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四庫提要(春秋類)009

追記(2009/03/15):以下の翻訳はこちらのページ(別館:公孫樹内)に訳し直しました。

馮継先『春秋名号帰一図』2巻

○兩江總督採進本

蜀の馮継先の撰。陳振孫の『書録解題』には「本書に列挙する人名〔の順序〕は,周が第一,魯が第二,斉が第三,晉が第四,楚が第五,鄭が第六,衛が第七,秦が第八,宋が第九,陳が第十,蔡が第十一,曹が第十二,呉が第十三,邾が第十四,杞が第十五,莒が第十六,滕が第十七,薛が第十八,許が第十九,そして雑小国が第二十である」とある。しかし『崇文総目』には「本書は官・諡・名・字を初名の左側に集めたものである」とあり,『文献通考』も李の言葉を引いて「むかし〔左〕丘明が春秋を伝えたとき(*1),列国の君臣の名や字を統一せず,多い場合には〔呼称が〕四つも五つもあった。そのため学問を始めたばかりのものは,〔呼称が〕紛々として覚えにくいことに苦しんだ。繼先はその同じものを集めて一百六十篇とした」と言う。この〔『崇文総目』と李の〕二つの発言から推測すれば,継先の旧本はもともと〔名前を〕横に傾斜して列記したもので,表譜のような体裁であり――だから「図」と名が付けられた――,一百六十篇に分けられていたと思われる。ところが現行本の体裁は振孫の発言と同じで,一人を一条としている。既に初名の左側に〔異名を〕集めたものではなく,また謂ゆる一百六十篇というものもなく,『崇文総目』や李の所説と全く異なっている。

岳珂の版行した『相台九経例(刊正九経三伝沿革例)』には,「『春秋名号帰一図』二巻は版本に間違いが多い。むかし京本,杭本,建本,蜀本によって校勘してみたところ,例えば氏名に異同があるとき,本当は複数人なのに,一人としている場合や,名は異なっていても,実は同一人であるのに,〔間違って〕二人としている場合,ある国から他国に嫁いだとき,〔女性を〕両国に記録している場合,某公や某年が経や伝と異なる場合,伝を経と間違えたり,注を伝と間違えている場合,部首の類似から魯魚の誤りを犯している場合,行が連続して区別がなくなっている場合などがあった。今,すべてその間違いを訂正し,且つ行を分けて別記した」とある。ならば現行本は珂が校正配列したもので,李以前の旧本ではない。の発言によると,「宋の大夫の莊菫と秦の右大夫のは,もともと左氏伝に「父」の字などなかった。しかし継先は軽々しくこれを増加している。(*2)他にも子韓は斉の頃公の孫だとされており,『世族譜』も左氏伝と同じである。しかし継先は韓子のことだと考え,楚と鄭にいる二人の公孫黒と同一篇に入れている(*3)」とある。しかしこの本(*4)を調査したところ,そのような文はなかった。ならば珂が削除したのは明白である。

『四庫全書総目提要』巻26



(*1)左氏伝を作ったとの謂。
(*2)莊菫の名は昭公21年左氏伝,右大夫は襄公11年左氏伝に見える。
(*3)子韓の名は,昭公14年左氏伝に見える。同一篇云々の原文は「與楚鄭二公孫共篇」となっている。四庫官の指摘の通り現行本と体裁が異なるため,「共篇」の意味はよく分からない。なお鄭と楚にいる公孫黒は,鄭の公孫黒と楚の公孫黒肱で,いずれも子と呼ばれる。
(*4)この本:四庫提要を書くための底本。通常は四庫本を指すが,まま提要と四庫全書とは版本を異にする場合があるので,正確には四庫提要執筆者の手許にある版本ということになる。

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