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四庫提要(春秋類)018

追記(2009/03/15):以下の翻訳はこちらのページ(別館:公孫樹内)に訳し直しました。

孫覚『春秋経解』13巻

○兵部侍郎紀家蔵本

宋の孫覚の撰。覚,字は莘老,高郵の人。進士に登台し,官は御史中丞に至った。生涯は『宋史』本伝に記録されている。本書に「龍学孫公」とあるのは,蓋し覚が致仕したとき,龍図閣学士兼侍講・提挙醴泉観だったからであろう。覚は若くして胡瑗に学び,その春秋学を伝えたが,それは抑霸尊王――覇者を抑えて王者を尊ぶ――を宗旨とするものだった。

自序には「左氏は事柄を説明することが多く,公羊と穀梁は梗概を残している。現今,三伝諸家の説の当否を比べると,穀梁が最も精密深淵である。そこで穀梁を根本に据える。学説の是非褒貶については,三伝および歴代諸学者――啖助・趙匡・陸淳氏らの説の中でより優れたものを採用する。それでも納得できない場合は,安定先生(胡瑗のこと)の学説によって解釈を施した」とある。現在,瑗の『春秋口義』五巻は既に散佚しており,その骨格は本書によって知り得るのみである。

周麟之の跋文(*1)には「これ以前,王安石は春秋に解釈を施して天下に通行させようとしたが,莘老の書物が世に出るや,一見して恥じるところあり,みずからその上に出られぬことを覚った。そこで聖経(春秋のこと)を〔断爛朝報だと〕誹謗し,〔学官から〕除いてしまった」とある。しかし邵輯の序文(*2)には「本書は〔孫先生の〕晩年の作品である」という。ならば安石が本書あるがゆえに春秋を除いたというのは,必ずしも正しくあるまい。(*3)しかし当時にあって本書が重宝されたことは知り得るし,それあってこそ麟之のような説話も生れたのであろう。

『宋史』芸文志は覚の『春秋経解』十五巻を載せ,また『春秋学纂』十二巻と『春秋経社要義』六巻を載せている。朱彝尊の『経義考』はこれに拠って〔三書を〕登録し,『経解』に対しては「現存」と注釈し,『学纂』『要義』に対しては「散佚」と指摘している。しかし,この本(四庫官の手許の本)は確かに十三巻であり,しかも隠公元年から獲麟条に至るまで首尾完具しており,欠落したところもないが,『宋史』芸文志の記載と一致しない。

陳振孫の『書録解題』を調べると,『春秋経解』十五巻と『春秋経社要義』六巻はあるが,『春秋学纂』はない。王應麟の『玉海』には,『春秋経社要義』六巻と『春秋学纂』十二巻はあるが,『春秋経解』はない。しかしその『学纂』条に注記して,「その学説は穀梁を根本とし,広く左氏・公羊および歴代諸学者の優れたところを採り,ままその師・胡瑗の説によって論断している。莊公を上下篇に分けている云云」とあり,この本とまったく一致している。ならば『春秋学纂』は『春秋経解』の別名である。『宋史』芸文志は間違って〔『学纂』と『経解』を〕二書とみなし,さらに巻数まで間違えたのである。『書録解題』も十三巻を間違えて十五巻としたのだろう。ただ『玉海』の記録のみが真を得たものと見なせよう。(*4)

『四庫全書総目提要』巻26



(*1)四庫本の末尾にある。殿版その他には見えないが,『経義考』には引かれる。
(*2)四庫本の冒頭にある。殿版その他には見えないが,『経義考』には引かれる。
(*3)王安石が春秋を学官から省いたのは,孫覚壮年のころに当たる。随って,『経解』が孫覚最晩年の著書であれば,王安石が春秋を学官から省いたころには,本書はまだ存在しなかった。随って,王安石は孫覚の『経解』を見て,春秋を学官から省いたなどということは,時間的にありえないことである,ということ。
(*4)この四庫官の説に対しては,本ブログで取扱ったことがある。そちらを参照。

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