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元年春王正月

この前,台湾の中央研究院の検索に姚際恆の著作集が登録されていたのを思い出し,『春秋通論』を調べてみた。もちろんデータだからいろいろ問題はあるのだが,手近に姚際恆の本がなかったので,やむを得なかったわけである。

姚際恆は清代前半期の学者で,当時の主流から少し外れた学説を奉じていたため,四庫官からほとんど無視された不遇の人である。ところが民国に入ると,姚際恆が古い書物に疑問を持っていたというので,顧頡剛らの疑古派が注目して,ついに台湾で著作集まで刊行されるに至った。現在では研究論集まで出版されている。

この姚際恆の『春秋通論』には私の尊敬する劉敞に言及があり,「見るべきものがない」などと罵倒している。おかげで私は実に個人的理由から憤慨しているのだが,最近になってその姚際恆が「春王正月の王は孔子の手になるものだ」とか言っているらしいことを知った。有名な話なのだろうから,今まで知らなかったとは恥ずかしい限りだ。

「元年春王正月(公即位)」の「王」が孔子の手になるものだというのは,むかしから議論がある。大昔の三伝はしばらくおき,宋代以降にも頻繁に論及を見る。姚際恆の罵倒する劉敞もその学説を奉ずる1人である。

劉敞は「そもそも『元年春正月公即位』の八字は脈絡が一貫しており,史事の叙述に必須のもので,聖人の新意ではない。『王』の一字が『春』と『正』の間にあることこそ,聖人の新意である」(『權衡』巻8)といい,王の一字に聖人の微旨を読み取ろうとしている(『春秋劉氏傳』巻1の元年春王正月条も参照)。これと同じことは呂大圭の「『元年春正月』は魯の旧史の文章である。『王』の字を加えたのは,聖人が筆したものである」(『五論』第三論文。ただし『或問』巻1王正月には異説が見える)にも発見できる。

劉敞の主張には有力な根拠がない。劉敞はあまり根拠をくどくどしくあげる人ではないので,ここも彼一流の流儀に随ったのかもしれない。文面から察するに,「文章の流れからいって,王の一字は浮いており,逆に元年春正月公即位は文章の流れがいいので,王は孔子の新意だ」とでも言いたかったのだろう。ちなみに新意は原文のままで,孔子が新たに加えものという意味と思われる(新たな意味を附したとも取り得るが,意味を付すには新たな文字を加える必要があるので,結果的に孔子が字を加えたという意味になるだろう)。

一方,元の趙汸あたりは,「春秋は魯の旧史に手が加わることで経書になったとはいえ,旧史の基本骨格は残されたままである。(君主の)第一年を元年とすること,歳のはじめを春とすること,一月を正月とすること,王を正に加えたことなどは,どれも旧史の文章に随ったものである」(『補注』巻1)といって,元年春王正月を魯の旧史の文章と見なしている。これも特に根拠はなく,強いて理由を求めると,趙汸の前提と根拠とが堂々巡りになり,循環論証に陥ってしまう。

元年春王正月(公即位)が魯の旧史か聖人の筆になるものか,ここらは歴代の春秋学者の間でずいぶん喧しい議論がなされた。いまとなっては余り意味のない議論のようにも思えるが,当事者は必死であったはずで,いろいろと有力な学説も提出されている。その一つに金石文を根拠に「王」の新意を否定する学説がある。これは春秋時代の金石文に「惟王正月初吉丁亥」というのがあり(『積古斎鐘鼎彝隷識』巻3),春秋の他にも「王正月」の文字を用いるものがあるわけだから,「王」は孔子の発案ではない,という意見がある。

もう一つ,劉敞の議論に即して考えると,例えば劉敞は『權衡』巻7の最後で左氏伝を総括し,「哀公十四年以後は仲尼の手になるものではない」といって,獲麟以前の経文(春秋)とそれ以後の左氏伝の経文(いわゆる続経)とを比較し,獲麟以前の春秋に孔子の筆削のあることを説明している。ところが仲尼の手の加わっていない十五年以後の続経にも,「王正月」の文字が確認できる。ならば劉敞の学説は,劉敞自身の証明方法によって崩壊すると言わなければならない。

もちろん強弁しようと思えば,続経の作者は春秋経文をまねて王の一字を加えたが,その他の筆削については理解が不十分だったので,正経を完全にまねることはできなかった,と言えないではない。また金石文にしても批判しようと思えば批判できる。そもそも金石文のスタイルは尚書に似ており,春秋のような史書ではない。異なるスタイルのものを比較するのは間違っている。もしかすると孔子は伝来の尚書的スタイルを春秋に持ち込み,新たに王の字を加えたのかもしれない云々。

歴史の議論で白を黒と言いくるめることなどたやすいことで,専門家,それも腕のいい専門家であれば朝飯前のことである。結局,分からないものは分からないものとして置いておくしかない。誰でもが容易に首肯できることなら,そもそも疑問は生じず,疑問の生じるところに論弁を加えても,よほどのことがない限り,疑問は解けない。

世に天才的な著作は数少なく存在するが,それほどのものでもなければ,まじめに歴史の議論などしても無駄だと,私は常日頃から思っている。もちろん単に過去から栄養を得るという程度の,健全な思いから歴史を論ずるのであれば,それはそれで意味のあることだと思ってはいるが。専門家に限って,歴史に過度な期待を寄せるから困る。

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かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

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