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四庫提要(春秋類2)047

追記(2009/03/15):以下の翻訳はこちらのページ(別館:公孫樹内)に訳し直しました。

家鉉翁『春秋詳説』30巻

○両江総督採進本

宋の家鉉翁の撰。鉉翁,号は則堂,恩蔭によって官を授けられ,後に進士出身を与えられた。端明殿学士・簽書枢密院事にまでなった。生涯は『宋史』本伝にある。本書には龔璛の跋文があり,「至元丙子に宋が亡び,〔元兵は〕則堂先生を連行して帰還し,瀛州に抑留すること十年,本書が完成した。瀛州から宣州に遷り,友人の潘公従大に収蔵を依頼した」という。『宋史』の本伝には,「鉉翁は河間にいたとき,弟子に春秋を教授した」とある。河間は瀛州のことである。また鉉翁の『則堂集』には弟のために作った志堂説があり,「私は燕から瀛に来たり,年来の春秋の学業を卒え,『集伝』三十巻を完成させた」とある。篇末には「甲申正望」とある。(*1)甲申は至元二十一年である。上は宋の滅亡からおよそ十年,璛の跋文にいう十年と合致する。下は元貞元年に号を与えられ帰郷を許されたときまで,また十年(*2),璛の跋文にいう瀛に本書が完成したことに合致する。ただ鉉翁じしんは〔本書の書名を〕『集伝』とするが,この本は『詳説』という。後に書名を改めたのであろうか。

鉉翁の主旨はこうである。――春秋は王法を明らかにすることが目的であり,事柄を記すことは目的ではない。〔経文の中,〕詳略があったり,書いたり書かなかったりするのは(*3),原則として〔聖人が〕褒めたり貶したりしたところである(*4)。要するに,聖人が心法を寓したところを探りあて,その後に諸学説を研究し,その正しきを求めることにある,と。そのため鉉翁の議論は公正であり,道理にも明らかである。筆誅に目を眩まされた孫復や胡安国らの及ぶところではない。鉉翁は河間にいたとき,仮館詩を作り,「生涯の著作は決して多くないが,伝うべきものがあるとすれば春秋と周易だ」と言った。本書の結論を固く信じていたのであろう。現在,本書のみ存在し,周易については考える術がない。

『四庫全書総目提要』巻27



(*1)不詳。通志堂本にはない。
(*2)至元21年から貞元元年まで11年。
(*3)春秋経文は同じ事柄を書すのに,時に文字を費やし(詳・書),時に短く書くこと(略・不書)があるが,なぜこのような差異があるのか,というのが春秋学上の重要なテーマに数えられる。家鉉翁は記事の詳略に孔子の筆削を見たということ。
(*4)原文は「抑揚予奪」。ここでは褒貶とほぼ同じ意味。

(*)書前提要には少しく異同がある。大きい違いは,孫復らは家鉉翁に及ばぬ云々の後,「ましてや鉉翁の生き様は宋末の錚錚たるものである。その人によってその言葉を重んずるのであれば,本書は軽々しく廃してよいものではない」とある。

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