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四庫提要(春秋類2)030

追記(2009/03/15):以下の翻訳はこちらのページ(別館:公孫樹内)に訳し直しました。

胡安国『春秋伝』30巻

○通行本

宋の胡安国の撰。安国の生涯は『宋史』儒林伝に詳しい。さて『玉海』には「紹興五年四月,徽猷閣待制の胡安国に命じた。――〔安国は〕経筵の旧臣である。〔……〕その撰著せるところの『春秋伝』を編纂させ,その完成を俟って進呈させよ,と。十年三月,書物が完成し,書物を進呈した。詔を下して褒め称え,宝文閣直学士を授け,銀弊を与えた」(*1)とある。ならば安国のこの書物は長らく原稿であったが,勅命によって提出を求められ,さらに五年の訂正期間をおいてようやく完成したものである。兪文豹の『吹剣録』には「本書は起草から成書に至るまで,初稿の一文字も残らなかった」(*2)と言うが,その心遣いもまた勤勉である。ただ本書は南渡の後に作られたため,当時の状況に発憤するところがあり,往々にして己の考えを春秋に仮託しており,その学説のすべてが経文の主旨に合致しているわけではない。朱子の『語録』にも「胡氏の『春秋伝』には牽強付会のところがあるが,議論は精神を開閉させるものがある」といっている。これもまた千古の定評である。

明朝初期に科挙の制度を定めた際,概ね元朝の方式に依拠し,程子と朱子を宗旨とした。しかし程子の『春秋伝』はわずか二巻分が完成したのみで大半が欠落しおり,朱子にも完成した書物がなかった。そこで安国の学問が程氏から出たこと,張洽の学問が朱氏から出たことから(*3),春秋〔の注釈〕には〔胡氏と張氏の〕二家を用いることになった。これはその淵源を重んじたのであって,必ずしも彼らの書著を決定的だと思ったわけではない。これ以後,洽の書物は徐々に用いられなくなり,ただ安国の書物だけが用いられるようになり,徐々に経文も打ち捨てられて読まれなくなり,ただ安国の書物だけを宗旨とするようになった。当時経義といっていたのは,実際には安国の解釈だけだった。そのため明朝一代の春秋学は最も劣悪である。馮夢龍の『春秋大全』の凡例には,「諸学者の議論はどれも胡氏に勝るものがある。しかし科挙で既に胡氏を重んずる以上,おのずから〔他の解釈を〕同じく収録して人の耳目を乱すこともできまい」と言っておれば,その当時の風潮も分かるだろう。

かくして〔明朝から〕本朝になると,経学を貴ぶようになった。その『欽定春秋伝説彙纂』は安国の旧説に対し,始めて多くの反駁や訂正を加えた。それは過失を棄て,優れたところを採ったもので,本書の精粋を摘み取り,原書をまとめきったものである。〔随って本書はもはや不要であるが,〕ただ世に流行すること既に久しく,完全に廃止してしまうことはできない。そこで謹んで校正を加えてこれを〔『四庫全書』に〕収録し,一家の言に備えることにした。これ以外に言うべきものもあるが(*4),『欽定彙纂』において既に余すところなく〔本書の優れたところを〕摘み取り,天下に明示したのであるから,ここではもはや論弁しない。

『四庫全書総目提要』巻27



(*1)『玉海』巻40に見える。『建炎以來繋年要録』巻88紹興五年夏四月甲辰条にも見える。〔……〕は『要録』による。
(*2)不詳。『胡氏伝家録』に似た記述がある。
(*3)胡安國は程頤私淑の弟子,張洽は朱熹の弟子。
(*4)原文「若其中紕漏之處」。

*なお『春秋大全』以前で通行本を利用したのはこの胡安國の『春秋傳』のみである。

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