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初回?

一人の人間が社会に与える衝撃というのは、時代によって異なる。

どれほど残虐、いかに卑劣な行動であっても、単なる変人・狂人として、その人間個人の特殊性として処理される場合もある。逆に、さして珍しくもない復讐劇が、思いの外、社会に甚大の影響を与える場合もある。

同じ行為であっても、時間と場所によって、その重要性はいかほどにも変化する。単なる行為が単なる行為として処理される時代、ここでは幸・不幸の差は別に、幸福なものは安定的に幸福に、逆に不幸な人は安定的に不幸に、つまり一生不幸のまま生きながらえる。

しかし、ほんの僅かの行為が甚大な局面を生み出す時代、ここに生れた人々は、ほとんど例外なく、安定した生涯を歩むことが出来ない。いま幸福であることは、将来の幸福とは無縁であり、今の不幸は将来の不幸を予定しないのである。

確かに、いま不幸のどん底の人間にとっては、ありがたいことかも知れない。はい上がろうと思えば、栄光の地位にたどりつけるかも知れないのである。しかし、もし、不幸であった人間が光輝ある立場を得たとしても、所詮それは、間もなくおとずれるであろう転落の序曲に過ぎないのである。

このような時代をどうすればうまく生きることができるのか――

過去からその実例を如何に多く引っ張ってきても、実のところ意味はない。畢竟、うまく生きる方法はないという結論に到達するのが関の山である。ならば、その中で後悔することなく生きた人々とは如何なる人間であり、逆に後悔した人とはどのような人間であったのか?

……とまあ、いきなり道徳論くさくなってしまいましたが、私は別に道徳には興味がありません。だいたい、何事に関しても中途半端な私ですが、道徳云々を語るほど立派な人間でないということだけは断言できる人間です。

ただ、適当に年を食うと、人の後悔とは何なのかと、ふと思うことがあるのです。それで昔おぼえた歴史書でも繙いて、そんなこんなを書き散らして見たい気になっておる今日この頃です。

甚だ初回らしからぬ内容でゴメンね。

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テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

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かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

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