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四庫提要(春秋類2)032

追記(2009/03/15):以下の翻訳はこちらのページ(別館:公孫樹内)に訳し直しました。

陳傅良『春秋後伝』12巻

○両江総督採進本

宋の陳傅良の撰。傅良,字は君挙(傅良を傳良とする場合があり,版本の間で異同がある。しかし傅良の字を君挙という以上,それは「傅説は版築に挙げらる」(*1)から取ったものだろう。そのためここでは「傅」の字を正しいと認めたい),号は止斎,温州瑞安の人。乾道八年の進士。官は中書舍人・宝謨閣待制になった。諡を文節という。生涯は『宋史』本伝に詳しい。

本書について,門人の周勉の跋文には「傅良は本書を認め,脱稿まぎわになって病に倒れた。学者らはその書物を少しでも速く目にしようと,人を雇って書き写させた。しかし傅良が既に削除した部分を編中に留めたり,増訂した部分を削除してしまっていた」とある。ならば現在伝わるものは,既に傅良の完本ではない。

趙汸は『春秋集伝』自序で,宋代の春秋学者の中で陳傅良を最も推奨してこう言った。――「君挙は公羊と穀梁の学説に左氏の学説を加え,経文に記述のない事柄を左氏の記述によって充たし,左氏に記述ある事柄によって経文に記述のない意味を明らかにした。(*2)これこそ春秋を学ぶものの要点であり,三伝以後では卓然と名家たるを失わぬ。しかし惜しむらくは,左氏の記録を魯史の旧文だと勘違いし,策書に書式あることを悟らなかった。夫子(孔子)が筆削を加わえた部分は左氏も分からなかった。左氏はまず不書の例(*3)を載せているが,これらはすべて史書の書法(*4)である。筆削の旨ではない。公羊と穀梁は〔経文に〕理解できない所があれば,いつも「不書」によって解決しようとするが,これは確実に左氏と違う一派なのである。陳氏はそれら〔公羊・穀梁と左氏の異なる学説〕をない交ぜにして〔聖人の微旨を〕求めているが,これは根本的に間違っている。そのため左氏の記録する事柄で経文に記述のものに対して,すべて夫子が筆削を加えたところだと言っている。しかしそれらは聖人〔の微旨に〕に合致しないものが多い云々」。(*5)

しかし左氏は春秋のために伝(*6)を作ったのであり,策書(*7)のために伝を作ったのではない。『左氏伝』にある「某々のために経文に記述がない」は,経文の本旨を理解できていないところがあるにはある。しかしこれを「必ずや史書の書法を解明するために〔左氏が〕書いたのだ」というなら,それは事実といえまい。ましてや不修春秋の二条は公羊伝になおも伝文がある。左氏が見ていないことなどあり得ない。恐らくはいずれも傅良の病弊というに当たるまい。ただ公羊と穀梁を左氏に混ぜたという指摘だけは,傅良の誤謬を鋭く衝いたものといえるだろう。

王弼が象数を排除して以後,易を論ずるものは日一日と増え,啖助が三伝を排除して以後,春秋を論ずるものは日々増大した。そのため五経の解釈の中,易と春秋の二つだけは著書が多い。〔春秋を解釈するに〕空論が容易であったこと,ここにおいても明白な根拠を見つけられるというものである。(*8)傅良は憶説が猖獗を極める時にあって,ひとり旧来の学説を基礎に聖人の微旨を研究した。樓鑰の序文には,「傅良は門弟の中で三伝に習熟したもの三人――蔡幼学・胡宗・周勉を選び,地方官として任地に赴くときは,いつもその中の一人を連れて行った。彼らは諮問に応ずること響きのようであった」とある。傅良の研究は詳細を究めたものと言うべきであろう。また本書は多くの新解釈を提起しているが,解釈の下には必ず「これは誰某の説によった。これは誰某の文である」と記しており,その引用も極めて博い。このようなやり方が広まれば,餓鬼のように褒貶を論ずる世間の口を止めることもできよう。

傅良には別に『左氏章指』三十巻がある。樓鑰の序文は〔『後伝』と『章指』の〕二書をあわせて言ったものであろう。(*9)朱彝尊の『経義考』は「未見」と記している。現在,『永楽大典』にはなおもその梗概を残しているが,既に欠落が多く一書にまとめることができない。だから〔四庫全書に〕収録しなかった。(*10)

『四庫全書総目提要』巻27



(*1)『孟子』告子下。傅説は土木工事の人足から抜擢されたの意。
(*2)原文「以其所不書實其所書,以其所書推見其所不書」。「其」が何を指すのか難解だが,恐らくこれは樓鑰の序文にある「若左氏或以為非為經而作。惟公以為著其不書以見春秋之所書者,皆左氏之力」をもとにしたものであろう。
(*3)不書:(1)聖人が経文に記述しなかった事柄,もしくは(2)聖人によってある事柄が経文に記述されなかった理由,あるいは(3)それらの規則・不規則的表現を意味する。時にそれらの全てを含む漠然とした意味に用いられる。
(*4)史法:歴史書の書き方。中国古文の正式な歴史書を見たことのない人には分かり難いが,歴史書は書き手の思いを自由に表現するものではない。一定の格式があり,その格式に則って歴史事実を記述するものである。その格式のことを史法と呼ぶ。
(*5)ややこしいので趙汸『集解』の原文を載せておく。「至永嘉陳君舉,始用二家之説,參之左氏,以其所不書實其所書,以其所書推見其所不書,為得學春秋之要,在三傳後,卓然名家。然其所蔽,則遂以左氏所録為魯史舊文,而不知策書有體。夫子所據以加筆削者,左氏亦未之見也。左氏書首所載不書之例,皆史法也。非筆削之旨。公羊、穀梁毎難疑,以不書發義,實與左氏異師。陳氏合而求之,失其本矣。故於左氏所録而經不書者,皆以為夫子所削,則其不合於聖人者亦多矣」。簡単(?)に言うと,左氏と公羊・穀梁は両者ともに「不書」を解釈の根拠にしているが,左氏はそれによって策書の書法を解明しようとしたのであり,対して公羊・穀梁は経文の微旨を解明しようとしたものである。ところが陳傅良は左氏と公羊・穀梁が同じく「不書」を利用していることから,左氏の「不書」と公羊・穀梁の「不書」を同じものだと考え,三つをない交ぜにした,ということになる。
(*6)伝:春秋の解釈書のこと。
(*7)策書:国史編纂の基礎になった公文書・辞令書。春秋の場合でいえば,魯史のもとになった公文書を指す。ただし国史を指すこともあり,ここでは魯の国史を指すと思われる。
(*8)ここに‐は著書の数を指す。
(*9)樓鑰の序文が「春秋後傳左氏章指序」とあって,二書を繋げていることによる。
(*10)この四庫官の判断には疑問がのこる。恐らく四庫官の見た『左氏章指』は残闕本ではなく,完本に近いものであったろう。理由はいろいろあるが,またいずれ機会があればということで。

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