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『南山編年録』序文(跡部良顕)

(追記:2010/02/06)
南学・秦山・崎門関係の記事はサイトの方に改訂整理しました。以下は拍手をいただいた記念に残しておきますが、間違いは訂正していません。
(以上、追記終わり)


以下,『南山編年録』の序文を書き下したもの。ただし原本を確認できなかったので,『南北朝正閏論纂』附載の資料から転載した。同書は国会図書館のデジタルライブラリーで読むことが出来る。私は正閏論争に興味など全くないが,学者がどんな寝言を吐いているのか興味があったので読んでみただけなり。序文中,神様の記述(敬語法?)とか論争渦中の人々の立場とかをよく知らないため,しょーもない間違いをしているかも知れないが,それはご寛恕乞いたい。いや,勘弁ならねぇという人がいても知らない。そういう人は読まないでください。そこまでして読む価値のある記事ではないので。テキストは上に書いたデジタルライブラリーにあるが,念のため書き下しの下に原文を附しておくので,間違いを探す人はどうぞ。ただし原文のタイプミスがあっても知らないよ。

南山編年録序(正徳三年 跡部良顕)

天は上に位し,地は下に位し,人は其の中に生まれ,而して君臣の道 自ずから具われり。天地 一なれば,君臣の大義 私を以て論ずべからざるなり。孟子曰く「世衰え道微して邪説暴行 有 作り,臣の其の君を弑す者 之れ有り,子の其の父を弑す者 之れ有り。孔子懼れて春秋を作る。春秋なる者は天子の事なり。是の故に孔子曰く,我を知る者は其れ惟だ春秋か,我を罪する者も其れ惟だ春秋か。」又曰く「孔子 春秋を成し,而して乱臣賊子 懼る。」朱子も亦 春秋の筆法を以て『通鑑綱目』を著す。

夫れ我国の『旧事記』『古事記』なる者は,史の始めなり。然れども雑にして正ならず。故に一品舎人親王 『日本書紀』三十巻を著し以て正史と為し,神聖の道 自ずから具われり。之に加うるに,『続日本紀』『後紀』『三代実録』『文徳実録』を以て六史と為す。蓋し『日本紀』神代神武巻を稽うるに,天照大神 八坂瓊曲玉・八咫鏡・草薙剣の三種の神器を以て,皇孫瓊々杵尊に伝え,天位を譲る。故に饒速日尊を載せず,十種の瑞宝を除き,以て正統を露わせり。鵜草葺不合尊の治世の末より神武天皇に至るまで,此の間 東西相分かれ,一統と為らざる有り。天皇 乃ち兵を起こして東征し,神を祭り軍を励まし,竟に朝敵を誅し,再び天下を一統して之を治む。帝業 方めて起こり,政道 大いに正され,王沢 後世に垂るる。故に天子 一姓に相続ぎて正統 歴々たり。吾国を尊び異邦を卑しむ,其れ編集の神意 実に豊葦原中国の亀鏡なり。

林春斎 『本朝通鑑』を著すと雖も,世に行われざるは,則ち其の是非を知らざればなり。諸家の著す所の王代編年の書,未だ詳らかには春秋・通鑑の筆法を著す者を見ざるなり。後醍醐天皇 南山に幸し,而る後 南北に分け,北朝を以て正統と為し,南朝を軽んず。南朝は則ち正統にして,而して北朝なる者は正統にあらず。按ずるに正統を知る者有りと雖も,私に之を改正し憚る所有らんや。宜なるかな,南朝を以て正統と為すや,独り『神皇正統記』の存するを頼りとするのみ。故に予 微意を此に寓す。且つ林氏の『稽古続編』に曰く,「明年 吉野 春風 悪し。山櫻の落つる時 南帝 陟る。嗣王 位を践ぎ三器を抱く。畢竟に大物 得ること能わず。微弱を将つて偽号と称すること莫し。誰に憑りてか史筆の特なるを見るべし。本朝の権衡 此に在るべし。今に至るまで正統 人 識る無し。猶 楠氏の衛護を為す有り,新葉 歌を撰し古式を追う。」水戸源公 『参考太平記』を著し,其の後に書して曰く,「按ずるに南朝の後村上帝の正平二十三年(北朝の貞治七年,則ち応安元年)三月 崩ず。皇子寛成 嗣ぎて立つ。之を長慶院と謂う。文中二年(北朝の応安六年)八月二日,長慶院 位を皇弟成に伝う。後亀山院は是なり。北朝の後小松帝の明徳三年,南北 和を講ず。閏十月二日,南帝 洛に入る。五日,三種の神器を以て北主に伝う。南帝を尊び太上天皇と為す。是に於いて南北一統す。延元元年,後醍醐帝 吉野に幸するより,此に至るまで,凡そ五十七年たり。」此の両書 南朝を以て正統と為す。南北朝の号は則ち西土の例を以て之を号す。豈に之に准らんや。国 神代天皇よりの神胤一姓,而して他姓を以て継がず,且つ三種の神器を以て正統と為せば,則ち君臣の道 確然として万国に抽く。故に両朝と称すべからざるなり。

