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宋代の春秋学

春秋学の歴史は長く,上は孔子から,下は民国の今文学派まで諸種の学説が雑多に入り乱れている。この中,宋代の春秋学は漢代・清代今文学と並び春秋学の主要学説を占めているが,これを統一的に理解することは中々難しい。

宋代の春秋学は劉敞・葉夢得・胡安国のように「春秋伝」を作ることに目的がある以上(毛奇齡も春秋伝を作ったが),宋代に生れた諸種の学説を何等かの規準の下に統一させようとすること自体が,一種の自己矛盾と言えるからである。春秋伝とはみずから春秋の正当解釈を示すことであり,強いて言えばみずから穀梁伝や公羊伝を作ることを目的とする行為(著述)である。春秋三伝の統一的理解を行ってみても,現実にはあまり意味のない作業であるのと同じく,宋代の春秋学は個人的な正当観に基く学説が沢山存在するというに止まらざるを得ないのである。

とはいえ,宋代,より厳密には中唐の啖助から明初の大全成立まで(*)の春秋学にはそれなりにまとまりもある。まとまりといっても,別段思想的な統一性という類のものではないが,なにかしら研究方法とか方向などが似ているのである。これは上に漢代以来の正義を受け,これを克服するために学問的努力を惜しまなかったこの時代の学者ゆえの避けられない傾向の類似と考えられる。ただしこれはあくまでも傾向であって,中には全く宋代らしからぬ研究をしている宋代の学者もいる。例えば穀梁伝の専門家とか。

(*)明朝注記以後,その最末期までの250年あまりのゴミのような作文を春秋学の中に加えるなら,中唐の啖助から明末清初までが宋代の春秋学になるが,ゴミは所詮ゴミであり,学問の名に相応しくないばかりか,それを汚すものですらある。ここは明朝の学者をのさばらせないためにも,この無価値な時代の作文は無視すべきであろう。

それはそうと,この宋代的な研究方法とか方向とは何であろうか。これが実は厄介な問題で,現存する数十種類の経解書を読めば朧気ながらに想像できるものの――つまりその概念に目が触れれば,「ああ,また言ってる」と思えるのだが――,これであると明白に指摘する段になるとたちまち困惑させられる。特徴は少なすぎてもいけないが,多すぎても駄目で,多くの人間が問題としたものを適度な分量で説明してみせなければならないからである。

私としては,宋代の春秋学者で屈指の理論家といえば呂大圭を推したいが,その呂大圭は春秋に五つの重大節目を認めている。所謂『春秋五論』の中で展開される理論である。第一は孔子が春秋を作った理由,第二は義例批判,第三は経文の達例と特筆,第四は世変,第五は三伝の得失である。いずれも宋代に主として論じられた問題で,さすがは呂大圭と思わせる見事な論点の整理である。しかし呂大圭の方法は,宋代の春秋学説を網羅的且つ整合的に捉えるには好都合であるが,少し問題感心が大きすぎ,また体系的すぎる。

そこでもう一つ,宋代春秋学の重要項目をしるには,呂大圭ほどの一貫性はないが,却って重要な問題点だけを列挙してる王の『春秋皇綱論』が便利である。同書の目はそのまま内容縮図となっているので,次に目だけを挙げておこう。

孔子脩春秋
始隱
尊王上
尊王下(以上,第一巻)

公即位
卿書名氏
稱人(以上,第二巻)

朝會盟
會盟異例
侵伐
取滅
紀師
戰上
戰下(以上,第三巻)

歸入
會及
書遂
公至
郊禘(以上,第四巻)

災異
罪弑
殺大夫
日月例
傳釋異同(以上,第五巻)

第1巻は春秋総論,第2巻は所謂称謂の例,第3巻と第4巻は会盟・戦・帰入などの重要措辞で,義例の中枢部分,第5巻は特殊な義例問題から説き起こし,最後の日月の例で義例が終わり,経と三伝の異同で本書全体が終わる。更らに大きく区分すれば,第1巻が春秋總論,第2巻~第5巻までが義例,第5巻最後が三伝の問題を扱ったことになり,呂大圭の五論と酷似したものになる。三伝の問題を敢えて最後に持ってきたのも,宋代らしい配慮であると言える。

宋代の注釈で往々にして問題となるのが,春秋の著作理由と義例,そして経と三伝との関係である。そして実際の経文解釈上で最も複雑怪奇な動きを示すのが義例であるため,春秋の総論的研究を行った場合,必ず義例に触れられる。ちなみに「春秋に義例は存在しない」と定義する鄭樵のような人間もいるが,この場合でも実質的には義例と変わりない解釈方法を経文解釈に導入するので,現実的には義例(この場合は書法と呼ばれる)が重要な問題となる。

呂大圭にせよ王にせよ,生れた時代も違い,その春秋学説も異なるが,宋代の春秋学で主として扱われた問題を(1)春秋の著作動機,(2)義例,(3)経と三伝の三つに分けた点は同じであり,またこれは他の宋代の学者とも同じである。

宋代の春秋学の出した主張は何であるかは人によってことなる。ただ,(1)春秋が何の為に作られたのかという問題を追求すること,(2)春秋の実地解釈に不可欠な義例とは何であるかを追求すること,そして(3)経文と三伝とをいかに捉えたらよいかを追求すること,以上の三点を「追求」することが,宋代春秋学によく見られる傾向上の類似なのである。

これを一歩踏みだし,宋代の人間は(1)春秋が何のために作られたと考えたのか,(2)義例とは何だったのか,また義例各々はどのような意味を持っているのか,(3)経と三伝はどう理解されたのか,を現代人が解明しようとすれば,錯雑してまとまりのない解答に陥る。せいぜい春秋は孔子と深い関係があり,微言大義が込められており,人倫が説かれているなどという,別段宋代でなくてもかまわないような,春秋学なら通時代的に見られる結論が得られるに過ぎない。

宋代の春秋学の成果を現代に生かし得るとすれば,それは彼らの出した結論を知ることにはない。彼らの結論が導かれたその理由と困難を理解することになければならないだろう。

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かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

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