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四庫提要(春秋類2)037

追記(2009/03/15):以下の翻訳はこちらのページ(別館:公孫樹内)に訳し直しました。

魏了翁『春秋左伝要義』31巻

○江総督採進本

宋の魏了翁の撰。これも了翁の手になる『九経要義』の一つである。本書は注疏の文を節録したもので,条文の前に各々標題を付し,〔注疏の〕論述の流れにそって配列しており,他の『要義』と体裁は同じである。

了翁が李明復の『春秋集義』に与えた序文には,「私はむかし諸学者の解釈を読んだおり,本朝の先賢が「〔春秋は〕経世の大法,伝心の要典(*1)だ」と指摘したところに出会い,いたく心が引き締まった。そこで〔諸学者の解釈を〕集めて経文の下に並べてみたが,なおも読書の幅が狭くはないか,〔学説の〕取捨が不適切ではないかと悩み,あえて軽々しく世間に出さなかった。李君は一足早く私の願いをかなえ,本書〔『春秋集義』〕を作った云々」とある。ならば了翁も〔李明復と同じく〕諸学説を集めて春秋に注釈しようとしたのであろう。その注釈書こそ完成しなかったが,了翁が注疏から選んだ部分はなおも本書に示されている。

〔本書の編纂方針は,〕疏文の中,日月名字の曲説(*2)やあまりにも煩瑣な部分は,概ね削除しており,収録していない。また〔左氏伝に見える〕各地の産物や各国の制度についても,煩瑣なものは削除し,要点だけを挙げている。そのため〔注疏の〕論旨は読みやすく一貫したものになっている。蓋し左氏伝は詳しく制度を記述しており,現在でもこれをたよりに三代の文章や礼楽を知ることができる。公羊や穀梁が遠く左氏に及ばぬのはこのためである。了翁の編集もその要領を得たものと言えよう。

本書の原本は六十巻であり,朱彝尊の『経義考』は未見とする。この本はわずか三十一巻を残すだけで,巻末に「万暦戊申中秋後三日,龍池山樵の彭年の手跋」の一文がある。そこには「当時の板本は不完全で,後の世に残すべき原本も存在しなかった。しかし甘泉先生はこの三十一巻本をお持ちで,懐古閣に収蔵しておられた。〔先生はその本を〕お出しになると私に示された。これにちなみ,巻末に数語の跋を識しておく」とある。ならばこれも稀覯本である。

しかし甘泉は湛若水の号である。若水は弘治乙丑の進士に合格し,万暦戊申の年までおよそ一百四十年,とうてい生きてはおるまい。〔また跋文の著者の〕彭年と文徴明とは姻戚にあたるが,王世貞がその詩稿に寄せて云うには,「年の死後,一族のものがその遺稿を売りに出した」とある。ならば万暦末年には〔年も〕生きていなかった。かつ『九経要義』はどれも注疏を節録したものであるが,跋文には「その訂定は精密で,先学の未だ説き及ばぬところがある」とあり,本書の内容と全く合致しない。恐らくは残本がたまたま残っており,好事家がこの跋文を偽造し,しかも年月を精査しなかったものだろう。

『四庫全書総目提要』巻27



(*1)經世之大法傳心之要典:世を治める大いなる法典であり,かつてこの天下を正しく統べられた聖人の心を記した重要な典籍という意味。胡安國の言葉。
(*2)日月名字之曲説:日月の例と称謂の例のこと。経文に日・月・時が書かれてあるか否かで春秋の意味を探る技法を日月の例といい,経文に姓名,官名,字が書かれてあるか否かで春秋の意味を探る技法を称謂の例という。魏了翁はこれらの学説を認めなかったのであろうが,宋代の専門家では普通のことなので,魏了翁の創建でもなんでもない。

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