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四庫提要(春秋類2)041

追記(2009/03/15):以下の翻訳はこちらのページ(別館:公孫樹内)に訳し直しました。

張洽『春秋集注』11巻『綱領』1巻

○江西巡撫採進本

宋の張洽の撰。洽,字は元徳,〔臨江軍〕清江の人。嘉定年間に進士となり,著作佐にまでなった。端平元年,洽が家に籠もって著作に励んでいることを知った朝廷は,臨江軍の守臣に命じて礼遇の意を示し,紙札を与えて書き写させ,書物を献上させた。(*1)かくして上呈に及び,洽に知宝章閣(*2)を授けた。たまたま洽が死んだので,文憲なる諡を授け,その書を秘閣に蔵した。

本書の冒頭には洽の進書状があり,みずから「漢唐以来の諸学者のあらゆる議論を調査研究し,それらの中で聖人の意を明らかにするに足るものは毎条の左に附し,これを『春秋集伝』と名付けた。既にほぼ『集伝』が完成したにちなみ,先師文公の『論語』『孟子』の書(*3)にまね,諸学者の確論を集め,それらを撰述して『集注』を作った云々」と言っている。

朱子の『語録』によると,胡安国の「夏時を周月に冠した」なる学説(*4)を厳しく批判している。〔朱子の弟子である〕洽の本書も〔春秋に見える春王正月の〕春を建子の月(*5)としている。これは『左氏伝』の王周正月の所説と合致しており,支離滅裂の害を破るに足るものがある。車若水の『脚気集』には,洽が〔胡安国の学説を〕改めて〔旧来のまま〕周正に従ったのは間違いだと厳しく批判しているが(*6),これは門戸の見であり,全く依拠するに足りない。しかし若水の発言(*7)――「春秋の一書は事実が判断できない。孔子が甦ることでもなければ,〔春秋の〕当時の事柄と〔春秋経文に示された孔子の〕褒貶・取捨の意味合いなど分かりはしない。〔張氏は〕『集注』を作って事実を判断しているが,これに『論語』『孟子』のやり方をまねるのは無理である。『論語』『孟子』は道理を説いたものだが,春秋は事柄を記したものだからだ。例えば〔春秋の〕冒頭部分にも不明なところがある。〔隠公元年の経文に〕「恵公仲子」とあるが,これは「恵公の仲子」だろうか,それとも「恵公と仲子」だろうか。(*8)〔同じように〕「尹氏卒」とあるが,これは一説に婦人だと言い,一説に天子の世卿だと言う。(*9)学者らが〔世卿だとみなし,〕これは世卿を譏ったものだと言うのは,確かに立派な意見である。しかし恐らくは郢書燕説の類(*10)で,道理としては正しくても,事柄としては間違いである云々」は,洽の〔本書の〕欠点を適切に論評したものである。(*11)要するに優れところを残せばよいのである。

明の洪武年間に本書は胡安国の『春秋伝』とともに学官に立てられた。しかし永楽年間に胡広らは汪克寛の『纂疏』を剽窃して『大全』を作ったが,それは胡安国の『春秋伝』を中心としたものだった。これは科挙の教科書に採用され,かくして洽の本書は用いられなくなった。現在,本書の遺本がわずかに伝わるのみで,その所謂『集伝』は失われた。(*12)

『四庫全書総目提要』巻27



(*1)この文句は本書冒頭に附された張洽の状を参照して綴ったもの。
(*2)『宋史』本伝(道学伝)には「卒後一日,有旨除直寶章閣」とある。そもそも知宝章閣などという館職は存在しない。なお秘閣蔵書の記事は本書冒頭の臨江軍牒や省箚に依る。
(*3)朱熹の『論語集註』『孟子集註』を指す。朱熹は『論語精義』『孟子精義』を作って程門諸家の学説を集め,その確論を集めて論述を加え,『論語集註』『孟子集註』を作った。(本当はこれに『論語或問』と『孟子或問』が加わるが,ややこしくなるので省略する)
(*4)夏時を以て周月に冠するの説。一般に夏時説と呼ばれるもの。夏時は旧暦の四時(四季)を指し,正月・二月・三月を春,四月・五月・六月を夏,七月・八月・九月を秋,十月・十一月・十二月を冬とする。周月は周代の暦の月のことで,夏代の暦の十二ヶ月から二ヶ月づれた十二ヶ月を指し,夏暦の正月の二ヶ月前の十一月が周暦の正月となり,夏暦の二月は周暦の十二月,三月は一月......となる。ちなみに夏暦はだいたい旧暦と同じ。胡安國の夏時を以て周月に冠するの説は,春秋は周暦の月に夏時をかぶせたものである,との説を意味する。この学説には大きい矛盾が存在し,説明すると却って混乱するので省略する。知りたい人は『三正考』でも読んでください。いずれにせよ胡安國の学説を認めるか否かで,南宋から明朝初期の春秋学界は真っ二つに分かれた。
(*5)春を建子の月云々は,春秋に書される春王正月の「春」は建子の月=周暦の正月(夏暦の正月の二ヶ月前)の上に冠したものという意味で,普通の春秋学説を採ったことを意味する。
(*6)『脚気集』程子春秋傳春王正月正月条を指すと思われる。四庫提要は『脚気集』提要でも「其論詩攻小序,論春秋主夏正,論禮記掊擊漢儒,皆堅持門戸之見」と指摘する。ちなみに四庫官にとって,この胡安國の以夏時冠周月説を認めたか否かが,その学者の価値を計る重要な試金石となっている。
(*7)『脚気集』張主一有春秋集註集傳条に見える。
(*8)惠公仲子:左氏伝と公羊傳は「惠公と仲子」と訓むが,穀梁傳は「惠公の仲子」と訓む。
(*9)尹氏卒:公羊傳と穀梁傳は尹氏を天子の大夫とする。公羊傳は「尹氏とは何ぞや。天子の大夫なり。其の尹氏と称うは何ぞや。貶するなり。曷為れぞ貶す。世卿を譏るなり。世卿は禮に非ざればなり」とある。左氏伝の経文は「尹氏卒」ではなく「君氏卒」で,左氏伝はこれに対して「聲子也」とする。声子は隠公の夫人で,隠公が正君の位に即かなかったため,夫人も正君の夫人として葬らなかったことにちなみ,経文は「君氏」と書したとする。
(*10)原文は舉燭尚明之論。郢書燕説(こじつけ)のこと。
(*11)要するに,張洽が春秋を説くのに論語孟子をまねたことを譏ったもの。論語孟子は道理の書であるが故に,道理の正当を推し極めればそれで正しい解答を得られはする。しかし春秋は事柄を記した書物である。間違った事柄に依拠しても,立派な意見は言える。逆に言えば,立派な意見だからといって,依拠した事柄が正しいとは限らない。春秋の事柄と孔子の筆削が明らかにし得ない以上,どれほど立派な意見でも,その正当性は保証できず,往々にして穿鑿やこじつけに陥る。よく言えばそうも読み得るというだけで,そのように読むことが正しいとは言えない。張洽がああだこうだと道理を議論しても,春秋の事柄は分からず,事柄が分からない以上,張洽の説く道理も結局は空論に陥るというのであろう。......まあ,原文よりも長い注釈になるのは,著者よりも私の頭が悪いからだろうな。
(*12)『春秋集傳』は一部現存しており,阮元の『四庫未収書提要』に提要がある。『続修四庫全書』などに収録。

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