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四庫提要(春秋類)020

追記(2009/03/15):以下の翻訳はこちらのページ(別館:公孫樹内)に訳し直しました。

蕭楚『春秋辨疑』4巻

○永楽大典本

宋の蕭楚の撰。楚,字は子荊,廬陵の人。紹聖年間,太学に遊学したが,〔科挙の〕礼部の試験に合格しなかった。当時,蔡京が国政を専断していた。楚はその邪悪に憤怒し,「京は宋の王莽になろうとしている」と言って,仕官の意を絶った。かくして山林に下って書物を著し,春秋の学を明らかにした。趙暘・馮澥・胡銓らは蕭楚に師事した人々である。建炎四年の始めに卒した。(*1)

曾敏行の『独醒雑志』には「著書に『春秋経辨』があり,廬陵で刊行された」とあり,『宋史』にも『春秋経解』十巻を載せている。朱彝尊の『経義考』は「散佚」とし,胡銓の序文を載せるに過ぎない。本書に掲載された銓の序文は『経義考』と同じものだが、ただ表題だけは「春秋辨疑」と少しく違うところがある。後世の校訂を史書が書き損じたのだろうか。『江西通志』と『万姓統譜』はどちらも「本書は四十九篇ある」と言うが,現行本は四十四篇しかない。恐らくは散佚した部分があるのだろう。『宋史』芸文志は「十巻」と言うが,今の『永楽大典』に残るのは二巻にすぎない。明代の人が〔十巻の原本を〕分合したのだろう。

本書の主旨は,支配権を天王(周王のこと)に集めること,そして信賞必罰の権が臣下に移るのを厳しく戒めることにある。それらは主として奸臣の国政壟断という〔当時の〕状況に鑑みて発言したものだが,議論は公明正大で,確かに孔子の筆削の心に合致している。これは胡安国が時事問題に足下をすくわれ,ややもすれば経書の本義と乖離したのと異なっているし,また孫復のように,尊王と言いながら,必要以上に譏貶を加えるのとも異なっている。

陳振孫の『書録解題』には「胡銓は春秋科を受験して科挙に合格すると,〔師の蕭楚の下に〕もどり,寝台にひざまずいて〔合格を〕報告した。そのとき楚は,『学問は科挙合格のためにあるだけではない。身は殺されてもよい。しかし学問は辱めてはならぬ。我が春秋を汚さねばそれでよい』といった」とある。その後,銓は孤軍奮闘,正論をはき続け,その名誉は千年の後に輝いた。ならば師弟の春秋に対するものは,ただ口耳の学問ではなかったのだ。(*2)

本書の各篇には注があり,すべて蕭が書いたものである。それ以外にも,まま胡銓や他の弟子たちが書き加えたものがある。〔本書の編纂に於いては,〕蕭の注と胡銓の注に対して別個の表題をつけ,四庫官による校正〔の注〕はそれらの下に加え,三者に混乱のないようにした。(*3)

『四庫全書總目提要』巻26



(*1)『宋史』に蕭楚の傳はない。主なる史料は,胡銓の「清節蕭先生墓誌銘」(『澹菴文集』巻5。版本によって巻数は異なる),「春秋經辨序」(『経義考』巻184。版本によっては胡銓の文集にも収める),および下に見える曾敏行『獨醒雜志』巻6になる。
(*2)原文「非徒以口講耳受者矣」。直訳すれば,ただ口で講義し耳で受講するだけのものではない。哲学を学んで哲学研究者になったのではなく,哲学を学んで哲学者になったというような意味。
(*3)四庫本『春秋辨疑』によると,蕭楚の注には「原註」,胡銓らの注には「附註」,四庫官の注には「案」と,おのおの別個の表題が加えられている。
(*)ちなみに胡銓にも『春秋集善』なる書物が存在し,宋末元朝にまま引用を見る。同書は中国に現存するらしいが,著者未見につき詳細不詳。

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