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宋代経学者の自負

『春秋後傳』『左氏章指』の二書,故中書舎人止齋陳公傅良の著す所なり。春秋の學,明かならざること久し。啖趙の後,本朝に至りて,而る後に泰山孫先生復あり,尊王の説 彌々彰らかなり。公是劉先生敞の『權衡』『意林』等の書,訂證尤も詳らかなり。伊川程先生頤 全書なきと雖も,一序の該する所,聖人の大法備われり。王荊公安石の説 盛行するより,此の道 幾んど廢る。建炎・紹興の初め,高宗皇帝 また斯文を振し,胡文定公安國 伊洛の餘を承け,師道を推明し,經筵に勸講し,然る後に其の學 また傳わり,學者以て標準と為す。大全と謂うべし。東莱呂公祖謙 また『集解』あり世に行われ,春秋の義 殆んど餘蘊なし。止齋 東嘉に生まれ,天資絶人,書を誦し文を屬すること,一旦 迥かに諸老先生の上に出ず。歛然たる布衣のときより,聲名は四出し,六經の説は萬里の外に流行す。而して其の學 尤も春秋に深し。(樓鑰「春秋後傳左氏章指序」の冒頭)



一般の学説と正反対のことが書かれてあるが,宋代にはこういう考えが一般的だった。この感性を持たずして宋代の経学説は語れない。有名な王応麟の次の文句は,この意味をもって理解する必要がある。

漢儒より慶暦に至るの間,経を談ずる者は訓故を守りて鑿たず。『七経小伝』出でて稍々新奇を尚ぶ。三経義の行わるるに至り,漢儒の学を視ること土梗の若し。古の経を講ずる者,巻を執りて口説し,未だ嘗て講義することあらざるなり。元豊の間,陸農師 経筵に在り,始めて講義を進む。これより厥の後,上は経筵より下は学校にいたるまで,みな支流曼衍の詞を為し,説く者は徒だ以て口耳に資すのみにして,聴く者はまた相問難せず。道は愈々散じ,習いは愈々薄し。陸務観 曰く,「唐および国初,学者は敢えては孔安国・鄭康成を議さず。況や聖人をや。慶暦より後,諸儒の経旨を発明すること,前人の及ぶ所に非ず。然れども繋辞を排し,周礼を毀ち,孟子を疑い,書の胤征・顧命を譏り,詩の序を黜く。経を議することすら難しとせず。況や伝注に於いてをや」。斯の言 以て経を談ずる者の膏肓に箴すべし。



この王応麟の批判的態度は軽率な談経を譏ったものだろうが,あくまでも「慶暦より後,諸儒の経旨を発明すること,前人の及ぶ所に非ず」という自負が背後にあることを見逃してはならない。

ちなみに止斎陳公傅良は陳傅良(止斎先生),泰山孫先生復は孫復(泰山先生),公是劉先生敞は劉敞(公是先生),伊川程先生頤は程頤(伊川先生),王荊公安石は王安石(荊公),胡文定公安国は胡安国(文定公),東萊呂公祖謙は呂祖謙(東萊先生)を指す。いずれも当時の著名な学者。

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