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四庫本・孫覚『春秋経解』

  春秋学上の孫覚は,穀梁伝を中心とした解釈を行い,師である胡瑗の学説を重んじた人物として知られる。では実際に穀梁伝を中心にして,胡瑗の学説を重んじたのかと言われると,実は困った問題があって,彼の著作『経解』からはっきりと確かめられないのである。
  まず穀梁伝のことであるが,確かに孫覚は『経解』で穀梁伝を引いている。しかし普通に読むと,穀梁伝のみならず,左氏伝や公羊伝も重視されているのである。ただ孫覚自身が穀梁伝を基調にしたと言っているので,多分,全般的には穀梁伝を基本としたのであろうと言われている。
  胡瑗のことについては,一層分かり難い。確かにこれも孫覚自身が胡瑗の学説を重んじたと言っているのだが,『経解』には胡瑗の学説が見えない。三伝と諸家の学説以外が胡瑗の学説だという意見もあるが,それだと孫覚の学説が無くなってしまう。実際,『経解』の中,どれが胡瑗の学説でどれが孫覚の学説だか,不明なのである。もっとも,それが孫覚の狙いなら,孫覚もなかなかの曲者ではある。

  余談はその程度にしておいて,先日の続きで,『四庫全書』所収の孫覚『春秋経解』について。

  『四庫提要』は孫覚『経解』の総評を行った後,書誌を記して次のように云う。

  『宋史』藝文志載覺『春秋經解』十五卷,又『春秋學纂』十二卷,『春秋經社要義』六卷。朱彝尊『經義考』據以著録,於『經解』注曰「存」,於『學纂』『要義』皆注曰「佚」。然今本實十三卷,自隱公元年至獲麟,首尾完具,無所殘闕,與宋志所載不符。
  考陳振孫『書録解題』載『春秋經解』十五卷,『春秋經社要義』六卷,而無『春秋學纂』。王應麟『玉海』載『春秋經社要義』六卷,『春秋學纂』十二卷,而無『春秋經解』。其『學纂』條下,注曰「其説以穀梁爲本,及采左氏公羊,歴代諸儒所長,間以其師胡瑗之説斷之,分莊公爲上下」云云,與今本一一相合。然則『春秋學纂』,即『春秋經解』之別名。
  宋志誤分爲二書,並訛其卷數,『書録解題』亦訛十三卷爲十五卷。惟『玉海』所記爲得其眞矣。


  いかにも尤もであるが,全く間違っている。
  『四庫全書』所収の『春秋経解』が何故に十三巻で,通行本が何故に十五巻になっているのか。差分の二巻は何か。これは四庫本『経解』を繙けばすぐに分る。四庫本の隠公と桓公の二篇が,『経解』原本ではなく,孫復『尊王発微』にすり替わっているからである。

  簡単に言うと,
    十五巻本『経解』一~二巻=隠公上下
    十五巻本『経解』三~四巻=桓公上下
    十五巻本『経解』五~六巻=莊公上下
    十五巻本『経解』七~十五巻=閔~哀の各一巻ずつ

  しかし四庫本『経解』は,
    四庫本『経解』一巻(隠公)=孫復『尊王発微』巻一(隠公)
    四庫本『経解』二巻(桓公)=孫復『尊王発微』巻二(桓公)
    四庫本『経解』三~四巻(莊公)=十五巻本『経解』五~六巻(莊公)
    四庫本『経解』五~十三巻=十五巻本『経解』七~十五巻

  と,なっているのである。巻数まで入れ替わっており,しかも四庫本には序跋が完備しているが,十五巻本には序跋がない。中味からいうと十五巻本が正しいのであるが,十三巻本もなかなか来歴のある間違い本なのであろう。

  面白いのは,四庫本『経解』のテキストが,四庫全書編纂の総裁紀の家蔵本である点である。「今本実に十三卷,隱公元年より獲麟に至るまで,首尾完具,殘闕する所なし」と自慢する自家の家蔵本であるが,まがい物であったのである。
  しかしもっと面白いのは,殿版である。これは四庫本と因縁浅からぬものであるが,こちらは十五巻本が使われている。しかも提要は殆ど同じ内容で,十三と十五の巻数だけが逆になっている。四庫提要の間違いをコッソリなおしたのであろう。

  ただし四庫本『経解』には珍しい特典がある。本書に序文(孫覚の自序を含む)と跋文が附されているが,これはどうも本物らしいのである。この序跋にはなかなか重要なことが書かれてあるので,奇妙なはなしだが,四庫本『経解』は,確かに「首尾完具」してるのである。

  普通の人にはどうでもいい話だが,昨今,『四庫全書』の検索というものがある。これでもし孫覚『経解』の重要語句を調べた場合,間違いなく間違った結果が出て来る。春秋は冒頭が一番重要なのである。その一番重要な部分が検索されない……傑作なこと請け合いである。そもそも,検索で楽に済ませようというのが間違っているのだから,間違った結果を間違って理解しても,誰も責められない。

  因みに,孫覚『経解』を利用する場合,比較的善本とされている王端履所校清抄本(『孔子文化大全』所収)を利用するか,殿版,もしくは『通志堂経解』所収書になる。ただし『通志堂経解』所収書は,康煕本にのみ存在し(未見),普及している同治本には存在しない。

  さらに余談。
  四庫提要も指摘する『経解』『学纂』『経社要義』の関係は現在も分っていない。この中,『経解』が残存している外,『玉海』の言う通りであるとすれば,『学纂』は『経解』ということになるが,はたして根拠のあるものか否かは不明である。
  『経社要義』は『読書志』記載のことから察すれば,胡瑗の学説を集めたもののようである。これは現存しないが,杜諤の『春秋会義』という書物に幾条か引用されている。輯佚してもさほど価値もないが,珍しいと言う意味では価値がある。

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かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

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