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権衡203

二〇三 公子遂如齊納幣。左氏曰:「禮也。」則是以喪娶為禮,不亦悖乎。杜預遷僖公薨月,以就傳説。然文公此年大事于太廟,則已自除喪矣。彼尚能逆祀,何故不能於此娶乎。明此傳誤無為,歸過于經而疑之也。

書き下し文
二〇三 「公子遂如斉納幣」(公子遂 斉に如き幣を納む)。左氏曰く、「礼なり」と。則ち是れ喪を以て娶るを礼と為す。亦た悖らざるや。杜預 僖公の薨ずるの月を遷し、以て伝の説を就す。然れども文公 此の年 太廟に大事あれば、則ち已に自ら喪を除けり。彼れ尚ほ能く逆祀す、何の故に此に於いて娶る能はざるや。明らけし此れ伝 誤るも為す無く、過を経に帰して之を疑ふこと。

現代語訳
二〇三 「公子遂如斉納幣」(公子遂 斉に如き幣を納む)。左氏は「礼なり」【注1】という。つまりは喪中の婚姻を礼とみなしているのである。なんと道理に悖る発言ではないか。杜預は僖公が薨じた月を遷し、伝の学説を成り立たせている。【注2】しかし文公はこの年に「太廟で大事をおこなった」【注3】のであるから、すでにみずから喪を除いている。文公は逆祀【注4】ですら実施できるのだから、ここにおいて婚姻を結び得ぬ道理はあるまい。実に杜預の意図は明白で、伝が間違っていても何もせず、かえって間違いを経になすりつけ、経を疑っているのである。


1 伝には「襄仲 斉に如きて幣を納むるは、礼なり。凡そ君 即位すれば、舅甥を好し、昏姻を脩め、元妃を娶り、以て粢盛を奉ずるは、孝なり。孝は礼の始めなり」とある。
2 巻四の一九五条を参照。杜預は僖公三十二年十一月に僖公が薨じたと考えるので、文公元年の三月の閏月を加えると、文公二年九月で三年の喪(足かけ二十五ヶ月)が終わる。一方、経に従えば、僖公三十二年十二月に僖公が薨じたことになり、三年の喪を終えるのは、文公二年十一月(閏月を加味しなければ十二月)。なお三年の喪については、『礼記』壇弓上・孟献子禫条の『正義』を参照。
3 経の「八月丁卯、大事于大廟、躋僖公」(八月丁卯、大廟に大事あり、僖公を躋(のぼ)す)を指す。伝は「君子 以て礼を失ふと為す。礼は順ならざる無し。祀は国の大事なり。而るに之を逆にす。礼と謂ふべけんや」といい、杜預はこれを承けて「大事は禘なり。躋は升なり。僖公は閔公の庶兄なるも、閔を継いで立たば、廟の坐は宜しく閔の下に次すべし。今 升して閔の上に在り。故に書して之を譏る。時 未だ吉禘に応ぜずして大廟に於いて之を行ふ。其の譏り 已に明らかなり。徒だ逆祀を以て、故に特に其の事を大とし、其の文を異にす」と注す。ここでの「大事」は禘祭(宗廟の祭りで、先君および祖先の位牌を宗廟に納める祭り)の意。
4 逆祀は位牌の順序を逆にすること。ここでは僖公の位牌を閔公の位牌の上位に置いたことを指す。

参考
『劉氏伝』は公羊伝に同じ。
『意林』に説なし。

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かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

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