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四庫提要(春秋類2)031

追記(2009/03/15):以下の翻訳はこちらのページ(別館:公孫樹内)に訳し直しました。

高閌『春秋集注』40巻

○永楽大典本

宋の高閌の撰。閌,字は抑崇,鄞県の人。紹興元年,上舍から選出されて進士を授かり,礼部侍郎などを歴任した。生涯は『宋史』儒林伝に詳しい。本書は程子の『春秋伝』を根本に置いたものであり,そのため冒頭に程子の序文を冠している。その学説は唐宋の諸学者の学説を集め,それを自己の見解に融合させたものであるが,一々依拠した学者の姓名を挙げていない。(*1)『宋史』には「秦檜は閌が張九成を推薦したことに疑いをもち,筠州知事として地方に出ることになったが,任地に赴くことなく卒した」とあるが,樓鑰の手になる本書の序文には「剛直な性格のために時の宰相と対立し,一たび排斥されると復帰することはなかった。家居すること累年,欲望のために心を乱すことなく,日課を定め,どんなときも改めなかった」とある。蓋し閌は家居すること久しく,その晩年の精力は全て本書に注がれたのであろう。『宋史』の叙述は〔家居後の経緯を〕詳述していないのだ。(*2)

閌は程頤の『春秋伝』を宗旨とした。しかし,例えば程子は漢の薄昭が淮南王に与えた書簡中に「斉の桓公は弟を殺した」との言葉があることから(*3),子糾を弟とし,斉の桓公を兄としたが(*4),閌は三伝および『史記』『漢書』の文章から,「子糾と小白はどちらも〔斉の〕襄公の弟であるが,糾は年長なのだから〔斉侯として〕即位すべきである」(*5)というように,全く阿附迎合するところなく,門戸の見にとらわれたところがない。(*6)他にも「衛人 晉を立つ」を解釈したところ,「夫人氏の喪 斉より至る」を解釈したところ,「済西の田を取る」を解釈したところなど,どれも深く聖人の微旨を体得したものである。また「向戌と劉に盟す(及向戍盟于劉)」を解釈しては,「そもそも〔魯国に〕来聘して盟を行った場合,必ず〔魯の〕国内のことである。劉というは王畿の領地である。魯に来聘しておいて,遠く〔周の領地である〕劉で盟を行うものがあろうか。恐らく,下の経文に『劉夏』というのがあるので,伝を作ったものは,〔劉夏の夏を〕春夏の夏だと思い,また文公四年の経文の『夏,婦姜を斉に逆う(夏,逆婦姜于齊)』とも構文が同じだというので,間違って〔この経文に〕『于劉』の二字を書き加えたのだろう」といい(*7),また「州蒲」を「州満」の誤植であるとするなど(*8),どの発言も一説として備えるに十分である。

ただ隠公元年の「防に会す」の防は琅邪華県の東南にあり,十年の「防を取る」の防は高平昌邑県の西南にあり〔別の地名であり〕,また文公十二年の「諸及び鄆に城く」の鄆は城陽姑幕の南にあり,成公四年の「鄆に城く」は東郡廩邱県の東にあ〔り別の地名であ〕るが,閌はすべて同じ地名だとしている。これらは少しく考証に不備があるのを免れない。(*9)

原書は久しい以前に散佚したが,まだ佚文が『永楽大典』に散見する。そこで謹んで編集配列し,一書にまとめあげた。(*10)『永楽大典』にもともと欠落しているところは(*11),各書に引用された閌の学説を集めて増補した。〔できあがった書物の〕首尾は完具しており,再び完全な書物になった。陳振孫の『書録解題』は本書を十四巻とするが(*12),この度の編纂では紙数の煩雑を鑑みて四十巻に分けた。また『宋史』の本伝は閌に『春秋集解』があったとするが,『永楽大典』は確かに『集注』としているし,『書録解題』とも合致する。ならばこれが宋代の刊本の原題なのだろう。この度は〔『集注』の原題に〕従った。また本書記載の経文は多く左氏に従うが,まま公羊と穀梁の〔経文を引くこと〕もある。蓋し宋代の学者は往々にして三伝を兼ね取り,漢代専門の学とは異なるのだろう。(*13)