是に於いて予 窃かに一書を著さんと欲す。然れども短才にして疾に沈み,眼 翳りて筆を把り艱し。故に家僕をして鵜飼氏の『編年小史』を抄せしめ以て基と為し,諸書に考え,違えるを改め,誤れるを刊し,闕けたるを補い,略そ一書を作す。草稿 已に成る。題して『南山編年録』と号す。憚る所有れば,則ち他見を欲せず,唯だ子孫に示さんと欲するなり。南朝の実録 少なく,而して偶々家に蔵する者有りと雖も,之を秘して出さざれば,未だ見ざるの書有り。自今以往 亦 実録を求むれば,則ち宜しく之を補うべし。

正徳癸巳孟冬の日

光海良顕 識す


*割注は丸括弧に入れた。
*林春斎『本朝稽古編』は『南北朝正閏論纂』附載資料(注29)の返点を利用した。

南山編年録序(正徳三年 跡部良顕)
天位于上,地位于下,人生于其中,而君臣之道自具焉。天地一而君臣之大義不可以私論也。孟子曰:世衰道微,邪説暴行有作。臣弑其君者有之,子弑其父者有之。孔子懼作春秋。春秋者,天子之事也。是故孔子曰:知我者其惟春秋乎,罪我者其惟春秋乎。又曰:孔子成春秋,而乱臣賊子懼。朱子亦以春秋之筆法著通鑑綱目矣。夫吾国旧事記古事記者,史之始也。然雑而不正,故一品舎人親王著日本書紀三十巻以為正史,神聖之道自具焉。加之,以続日本紀・後紀・三代実録・文徳実録為録史矣。蓋稽日本紀神代神武巻,天照大神以八坂瓊曲玉・八咫鏡・草薙剣三種神器,伝于皇孫瓊々杵尊,譲天位。故不載饒速日尊,除十種瑞宝,以露正統焉。鵜草葺不合尊治世之末至神武天皇,而此間東西相分,有不為一統焉。天皇乃起兵而東征,祭神励軍竟誅朝敵,再一統天下而治之。帝業方起,政道大正,王沢垂于後世。故天子相続一姓而正統歴々焉。尊吾国卑異邦,其編集之神意,実豊葦原中国之亀鏡也。林春斎雖著本朝通鑑,不行于世,則不知其是非也。諸家所著王代編年之書,未詳見春秋通鑑之筆法者也。後醍醐天皇幸南山,而後分南北,以北朝為正統,軽南朝焉。南朝則正統而北朝不正統矣。按雖有知正統者,私改正之有所憚歟。宜也以南朝為正統独頼神皇正統記之存。故予寓微意于此。且林氏稽古続編曰:明年吉野春風悪。山櫻落時南帝陟。嗣王践位抱三器。畢竟大物不能得。莫将微弱称偽号。憑誰可見史筆特。本朝権衡可在此。至今正統無人識。猶有楠氏為衛護,新葉撰歌追古式。水戸源公著参考太平記書于其後曰:按南朝後村上帝正平二十三年(北朝貞治七年,即応安元年)三月崩。皇子寛成嗣立。謂之長慶院。文中二年(北朝慶安六年)八月二日,長慶院伝位皇弟成。後亀山院是也。北朝後小松帝明徳三年,南北講話。閏十月二日南帝入洛。五日以三種神器伝于北主。尊南帝為太上天皇。於是南北一統。自延元元年後醍醐帝幸吉野,至此,凡五十七年矣。此両書以南朝為正統,南朝北朝之号,則以西土之例号之,豈准之乎哉。国自神代天皇之神胤一姓,而不以他姓継,且以三種神器為正統,則君臣之道確然抽万国。故不可称南朝也。於是予窃欲著一書,然短才而沈疾,眼翳艱把筆。故命家僕抄鵜飼氏之編年小史以為基,考諸書改違刊誤補闕,略作一書。草稿已成焉。題号南山編年録。有所憚則不欲他見,唯欲示子孫也。南朝之実録少,而偶雖有蔵家者,秘之而不出,有未見之者。自今以往,亦求実録,則宜補之焉。
正徳癸巳孟冬日
光海良顕識



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かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

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