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四庫提要(春秋類)019

追記(2009/03/15):以下の翻訳はこちらのページ(別館:公孫樹内)に訳し直しました。

蘇轍『春秋集解』12巻

○浙江呉玉墀家蔵本

宋の蘇轍の撰。これ以前,劉敞は『春秋意林』を著して多くの新学説を提起し,孫復は『春秋尊王発微』を著し,新説に加え,三伝を捨てて経文の理解を求め〔る手法を唱え〕た。かくして古代以来の学説は徐々に廃れていった。この後、王安石は春秋を断爛朝報だと批判し,科挙の試験科目から排除した。(*1)轍は,当時にあって,春秋の経文と三伝の伝統が乱れたことに鑑み,本書を作ってこの風潮を矯めようとした。

本書の説くところは,左氏を中心としたもので,左氏の学説が不十分であれば,公羊・穀梁あるいは啖助・趙匡らの諸学説によって埋め合わせたものである。〔左氏を中心に据えたのは,〕左氏は〔魯の〕国史を用い得たが,公羊・穀梁以下の諸学説はどれも憶測で経文を解釈したにすぎないと考えてのことであろう。

自序には「煕寧以来,高安に蟄居しつつ本書の執筆に勤しみ,暇を見つけては改訂を施していた。元符元年に龍川に居住してから,また一新を図った。本書を見て,もはや心残りとすべきものは何もない」とある。蓋し本書は十余年の歳月をかけてようやく完成したのである。その心遣いの用意周到なこと,憶測で軽々しくものを言う輩の及ぶものではない。

朱彝尊の『経義考』には陳宏緒の跋文を載せ,こう言っている。――「左氏は事柄を記載すること全くもって完備しているが,道理に反するところもないではない。公羊と穀梁は憶測で経文を解釈してお〔り,左氏が史実に明るいことに劣〕るとはいえ,左氏と公羊・穀梁には互いに得失がある。例えば,『戎伐凡伯于楚丘(戎 凡伯を楚丘に伐つ)』について見れば,穀梁は戎を衛であるとしている。(*2)『齊仲孫來(齊の仲孫 來る)』について見れば,公羊と穀梁は魯の慶父のことだとしている。(*3)魯が項を滅ぼしたことについても(*4),本当は斉が滅ぼしたのだとしている。これらは明らかに経文と乖離しており,その間違いは敢えて指摘するに及ばない。しかし隠公四年の秋に公子翬が軍を率い,宋公・陳侯・蔡人・衛人と会合して鄭を伐ったこと,桓公十有四年の秋八月壬申に御廩に火災があったのに,乙亥に嘗の祭りを行ったこと,荘公二十有四年の夏に公(荘公)が斉に出向いて公女を出迎えたこと等々については,公羊と穀梁の学説は聖人の精微〔な心づかい〕に合致しておるようであるが,潁濱(蘇轍のこと)はすべて深読みのしすぎだといって批判している。(*5)これらはわずかの欠点のために大事なことを見逃したものと言うべきであろう。(*6)本書を読むものは,その短所を捨てて長所をとればそれでよいのである」(*7)とある。本書の論評として頗る適切である。この本(四庫官の本)には〔宏緒の跋文が〕載っていない。宏緒〔の跋文が書かれる〕以前に印刷されたものなのだろう。

『宋史』芸文志は本書を『春秋集伝』と記しているが,『文献通考』は『春秋集解』としており,この本と合致している。『宋史』芸文志が筆写の間に間違えたのだろう。(*8)

『四庫全書総目提要』巻26



(*1)書き出しは陳弘緒の跋文を模しているが,そこには孫復と王安石に言及するのみで,劉敞には及ばない。劉敞に言及したのは四庫官の意である。原文は「先是,劉敞作『春秋意林』,多出新意,孫復作『春秋尊王發微』,更舎傳以求經,古説於是漸廢」で,「更舎傳以求經」は,「劉敞の新説に加えて孫復は」という意味に解釈し得る。しかし劉敞の『意林』は孫復の『尊王發微』より成立が遅いはずで,四庫官の発言は当を失したものと言わねばならない。なお王安石が春秋を断爛朝報と言ったとの噂は,近年の研究で深く問題とするに足らないものであるとされるが,同時代人の蘇轍が王安石と断爛朝報とを繋げているのは,世間の認知度という点でおもしろい。
(*2)隠公七年の経文。穀梁のとんでも解釈として知られている。経文「戎伐凡伯于楚丘」は,そのまま解釈すれば「戎が天子の使者である凡伯を伐った」となるが,穀梁によると,実は戎は衛国のことで,「衛国が天子の使者である凡伯を伐った」のだが,あまりに恐れ多いので,孔子が「衛伐凡伯于楚丘」を「戎伐凡伯于楚丘」と書き換えたとする。
(*3)閔公元年の経文。公羊のおもしろ解釈として知られている。上の穀梁と同じで,魯の公子慶父を「齊の仲孫(斉の国の仲孫)」とあたかも別人のように書き換えたというもの。
(*4)僖公十七年の経文。経文は「夏,滅項」。跋文は「魯滅項」とするが,春秋は魯を内にするので,経文に「魯」という国名を記すことはない(主君筋の周も同じ)。随って,経文に主語もなく「滅項」とあれば,自動的に魯国(つまり自国)が項国を滅ぼしたということになる。これが春秋の書法(書き方)と言われるものである。なお公羊と穀梁は「項を滅ぼしたのは斉の桓公だ」とする。
(*5)各条の蘇轍の解釈に公羊と穀梁が引用され,批判が加えられている。蘇轍としては,弘緒の指摘する条文における公羊や穀梁の発言も,結局は史実の保証のない単なる憶測に過ぎない,随って魯の国史を見た左氏の発言の方が信頼できる,というもの。ただし蘇轍の『集解』はそれほど公羊や穀梁を批判していない。左氏と意見が異なるとき,往々にして左氏を取るという程度にとどまる。
(*6)原文「因噎廢食(噎に因り食を廢す)」。ご飯がのどに詰まったので食事をしなくなること。わずかの欠点で長所を捨ててしまう喩え。ここでは,公羊と穀梁を批判するあまり,その長所まで捨ててしまう必要はない,という意味になる。
(*7)『経義考』巻182最終条。
(*8)言うまでもなく,四庫官の書名判断は何の根拠もない論断である。四庫官のテキストが『集解』と名付けられ,『文献通考』も同じだから,書名を『集傳』とする『宋史』が間違っているという論断が成立するには,文献通考‐四庫官のテキスト以外の版本が過去にさかのぼって存在しないという証明が必要となる。そしてそれは証明不可能なことに属する。随って,蘇轍の注釈書の書名は,現行本と『文献通考』(およびその他の書誌も同じ)は『集解』であるが,『宋史』芸文志には『集傳』とあるとしか言い得ない。それ以上の判断を無理に下す必要はない。

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