スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

四庫提要(春秋類)011

追記(2009/03/15):以下の翻訳はこちらのページ(別館:公孫樹内)に訳し直しました。

孫復『春秋尊王発微』12巻

○内府蔵本

宋の孫復の撰。復,字は明復,平陽の人。生涯は『宋史』儒林伝に詳しい。李の『続資治通鑑長編』によると,「〔殿〕中丞(*1)・国子監直講の孫復は春秋学を修めたが,三伝や〔杜預らの〕旧注に誤られることなく,その発言は簡易で,春秋経の本旨を得たものだった。〔不治の〕病に倒れると,枢密使の韓が主上にこう助言した。――書記と紙を与えて,復の門人の祖無択に命じて復の家で〔その学問の成果を〕記録させるように,と。かくして十五巻の書物を得たので,秘閣に収蔵した」とある。しかし本書は十二巻である。『中興書目』を調査すると,復には別に『春秋総論』三巻がある。蓋し両者を合せて十五巻としたのだろう。現在,『総論』は散佚してしまい,ただ本書だけが残っている。

復の学説というのは,上は陸淳を淵源とし,下は胡安国を導き,春秋には貶したところはあっても褒めたところなどないというもので,主として厳罰主義を重んじたやり方である。晁公武の『読書志』は常秩の発言を載せ,「明復の春秋学は商鞅の法のようなものだ。灰を道に棄てたものは処罰され,歩が六尺を超えたものは誅罰される」と言っている。蓋し篤論であろう。しかし宋代の諸学者は厳罰主義を喜び,かえってこれを称讃しあい,波に乗って返ることなく,ついに孔子の筆削を曲げて冤罪の経書にしてしまった。そもそも孟子ほどに春秋を理解したものはいないが,そこでも「春秋が作られて乱臣賊子は恐懼した」というだけである。もし二百四十年の間,あらゆる人間が乱臣賊子だとでもいうのなら,復の所説は当たっている。しかし全てが乱臣賊子でないというなら,聖人はきっと〔すぐれた人間や事柄を春秋に〕記録したであろう。それがなぜ「天王から諸侯・大夫に至るまで,あらゆる人間,あらゆる事柄に誅罰が加えられているのだ」などということになろう。(*2)〔聖人の微旨を〕厳しく求めすぎたため,かえって春秋の本旨を失ったのは,実に復から始まったものである。その所説には,人間のあり方を弁別し,紛らわしい事柄を明白にしたところがあり,〔天下国家の〕興亡治乱の機宜について前人未踏の学説を提起したところもある。しかし総じて言うなら,やはり功績はあっても罪過を補うに足らないものである。以後,春秋を修め,厳罰主義を採ったものは,大概みな本書を根拠とした。だから特に本書を〔四庫全書に〕登録し,〔厳罰主義の〕依って来たるところを明らかにするとともに,右の如くその得失を詳細に論じたのである。

程端学によると,〔復には〕『尊王発微』と『総論』の二書の外,別に『三伝辨失解』があると言う。朱彝尊の『経義考』もこれに依っている。しかしそのような書物は史書に記録がなく,諸学者が言及することもない。『宋史』芸文志と『中興書目』を調べると,両書ともに王日休の手になる『春秋孫復解三傳辨失』四巻が見える。端学は間違って日休の著書を復の著作と考えたのだろうか。それならば日休の書は復を反駁した書物であって,復の著書ではない。

『四庫全書総目提要』巻26



(*1)殿中丞:原文は中丞に作る。『長編』巻186には「殿中丞」とある。宋代で単に中丞というと御史中丞を指すが,孫復は学者馬鹿なのでそんな高官にはなれない。四庫官の引用ミスだろう。
(*2)まずい訳で恐縮だが,孫復の春秋学を全く知らない人は理解できない文書だと思う。要するに四庫官は,春秋には善悪両方とも記録されており,聖人は悪は貶すが,善は褒めたということが言いたいのである。孫復の立場は下の注を参照。

(*)四庫官の発言は要点を押さえているが,訳してみると,この時代の春秋学を全く知らない人には意味が分らないようにも思われる。少しだけ補足しておく。

春秋学には褒貶があるとされる。つまり,聖人は『春秋』を著し,春秋時代の善人や善事を褒め,悪人や悪事を貶したとされる。これが一般的な春秋学の立場なのだが,孫復はそう考えなかった。

彼は考えた。――春秋時代は中華的秩序が崩壊に向かう時代であった。その最後のときに生きた孔子は,その狂った時代を写し取るべく『春秋』を著した。随って,『春秋』に書かれたものは,すべて中華的秩序の崩壊を記したものである。随って,『春秋』に記されたものは全て否定されるべきことである。随って,『春秋』に記されたものは全て貶されたものである。随って,『春秋』には聖人が褒めたところなど一つもないのである,と。

この立場(訳文では厳罰主義としておいた)は,南宋の胡安国の春秋学と結びつき,清朝の初期に叩き潰されるまで,数百年の間,春秋学の最も中心的な学説となった。しかし四庫全書が編纂された当時,諸般の事情でこの立場は既に否定されていたので,四庫官もその公式的立場から孫復の学説をぼろくそに非難したわけである。

つまり「春秋には善悪両方とも記録されており,悪は貶すが,善は褒められている。ところが孫復は『春秋は貶しても褒めない』と言っている。これは全く間違った考え方である。孫復の学説には見るべきところも多いが,概して短所に目を潰れるほどの長所はない。しかし後々の主流学説となったので,その間違いを懲らすためにも,発端となった孫復の学説を四庫全書に登録し,且つその間違いを徹底的に論じておく」と。

なぜ孫復がこんな学説を提出したのか,またその学説そのものの内容はどんなものか,なぜ清朝初期にこの学説が衰退したのかについては,面倒なので省略する。知らなくても上の提要を理解するには差し支えない。

スポンサーサイト

テーマ : 読書メモ
ジャンル : 本・雑誌

コメントの投稿

非公開コメント

カレンダー
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
プロフィール

awatan

Author:awatan
HN:江藤清通
かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

自営サイト
最近の記事
カテゴリー
リンク集
全記事表示

全ての記事を表示する

FC2カウンター
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。