スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

四庫提要(春秋類2)028

追記(2009/03/15):以下の翻訳はこちらのページ(別館:公孫樹内)に訳し直しました。

葉夢得『春秋讞』22巻

○永楽大典本

宋の葉夢得の撰。本書は三伝の是非を指摘したもので,そのやり方は「経文の記載を信じ,三伝を信じていない」というものである。これはなおも啖助や孫復の余波を承けたものである。〔本書は〕公羊・穀梁を多く論難しているが,左氏に対してすら,左氏伝の最後に「韓と魏が裏切って智伯を滅ぼした」という言葉があることから,「智伯が滅びたとき,左氏はまだ在世していたのだから,〔左氏は〕戦国の人間だ」と断定するように(そもそも経に続経があるように,伝にも続伝がある。夢得はこれをよく考えなかったのだろう。これについては『左伝注疏』のところで詳しく論じておいた),語気荒く三伝を排撃してる。

例えば,諸侯どうしの謁見は衰世のことだとし(*1),宰孔が晉の献公に与えた助言,および魯の穆姜の悔過の言葉はすべて牽強付会だとし(*2),天の十二次を十二国に配当することの誤謬を論じ(*3),夾谷の会で孔子が斉の景公〔の野望を〕阻止したことも,後世の仮託によるものだとし(*4),〔季孫氏らの〕郈と費を取りつぶしたのは,孔子の本意ではないといい(*5),諸侯〔が亡命したとき経文〕に出・入が記されるのは,善い場合もあれば悪い場合もあると論じたり(*6),諸侯が卒したとき,日を書す場合と書さぬ場合とがあるが,その全てが褒貶に関わるわけではないといい(*7),魯侯について〔〕経文に〕至と書される場合と否とがあるが,それらは凡例にこだわってはならないという(*8)。〔夢得は〕言葉巧みに〔三伝を〕論難し,得意気でもあるのだが,口の軽すぎる嫌いがある。経文の主旨に照らしても,合致するところもあれば乖離したところもあり,その全てが精確というわけではない。しかし自分の思い通りに文章を作り上げている。要するに文を作るのがうまいのである。

しかし〔本書の書名についてであるが,〕昔から「春秋を用いて獄を決した」(*9)とは言っても,「決獄の法を用いて春秋を修めた」とは言わない。書名に〔決獄を意味する〕「讞」の字を用いるのは不穏当である。そもそも左氏・公羊・穀梁はみな前代の経師であり,その功績は典籍に残っている。それに対して罪を裁くかのような態度を取るのは,名実において最も不適切である。これこそ宋代の学者が前代の学者を軽視していた証拠であり,決してまねしてはならぬものである。

『宋史』芸文志は本書を三十巻としている。また夢得じしんも「左氏は四百四十二条,公羊は三百四十条,穀梁は四百四十条」(*10)と言っている。しかしこの度たび『永楽大典』所載の佚文を調べ,さらに程端学の『春秋三伝辨疑』を参照し,〔両書の佚文を〕通計したところ,左氏は九十条を欠き,公羊は六十五条を欠き,穀梁は八十四条を欠いている。既に完本ではないようだが,概ね夢得の主旨は出そろっているようなので,ここに謹んで〔佚文を〕収集編成し,『左伝讞』十巻,『公羊讞』『穀梁讞』各々六巻にまとめあげた。

『四庫全書総目提要』巻27



(*1)『左傳讞』巻3,文1公孫敖如齊条。
(*2)『左傳讞』巻3,僖9諸侯盟于葵丘条,及び同襄3葬我小君穆条。
(*3)『左傳讞』巻6,襄28春無冰条。
(*4)『左傳讞』巻9,定10夏公會齊侯于夾谷条。
(*5)『左傳讞』巻9,定12公圍成公至自圍成条。
(*6)『公羊傳讞』巻2,桓15鄭世子忽復歸于鄭条。その他多数。
(*7)『公羊傳讞』巻1,隠3葬宋繆公条。
(*8)諸処にあり。直接の典拠を断定できず。
(*9)決獄:裁判のことだが,現代の裁判とは全く違うので,「獄」の文字を残しておく。
(*10)不詳。

スポンサーサイト

テーマ : 読書メモ
ジャンル : 本・雑誌

コメントの投稿

非公開コメント

カレンダー
07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
プロフィール

awatan

Author:awatan
HN:江藤清通
かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

自営サイト
最近の記事
カテゴリー
リンク集
全記事表示

全ての記事を表示する

FC2カウンター
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。