏之を取り、膽彼洛矣の注に載す。以為へらく諸侯は喪畢はれば、王に見ゆるに士服を以てし、王は之に命圭黻冕を錫ひ、然る後に帰りて以て其の民に臨む、と。韓詩 今亡し。而して士服もて王に見ゆるの礼、『白虎通』の載する所に非ず。蓋し必ず別に見る者有り)と指摘する。
4 直接には『儀礼』士冠礼の「古者五十而后爵」(古者は五十にして后 爵す)に拠ったと思われるが、劉敞はこの定義を気に入っていたと見え、「古者四十而仕、五十命為大夫。五十命為大夫者、為知命也。」(『意林』巻上・斉人執鄭詹条)、「四十而仕為不惑也。五十而爵為知命也。不惑然後可以為士、知命然後可以為大夫。」(『弟子記』巻一)など、同様の指摘が随所にみられる。

参考
天王使毛伯來錫公命。命を錫ふとは何ぞや。命じて諸侯と為さしむるなり。諸侯は喪に在りては子と称し、歳を踰へて位に即き、喪を終へて命を受くるは、正なり。未だ喪を畢へざるに之に命ずるは、正に非ざるなり。既に喪を畢へて命を受けざるも、亦た正に非ざるなり。命を錫ふは、則ち曷為れぞ或ひは書し、或ひは書せず。常事なれば書せず。常に非ざる有り、然る後に書す。(『劉氏伝』文公元年)

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