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四庫提要(春秋類3)065

追記(2009/03/15):以下の翻訳はこちらのページ(別館:公孫樹内)に訳し直しました。

趙以寧『春王正月考』2巻

○両江総督採進本

明の張以寧の撰。以寧,字は志道,古田の人。元の泰定丁卯の進士で,翰林侍講学士にまでなった。明になっても故官のままだった。(*1)洪武二年,安南王冊封の使者となったが,その帰路に死んだ。生涯は『明史』文苑伝にある。史書(*2)には,「以寧は春秋によって優秀な成績で科挙に合格し,学問の中でも春秋にもっとも精しく,また自得するところも多かった。著書の『胡伝辨疑』は特に優れた批判書だったが,『春王正月考』はまだ完成できないでいた。安南を訪れたとき,半年に及んでようやく完成させた」とある。現在『胡伝辨疑』は散佚してしまい,本書だけが残っている。

そもそも三正は交互に改められ,時と月もそれに従って改められた。経文は「正月」を「王」に繋げているのだから,周正であることは論を待たない(*3)。正月と正歳の二つの名称が『周礼』に載っているが(*4),両正を並用するのも周室のやり方である。左氏が伝にて特に「王周の正月」と指摘しているのだから,正月が建子(*5)であることは疑いないことである。漢朝以来これに対する異議もなかった。

唐の劉知幾は『史通』の中で始めて春秋を夏正だと言ったが(*6),その説を信じるものなどいなかった。程子が〔『論語』に〕「夏の時を行う」とあるのに泥んで〔夏正説を唱えて〕からというもの(*7),程子の盛名の下,多くの人々が〔夏正説を〕弁護するようになった。かくして胡安国はついに「夏時を以て周月に冠す」なる学説を実践し,程端学は『春秋或問』を著して頑なにこの学説を守ろうとし,梅賾の僞書(*8)を根拠として支離滅裂な言辞を弄した。しかしそれらは証明すべく弁解すればするほど,ますます滅茶苦茶になっていった。

そもそも左氏が虚言に陥り,偶然に真を曲げることは確かにないわけではない。しかし現王朝の正朔などは女子供でも知っているのである。左氏が間違うはずがない。もし程子が言うように左氏を秦の人だとしても,〔秦は〕周末からわずか数十年しか経っていないのである。そうも早く前代の正朔を忘れるとは考えられない。しかし異説が横行してしまい,真実が分からなくなってしまったのである。ところが以寧は五経を軸に『史記』や『漢書』を参照して本書を書き,数百年の疑案を氷解させたのだから,優れた見識の持ち主だと言わねばならない。

春秋の時代,かつての帝王の子孫ら(*9)には,先代の正朔を用いることを許していた。だから宋は商正(*10)を用いていたが,これは長葛に対する左伝によって確認することができる(*11)。諸侯の国にも夏正を用いたものがあった。だから左伝が晉について書く場合,いつも二ヶ月のずれが生じているのである。古籍の記述にもまま〔周正との〕ずれが確認できる。後代の学者の批判はここに原因があったのである。

以寧はこのずれの根本的原因を衝き得ておらず,さらには『尚書』の伊訓・泰誓の諸篇は全て古文であり,根拠とするに足らぬものだが,以寧はなおもそれらが偽作であることを明らかにしていない。(*12)また『周礼』に見える正歳・正月の兼用についても,鄭玄の注を数語引用するのみで,まだ明晰な言葉で疑念をぬぐいさることができていない。このように弁証に対していまだ精密とは言い難いが,大綱は既に正しいのであるから,細目に少しく荒いところがあっても,さして非難するに当たるまい。

『四庫全書総目提要』巻28



(*1)『明史』文苑伝には,元朝に於いて翰林侍読学士となり,明朝でまた翰林侍講学士を授けられたとあり,この記述と矛盾する。
(*2)『明史』本伝のこと。
(*3)経文に春王正月と書かれてあることを指す。「王」+「正月」だから,正月は「王の正月」即ち「周王の正月」である。言うまでもなく,周王は周の暦(周正)を用いている。随って,経文じしんが「周王の暦を用いた場合の正月」と書いているのだから,「正月」が周正の正月であるのは当たり前だということ。
(*4)正月正歳:正月は周の正月,正歳は夏の正月。
(*5)建子:周の正月のこと。
(*6)劉知幾:不詳。『史通』巻8(模擬篇)に「春秋諸國皆用夏正,魯以行天子禮樂,故獨用周家正朔。至如書元年春王正月者,年則魯君之年,月則周王之月。(考『竹書紀年』始達此義,而自古説春秋者,皆妄為解釋也)」とあるが,これだと春秋の月は周正になる。『三正考』は劉知幾の学説を採っていない。
(*7)程子云々:程頤の学説として有名。その『春秋伝』隠1春王正月条に「周正月,非春也。假天時,以立義爾」とある。これに対して,呉鼐『三正考』巻2(河南之誤)は「朱子曰:此以春字為夫子所加。但魯史本謂之春秋,則又似元有春字。趙氏汸曰:假天時以立義,此胡氏夏時冠周月之所從出也」の二説を援用し,「鼐按:程子之説,以周為改月不改時,魯史本書冬正月、冬二月、春三月,而夫子改為春正月、春二月、春三月也。如此則周本以寅、卯、辰為春,與夏時同;夫子反以子、丑、寅為春,與夏時異也。一誤於周之不改時,再誤於孔子之改周時,而後儒之紛紜糾葛,從此起矣」とまとめている。
(*8)ここでは『尚書』泰誓篇や伊訓篇を指す。
(*9)具体的には夏の末裔である杞や,商の末裔である宋を指す。
(*10)商正:商の暦のこと。
(*11)恐らく隠6の冬宋人取長葛を指すものと思われる。同経文に対して,左氏傳は「秋宋人取長葛」と記しており,経文の冬と矛盾する。杜預は「秋取,冬乃告也。上有伐鄭圍長葛」と釈明する。『傳説彙纂』巻2は「案:經書冬,左傳作秋。杜氏預謂:秋取冬告,引八年齊侯告成為證。其義甚明。劉氏敞以為左傳雜取諸侯史朔策,有用夏正者,有用周正者,故經所云冬,傳謂之秋也。似亦有理」と釈しており,夏時説の可能性も否定していない。
(*12)この問題は閻若璩の『尚書古文疏證』によって始めて明らかにされる。しかし張以寧と同時代の趙汸はその『左氏補注』に於いて,古文やその孔伝が偽書であることに言及している。随って,張以寧の時代に全く着想し得なかった問題ではない。

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