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四庫提要(春秋類)014

追記(2009/03/15):以下の翻訳はこちらのページ(別館:公孫樹内)に訳し直しました。

劉敞『春秋権衡』17巻

○内府蔵本

宋の劉敞の撰。敞,字は原父,臨江新喩の人。慶暦年間に進士に登台し,官は集賢院学士になった。生涯は『宋史』本伝に記述がある。その弟の攽の手になる敞の行状,および欧陽修の手になる敞の墓誌には,いずれも「敞には『春秋伝』十五巻,『権衡』十七巻,『説例』二巻,『文権』二巻,『意林』五巻があった」とあり,王応麟の『玉海』に記すところも同じである。

陳振孫の『書録解題』には「原父はまず『権衡』を作り,三伝諸家の得失を平らげた。次に諸種の学説を〔経の下に〕集め,自己一身の考えで是非を判断し,『春秋伝』を作った。『春秋傳』で言い尽くぬところは『意林』に示した」とある。ならば『春秋伝』の成立は『意林』の前にあり,本書はさらに『春秋伝』の前にある。敞の春秋学は,本書がその根底となっているのである。

自序(*1)には「『権衡』が世に出てからというもの,だれひとり理解できなかった」といい,さらには「碩学博識の士でなければ,本書を読むことはできない」とも言っている。その自負の念は甚だ高いと言わねばならぬ。

葉夢得は『春秋伝』(*2)を作ったとき,諸学者の注釈書に対し,その多くを排斥したが,特に孫復の『尊王発微』を非難し,「復は礼の理解が浅い。そのため発言に矛盾が多く,経学に甚だしき害悪がある。概ね礼によって当時の過失を論断しているのだが,かえって礼制そのものを理解しきれておらぬ。これなどは最も浅薄なところである」(*3)と言った。しかし敞に対してだけは,「その学問の方法は正しかった」(*4)と推奨している。蓋し敞は礼に深い理解があったからであろう。だから本書も〔孫復らと同じく〕多くの学説の是非を論ずる際,往々にして経文に立脚して解釈を施してはいるが,復のように自分勝手な判断を出していない。これもまた史的な根拠を重視する意味を認めたものであろう。

『四庫全書総目提要』巻26



(*1) 通志堂本には春秋権衡の前に劉敞の自序が冠されているが,四庫本は納蘭性徳の序文が原序として挙げられるに止まる。現在,劉敞の自序は『公是集』に見える。ただし四庫官のここでの発言は『経義考』を利用したものであろう。
(*2)謂ゆる石林春秋傳のことだろうが,ここでは「葉夢得が春秋の解釈を行ったとき」という程度の意味と思われる。
(*3)『文献通考』経籍考10,尊王發微条所引石林葉氏に見える。
(*4)『文献通考』経籍考10,春秋権衡云々条所引石林葉氏に見える。

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