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四庫提要(春秋関係01)

追記(2009/03/15):以下の翻訳はこちらのページ(別館:公孫樹内)に訳し直しました。

王当『春秋列国諸臣伝』30巻

○両江総督採進本

宋の王当の撰。当,字は子思,眉山の人。元祐年間,蘇軾が賢良方正科に推薦した。当の対策は四等で合格し,龍游県尉を授けられた。蔡京が成都府知事になると〔当を〕学官に推挙したが,これを断った。京が宰相になると,ついに仕途を絶ってしまった。生涯は『宋史』本伝にある。

史書(*1)によると,当はむかし科挙に落ちたことがあったらしく,そのとき田舎に引き込み,嘆いてこういった――「士としてこの世に生まれたならば,仕官し得ぬときは,必ずや言葉を残さねばならぬ。」かくして『列国名臣伝』五十巻を著した,と。ならば本書は朝廷に仕える前に書かれたものである。

本書に立伝されたものは全一百九十一人。各伝の後に論評を附している。陳振孫の『書録解題』には「論述は純正で,文章は簡古。聖人の教えに対しても発明するところが多い」と言っている。しかし本書を調査したところ,例えば「魯の哀公がもし陳恆を討伐したならば,すぐにでも諸侯を従え得たであろう」と言うところなど,非理の議論としか言いようがなく,全く聖人の主旨ではない。史書(*2)によると,当は古人を広く見渡し,ただ王佐の才ある人だけを好んでいたとある。当の学問は実用を重んじたものだったのだろう。だから本書にも上のような意見を出したのではあるまいか。しかしながら,本書は時代の移り変わりをまとめるべく,前後に『国語』や『史記』などを引証しては左氏伝の闕略を補い,該博にして余すところがない。経伝に対して有益であることには違いない。

ところで『宋史』の芸文志は本書を五十一巻とし,本伝は五十巻としており,両者ともにこの本〔の三十巻〕と異同がある。三と五とは字形が類似しているので,鈔写したものが書き損ねたのだろう。

『玉海』にはまた別に,当と同時代の人である長楽の鄭昂(字は尚明)の記述があり,そこには「昴も『春秋臣伝』三十巻を作り,人物別に事件をまとめたが,それは全二百十五人の伝記で,三十九人の附伝のあるものだった」とある。これは『宋史』芸文志にも記録がある。本書と同名で,ただ「列国」の字がないだけである。後世の人々は〔この当の〕本書を『春秋臣伝』と省略する場合があるが,これだと昴の書物と混乱してしまう。そこでこの度は書名に旧来の名称を用いることで,両著書を区別させるた。

『四庫全書総目提要』巻57(史部伝記類一)



(*1)『宋史』本伝(儒林伝2)のこと。
(*2)『宋史』本伝の言葉だが,そこには「幼好學,博覽古今,所取惟王佐大略。嘗謂三公論道經邦,燮理陰陽,填撫四方,親附百姓,皆出於一道,其言之雖大,其行之甚易。嘗舉進士不中,退居田野,歎曰:「士之居世,苟不見其用,必見其言。」遂著春秋列國名臣傳五十卷,人競傳之」とあり,「王佐大略云々」が『列國臣傳』に直接繋るわけではない。随って四庫官が「蓋其學頗講作用,故其説云然」とするように,「蓋」の域を超えない。

(*)四庫全書では史部に編入される本書ではあるが,歴代経部の著述とされているので,とりあえずついでに訳しておく。章沖の『左傳事類始末』も同じ。

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