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四庫提要(春秋類2)029

追記(2009/03/15):以下の翻訳はこちらのページ(別館:公孫樹内)に訳し直しました。

呂祖謙『春秋集解』30巻
(呂本中『春秋集解』30巻)

○内府蔵本

宋の呂本中の撰。伝来の版本には呂祖謙の撰とあるが,それは間違いである。本中は字を居仁といい,好問の息子である。『宋史』の本伝には,靖康初年に祠部員外となり,紹興六年に進士を賜り,起居舍人に抜擢され,八年に中書舍人兼侍講となり,権直学士院となり,世の学者は東萊先生と呼んだとある。そのため趙希弁の『読書附志』には「本書は東萊先生の著わしたものである」とある。

後世の人々は,呂祖謙が朱子と交遊を持ち,最も有名であり,それ故にまた東萊先生とも呼ばれている〔ため,東萊先生というとすぐに呂祖謙を思い浮かべる〕が,本中の方は詩擅に名が知られ,しかも詩を作る人々は〔東萊先生ではなく〕多く呂紫微と呼んでおり,徐々に東萊と呼ばれなくなったために,本書〔の撰者〕を祖謙に変えてしまったのである。(*1)陳振孫の『書録解題』に本書を「本中の撰」と明記してあることを知らぬのである。(*2)

朱彝尊の『経義考』は訂正を志しながらも,『宋史』芸文志が〔現行本の三十巻と違って〕十二巻としていることに疑問を挟んでいる。しかし巻数の分合は古来いつも異同があり,本書だけがそうなのではない。ましてや振孫は「本書は三伝以下,諸学者の学説を集めているが,それは陸氏・両孫氏・両劉氏・蘇氏・程氏・許氏・胡氏の数人(*3)に過ぎない。学説の選択はきわめて精確であるが,自己の学説は全くない」と言っており,本書を調べるとこれに合致している。以上から,伝来の版本の撰著者名が間違っていたことが分かるのである。

ただ『宋史』芸文志は,本書以外に祖謙の『春秋集解』三十巻を標出しており,少しく矛盾があるようである。恐らくは,宋代末期の刊本は既に原本〔十二巻〕の巻数を〔三十巻に〕分け,呂祖謙の撰と改題しており,さらにそれが間違ったまま世間に伝わり,『宋史』もそれによって〔呂本中と呂祖謙を〕二重に標出したのであろう。祖謙の『年譜』はその著述を詳しく記載し,製作年月まで残しているが,『春秋集解』だけは記載がない。(*4)これもその確証と言い得るもので,他のことで疑念を挟むに足らない。

本中は『江西宗派図』を著し,また『紫微詩話』もあり,どちらも世上盛んに流通している。そのため世間では文士として知られているが,経学に対する理解もこれほどに深いものがあったのである。林之奇は本中に学問を受け,また〔之奇は〕その学問を祖謙に授けた。その学問の淵源には由来するところがあったのである。

『四庫全書総目提要』巻27



(*1)直訳すると以下の通り:「後世の学者は,呂祖謙は朱子と交遊を持ち,また最も有名であり,それ故にまた東萊先生と呼ばれているが,しかし本中は詩壇で名を知られ,詩を作る人々は多く呂紫微と呼んでおり,東萊の号が徐々に消えていったことから,本書を祖謙に移したのである。」なお,「後世の学者」は「本書を祖謙に移した」にかかる。
(*2)ここでいう『書録解題』は『文献通考』所引の『書録解題』で,永楽大典から輯佚した現行本の『書録解題』(殿版など)ではない。現行本『書録解題』は「呂祖謙撰」とある。
(*3)陸氏・両孫氏・両劉氏・蘇氏・程氏・許氏・胡氏は,順番に陸淳・孫復・孫覺・劉敞・劉絢・蘇轍・程頤・許翰・胡安國を指す。
(*4)真っ赤な嘘で,『年譜』は呂祖謙の他の重要著作を落としている。

*近年『春秋集解』は呂祖謙の作で間違いなく,四庫官の鑑定は間違っていると論断された。

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