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変人に鑑みて

意味のないひとりごと。

世の中には変人というのがいる。数は少ないが,なかなかどうして,他人にとってはもちろんのこと,本人にとっても,やっかいなシロモノである。

変人にもいろいろタイプはあるが,多くの場合,変人が変人であるのは,人と異った価値観を抱いている場合ではないかと思う。特に,ふつう好ましからぬとされていることに,むやみに価値を持っている人間を変人と呼ぶ場合がある。

この変人,単に空想上の世界に埋没してくれておれば,あまり人の害悪にはならない。変わった人だなあとか,子供っぽいなあとか,あまり評価は高くなくとも,それなりに存在を許容される。誰しも少しは変わったところがあるので,害悪のない他人の偏執振りには,目を瞑るのが世の中に生きていく上でのマナーなのかもしれない。

しかしこのような空想上の変人は,変人の変人たる所以ではない。変人が真に変人たり得るのは,行動に移したときである。行動といっても,何も罪を犯したり,反社会的活動をすることばかりではない。自分の信じるところを積極的に吹聴し,人に説明し,自己の所信に忠であろうとする態度,こういう行動に出るとき,その人は真に変人であるのだ。

もう一つ,変人に近い言葉に少数者というのがある。少数者,つまり世間一般の大勢から離れている人間のことである。大勢と違う人=少数者は,一般人の認識とズレのある人=変人に,同じでないまでも近しいものを感じるのである。この両者,私からすれば,同じ本質のものだとは思わないのだが,ときによっては同じ現れ方をするものだということも,否定できないように思う。

変人は一般と違うから,世間的には少数者である。だから,たまに世間では,変人だけを集めて,少数社会を作ったら,その社会の中では変人も「一般人」になれるのではないかと,そんなことを思っている人もいるようである。しかしそれは少し見通しが甘いと思うのだ。

変人の変人たる所以は,一般人と主張「が」異なっていることではない。主張が異なっているのではなく,直面した事態「に対して」異った態度や思考を取ることにあるのだ。だから,仮に変人どうしが集まっても,比較的変人度の薄いひとの意見がまず生まれ,次ぎに比較的変人度の濃いひとがそれに反旗を翻すことになる。そしてそこでも比較的変人度の薄い一般的意見と,それに対抗する変人的意見が対立することになるだろう。

変人度の濃い人間ほど,人の意見に対して違う見方や考え方をする。これは使いようによっては有利なことで,人が考えられないことを考え,行動できるのである。しかし大概,そういう人間は変人とは呼ばれないで,学者とか発明者とか,なんとかかとか,そういう社会的ステータスの高い人間として一括される。そしてそうはなりきれなかった人間だけが,変人として一般人の下に措かれるのである。

格別,ヒガミを言うつもりはなかったのだが,子供のとき以来,変人と呼ばれた私の個人的な感想である。ただ,変人は自分の変人振りが好きな人間が多いので,多分,「更生」は無理だろう。ただ生きていくのが辛いだけなのだ。でも更生はもっと辛いのだ。

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テーマ : ひとりごとのようなもの
ジャンル : 日記

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