宋代初期の政治家、というか武将、というか軍人を調べようと思って、とりあえず『東都事略』や『宋史』の列伝とか、『宋人伝記資料索引』とか、その手のものをみたが、逸話の類が思ったよりも少ない。で、宋人の逸話には『宋人軼事彙編』という便利本があるので、それを調べてみても、ほとんどない。というか曹彬以降の武官には逸話が残っているが、それ以前の符彦卿とか王全斌とか、そういう頼もしい武将(民からじゃんじゃん略奪しまくる人々)の項目がそもそもない。
そういえば北宋の資料を読んでいても、曹彬の逸話は多々目にするが、五代から宋代初期に活躍した人々の逸話はあまりみない気がする。気にしていなかったから、というのもあるだろうが。やはり五代以来の武将と宋代の士大夫との間には直接的なつながりがないので、士大夫にしてみれば、五代以来の武将の伝記・逸話なんぞ書き残してやる必要はないということなのだろうか。もう少し調べてみないと何ともいえないけども。
とはいえ、正式な歴史書となると、太祖とともに活躍した創業の功臣の伝記を立てないわけにもいかず、その意味では上記の符彦卿たちも伝記は立てられているので、いかに身内びいきで悪辣な士大夫といえども、無視はできなかったのだろう。ほかの時代なんて正史に伝がなければ、あらましすらわからないくらいなんだから、それと比べれば史料が少ないわけでもなんでもないのかもしれないな。
宋は周の後を比較的うまい感じで継承したから、創業の功臣というのがわかりにくい。いないのかもしれないし、いたのだけど資料的に過小評価されているのかもしれないし、そのあたりも含めて少し調べてみよう。
おおむかし、高校生の時分、五代十国を覚えたときは、五代と十国の違いが今ひとつわからず(正統とかの区分も実感としてよくわからなかったのだろう)、その後も五代と十国と同じくらいの強さなんだろうかとか思っていたが、後になると、なるほど五代は五代でしかないのだろうな。
もちろん一度の戦争は一国の戦力が直接反映されるわけではないし、五代みたいな内乱状態だと、一度負けると国が瓦解する可能性もあるので、もしかしたら南唐が北の一部くらいは奪取できたのかもしれないけど、燕州や雲州、河北や太原の騎馬兵を南唐が防げるとも思えず、南から北を攻め落とすのは、大砲とか鉄砲が出てきたり、よほど優れた軍事的な能力でもないと、相当難しかろう。
中国のサイトで符彦卿を調べると、戦い方についていろいろ説明があった。さすがは本場だな。勉強になるなあ。いや、勉強しなくてもいいことなんだけどね。
『
宋史』のwikiをみると、妙な感じで記事のある人とない人が併存している。各種の分野で有名な人に項目が立っているのはわかるが、必ずしも著名とは思われない人に項目が立っていて、結構著名な人に項目がない。選別の仕方がよくわからないな。まぁ、どーでもいいけど。
ATOK2008はさすがにwindows10でつかえなかった。いや、大半のところでは問題なく起動するが、デスクトップからの検索や付箋でIMEをオンにすると、機能が停止したり、IEMがオンにならなかったりするようだ。8年も前のものだから、あたりまえだな。
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