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総目提要(春秋類2)048

追記(2009/03/15):以下の翻訳はこちらのページ(別館:公孫樹内)に訳し直しました。

陳深『読春秋編』12巻

○内府蔵本

宋の陳深の撰。深,字は子微,平江の人。かつて住居に清全斎と名付けたにちなみ,それを号とした。朱彝尊の『経義考』には盧熊の『蘇州志』を引いて次のように言う。――「深は宋の時代に生まれた。宋が滅ぶと,古学に打ち込み,門を閉ざして著述に励んだ。天暦のとき,奎章閣の臣僚が能書家として朝廷に推薦したが,〔深は〕隠遁を決め込んで朝廷に出向かなかった。」鄭元祐の『僑呉集』には深の次子の植の墓誌がある。(*1)そこには,植は至正二十二年に享年七十で死んだとある。ならば植は至元三十年癸巳に生まれたことになる。また〔元祐〕自身の言うところによると,植より一歳年長で,深より三十数歳若い(*2)とある。ならば深の生年は開慶から景定のころに当たる。ならば〔深は〕宋が滅んだとき,まだ二十歳前後だったはずである。だから天暦になってもまだ生きていたのだ。〔深の〕著書には『読易編』『読詩編』があったというが,現在両書ともに不明である。本書だけが僅かに現存している。

深の学説は,概ね胡氏を宗旨とするが,左氏も参照している。恐らくは,左氏は魯の国史を基礎としており,その発言には必ずや根拠があり,公羊や穀梁の伝聞による疑わしいものとは違うのだ,というのであろう。これを喜んで空言を弄んで春秋を論評し,遂には事実までも疑い,〔三伝を〕高閣に捨て置くに至った他の宋代の学者に比べるならばどうであろう。〔本書に〕新味はないが,よく事実を研究し,浮つき気負った意見もなく,伝を蔑みして経のみで〔聖人の微旨を〕求めるような空論もなく,篤実な態度である。平凡だからといって忽せにしてはならない。

『四庫全書総目提要』巻27



(*1)以下,鄭元祐『僑呉集』巻12,慎獨陳君墓誌銘。
(*2)四庫本の慎獨陳君墓誌銘には「先生長予廿餘年」とあり,二十歳年長となっている。なお『宋人伝記資料索引』は1260―1344とするが,訳者未見の資料につき,是非は判断できない。

(*)年号を書いておく:
至正:1341年~1367年(元,順帝)
開慶:1259年(南宋,理宗)
景定:1260年~1264年(南宋,理宗)
南宋滅亡の時期は見方によって異なるが,だいたい1275年~1279年のころ。

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