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四庫提要(春秋類)006

追記(2009/03/15):以下の翻訳はこちらのページ(別館:公孫樹内)に訳し直しました。

陸淳『春秋集伝纂例』10巻

○浙江汪啓淑家蔵本

唐の陸淳の撰。蓋しその師の啖助および趙匡の説を解釈したものである。助,字は叔佐,もと趙州の人,関中に移り,官は潤州丹陽県主簿となった。匡,字は伯循,河東の人,官は洋州刺史。淳,字は伯沖,呉郡の人,官は給事中になった。後,憲宗の諱を避けて,質と改名した。事迹は『唐書』儒学伝にある。

考えてみると,『二程遺書』,陳振孫の『書録解題』,および朱臨の手になる本書の「後序」はすべて「淳は助と匡を師とした」といい,『旧唐書』は「淳は匡を師とし,匡は助を師とした」といい,『新唐書』は「趙匡と陸淳は助の高弟である」と言っている。しかし呂温の文集に「代人進書表」があり,そこには「啖助を厳師とし,趙匡を益友とした」とある。また淳みずから「集伝始終記」を作ったときには,助を啖先生,匡を趙子と言い,他所では趙氏とも言っている。「重修集伝義」でも「淳は筆と紙を手に,啖先生の傍らに侍すること十有一年」と言い,匡に言及がない。また柳宗元は淳の墓表を作ったが,そこでも助と匡を淳の師友としている。〔陸淳らの〕当時,〔啖助と趙匡の〕序列を論ずること明らかである。〔『旧唐書』の編者〕劉昫以下の諸家は伝聞を誤ったものである。

助の春秋学説は,〔左氏・公羊・穀梁の〕三家の得失を考え,遺漏や闕失を繕うことに力点があり,このため先学と意見を異にすることが多い。例えば「左伝は丘明の著作ではない。『漢書』には『丘明は魯の曾申に伝え,申は呉起に伝え,起から六伝して賈誼に伝わった』などの説が見えるが,すべてこじつけである。公羊の名は高,穀梁の名は赤というが,恐らくは間違いであろう」といい,また「春秋の文は簡易であるため,先学は各々一つの伝を守り,あえて〔三伝を〕疎通させず,たがいに批判しあい,弊害はさらにひどくなった」,「左伝は周晉齊宋楚鄭の事迹を述べること特に詳しい。これは後世の学者が師から授けられた〔数国の史〕を敷延し,年月順に編纂して伝記としたものである。また各国の卿らの家伝や卜書・夢書・占書・縦横家・小説家の書を取り混ぜたものである。だから事迹を論ずること多岐にわたるが,経文の解釈は極めて少なく,公羊と穀梁が経文に密着し〔て解釈を発し〕たものに及ばない」とも言っている。これらの議論は偏見を免れず,欧陽修と晁公武らの意に満たなかった。しかし程子は「はるか諸家の上にある。〔未だ聖人の蘊奥を完全に明らかにしなかったとはいえ,〕異端を排除し,正しい方法を開いた功績がある」と言った。〔陸淳らが〕伝を棄てて経を求めたのは,確かに宋人の先河を導いたものであり,臆断の弊害を生んだその過失は覆うべくもないが,〔三伝の〕こじつけを論破した功績は没すことのできぬものである。

助の書はもともと『春秋統例』と名づけられ,わずか六巻であったが,その死後,淳と遺児の異が遺文を集め,匡に〔助の書を〕増補改訂するよう求めた。そこで始めて『纂例』と名づけられた。大暦乙卯の年に完成し,全四十篇十卷とした。『唐書』芸文志も同じである。この本の巻数も一致しているが,来歴のあるものなのであろう。

本書の第一篇から第八篇までは全書の総論であり,第九篇は魯十二公およびその系譜であり,第三十六篇以下は経文と伝文に見える文字の脱謬および人名・国名・地名といったものである。筆削の例を発明した部分は,ただ中間の二十六篇だけである。袁桷の後序には「本書は久しく途絶えており,〔我が家に〕伝わるものは寶章桂公の校本である。蜀にも小字本があると聞くが,遺憾ながら未見である」とある。呉萊と柳貫の後序にも「平陽府で刊行した金の泰和三年の礼部尚書の趙秉文の家本を入手した」と言っている。元の時代,既に稀覯書であったものが,流伝して現在に伝わった。天下の孤本と呼ぶべきものであろう。

『四庫全書総目提要』巻26


呂温集:呂温『呂衡州集』巻4,代國子陸博士進集註春秋表を指す。
修傳始終記:『纂例』巻1,修傳終始記第8を指す。
重修集傳義:『纂例』巻1,重修集傳義第7を指す。
柳宗元云々:四庫本でいうと,『柳河東集注』巻9の「唐故給事中皇太子侍讀陸文通先生墓表」を指す。
左傳非丘明所作云々:『纂例』巻1,趙氏損益義第5に見える。
春秋之文簡易云々:『纂例』巻1,啖氏集傳注義第3に見える。
左傳序周晉齊宋楚鄭之事獨詳云々:『纂例』巻1,三傳得失議第2に見える。
歐陽脩:『新唐書』巻200(啖助傳)の賛に見える。
晁公武:『讀書志』巻3の春秋微旨六巻春秋辨疑1巻の案語に見える。
程子則稱其絶出諸家云々:『河南程氏文集』巻5,南廟試策第二道の對に見える。
筆削之例:聖人が凡人に垂れたもうたありがたい教えのありか。
袁桷云々:袁氏の後序は古經解彙函本,經苑本,および四庫本に見えない。
呉莱云々:『淵穎集』巻12,春秋纂例辨疑後題に見える。
柳貫云々:『柳待制集』巻18,記舊本春秋纂例後に見える。
○以上諸家の評は『経義考』巻176に見える。ただし『新唐書』の賛は宋祁と正しく表記されている。四庫官が直接何によったかは不詳。

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