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四庫提要(春秋学)016

追記(2009/03/15):以下の翻訳はこちらのページ(別館:公孫樹内)に訳し直しました。

劉敞『春秋意林』2巻

○内府藏本

宋の劉敞の撰。『宋史』芸文志は二巻とし,王応麟の『玉海』は五巻とし,馬端臨の〔『文献通考』〕経籍志は『春秋権衡』『春秋伝』『春秋意林』をあわせて三十四巻とする。いま〔敞の現行の諸書を〕調べると,『権衡』は確かに十七巻であり,『春秋伝』は確かに十五巻である。ここに『意林』二巻を加えれば,ちょうど三十四巻となり,『宋史』芸文志〔の記述〕と合致する。ならば『玉海』が五巻とするのは,筆写の間の誤りであろう。

元の呉莱は本書の後序を書いたとき(*1),「劉子(劉敞のこと)が『春秋権衡』を作ったとき,みずから『本書が世に出ても,だれひとり理解できなかった』と言った。しかし『意林』は未定稿のままで,欠落部分が多い」と言った。今,本書を調べると,あるいは経文の数文字を標題として掲げただけで,〔解釈を〕一文字も置いていないもの,あるいは〔解釈文があっても〕わずか数言に止まり,文章も続いておらず,文末に「云々」の二字を添えているもの,あるいは一条の下に別の標目一二字を掲げ,本文と全く関係のないもの,あるいは極めて難渋な文章で,句読すら簡単にできないもの,あるいは問題提起をするだけで,文章が完結していないものもある。(*2)本書が随筆・箚記(*3)の類や未定稿の書物であることは,あまりに明白である。莱の諸説は決して嘘ではない。

また敞は苦心して研究を重ね,細心の注意を払ったのみならず,文章の彫琢を好み,ぎりぎり理解可能な文字の用い方をしている。(*4)そのため葉夢得の『石林春秋伝』には,「経を知らぬものには,敞の学問が分かり難いことから,深く考えすぎで,穿鑿に陥っていると非難するものがいる」と指摘がある。(*5)しかし熟読深思すれば,それは人間としてのあり方を正し,紛らわしい問題を明らかにし,聖人の大義や微言について,燦然と聖人の心を得ておること決して少なしとしない。文体の難渋は置いて論ぜずともよいのである。

『四庫全書総目提要』巻26



(*1)呉莱の言葉は『淵穎集』巻12の春秋權衡意林後題に見える。ただし四庫官は『経義考』から引いたと思われる。
(*2)四庫官の発言は,主として『意林』巻上の冒頭から前半にかけて当てはまる。『意林』は冒頭こそ甚だしい欠落が見られるとはいえ,巻上半ばから巻下には欠落が少ない。これは『意林』と『劉氏傳』との関係を考える上で重大な問題を提起している。
(*3)随筆箚記:随筆・箚記ともにジャンルの名前。ここでは備忘録のようなものと理解して差し支えない。
(*4)原文「使在可解不可解之間」。
(*5)不詳。通常,葉夢得のこの言葉を引くときは,『文献通考』経籍考の春秋権衡云々条下所引のものを用いる。

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