『四庫全書総目提要』巻27



(*1)書前提要は「故其序直引伊川傳序,而無片語附益。其于唐宋諸家之説,亦多擇善而從,鎔以己意,不載各書之名,體例畧與胡安國『春秋傳』相似」とある。
(*2)書前提要は「故當時學者甚重之」とする。
(*3)『漢書』巻44(淮南王長伝)に見える。
(*4)程頤の子糾を弟とする考えは『河南程氏遺書』に散見するが,『漢書』淮南王長伝を直接の根拠とはしていない。例えば「齊侯死,公子皆出,小白長而當立,子糾少亦欲立。管仲奉子糾奔魯,小白入齊既立,仲納子糾以抗小白。以少犯長,又所不當立,義已不順。既而小白殺子糾。管仲以所事言之則可死,以義言之則未可死。故春秋書『齊小白入於齊』,以國繋齊,明當立也。又書『公伐齊納糾』(原注:二傳無子字),糾去子,明不當立也。至齊人取子糾殺之,此復繋子者,罪齊大夫既,盟而殺之也」(『遺書』巻2上,東見録,君實修資治通鑑云々条)とあるように,経文に「糾」とあるか「子糾」とあるかに依拠している。
(*5)荘9齊小白入于齊条。但し高閌の解釈は『史記』『荀子』に直接依拠した旨を記さない。(*6)の書前提要の方が正しい書き方である。
(*6)書前提要は「書中大旨,雖宗程傳,而亦間有異同者。如子糾、齊桓,長幼之次,三傳注疏,並以糾為兄,桓為弟,與『史記』『荀子』所載同。獨程子見漢薄昭與淮南王書有齊桓殺弟之文,遂謂糾為桓弟。不知當薄昭時,漢文于淮南為兄,其避兄言弟,特一時遷就之語,未可據依。閌則云:『子糾、小白皆襄公弟,糾於諸弟最長當立』。實足以正程傳之失」とする。
(*7)書前提要は「所見創闢而確鑿尤為,自來説春秋者所未及」とする。
(*8)書前提要は「又如以子般卒為善終,以州蒲為州滿之訛,考核精詳,亦非漫然立異者」とする。
(*9)書前提要は「然在宋代春秋詩家中,正大簡嚴,實可與張洽相匹,非孫復、崔子方輩所可幾及。故『欽定春秋傳節彙纂』採取最多」を加える。
(*10)書前提要は「特是有明以來,其書久佚,『彙纂』所録,祗就元以後諸書引用閌説者,隨條摘入,而海内究以未覩全書為憾。今幸直聖代右文,蒐羅秘籍,是書之散見『永樂大典』内者,復可薈萃成編,謹按次排比,是正訛舛」とする。
(*11)原文「其永樂大典原闕者」。四庫全書編纂当時の『永楽大典』の欠落部分という意味だと思われるが,『永楽大典』原本そのものに未引用の高閌の学説という意味にも取れる。いずれにせよ『永楽大典』は四庫全書編纂当時には僖公と襄公の後半が欠落していたので,その部分は他書(主として『欽定春秋伝説彙纂』)によって増補されている。
(*12)書前提要は「陳振孫『書録解題』,馬端臨『文獻通考』倶稱是書十四卷」とする。
(*13)原文「不盡如漢世專門之學也」。如は「しく」とも読めるが,書前提要に「蓋唐宋諸儒解經,大都兼采三家,固未可以漢世專門之學律之也」とあるのに従う。

*異様に書前提要と差異があった。立論の主旨はどちらも同じだが,総じて書前提要の方が読みやすく正確である。ただし長い。申し訳ないが(?),疲れるので書前提要の異同部分は翻訳しない。また提要引用の経文注記も煩瑣なので省略した。
*本書は春秋学の歴史に言及されること少ないが,宋末から明初にかけて非常に注目された学説だった。書前提要の「故當時學者甚重之」は重要な指摘だが,総目提要では当たり障りのない言葉に変えられている。

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