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四庫提要(春秋類2)046

追記(2009/03/15):以下の翻訳はこちらのページ(別館:公孫樹内)に訳し直しました。

呂大圭『春秋或問』20巻
(附『春秋五論』1巻)


○両江総督採進本

宋の呂大圭の撰。大圭,字は圭叔,号は樸卿,南安の人。淳祐七年の進士。朝散大夫・行尚書吏部員外兼國子編修実録検討官・崇政殿説書にまでなり,興化軍知事として地方に出た。かつて『春秋集伝』を著したが,現在既に散佚している。

この『或問』二十巻は『集伝』の主旨を解説したものである。主として三伝の中では左氏と穀梁に従うことが多く,公羊を厳しく批判し,何休の『解詁』に対しては最も強く排斥している。三伝の中,事績については左氏が最も備わり,義理については穀梁が最も深い。ところが公羊は多くの経師の手に成り,特に偏見が多い。何休の『解詁』は讖緯説(*1)に牽かれ,無用な詮議立てが最も多い。大圭の〔左氏・穀梁・公羊の〕三家に対する論評は確かに嘘ではない。〔宋代の〕諸家が三伝を捨てて経文のみに従っ〔て聖人の主旨を理解しようとし〕たことに比べれば,確かに全くの別物である。

もう一つの著書である『五論』は,第一に孔夫子が春秋を作った理由を論じ,第二に日月褒貶の例を批判し,第三に特筆を論じ,第四に三伝の長所と短所を論じ,第五に世変を論じている。(*2)程端学は「『五論』は明白正大であるが,証拠として引く春秋の事績に,まま経文の意図と合わぬところがある」と指摘した。(*3)現在,『或問』を調べてみると,これも経文の意図とかなりの相違がある。〔大圭は〕概ね議論に長じ,考証は不得手だったのであろう。

しかし大圭は後に徳祐のはじめ,興化軍知事から漳州知事に移ることになったが,まだ移転の前に元朝の軍隊が到着した。そこで沿海都制置の蒲壽庚が城ごと降伏すると,大圭は節義を守って〔降伏に反対して〕殺された。その生き様は千古に光り輝き,深く春秋の義を知ったものと言わねばならない。(*4)本書には「分義を明らかにし,名実を正し,機微を明らかにすることを聖人の特筆とする」と言うが(*5),その推論は忌憚なく,大義は凛然,確かに人倫や名教を護持したものである。章句の学などで律すことなどできないのである。

『四庫全書総目提要』巻27



(*1)讖緯は予言書のこと。正確には讖は予言書を指し,緯は経書の補助的解釈書を意味するが,ここではそれほど深い意味はない。讖緯に牽かれたとは,何休が讖緯の学説を利用して春秋を解釈したことを指す。讖緯説を利用するというのは,宋代以後では極めて評判が悪く,もっとも駄目なものの中の更に駄目なものという意味合いを持つ。いずれにせよ,腐されていると思ってもらえばいい。
(*2)第四と第五は逆。板本間の相違も考えられるが,呂大圭の論述方法からして,恐らく四庫官の過誤であろう。
(*3)程端学の緒論は『春秋本義』の通論第三条に見える。ただし程端学その人の解釈にも相当問題があるので,呂大圭に対する批判が正当か否かは別の問題である。ちなみに程端学氏は呂大圭の『五論』をまるまる『本義』綱領に引用するが,第三論文の特筆のみは大幅に手を加えて,呂大圭の論旨を滅茶苦茶にしている。
(*4)一応注釈を入れておくと,春秋は大義を最も重んずる。従って大義に殉じた呂大圭は,春秋を深く理解していたということ。春秋の大義を講じながら,敵兵を前に降伏する輩は,春秋を知らぬ人間である,という意味の裏返しでもある。
(*5)『五論』第三論文に見える。

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